洟をたらした神

洟をたらした神 (中公文庫)

洟をたらした神 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

詩人である夫とともに、阿武隈山麓の開墾者として生きた女性の年代記。ときに残酷なまでに厳しい自然、弱くも逞しくもある人々のすがた、夫との愛憎などを、質実かつ研ぎ澄まされたことばでつづる。大宅壮一ノンフィクション賞田村俊子賞受賞作。

 HONZで言及されていて、そのインパクトのあるタイトルが印象に残ったということもあり読了。著者は福島の農家で土に生きた人。解説を読むに夫婦生活や子育てを経験して、もっと歳を重ねていたら、より味わい深い作品だったのだろうな。しかしそこらへんは年齢的に経験していないことだし、今後も経験せずに終わるだろうからこの作品は生涯十全に読めないと思うと少し寂しいな。そして夫のことを著者は混沌と読んでいるから、随分変わった名前だなあと目を見張ったが、解説を見てそれが筆名だったと知る。
 「春」開墾する作業を書いた後に『骨の折れる仕事でした。しかし少しでも広い畑を持ちたいのです。』(P10)と感傷的にならず直裁さにものを言っているから、少しでも広い畑を、少しでも多い食料をという切実さが伝わり、読んでいて胸に突き刺さる。
 どこかへ消えて死んだ(盗まれた)かと思っていた鶏が3週間後にひよこを産んで戻ってきていたが、その姿は21日間で引き締まった隙のないからだが、胸毛が抜けて地肌が丸出しになったり羽が行く本も向けそうになっていたりとすっかりみすぼらしいものになっていた。誰にも気づかれない場所で3週間ひっそりと上も疲れも睡眠もろくにとらずに孵化させる努力を続けていたというのは、その姿の変化もあいまって、感動的な情景だ。
 「かなしいやつ」苦労し通しで死んだ悲しき農民詩人の肖像。満直さん、旧家の長男として生まれたが、3段階の種違いの兄弟姉妹に囲まれ、家長である養父とも性格も合わず折り合いが悪かったなどの様々な事情があり、そうした耐えられないような生活やしがらみで妻子と共に北海道開拓移民の募集に応じた。しかし苦労のために妻を亡くし、その苦労して寝付こうとした北海道の土地もとうとう生活が立ち行かなくなり一旦実家へと戻るが、より一層複雑化した家庭の問題に直面してそこを去り、様々な仕事をして暮らしながら肺病によって仕事が出来なくなり、逃げたかった生家へと戻って40歳の若さで逝った。
 「洟をたらした神」貧しかったから子供に玩具一つ買ってやったことがなかったので、ノボルは自分で器用にコマや竹とんぼを作っていたが、はじめて彼はヨーヨーが欲しくなってねだったが、それを買うための2銭でもキャベツ1個、大きな飴玉10個、小鰯15匹買えるとすぐに考えてしまい、来年小学校に上がるときにクレヨン、筆、ナイフ、かばん、帽子とか一杯買ってやるよ、なんていって誤魔化さなければならないというのは辛いなあ、普段からあまえたりねだったりしない子供が初めてねだってきた玩具一つを買ってやれない悲しみ。それを聞いて泣き言も何も言わずただ外へ出ていった、そうしたノボルを見て嫌な想像がよぎるが、その夜にノボルは枝や樹皮を使ってヨーヨーを自作して、そのヨーヨーを得意げに家族に見せて、家族も歓声をあげていたが、それは「軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂のおどりであった」という末尾の一文は印象的だ。
 「公定価格」戦時中に公定値よりもちょっと高い価格で梨を闇で売ったときに(といっても暴利でなく実に良心的な、ほとんど最低の値段で売っているのに)、酔った警官に難癖を付けられて出頭を命じられた。ただでさえ食料供出で苦労しているのに、まだ締め付けたりないのかと反発するような気分になっていて、そうやって反発しているので部落で顔の利く万さんが駐在へ一緒にいって謝ろうとやってきて、吉野さんを宥め慰めたが、彼らも形だけ頭を提げて食料を手土産にしたらそれで済むといって、彼らもモノがほしいだけかと思いなおさら腹が立って何も持たずに駐在所へ行った。そこで悪かったことと注意することを(内心「糞っ」と反発しながらも)誓ったら、案に相違して前日寄っていた警官は善良な笑いを浮かべながら「神妙に出頭したから、説諭だけで許しておこう。決して二度とするなよ」と言って、もっと悪い予想が、例えば賄賂を露骨に要求されるとか、ひどい罵倒を加えられるかなどという、当たらずに案外簡単に返してもらえ非常に安堵して、それまでに強く反発していた気持ちが薄れ丁寧に礼を行ってかえったという終わり方はなんか好きだなあ、どこが琴線に触れたのかは自分でもちょっとよくわからないけど、なんだかいいなと思う。厄介なことが起こりそうなときに吉野さんは持ち前の気性が故に反発して頑なになっていたが、警官が想像していたよりも善人でその意地を張ったことが重大な結果にならなかったことや単に警官が思っていたよりも、という比較級であるが、横暴じゃないというのが単に嬉しかったのかな。自分の気持ちをよくわかっていないが、もし後者だとすると不良と雨の中の子犬みたいなベタなパターンだから自分の心情ながら思わず反発したい気持ちが湧くけど(笑)。
 「いもどろぼう」戦時になって食料が少なくなったことで夜に泥棒が入ることが多くなった(3日に1回!)、それで未熟な梨をもぎ取って捨て置かれることもあるので憤懣やるかたない気分を覚えるし、ただでさえ生活がきついので作物を盗まれることは文字通り死活問題でもあった。そんなときに芋泥棒を捕まえたが、今職を失うと親子が生きて行けないから警察は勘弁して欲しい代わりに好きなだけ殴っていいからと哀願の限りをつくしているのは、何らかの報いがあるのは当然にしてもその姿は哀れだ。
 「麦と松のツリー」戦争末期にクリスマスの木を切るために来た俘虜となり鉱山で使役されている大学生の米兵の若さを見て、吉野さんは彼はきっと徴発されてきたのだと思って、哀れに思い番茶を一杯出してあげた。戦後になって戦勝国の兵として大手を振るってそこを出歩いている俘虜たちが、不意に人絹布にタバコの箱に吸い残しのタバコを入れたものを投げてよこしたが、それをよこしたのがその俘虜、大学生だと彼らが姿を消してからふと思ったというシーンはいいな。タバコの吸い残しはゴミじゃないかと思ったが、タバコがそもそも入手困難だったから、そんな吸い残しでも夫の混沌は喜んでいたというのは、なんだか物悲しさを感じる。それを喜ぶと思ってプレゼントするのもプレゼントされて実際に喜ぶのも、どっちにもね。
 「鉛の旅」息子が徴兵されて同じ県内の息子のツトムがいる場所へ会いに行くのだが、途中の乗り継ぎの駅で家族の面会日が決まっていると聞かされ、無駄足になるかもしれないと思ってもそれでも一縷の望みを頼りに会津へと行き、実際に本当に言葉を一言二言交わすだけのあわただしい面会であるが、お目こぼしがされた。それで母は包みを息子に投げて息子は支給のタバコをよこしながら、気をつけて帰れよ、俺は大丈夫だから、とだけいって再び宿舎に戻った。
 「水石山」近所の水石山に登ったことがないから行ってみたいといった吉野さんに対して、夫は風邪を引いているからとそっけない返事をしたことに腹を立てて、黙ってぶらぶらと普段行かないところを散歩して、そのうち腹立ちも収まってきて秋刀魚を買って帰ったが、なかなか夫が戻ってこず夜になって帰ってきて、「けえっていたのか、よかった」と静かな声で言ったということとか吉野さんが海のほうの出だから海に行っていると思って、そっちを探していたというのは夫婦愛が強く感じられていいなあ。しかし結局水石山へはじめて吉野さんが行くのは夫が死んでからなのか。
 「信といえるなら」夫の死後、友人たちが彼の碑を建てた。そしてその建碑の際に心平さんが、生きていられるのは僕もあなたも長くないのだから生きているうちに仕事をしなければと吉野さんにいって、自分の筆で自分のことを書くようにいったが、その心平さんの言葉も吉野さんの言葉も、高ぶりもしないで、嘘を含まないピリピリするような本気さと切実さを持った言葉で会話しているのが痺れる!