delphicaの読書メモ(個人的覚え書き)

2012-01-20 カンディード

カンディードヴォルテール作、植田祐次訳、岩波文庫

『『カンディード』<戦争>を前にした青年』水林章著、みすず書房


カンディードのことは、みなさん(読んでない人も(^^ゞ)、なんとなくご存知のことと思います。内容を簡単に要約するのは難しいのですが、有名な作品ですよね。


わたしもこれまで、必要に応じてあちこちつまみ読みしたことはあったのですが、読み通す動機はありませんでした。が、このたび思うところあり、ぼちぼち通読しました。


つまみ読みをしていたときは、(当然ながら)、それほどおもしろいとは思いませんでした。ヴォルテールの同時代に生きる人にしかからないローカルネタや、ヴォルテール饒舌さには強い印象を受けたのですが…。まあ、それだけでした。


しかしこのたび通読してみて、ヴォルテールの「本気」に圧倒されたのです。これは、ただごとではない、と思いました。いったいヴォルテールは、何をそれほど本気になっているのでしょうか。彼が言いたいことはいろいろあるのだと思いますが、ちょっとメタな感じで言うなら、奇しくも(というより当然、かも知れませんが)水林章さん、みすず書房の本の帯にある、「神に逆らって考えること」なのだろうと思いました。


欧米の少し歴史的な文章を見ていると、「自由思想」ということばがときどき出て来ますが、今日の素朴な感覚では、「自由」ということばはちょっと一般的すぎて、「?」なのではないでしょうか。ここでいう「自由」というのは、「宗教の教えからの自由」なのですよね。そういう「過激な思想」に対して、「ヴォルテール主義」というけなし言葉もあるらしく、今日のわたしたちにはピンと来なくなった、シビアな争点だったことが垣間見ます


水林さんのご著書も、実は、少し前に読もうとしたことがあったのですが、『カンディード』の中から短い二カ所だけを抜き出して、細かく読み込んで行くというスタイルだったので、そのときは「おもしろいけど…ちょっと細かすぎる」と感じて、途中であいまいになってしまいました。


しかしこのたび、『カンディード』本文を通読し、ヴォルテールの本気に圧倒されてから水林さんの著書を再読すると、とても面白く、引き込まれるように読みました。「細かい」読みが、現に読解している部分だけでなく、『カンディード』のほかの部分にも共鳴するのですよね。


もしもこれからカンディード』を読もうという方はいらっしゃいませたら、その直後に水林さんの本も読むことをお薦めしたいです。

……このたび冒頭に掲げたニ作を読んで、いろいろ考えさせられたのですが、具体的に書くのは難しいですね(^^ゞ 思ったことはたくさんあったのですが…しかし、うまく書けないからと言って書かないでいると、何も書けないので、書いてみました<(__)>

『カンディード』<戦争>を前にした青年 (理想の教室)

『カンディード』<戦争>を前にした青年 (理想の教室)

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2012-01-04 ホッブズとオオカミ

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。


たまたま岩波文庫ヴォルテールカンディードを読んでおりましたら、「人間は決して狼に生まれついてはいないのに、狼になってしまったからだ」という台詞があり、そこに注がついていたので訳者による注を読みましたところ、


イギリス哲学者ホッブズの有名な寸言、Homo homini lupus(人間人間に対して狼である)をほのめかしている。

と書いてありました。


えっ!? そんなことないよね、それってプラウトゥスに出てくる有名な台詞で、それ以来ずっと有名なんだよね?


と驚きました。今朝、くぐってみたところ、実は、ホッブズにはその通りの文章はないにもかかわらず、広くホッブズ創作として流通しているらしいですね!そうだったのか…

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2011-12-04 心の視力:オリバー・サックス

オリヴァーサックス映画レナードの朝』の原作者としても有名ですが、だいぶ昔から、脳神経科医として見てきたさまざまな患者を題材に、知覚の世界不思議な情景を伝える作品を書いています


どの作品も、脳こそは、もっとも身近でありながらもっとも謎めいた、最後のterra incognitaなのかもしれない、と思わせる内容をもっているように思います


実は、サックスの書くものは、ニューヨーカー誌が初出であることが多いので、わたしは初出のときにざっと読んでいる(全部ではないが)のですが、この『心の視力』には、特別な印象があります


これまでずっとサックスは観察者の立場からある意味淡々とさまざまなケースを紹介していたと思うのです。が、わたしは本書に含まれる「失顔症 face blind」という記事を読みはじめてすぐ、「えっ?」と思いました。というのは、題材がサックス自身だったからです。


サックスは、人の顔がわからないのだそうです。わからないと言っても、もちろん、目鼻だちは見えますし、美醜だってわかるのだそうです。それにもかかわらず、誰の顔かわからない。たとえば、何年も勤めてくれた秘書でさえ、街ですれ違ってもわからない。秘書秘書だと認識できるのは、秘書の机に座っている秘書の声をした人…というような情報から判断しているからなのだそうです。


その症状のわからなさかげんというのも読みどころなのですが、わたしの記憶に今も残っているのは、次のようなエピソードです。サックスが以前、写真のような記憶力をもつ画家についての記事を書いたときニューヨーカー編集者から、「で、その人はどんな顔立ちだったのかな。読者はそういうことも知りたいんじゃないだろうか」と言われたんですね。それに対してサックスは、「それは、秘書相談してみないと………」と答えたというのです。


まり彼は、ニューヨーカー編集者に、自分の症状のことを言っていなかったということです。なぜ? 言わなくてもやっていけるの? 言わないことに、どんなメリットがあるの? 言わないのが当たり前で、自然なことなの? 言ったほうが何かとスムーズに行くのでは? 


何が疑問だったのかうまく言えませんが、とにかくわたしは、サックスニューヨーカー編集者に何も言っていなかったということに驚いたのでした。


サックスは、もしかして、そのことを負い目に思っていたのでしょうか?


いろいろ考えさせられます

観察者と観察対象が交錯する、特別な一冊となっていると思います

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界

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2011-11-26 bluebacks 相対論&量子論

アメリカ最優秀教師が教える 相対論量子論』(講談社ブルーバックス、スティーヴン・L・マンリー著、スティーヴン・フォーニア絵、吉田三知世訳)に絡めて、量子論について(?笑)少し述べます

わたしは昔、非常勤として、工学部学生物理学概論、医学部学生に現代物理学を教えたことがあります工学部場合、とにかく計算して答えが出せるようになってもらわなければならないので、力学電磁気光学も、演習問題や例題を重視しながら標準的な教科書を使って講義することができました。しか医学部場合、ほとんど「一般教養」です。ポピュラーサイエンス的な内容が期待されているのです。その目的に合うちょうどよい教科書がなかったので、結局、自分で(泥縄で)ノートを作りながら、特殊相対性理論量子論をやることにしました。


その講義準備のときに痛感したのですが、特殊相対性理論は簡単ですが、量子論は非常に難しいです。


自分学生ときは、量子論が難しいということに気づく前に、量子論に慣れてしまいました(笑)。でも人に説明しようと思うと、発端のところで、どうにもこうにも収拾がつかなくなったのです。説明しなければならないことが、芋づる式にでてきて(誤用?^^;)どこをどうゴマカスかで頭を痛めました。


ゴマカスというのは半ば冗談ですが、そもそも量子論発端の問題意識が、とても一九世紀的問題意識なんですね。一九世紀の産業構造と密着しています。(それに対して、相対性理論は、時間空間という普遍的な概念が問題になっているので、時代によるギャップがありません。)


また、相対性理論は初めからほとんど完成形で、解釈もすっきりさっぱりしていますが、量子論は、今日にいたるまですったもんだが続いています理学部工学部学生なら、「問題を解いて慣れましょう」という路線が使えますが、一般教養では、その手は使えません。


で、上述の『相対論量子論』は、ひどい教師だったわたしとは対照的な、アメリカ最優秀教師の呼び声も高い、スティーヴン・マンリーさんの本です。ブルーバックスのなかでも比較的薄っぺらな本の中に、相対論量子論の両方が取り上げられています


ちなみに、割と最近(春ごろ?)、マンリーさんの新作(宇宙論visions of multiverse)を読みました。そのなかで彼が、「自分お笑い芸人にならず、物理学者になったぐらいなんだから物理学はおもしろいんだよ」みたいに言ってました。彼のそんなキャラクターが人気の秘密ではあるのでしょうがしかしその人気も、物理を説明をするための周到な準備があればこそだと思います


話を戻して量子論ですが、マンリーさんはこれまでの教育経験にもとづき、量子力学のどこが難しく、どの内容が大事なのか、また、Aを説明するためにはBの理解が欠かせないといったことなど、見た目以上に周到な準備をしています。どこを飛ばしてよいのか、どこは押さえておくべきなのかが、慎重に考えられていると思いました。


一例として、黒体放射の話をしてみます


上述の本の第8章に入って(相対性理論が終わり)、いよいよ量子論の話がはじまたので、わたしは著者がどういう切り口で量子論を導入するのか、興味深々で読み進めました。すると、まず黒体放射について、次のような定義がありました。「調べている物体(熱した火かき棒)を黒い容器に入れて実験したので、その物体が放射する光は"黒体放射"と呼ばれました。」わたしはそれを読んで(冗談のように簡単化されていたので)、椅子から転げ落ちそうになるほどびっくりしました。


わたしは思わず、「黒体放射の定義として、そんな大ざっぱなことでいいの? そこまでゴマカスの? わたしが説明するのにあるほど苦労した放射平衡はどうなるの? そんなんで、ほんまにええんか? ええんか?」と、小一時間著者を問い詰めたい気持ちになりました。


しかし、気持ちを落ち着けて良く考えてみると、逆に、著者から次のように言われている気がしてきたのです。「"黒体放射"の第一時近似は、"黒い箱に入れた放射"ですよね?(笑) 違いますか? それぐらい思いっきり簡単化できないのなら、教養の現代物理学なんて教えられませんよ?(=だからあなたダメなんです)」


実際、著者のいう通り(わたしの妄想ですが)…なのです。黒体放射のあたりで説明にもたついていると、量子力学講義は、本題に入る前にコケてしまうのです…。


気持ちを取り直して読み進めていくと、量子論の導入にあたる第8章で、著者がやろうとしていることが、すぐに明らかになりました。著者はここで、恐ろしくも強烈なたとえ話をします


「9:11で、ワールドトレードセンターの北側のビル飛行機が突っ込んだとき、それを見ていたみんなは、事故が起きたと思ったに違いありません。しかし、その直後に、今度は南側のビルにもう1機の飛行機が突っ込んだとき、みんなは確信したのです。これは事故ではない、と。それと同じようなことが、物理学にも起こりました。プランクの放射公式だけでは、何が起ころうとしているのかよくわかりませんでした。しかし、アインシュタイン光電効果論文が出たとき物理学界は悟ったのです。光は粒子なのだ、と。この二つの仕事が、偶然であるはずはなかったの

です。」(文章記憶で書いています(^^ゞ)


まり著者は、プランクの放射公式と、アインシュタイン光電効果の二つを、9:11(の墜落飛行機)になぞらえ、物理学界が「これはアクシデントではない、光は粒子なのだ」という、重大な歴史的転換が起こったということを、くっきりと印象づけているのです。そうしておいて、次の第9章では、「ド・ブロイ物質波」(物質の波でもある)を扱います

8章は「光の粒子説」、9章は「物質波」――と、ひとつの章に重要概念ひとつだけ取り上げて印象づけるためには、黒体放射にかかずらってはいられないのですよね。


量子力学はやはり難しい、しかし…わからなくても知っておいてほしい。


本書を読んでも、やはり量子力学は難しいと思いました。とくに第10章の「解釈問題」は登場人物のうち何人かは、すっかり落ちこぼれていました…。


しかし、それは(=登場人物が落ちこぼれているということは)とりもなおさず、読者に対して、「わからなくてもいいんですよ。量子力学摩訶不思議なんです。物理学者だって良くわかっていないんですから。でも、これだけは知っておきましょう」というメッセージを送っているのですね。


わたしは、それで(=本書のような取り扱いで)いいのだと思いました。量子力学をわかった気になるなんて無理なんです。なにしろ、物理学者にとってさえ、今も未解明な部分が(根本的なところで)残っているのですから


著者は、(黒体放射についてはバッサリとごまかしたものの)、その他の部分は意外なほどていねいに量子力学論理を積み上げ、発展の歴史を追っています。読むのはけっこう骨かもしれませんが、読み応えもあり、必要な情報をきちんと提供していると感じました。


■現代人に必要な物理学の知識を提供


量子論ばかり書いてきましたが、相対論についても、また別の観点から同じぐらい書くことができます。いずれにせよこの本は、


1 良く考えられた内容構成である

2 現代人が新聞科学記事を読んだり、テレビニュース番組を見たりするとき、話についていくために必要な物理学の知識を提供している。(相対性理論量子力学に閉じるものではない。)

3 数式もたくさん出てくるが、良く消化されている。(下手な教師が未消化のまま数式に逃げているのとは違う。)


と言えると思いました。本書は、骨格こそ相対論量子論ですが、じっさいには(特殊相対性理論だけなく、一般相対性理論にも視野を広げて)、場の量子論、標準モデルビッグバン宇宙インフレーション宇宙進化…話が広がっていき、現代人に必要な物理学をそうまくりしています新聞科学記事や、テレビニュースなどに出てくる話がなんとなくわかるためには、たしかに(=最終章で扱っているように)、ニュートリノ、ヒッグズ粒子、ビッグバン宇宙背景放射…といった言葉を知っておかなければなりませんものね。


というわけで、いろいろ考えさせられ、勉強になった本でした。

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2011-11-24 THE NEW YORKER イーリアス新訳

THE NEW YORKERの十一月七日号に、イーリアスの最新訳(英語訳)に関する書評が載っていました。THE NEW YORKER書評というのは、一冊ないし数冊の本を取り上げて、本の内容紹介だけでなく、その分野の状況とか歴史も紹介してくれるので、なかなか勉強になります

このたびのイーリアスの最新訳に関する書評も、イーリアスの内容そのものからイーリアス研究歴史イーリアスのさまざまな英訳についての紹介など、たいへん興味深く読みました。その中からいくつか、頭に残ったことをいくつか書いてみたいと思います

イーリアス・ファンとしてのアリストテレス

まず、もっとも初期のイーリアス・ファンに、アリストテレスがいるということは知りませんでした。イーリアスは、トロイ戦争の話だと一般に思われていますが、(谷本さんへのコメントでも述べましたように)、驚いたことに、アリス審判も、へレネの略奪も、アキレウスの死も、トロイの木馬も、トロイの陥落も出てきません(^^ゞ ではいったい、イーリアスには何がうたわれているのか…というと、読んだことのある人なら即答できるように(なにしろ、冒頭に宣言されていますから(^^ゞ)、「アキレウスの怒り」がうたわれているのですね。なんだそりゃ、看板に偽りあり、と思うかもしれませんが(そんなことを思うのは、わたしだけかもしれませんが(^^ゞ)、アリストテレスは「それで良いのだ!」と言っているそうです。

なぜなら、まず、上述の諸々を全部書いていたら膨大な量になるからです。「アキレウスの怒り」にフォーカスすることで、この作品は成功している。細部にわたって、「アキレウスを怒らせるとこうなる」ということが、実は丹念に織り込まれているのだ、その意味でたいへん統一的なのだ、ということみたいです。たしかに、言われてみればその通りかもしれません。

ヘパイストス作のアキレウスの盾は、なぜあのデザインだったのか

これについて1パラグラフ、サックリ書いてありました。その内容は大体、「アキレウス戦場に戻るとき、すなわち死に立ち向かうとき、彼は生のビジョンで武装するのである」という感じです。うーむ、なるほど…。

イーリアス翻訳歴史

イーリアスギリシャ語は、

1 rapidily

2 plainness of syntax and diction

3 plainness of thought

4 nobility

の四つの要素をすべて実現させることが可能なんだそうですが、英語に訳すとなると、どれかの要素を選択して、あとは捨てる、ということをせざるをえないそうです。ただしひとつ例外があって、あのアレクサンダーポープニュートンで有名な)の翻訳は、なんとか全部の要素を拾うことに成功しており、古今東西、あらゆる言語への翻訳のなかでも、もっとも優れたものひとつだろうと書いてありますへぇぇ…。

■で、最新の翻訳は?

Stephen Mitchellという人の最新の英訳が、どのような方針で訳されているかというと、M.L.Westという学者の説を、とことん採用したものだそうです。ウェストは、どの時点で何がつけ加わった可能性があるかということを慎重に検討しているのですが、ミッチェルはそれを厳格に捉え、「オリジナル」と思われる部分だけを残して、あとは思いきり良く捨てているのだそうです。

たとえば、(これはかなり衝撃的なのですが)、第十巻「ドローンの物語」は全部省かれているそうです。独立した物語なので、まあ、そうなのかな(=あとから付け加えられてのかな)、と思いますが、それにしても、わたしとしては残念です。何か異様に印象的な話ですので。

オリジナル、ということ

イーリアスの「オリジナル」と言われて、多くの人は首をかしげると思います。要するに、(書評の筆者のたとえによれば)、イーリアスウィキペディアのようなもので、最初にアップされた時にどういう内容だったかは、あまり重要ではない、ともいえるからです。

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キリがないので、このぐらいしますが、このニューヨーカーの記事を読んであらためて思ったのは、イーリアスってやっぱり大文学だ、ということでした。旧約聖書と同様、ぎょええええと思うこともたくさんあるけれど、やっぱり心を揺さぶられるのですよね。つぎはぎのキメラでも、見事なものは見事、ってことでしょうか。

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