わたしを離さないで

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。

 kindleで読了。ネタバレあり。
 以前から読みたいと思っていたがようやく読了。途中まで明かされない登場人物たちが暮らす特殊な環境の意味は、以前映画の紹介かなにかでその設定を知っていたからそれを何だろうと考えて読むことができなかったのはちょっと残念。しかし巻末の訳者あとがきによると「これは……についての物語である」と書いてくれてかまわないと作者本人がいっているようなので、そんなに気にしなくてもいいのかもしれないけど。
 語り手であるキャシー・Hが自分たちが育ったヘールシャムでの出来事や、そこで知り合い長く親交を持つになる二人の親友ルースとトミーとの思い出などを穏やかに書き綴っている回想録形式で話が進む。
 この世界の現状の社会体制の批判をあまりだしていないが、人生も締めくくりに入って怒りで生を終えたくないということで書いていないのか、この回想録を読んだその世界の人々に反発されないように、あえて直接的には書かずに同情を引くように仕向けるという、世界への反抗の仕方を選んだのか。まあ後者は穿ちすぎかもしれないが。

 物語世界は近未来ではなく、第二次大戦の少し後にクローン技術が確立して、そうして生まれた人々の人権が無視される、というより人と思われずに消費されている現在。臓器提供のためだけにクローン人間が生み出されて、彼ら彼女らはその役目のためだけに消費される。それが常識となっている世界。
 クローン人間は世間から半ば隔絶されて、短い人生を送る運命を背負わされている人々の物語。
 キャシーは介護人を12年近くやっている31歳で、彼女も提供者になることを運命付けられている。
 彼女はヘールシャムという施設の出身で、そこの施設は環境が特別によいことで有名である。そういうこともあってヘールシャムにはある種の神話があって、同じ立場の人間からそこの施設出身者にのみ許された特別な措置があると信じられている。その噂となった特別な措置も恋人となった者への数年間の猶予というささやかなもので、そうして希望的観測として噂となるくらい切願されているもののささやかさが切ない。
 ヘールジャムは閉鎖的な全寮制の寄宿舎的な学校。そこであった年に4回ある交換会、生徒たちが作品を作って、保護官(先生)がそれを出来によって交換切符に替えてくれる。それで他人の作品を買う。そうした交換会が生徒たちにとって非常に楽しみな出来事だった。
 そこにきて出来の良い作品を何枚か持って行くマダムと呼ばれている女性。子供時代、彼女にちょっとした冗談をしかけたら、自分たちを怖れるような反応を見せてショックを受ける。
 その経験は、外部の人々が自分たちにそうしたおぞましいものであるという感情を持っていることを初めて体験する出来事であった。
 そうした交換会の他に、月一で外の物品を持ってきて買える販売会も、自分だけの持ち物を増やす滅多にない機会ということもあって楽しみにしていた。
 保護間や外の世界の人々と違うことはうすうすは感ずいていた。しかしはっきりとは知らされていない、そのことで苦悩していたピーター先生に、自分たちは臓器提供を運命付けられて、そのために造られた人間で中年になることもないでしょうとはっきりと伝えられる。
 彼ら彼女らは男女とも子供を望めない身体をしているようだが、そういう処置がされているのか、クローン技術が完璧でなくそういうことになっているのかどっちだろう。まあ、それはともかく彼ら彼女らは子孫を残さずに生を終える。
 クローンである彼ら彼女らは施設(ヘールシャムなど)で子供時代をすごして、その後に別の施設出身者らと何人かで共同生活をする。その後で介護人となり、提供している人のサポートをする。そして提供を始めて、幾度かの提供を終えた後に体が耐えられなくなって、回復センターで生を終える。それが定められた運命。社会によって与えられた残酷な運命。
 ヘールジャムから出た後、他の施設の面々と共にコテージで最長二年の共同生活に入って、そこで論文を書く。論文が目的とされているが実際には論文を仕上げずに、さっさと介護人となって出て行く者も多い。
 彼ら彼女らはクローン人間であるから、元になった人間がい手、その存在をポシブル(可能性)と呼んでいた。その「親」に対する興味は高く、「親」を見ることで自分たちが果たしえない将来やどんな人生を遅れていたかを見ることができると思っていた。ただ、勿論その存在が誰かと言うことは明かされないので、当て推量でもしかしたらいついつ見かけたこうこうこういう人は誰々のポシブルではないかと思って話題になることもあるが、当然ながら本当にポシブルらしい人が見つかることはまずない。
 ルースのポシブルらしき人を見かけたとの情報があって、コテージの先輩カップルとルールとトミー、そしてキャシーの5人でその人を一目見るために、他の用事を済ましたあとのよりみちでその人がいる場所に立ち寄る。
 想像していたような境遇で働くルースのポシブルと目されていた人がどうも違ったようで、ルースは落ち込む。どうせ自分たちの「親」(自分のクローンを臓器提供させるために生み出すことを了承する人物)は麻薬中毒者や浮浪者などそういう人物であるとまくしたてた。
 トミーは、マダムの展示会は実は作品でその人の性格を見て、それによって特別な絆を持つカップルに数年の猶予を与えるための判断材料にするものだったという噂があるとキャシーに伝える。それがよく言われるヘールシャム出身者への特別な計らいなんじゃないかと述べる。保護官たちから言葉を濁されていたマダムの展示会だが、そうした説明でそれまで保護官たちに言われていたことの説明がつけられる。
 そしてキャシーは介護人となり、一足早く提供者となっていたルースの介護人を務めていたときに、ヘールシャムが閉鎖したことを知らされる。
 そしてルースの介護人をしていたときに、トミーとも再開して久しぶりに三人で会う。そしてそのときにルースがキャシーとトミーが付き合うのにふさわしかったのに邪魔して自分がかつてトミーと付き合っていたことを謝し、奪ってしまったその関係を取り戻して二人が付き合って欲しいと述べる。そしてかつて調べたマダムの住所をキャシーに渡して、例の噂、特別な猶予期間をもらって幸せな時間を過ごして欲しいといわれる。
 それまで少しばかりぎくしゃくしていたルースとキャシーの関係だったが、ルースがそのことを話してから、二人とも互いが大切な存在であることを再認識して再び親友同士として善い関係でルースの最期の一時期を過ごせた。
 そしてルースが死亡した後。トミーの介護人となり、そしてマダムのことを挑戦することを決意する。
 そしてようやく恋人となった二人はマダムの家を訪れる。マダムは根も葉もない希望を抱いて、勇気を振り絞って自分を訪ねてきた二人を見て、自分たちの行動がそんな希望を抱かしてしまったことを思って泣く。そこで彼女と同居していた思いがけない人物、エミリ先生からヘールシャムについて、この臓器提供の歴史的な経緯についての話を聞く。
 そこで、かつてクローン人間に魂があるのかを疑問視されていたことが話され、ヘールシャムを運営していたグループは魂があることを示すためにあちこちで展覧会をして啓発していた。そのためにマダムが生徒たちの作品を蒐集していたことが明かされる。
 エミリ先生らヘールシャムに携わった人々はクローンにも魂があるのだから、せめてよい環境で育てよう。クローンたちが酷い環境で育てられていることを是正しようとする運動を展開していた。
 モーニングデールという科学者が超人的なクローン人間を作ろうとしていた事件が原因となって運動が終息してヘールシャム閉鎖とあいなった。世間は子供や孫世代には、優秀なクローンが世界を牛耳ることを怖れた。そのためクローンに対する援助者がいなくなり、臓器提供を運命付けられているクローンたちよい環境を与えることを目的とした運動は潰えた。そしてヘールシャムなどいくつかのそうした運動によって出来た施設が閉鎖した。そのため今後はまっとうな子供時代を送れる場の消滅し、キャシーらのような教育を受けることはなくなり、クローンに対する環境は悪くなることを知る。
 エミリ先生の話しぶりから、彼女は善意の人ではあったようだ。そしてヘールシャムのおかげで少しでも幸せな幼少期を過ごせた人々がおり、そして他の施設出身者からもヘールシャムは一種の希望というかクローンでもその施設ならば特別な計らいがある今よりもいい何かがあったかもしれないという心の拠り所ともなっていた。しかしやはりクローン人間を一段下の存在と見なしていることが透けて見える。彼ら彼女らを人間として見なしているのに、それでも臓器提供をよしとする姿勢には読者(現在・現実の世界の視座)から見ると非人間的な道徳の歪みを感じる。人生をかけた運動がなくなって、せめて世話をしたクローンたちから感謝して欲しいという気持ちもわからなくもないけど。最期にあけすけにマダムだけでなく、保護官の誰もがクローンのあなたたちに恐怖を感じていたと伝えているのもやはり同じ人間とは感じていないことの証だしね。
 でも、そんな人たちがクローンの彼ら彼女らが外部で得られる最良の擁護者であるという悲しみ。
 そうした話を二人は特別の猶予期間はないことを知り、そしてその話は嘘でも他の方法があるかもという可能性も潰される。そしてトミーが死亡するまでの、恋人たちの最期の日々と離別が描かれる。