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2015-03-17 日本の路地を旅する

日本の路地を旅する

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日本の路地を旅する (文春文庫)

日本の路地を旅する (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

中上健次はそこを「路地」と呼んだ。「路地」とは被差別部落のことである。自らの出身地である大阪・更池を出発点に、日本の「路地」を訪ね歩くその旅は、いつしか、少女に対して恥ずべき犯罪を犯して沖縄に流れていった実兄との幼き日の切ない思い出を確認する旅に。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。


 中上健次の言うところの路地(被差別部落)を、本人も大阪の被差別部落出身である著者が、その土地土地の路地を訪ね歩きながら、現在と歴史を見て、かつてあった被差別部落間の繋がりを見ることで個々の被差別部落でなく、被差別部落という全体を見せるとともに、自分の家族や自分自身についても考える、アイデンティティを求める旅でもあったようだ。センセーショナルななにかがあるわけではなく、良質な紀行文として面白い。

 差別について妙に主張をするようなところもなく、偏りないバランスの取れているので読みやすい。どんな問題でもそうだけど、そうやって主張が熱心にされればされるほど、逆に引いてしまうし、ちょっとその主張者に対してしらけた目を送ってしまうことは避けられないからな。

 活動家みたいな団体の人ではなく、一般のその土地の人、その路地の人、主に老人たちに話を聞いている。そうした現在の路地の光景を偏りや主張なく書いたものというのははじめてみたが、実際の現状の雰囲気が良く伝わってくるからいいね。現地で無意識に出てくる言葉に、やはりそうしたものが完全になくなったわけではないことを感じさせることもあるが、そうしたかつての差別の残響みたいなものも、同時に年月を経ればそうしたものもなくなるだろうということも同時に感じる。

 『ノンフィクションで”神話”をかける時代がきたのではないか』(P17)なんてプロローグで書いているように、もはや著者の年齢(73年生まれ)でも差別をことに実感したことのないとしている。著者の父の世代(団塊の世代)あたりまでは、陰に楊に差別されることもあったかもしれないが、著者の年代・現在では結婚の時に相手の親・祖父母による反対があることもあるくらいだということだ。

 第一章で著者の子供時代の被差別部落での生活を描いているが、著者の書き方もあるのだろうけど(あるいは時代なのか)、雑然としつつも活気あってなかなか魅力的に映る。第一章とエピローグでは、家族を扱っていて、解説で私小説的などと書いてあることに納得できるくらいに、路地を書いた本であると同時に自身や家族を書いた本でもあった。解説の「感傷旅行の情感」という言葉は、なるほど。

 『そんな百年以上昔のことを気にして言ったり、利用する人がいるが、それが今日「同和問題」と呼ばれるもの』(P39)という具合にそれをいまだに気にしていうような人もいるけど、利用する人もいることは書いてあることからも現在にも差別が云々という人ではないことがわかるだろう。しかしこの記述を見て、差別について、身近にそうした場所がなかったどういうものなのかいまいちわかりかねるところがあったけど、それに差別云々を語る人は活動家みたいな人ばかりで、そうした記述しか読んだことがなく、そうした人が書くことになんか違和感があったのだが、現在ではそういう場所の出身者でも普通の人はそんな認識かと知る。ただ、取材を受けた一人の被差別部落出身の青年がいっていたように、今の青年がそうした運動に無関心でいられるのも、先人が頑張ってきたからというのもあるという言葉を聞いて、そう考えれば、そうした声高に主張する者もかつては重要な役割を担っていたんだな思えるから、今後はひいたり、うるさく思わずに生温かく見守れるようになるかもしれない。

 青森の路地。路地の始祖を祭った神社、質素な外観だが中は供え物などで派手に飾り付けられていた。それを見て、住民の複雑な思いを推察する。主張がなくても、こうした描写で複雑さがかいまみられる。

 東北の路地は、領地替えで移って来た大名が、皮革加工の職人集団を武具などの製造のために連れてきて城下町に住まわせたことで作られたもの。そうした元から根付いたものでないこともあってか、江戸時代から東北では西日本よりもずっと、そうした身分の人が立派な身なりをしていたし自由であった。

 東京の路地・皮革の街墨田、臭いであれこれともあったようだが、地元の人と言っても1、2世代しか経っていない人も多いため、そのことを差別ではなくなく、その環境のせいと区別しているのはいいね。「世界屠蓄紀行」でそうしたものも一様に差別と扱っているみたいだったから、ちょっと首をかしげながらもそんなものかなと思っていので、その両方を違うものと分けているのは納得いく。

 昔の日本が現在も見られるといわれるネパールと同様に、食の禁忌は一部上位カーストと最下層の民に薄い。例えば江戸時代に、近江では将軍家や大名家などに牛肉の味噌漬けを贈呈していたことからもその事実がうかがえる。また、ある秋月藩(福岡)の隠居武士の談によると、かつてはたまに薬食いなどの時には塩漬け肉・干し肉を長崎から送ってもらっていたが、文政年間(1820年代)になると地元のエタがむこうから肉はいらないかと持参するようになり、肉が痛みにくい冬には6キロ以上購入するものもいた。そうした著述を見て、幕末に外国人がきたときに、幕府の役人とかが肉を平然と食っていたことに納得できた。

 内臓(ホルモン)料理、昭和になって朝鮮方面から入ってきたとされているけど、路地では江戸時代から内臓が食べられているようだから、普及したのはそっちがきっかけかもしれないけど、それ以前から食べられていたようだ。

 吉田松陰と、牢で出会った女囚高須久子、路地の若い男を屋敷に連れ込み関係を持つ。そして、それはどうも、はじめの男が別の女性とくっついたら、その男のおいとそうした関係を持つようになるのだから純愛ではなさそうだ。そのことで彼女は獄に入れられて、また彼女は松蔭よりも12歳年上だったようだ。こうした諸々の事実はちょっと、いやかなり意外だった。

 解放運動へのコミットメント度合、運動に参加に肯定的否定的か、同じ地域でもエタ系や非人系などで違ったものだった。

 路地出身の人が大きな事件を起こしたとき、『結果的に、路地に住む人々は偏見の助長を恐れて、そして村の人々はそれを「差別」とされるのを恐れ、事件については互いに余計なことを言わないように口を閉ざしてしまった。』(P273)互いに差別を恐れて、気兼ねする。

 鹿皮を扱う職人は、牛馬を扱う路地の者と区別され、差別されなかった。