殴り合う貴族たち

殴り合う貴族たち (角川ソフィア文庫)

殴り合う貴族たち (角川ソフィア文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
素行の悪い光源氏たち!?光源氏のモデルの一人となった藤原道長は、官人採用試験の不正を強要、従者に命じて祗園御霊会を台なしにし、寺院建立のために平安京を壊した。これは道長だけの話ではない。優雅なはずの王朝貴族たちは、頻繁に暴行事件を起こす危ない人々でもあったのだ。「賢人右府」と呼ばれ、紫式部も尊敬した小野宮実資の日記を通して、『源氏物語』には描かれなかった王朝貴族たちの素顔を浮き彫りにした。

自力救済世界の中では貴族すらも暴力を振るうことをためらわない、というような話かと思ったけど単に気分とか酒によってという話も多いなあ。敦明親王については、『暴力沙汰を起こすにはそれなりの必然性があった』(P259)とあるけど。
藤原実資の『小右記』が元ネタとのこと。
光源氏という貴公子がいかに理想化された存在であったかがよくわかる。光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取りざたされるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないというただそれだけでも、光源氏は十分に理想的な貴公子と見なすことができるのである。』(P16)ハードル低いなあ。
『当時の権大納言は、今の日本で言うと、国土交通省あるいは経済産業長の大臣や衆議院議長くらいには重要な立場』(P22)『公卿というのは、現代日本の閣僚のような存在』(P28)役職で言われてもなんとなく偉いくらいしかわかんなかったから、今のどのくらいの地位という話があるのは嬉しい。
『王朝貴族たちの間では、大臣の居宅の門前を通過することは、それだけで無礼な行為であるとみなされたのである。』(P152)しかし、(牛車や馬に乗ったまま)家の前を通るとそれだけで従者が石を投げてくるって。
『私刑であることは言うまでもない、公式の司法手続きを経ずに科される刑罰が私刑であるが、現代日本では私刑は法律で硬く禁じられている。』「私刑」がはびこるっていうことは、法律がちゃんと機能していないからはびこっているんじゃない。現代日本では、とあるけど当時の法律ではこうした行為は承認されていたのかね?それともそうした法律が規定されてなかったか。
『『吾妻鏡』という歴史書は、政子を頼朝の「妻」賭して扱い、亀を頼朝の「妾」賭して扱う、しかし、鎌倉時代の末期に政子の一族が主導する鎌倉幕府によって編纂された官選の歴史書が『吾妻鏡』である。その『吾妻鏡』が政子と亀を同列に扱おうとしないのは当然のことであろう。
 また、「妻」「妾」の二つの言葉について言えば、源頼朝もその一員であった平安時代の貴族社会においては、この二つの言葉の間に決定的な意味の違いは存在していなかった。むしろ、王朝の貴族男性などは、自身と婚姻関係にある一人の女性を、「妻」とも「妾」とも呼んだのである。やはり、頼朝をめぐる政子と亀の関係は、古妻と新妻との関係として理解していいだろう。』(P265-266)亀も頼朝の妻だったんじゃないかというのや「妻」「妾」に当時はさほど意味の差異はなかったと言うのは知らなかった。
『婚姻届などというものが存在しなかった当時、庶民層の場合はもちろん、貴族層の場合でさえ、その男女が夫婦であるか否かは、本人達がどう思っているかにかかっていたのだ』(P272)