外伝 黒き狼が生まれた日
A.P.230/10/02
あめ。
アメ。
天。
雨――そう、これは雨。
今、自分という存在は、空から滴り落ちる冷たい雨の元に居た。
ここは何処?
ココは「私」が生まれた地。
ここは何処?
ココは「オレ」と「あたし」が居た場所。
ここは何処?
ココは「オレたち」が一つになった場所。
ココは「あたしたち」が生まれ変わった場所。
「私」は、ここで生まれた。
けれど、温かくない。
雨が。
空気が。
とても、冷たい。
何処にいるの?
アハト。
お前に逢いたい。
ノイン。
***
A.P.230/10/07
残っているのは、今私が書き綴っている日記だけ。
残っているのは、これまで書き綴ってきた「オレ」と「あたし」の日々の思い出だけ。
残っているのは、これを書き綴ってきた自らの記憶だけ。
だから私は、この記憶を残していこうと思う。
私がかつてオレであり、あたしであった頃。誰の記憶に残ることもない、けれどそれでも大切な、私たちだけの記憶を。
――***――
「オレ」。正式名称は、8号被験体「マークアハト」。
人類の前に立ちふさがる不倶戴天の仇敵、ことダーカーを殲滅するために作られた、生体決戦兵器「Human Of Ultimatum No Dead(死ぬこと許されざる究極の人類)」――通称「H.O.U.N.D.(ハウンド)」の八号機として開発され、この世に生を受けた。
けれどオレはある日、自分の存在価値に疑問を見出した。オレには本当に、ハウンドとして以外生きる道は存在しないのかと。
オレよりも先に作られたハウンド、マークゼクス。たくさんの戦場に繰り出して、沢山のダーカーを屠ってきた戦士であり、人類の先輩が語って聞かせてくれた「世界」は、とてもとても美しくて、愛おしく感じた。
――叶うならば、オレもそこへ行きたい。オレも、一人の命として、美しい世界を見てみたい。
そう懇願したオレに、ゼクスはくたびれた顔で快活な笑みを浮かべ、語り掛けてくれた。
「望むのなら、お前を連れて行ってやろう」と。
***
「あたし」。正式名称は、9号被験体「マークノイン」。
生体決戦兵器ハウンドとして作られて、この世界に生を受けてから、あたしはずっと調整槽の中に居た。
何度も何度も、あたしに着いてくれた人に聞いてみた。「どうしてあたしはここからでられないの」と。
返ってくる答えはいつだって同じだったけど、あたしはそれで満足だった。
あたしにとっての「世界」は、調整槽の中と、着いてくれるその人。そして、その人が語ってくれることだけだったから。
でもある日、あたしの世界は広がった。
くたびれた顔の男に連れられてやってきた、銀髪の男。あたしを見て驚いた彼は、それから足しげくあたしのところに顔を出すようになった。
彼の知っている世界は、あたしの知っている世界とよく似ていて、だけど違っていた。どことなく、彼の世界の方が、色づいているように聞こえた。
――少しだけ、羨ましい。そう思うようになったのは、いつからだろう。
***
オレは性能試験の名目でゼクスに連れられて、色んな所を見て回り、いろんな奴と戦って回った。
そんな最中に出会ったのが、あいつ――マークノインと呼ばれる、オレの妹と呼べる存在だった。
ノインのことを――歪みから生まれたこの計画のことを知って、オレの胸中に在った疑問が確信に変わる。
そうして決意したのは、脱走だった。
オレと来い。オレと一緒に、このおかしな世界を出よう。
不器用で、ものの誘い方なんて知らない、ぶしつけな言葉。それでもあいつは、花が咲いたような笑顔で、頷いてくれた。
***
あたしはいつからか、彼を待つようになっていた。
彼の知る世界を知るのが楽しい。彼が世界を語って聞かせてくれるのが楽しい。彼と共に過ごす時間が、何よりも楽しい。
いつからか、あたしと調整槽と係りの人だけだった世界に、彼が居た。そのことが、なぜかたまらなくうれしかった。
もしかしたら、彼はあたしをここから出してくれるんじゃないか。
そんな夢物語を抱くようになったのは、いつからだっただろう。
オレと来い。オレと一緒に、このおかしな世界を出よう。
まさか、まさかと考えて、かなうはずがないと自ら否定したその言葉。それを聞いて、あたしは何かを迷うこともなく、しっかりと頷いた。
――***――
A.P.230/10/14
私は何故ここに居るのだろう。
私は何故ここに存在するのだろう。
私は何故生まれてしまったのだろう。
私は何故こんな運命の元に生まれてしまったのだろう。
何故。
何故。
何故。
何故。
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故。
***
A.P.230/10/19
オレの記憶が、ノインを求める。
あたしの心が、アハトを浴する。
オレはノインに逢いたい。
あたしはアハトに逢いたい。
だけど、もういない。
居ないなら、どうすればいい。
***
A.P.230/10/26
こんな記憶、もう思い出したくない。
消えてほしい。
消えてほしい、のに。
どうして、消えてくれないの?
――***――
オレ達は、ゼクスの助けもあって、おかしな世界から――ハウンドを作っていた研究機関から、脱走することに成功した。
今日はその記念日だと、二人で笑いあった。お互いボロボロで着の身着のままで、ひとさまには絶対に見せられない格好だったけど、この際そんなことはどうでもよかった。
自由。
オレ達の心を満たすのは、ただ自由を得られた満喫感だけだった。
***
脱走してから、数日ほど経って。
あたしたちは、アハトの提案で、日記をつけ始めることにした。
理由を聞いたら、なるほど彼らしいと納得してしまう。
アハトは言った。どんだけ辛くて苦しくて、おかしな記憶だったとしても、それは紛れもなくオレ達の記憶。一つ残さず書き残しておきたいんだ、と。
あたしにも不満はない。だからあたしたちは、記憶を、思い出を、この日記に書き残すことに決めた。
――***――
A.P.230/11/02
消えないのなら、消せばいい。
だから私は、この日記を書く。
***
A.P.230/11/13
消えてしまえ。
***
A.P.230/11/17
消えてしまえ。
***
A.P.230/11
消えてしまえ、
***
A.P.230/I
キえてしまえ・
***
A.P.
きえてJまぇ
***
A.巳.
‡え乙uま之
***
キエロ
***
(解読不能)
――***――
わかってはいた。
ノインはもともと不完全な個体で、定期的に調整が必要。そう、ゼクスから聞かされていた。
わかっていて、連れ出した。
オレは、あいつと一緒に自由を手にしたかったんだ。
わかっていた。
あたしの身体は色々なものがぐちゃぐちゃにまざってて、今もぐずぐずと違うナニカに変わろうとしている。そう、わかっていた。
わかっていて、彼の誘いに乗った。
あたしは、彼と一緒に、色鮮やかな世界を見てみたかったんだ。
手段がないわけじゃない。
オレがあいつに食われれば、お互いの持つ力――生体兵器として与えられた力である、あいつの「喰らい取り込む力」と、オレの「安定する力」が中和し合って、安定化するかもしれない。
手段がないわけじゃない。
あたしが彼を取り込んでしまえば、あたしの中で暴れるナニカは、収まってくれる。彼の持っているハウンドとしての力があたしを抑えて、安定させてくれるかもしれない。
俺は、アイツと一緒に自由を手に入れるという願いを叶えた。
あたしは、彼と一緒にいるという願いを叶えた。
なら今度は、あいつの願いを叶える。
なら今度は、あなたの願いを叶える。
生きたいという、お前の願いを。
あたしに生きてほしいという、あなたの願いを。
***
願わくば、「私」となり果てた時に、幸せがあるように――
――***――
「……バイタル安定。精神状態にも乱れはありません。施術は成功しています」
あれからどれくらい経ったのだろうか。
気が付くと私は、どこか知らない場所で調整槽らしきものへと閉じ込められていた。
一瞬記憶がフラッシュバックして、出なければ――と思った矢先、私は気づく。
「私」の記憶が、とても明瞭に思い出せるのだ。
アハト。ノイン。ゼクス。ハウンド。脱走。融合。崩壊。消失。
今この瞬間までの体験したことが、「オレ」と「あたし」のものも含めて、よどみなく頭の中から引き出せる。そして、私がここに来る前のことを思い出しても、全く心が乱れないことに気が付いたのだ。
――いったい、ここは何処なのだろう。そんな私の疑問に答えたのは、私の入っている調整槽の前に立った、壮年の男性だった。
「やぁ、気が付いたみたいだね。気分はどうだね? どこか、具合の悪いところはないかね?」
「……はい」
溶液の中ではあったが、発声に問題はないらしい。擦れる声でどうにかそれだけの返事を絞り出すと、私は再び調整槽の中で水中に身を投げ出した。
「あぁ、無理して動かなくていい。……おいおい話していくが、君は五年間も眠り続けていたんだ。身体が言うことを聞かないのも無理はない。今は、ゆっくり休んでくれ」
五年間。その数字を聞いて、驚愕と疑問が私の胸中を襲うが、同時に私の頭は急速に重たくなっていく。
いったい、私の身には何があったのだろう。分からないことだらけの現状に、胸中で静かに悪態をつきながら、私は再びまどろみの中へと落ちていった。
***
調整槽の中で目覚めてから、一週間ほど。
私はリハビリを行う傍らで、ベルガと名乗った壮年の男性から、私の身に起こった出来事を語って聞かせてくれた。
脱走したオレとあたしは、数か月間の行方不明が続いたのち、廃棄扱いとなってその存在を抹消された。
しかしその直後、ハウンドとよく似た反応を持つ人間が――私が荒野で倒れているのを、とある先遣調査隊が発見したらしい。
医療ポッドに入れられ、一度意識を取り戻しはしたのだが、私はひどく憔悴し、困惑し、錯乱していたという。
俗にいう、精神不安定状態だったことに加え、無理やり安定化を図ったせいで肉体の安定性はさらに悪化。最悪、いつ暴走してもおかしくない状態だったらしい。
そこで私の治療に立ち会っており、元ハウンド計画参加者でもあったベルガが提案したのが、ハウンドとしての力を捨て、一つの人間として安定化を図る、という計画だった。
結果的に私の容体は安定し、そのまま調整を続けて、完全にハウンドとしての力を失った段階になって、私の自我が覚醒。今に至る――というのが、ベルガから聞いた事の顛末だった。
***
「少しいいかね?」
目覚めてから、ほぼひと月が過ぎようとしていたころ。
いつものようにリハビリに励んでいると、不意に訪ねてきたベルガが、そう言って私を病院の外へと連れだした。
アークスシップと呼ばれる、宇宙空間を進む巨大な移民船。私とベルガは今、その船の中心に存在する居住エリアの中に居た。
私が私になってから初めて目にする、仮想の空。作り物とは思えないその雄大さに思わず目を細めていると、唐突にベルガが不思議な質問を投げかけてくる。
「君は、リハビリを終えて一人の人間として退院した後、何かしたいことはあるかね?」
したいこと。……考えてみれば、そんなもの考えようとしたこともなかった。
今の私は、何処にも存在しない人間だ。アハトとノインの忘れ形見、なんて格好いい言い方をしても、所詮私は居るはずのない、イレギュラーな存在。それが今ここに居られるのは、ひとえにこのベルガという男のおかげだ。
ならば、私はどうするべきだろう。私は、どうしたいだろう。
「……私は、あんたに恩を返してない。だから私は、あんたに恩返ししたい」
幾ばくかののちに紡いだ言葉は、それからの私を作るきっかけとなった。
「そう、か。……ならば、君にうってつけの場所がある。腕っぷしが強くて、戦闘経験も有している君に、ピッタリの場所だ」
得心したような表情で、きっぱりと宣言してくるベルガの、その提案。今の私には、それがとても魅力的なものに聞こえた。
私の中には、アハトとして体験した数々の戦闘経験が今も息づいている。そして、その時に感じた戦いの高揚感も、また同じように息づいていた。
そうだ、私は戦いたい。
元々ハウンドとは、不倶戴天の敵ダーカーと戦うために生み出された決戦兵器だ。なればこそ、元来そうであった私も、すでに兵器ならざる身では在れど、戦うことは不思議ではない。
私の言わんとすることを察したのか、ベルガは満足げな表情で頷きを見せる。
「その顔、すでに答えは決まっているようだな。……引継ぎや先立つモノの調達は急務だが、まずは君の名前を何とかしないとな」
「名前? 私は私でいいんじゃないのか?」
いくらかの名前を知ってはいるが、私は私であり、私以上の意味は持たない。元々人では無ければ、生まれるはずのなかった命。ならば名前など不要なのではないか――と思ったが、ベルガは首を横に振り、否定して見せた。
「私の庇護下にある以上、君は一人の人間。人間であるならば、名前を持つのは必然のことだ。……それに君がなるのは、惑星調査団アークス。どのみち、君にはコードネームを兼ねた名前が必要になるからな。そのついでという意味もある」
アークス。ベルガから聞いた名前だ。
私たちハウンドとは別に存在する、ダーカーと戦うための組織。「フォトン」と呼ばれるエネルギー体を自在に操ってダーカーと渡り合う戦士たちのこと。そんな戦士たちのいる場所に私が入る、というのが、いまいち実感がわかなかった。
「入る意味はあるのか?」
「それが仕事に必要な条件だからな。……しかし、名前か。自分で言ったはいいが、どうにも決めあぐねてしまうものだ」
私の疑問の一切合財を無視して、ベルガは一人うんうんと唸り始める。時折私のことを見やり、再びうんうんと唸る――というサイクルを数回繰り返した後、彼はようやく合点の言ったような表情を見せた。
――君は虚無の闇から生まれ、闇を屠る側に着いた、異質な存在。闇であって闇でない、とても異質な存在。
君に与えられた使命は、闇を屠ること。君の役目は、闇を狩る闇の狩人。だが、君に闇はもう存在しない。
ならば、君は漆黒。闇さえも狩り、屠る、黒き狩人。
闇より深い黒〈インフラブラック〉から来たれし、闇を狩る狼〈ハウンド〉。
ならばその名は――「黒き狼(シュヴァルツ・ヴォルフ)」。
***
「……い……おー…………ーい、おーいお袋ー、生きてんなら返事しろー、死んでんならご冥福をお祈rいってぇ!?」
「うるさいぞルプス、人の惰眠を邪魔してくれるんじゃない、ったく」
「人の好意を寝っ転がりながらの上段側頭蹴りで返すんじゃねぇよ!」
数年ほど前から一緒になった家族からのやかましいモーニングコールを受けて、私――シュヴァルツ・ヴォルフは覚醒した。そのままベッド代わりに使っていたシックなソファから身を起こすと、ふと先ほど見ていたらしい夢がフラッシュバックする。
そういえば、もうかれこれ五年ほど前になるのか。懐かしき私の原点を思い起こし、感傷に浸っていると、まだ私が寝ぼけていると見たらしい家族――ルプスという名前を持つ少年が、不審そうにうつむいた私の顔を覗き込んでくる。
「おーいお袋ー? 寝てんの? 起きてんの?」
「ん、あぁ。起きてるよ。懐かしい夢を見たからな」
「だから感傷にふけってた、と。へー、お袋らしくもねぇ」
「私だって過去を振り返ることはあるさ。……それより、今は何時だ?」
薄味な反応を返してやりながら、ふと私は用事があったのを思い出し、ルプスに時間を確認する。「ん」と言いながら見せられた端末の時計は、待ち合わせの時刻ぎりぎりを指していた。
「あぁ、寝過ごしたか。もう少し早く起こせ、ルプス」
「いやいや、俺いっつも10分前におこしてるじゃねーか」
「5分前だ。10分なんて二度寝にはちょうどいい空き時間になる」
「いやいやいや起きろよ。起きて眠気覚ますなり顔洗うなり何なりしろよ」
「まぁお前に何かを期待はしてないからな。……行くぞ、移動の時間が惜しい」
「いやいやいやいや聞けよ! そもそもアンタが原因で遅れてるのに何で偉っそーなんだアンタは!!」
「何を喚いてるんだルプス、早くしないと置いていくぞ」
「だぁーッ、人の話聞きやがれーッ!!」
ピーチクパーチクとうるさいルプスを伴いながら、私は今日行われるアークスとしての任務、その内容の打ち合わせに赴くために、マイルームの扉をくぐるのだった。
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というわけでお久しぶりでございます、コネクトにございますー。
久しぶりの更新がまさかの外伝ではありますが、筆が乗っちゃったんだから仕方ないんです。
今回はかねてより連載しているPSO2の二次創作小説「絆と夢の協奏曲」外伝と銘打ちまして、本編に登場する予定であるゲストキャラクター「シュヴァルツ・ヴォルフ」誕生のお話を執筆させてもらいました。
シュヴァルツ、こと天山氏は、元々更新を停止する前の協奏曲にも登場する予定がありまして、こちらに投下している第4話でコネクトが会話していた電話向こうの相手こそが天山その人だった……と言う展開を書く予定でした。
その後更新停止し、密かに水面下で再始動計画を行っていた最中、なぜか思いついたのはまだ本編にも出ていないはずのシュヴァルツの過去話。
思いついたんだから書くしかねぇだろ!! なんてノリのもと、二日で書き上げたのが今回の作品になっておりますw
ちなみに余談ですが、この外伝最後の描写は、再始動後の改訂版第4話へとつながる予定です。もっとも、この過去話が本編に絡むことはほぼほぼありませんけどね!
というわけで今回はこの辺で。
またあいませうー ノシ