ドキュメント 脱出 4600キロ・イランからの決死行

内容紹介

仕事場がいきなり戦場になった・・イランで桟橋工事に携わっていた東亜建設工業の社員と関係者27人は1980年9月に始まったイラン・イラク戦争に巻き込まれる。本書は彼らのイラン脱出から日本帰国まで、「決死の旅」のドキュメント。彼らは開戦後、工事を中断して帰国すると決めるが、トルコ国境付近で何者かの発砲を受け2人が負傷する。果たして無事に帰国できるのか。海外で働くリスクにどう対応するべきか考えさせる一冊。 【解説:後藤正治


 kindleで読了。
 海外で仕事をすることの難しさが主題。東亜建設工業の人々の物語ではあるが、最後の方で『このドラマに、個人としての主役は不在であった。しいて主役をいうなら、それは総体としての日本人ということになるのであろう。』(N3848)と書かれているように、軸となる主役もいないし、それほど一人ひとりの内面にまでつっこんで書かれているわけでもない。そのため著者の「誘拐」や「不当逮捕」のようなものを期待して読むとちょっと肩透かし感があるかも。
 1980年のイラン・イラク戦争の勃発によって、イランで複数の土木工事を請け負って仕事をしていた東亜建設工業が撤退することになった話が書かれる。そのときに非常事態ではあるが、工事の中断を中々認めようとしない発注者との間で色々もめた話が書かれる。そうした面倒な交渉ごとがあったから、中々イランから出国できなかった。そしてこの中断もあって結局東亜建設工業はイランでの工事で大損することになった。
 また出国できるかどうかで色々ともめた結果バスに乗って陸路でトルコへと逃れることになり、そこで賊に襲撃されるという災難に遭う。
 『土木工事というのは先行投資型で、請け負い業者が中途でそれを放棄した場合、非常に大きな不利益を免れない。』(N80あたり)
 『工事が始まると出来高に応じて、順次、発注者から工事費が支払われるが、そのうちの一五%はリテンションといって、すべての工事が完了するまで、先方の手に握られている。もし、東亜建設工業が戦争を理由に工事を中断もしくは放棄した場合、発注者であるNIOCは契約を盾にとって、ペナルティを科してくるに違いない。
 工事の中断もしくは放棄が不可抗力による場合、請け負い業者は免責されることになっていて、戦争のケースは常識的にいってそれに該当するが、NIOCがすんなり認めてくれるかどうか、その認定をめぐって争うことになると、先方に金を握られているだけ、どうしても請け負い業者の立場は弱いのである。』(N95あたり)
 これらがイランの工事で大きな損が発生した理由であり、そして国外脱出することでイラン側ともめた原因。
 その戦争が拡大する前に闇ドルが急騰していることを聞いた現地に滞在する東亜の社員は、その年の3月ごろから公然とホメイニ批判がなされるようになっていたこともあり、革命政府の崩壊が近いのかとまず考えた。
 東亜が建設中の石油プラントも空爆で攻撃されたこともあって撤退を決めた。
 当時イランで仕事をしていた東亜社員の鈴木氏。彼は以前貧乏旅行で世界をめぐっていたときのタンザニアで刑務所に入れられたというエピソードは風変わりで印象に残る。彼はアメ横で購入したアメリカの野戦服を着ていたことで、乱暴な振る舞いをされてかっとなって反抗したら、スパイだと思われて刑務所行きとなる。
 シャーが石油値上げで大きな利益をあげて、大規模な公共投資をしていた。そのときに東亜はイラン・イラク戦争時に工事をしていたような大きなプロジェクトを受注した。しかし一件順風満帆に見えたい乱の内側は西欧化による伝統破壊に対する反発と格差問題もあって、シャーは倒れ革命政府の時代になり、その革命政府がぐらついているときにイラン・イラク戦争があって、その戦争が逆にホメイニ政権を立て直すことになる。
 東亜が請け負ったうちの一つの仕事は、すでに元々地盤が当初のデータよりも固いので杭打ちが難しく、その段階で赤字が避けられなかった。それに加えて革命とイラン・イラク戦争でのダブルパンチがあったので、東亜はイランでの工事は大きな赤字を生み出すことになった。
 そうして革命政府の朝令暮改もあって革命後なかなか工事が進まなかったのに加えて、イラン・イラク戦争がはじまった。そうしたこともあって東亜の人も今思えば革命の時に思い切って損切りしていれば深手を負わなかったのにと後悔する。
 東亜はイラクでも工事をしていたが、そちらの引き上げは大使館の協力もあって、スムーズに社員や作業員らを国外に脱出させることができた。
 イラン政府シャー時代からのさまざまな大規模開発プロジェクトを請け負っている、外国の会社がこの戦争で出国して再び戻らないことを危惧して、なんとかそれを食い止めようとする。そうしたこともあって帰国すると決め手から実際に国外にでるまでに色々交渉したりと面倒ごとがあり、かなり時間を取られた。
 その揉め事を知った日本の外務省は当初東亜の現場で働く人々の出国拒否するイランを常にないトーンで非難した。しかしそうして援護射撃をしてくれたと思ったら、そのすぐ後に話し合いがまとまってないだけだと説明して、東亜が一方的に逃げようとしている印象を与える説明をして東亜のイメージを傷つけた。
 相手は実際は不可抗力での工事の放棄するとして東亜は出国できるまでは認めたが、相手はこの状況では不可抗力に当たらないといっているという話。しかしそうした状況であるとイラン側が金を払わなければならなくなるから、そのことを認めることは今までに例がなく、見込みがないから出国するといっているのに外務省までイランの抗議に日和って、東亜側を悪者のように見せた。
 そして結局イラン側は海での脱出は許可しないが、陸路での脱出は黙認するということで、陸路でトルコに向かうことになった。結局東亜がイメージを損なわれたままだが、作業員らの国外脱出を優先してそれを飲む。
 ここで同時期にバスでの脱出行を選択した丸紅や本田技研の話が挟まれる。そこで持っていけるのがかばん一つだから家具を二束三文で売らなければならなかったとか、貴金属が民兵に取り上げられたという噂があったからそうしたものをおにぎりの中に隠していたといったエピソードは面白い。
 また、本田技研は王室をパートナーにしてオートバイ生産をしていたが、第一王女夫妻の取り巻きの嫌がらせを受けたり、その人たちは革命の機運が高まると工場閉鎖して本田が持ってきた機会を売って小銭を得ようとしようとした。そして上層部がそんな感じだったので、金銭面での清廉さを高く評価されて、革命の時に一度退避した後に帰ってきたときに歓迎された。こうしたエピソードも王政時代の歪みを感じさせるエピソードで興味深い。
 なんとかイランを脱出した東亜だったが、そのバスがトルコ側で襲撃に遭う。運転手サムソンが止まらずに加速して突っ走ってくれたおかげで、けが人が二人はでたものの大事には至らずに助かる。