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2010/11/30(火)
■[雑記]近況など

なかなか長い文章にまとめるようなはっきりした「思い」というようなものもなく、漠然とした焦燥とか不安の中に生きていました。なんていうのか、思い悩む時期なのかも知れません。
少し前に大学院を修了し、博士号をとりました。現在は市中病院で働いています。ただ、最近はなんのために働いているんだろうということばかり考えていて、いまひとつ気持ちがすっきりしません。僕はよく、他人から自由に生きているとか、自信に溢れているというようなことを言われるのですが、自信に満ち満ちて生きていた記憶というのはあんまりなくて、むしろ、自信が無いからこそ自分の主義主張をしっかりと言葉にして描出してきたというかなんというか。心の危うさというのが思春期からひとつも進歩していないなと思いながら、日々を生きております。
外科医という業の深い職業。他人様の身体に合法的に傷を付けることのできる権利は、同時に大きな義務を生じるのだということは常に自覚しながら生きているのだけれども、それでもやはり「24時間365日医者であれ」というスタイルは強者の弁であって、スーパーマン医師に基準点をおいてしまうことは、医療制度の維持の上でやはり無理があるのではないかと思っています。
いろんなもやもやを抱えながら、いろんな学会に発表しに言ったり、専門医試験を受けにいったりはしていました。昨年は飛行機で行くような学会が無かったのが一転、今年は比較的遠いところが多かったです。学会と夏休みくらいしか遠出もできないので、学会での知識の更新はもちろんのことではあるのだけれども、非日常の空気を浴びて気分転換するという意味でも、僕にとってそれは重要なことなのです。
そうして傍目にはアクティブに活動しているようでありながら、内面では事あるたびに、年をとった、ということを言い訳にして生きている気がするのです。とかくいろんなことが億劫になりつつあります。
先日、都内にマンションを購入しました。現在の職場は東京ではないので、二重生活ということになります。変化のない、季節感のない僕の生活の中で、突如マンションを買うことになったというのは一つの彩りではありました。一緒に住む予定の家族も無く、相続をして譲るべく子孫を残す可能性が限りなくゼロに近い状態で、しかもすぐには職場を移らないというのに、何千万円もの借金を背負って家を買うというギャンブルを行う必要があったのかどうかは今でも正直よくわからないし、家を買うということがこんなにも面倒くさいものだということを知っていたら思い切れなかったかも知れません。
今回のマンション購入には、一つには親孝行としての意味があります。親がそこに住むということではないのですが、子どもに家を持って(できれば結婚もして、子どもを持って)落ち着いて欲しいという願望がずっとあったのだと思います。両親の世代の経済状況、不動産を持つことの意味と、現在のそれは全く違うし、(親には伝えていませんが)ゲイとして生き、恐らく子どもを持つことがない僕にとって、親が思い描いている「子どもが家を持つこと」とは様々なずれがあることは承知しているつもりです。でもまあ、とにかく親としては僕がマンションを購入したことに大きな喜びを感じているようなので、まあ、それだけでも良かったのではないかと思っています。
もう一つには、まあ、今回のマンション購入がなければ、僕は結局一生東京に出ていくことが無いまま終わったのではないかという思いがあります。現時点で出ていっていないので、購入したところで東京に出ないまま終わるという可能性も無きにしもあらずですが。今までの状況よりは、東京に出ていく動機付けがしやすくはなりました。
僕に医学部進学を勧めてくれた高校時代の担任教師が、「チャンスがあればすぐにでかけていけるように、根をはらずに身軽にいなくちゃいけないのよ」なんて言っていたのが深く印象に残っていて、実際に身近なところで、その能力とチャンスを最大限に生かして国内外あちこちに飛んで行った人々を何人も知っています。なのに逆に根を張るように動くのも妙な話なのですが、今いる場所に根をはるのではなくて、出ていきたいと考えている方向に根をはろうとしているというのが、まあ前向きといえば前向きなんでしょうか。
僕がゲイであるということを知らない方々は、事あるたびに僕が口にする東京志向に違和感を感じていたことと思います(後にカミングアウトすることでその思いを納得して頂けることが非常に多かったですが)。その違和感はまあ当然といえば当然であって、僕自身もしっくりいっていない志向であって、ただ単に性的指向にひっぱられた結果の東京志向なのです。マイノリティはやはり田舎ではいろいろ生きにくいです。終の棲家として今の住所を選ぶつもりは一貫して無かったし、だからもし家を買うなら都心と決めていたのです。
しかしながら、冒頭に述べたように、年をとったということをいろんなことの言い訳にして、とにかくいろんなことを億劫に感じながら、閉じた世界で決まったことを繰り返すだけの生活で完結してしまっているというのは、別に僕が田舎に住んでいて時間の自由がききにくい医者という生活をしているということだけに原因があるのではなくて、むしろただ単に自分の本質的な性格的問題だという気もします。
誰かがtwitterで「東京には空が無いが、田舎には選択肢が無い」と呟いていました。田舎の価値観にどっぷりとつかってしまえばそんなに楽なことはないのでしょうが、その価値観かははみ出してしまったマイノリティにとって、その狭く閉じた世界は監獄のようにきついのです。
医局を辞めて東京で働くという選択肢がいつでも実現可能にセッティングされたことで、そちらについてはむしろ慌てなくてもよいとも思えてきました。今いる病院は、まあ、なんだかんだいって今までにいたどの病院よりも勤務時間は短く、当直もなく、休みも比較的取りやすいのだけれども、ただ、外科の小さな所帯の、その狭さにそろそろ限界という気はしています。身も蓋もない言い方をすれば、嫌いな人と働くのはやっぱり嫌だということです。まあ、甘えるなといわれればそれまでだし、僕自身の至らなさもあるのかも知れませんけれども。
僕は大学院である臓器チームに配属されました。真面目な大学院生とは言い難かったのですが、それでもチームの一員ということはずっと自覚していて、今もなんだかんだいいながら、大学の臨床研修登録医という形で、医局員という無形の所属だけではなく、公的な身分として籍をおいていて、週に一回のチームカンファレンスにも参加していますし、先述のように、大学の症例で学会発表も頻回に行っています。
これから先、どうやって生きていくのか。とりあえずローンを払うという重荷を背負ったので、一応対価のもらえる労働は続けていかなくてはならなくなりました。まあ、いざとなればなんらかの形でマンション処分してしまえばいいだけの話です。目減りはするでしょうけれども、売れないという立地でも無いので。
どこに住んでどんな労働を続けるのか。なんというか、現住地に縛り付けられる必要は基本的に全く無いので、あとは大学と関わり続けるか否かという話になってきます。もっと突き詰めれば、大学で専門診療に関わるのか、すっぱり医局を辞めて東京へ移って、労働は労働として割り切るのか、その二択なのかも知れないと思い始めています。
大学は相変わらず働きやすい場所では無くて、地方の大学の外科にたくさんの新人が入ってくる見込みも無く、あんまり明るい話題は無いのですが、半端に大学を意識しながら、関連病院に無為にぶら下がっているのもなんだかよくわからなくなってしまったのです。特に今の勤務先は症例数とか立ち位置とかいろいろ一線とは言い難い微妙さがあるので。
まあ、実際来年度どこで働くかはまだまだ不透明ですし、来年度の医局の人事には大きな課題がいくつもあって、なんとなくギリギリまで決定しなそうなのですが、大学へ戻る可能性が低くはないと思っています。それでやっぱりダメだと思えば、今度は関連病院へ出るのではなくて、思い切って医局も現住地も脱出してしまおうと。
そんなことを漠然と考えているのです。
2009/11/10(火)
■[血縁]オトメンと僕のトラウマ

血縁にまつわるもやもや
親族の結婚式や葬儀などが続き、実に久しぶりにあれだけの親類が集まりました。
血縁という関係性はありがたくもあり、ゲイとして生きる上ではこの上なく鬱陶しいこともあります。結婚へのプレッシャーなどもあり、僕にとって実家というのは必ずしも安らげる場では無くなってしまっています。僕が実家に安らぎを感じられない、特に父親とはあまり相容れないという感覚が、果たして僕がゲイであるということだけで説明が付くのかどうかはよく分かりません。しかし、とくに一人暮らしにすっかり慣れ、幼い頃に移り住み、その後高校卒業までを過ごした現在の実家よりも、もはや今の場所での一人での生活が長くなってしまった今、さらに実家が苦手になっていることにいろんなもやもやしたものを感じています。
別段険悪な関係というわけではないのですが、なんとなく必要以上に近寄りたくないし、ゲイであるということをうち明けたい存在にも成り得ないんですよね。説明はしにくいんですけれども。特に父親には、ゲイであるということを除いた、他の僕の私的な部分にもあまり触れて欲しくはないんです。兄弟というのも滅多に連絡をとったり会ったりすることもない関係性で、特に何かを語り合いたいとも思えないんです。前にも書いたかも知れませんが、親しい友人の結婚式に出席したり、友人の子どもの成長をみたりしているときにもなんとも言えない「もやもや」を感じていたんですけれども、身内のそれに際して、比べものにならないもやもやを感じてしまったのかも知れません。血縁者に関して、未だに反抗期から抜け出せないのか、それ以外の理由なのか、ゲイであるということが一因なのか、単に僕の性格の問題なのか、心を許せないという自分を哀しく感じてしまうようなところもあり、ちょっと心のざわつきが押さえきれない感じです。
年々、人付き合いを広げているようにも見えながら、実のところ自分の好き嫌いがより鮮明となりつつあり、好きな人間以外とのつきあいを極端に避け、また、一人の時間を欲する頻度が増えています。仕事の後、ちょっと買い物に寄ったりするのがたまらなく億劫で、早い時刻に病院を出ても自宅に直行し、かといって何もするでもないような日が、数年前に比べてやたらと増えているのです。酒も以前ほど呑めなくなったし、夜遊びがきつくなってる。年をとってしまったということなんでしょうか。
ある友人が言っていたような感覚を実感しています。休みの日を心待ちにしていながら、休みの日が予定ガチガチで忙しすぎるのも嫌で、かといって予定が何にも無いのも嫌で、実際にはあれほど楽しみにしていた休みを無為に過ごしてしまうことが多いというようなことは僕も最近頓に感じているのです。仕事はそこそこ楽しいとは思うけれども、そこにすべてを集中してのし上がってやろうという思いはあんまりありません。外科医である以上、一人立ちするためにはもう少し努力が必要そうだけれども、そのためにプライベートがあまりにも犠牲になってしまうならば、メスをおくという選択肢は十分にあります。
父への距離
父方の親類が亡くなって葬儀に出席しました。僕は極端に母方の親戚に偏ったつきあいをしていたのと、故人が実に九十年を生きた大往生ということで、あまり特別な感情がわき上がってきませんでした。そういった自分の冷たさが嫌になることも多々あります。
考えてみれば、父方のいとこたちと会うのもおそらく十年ぶりくらいではないかと思います。父方・母方ともおおむねいとこたちは僕より少し年上くらいの世代です。いとこたちは結婚も割合早い時期にしているので、その子供のうちでも一番大きな子は中学校に通っています。いとこの子供となると、血縁としては結構遠い気もしますが、父方のいとこ同士はそれなりに行き来があって、いとこの子供同士も何度も会っているようです。そういえば、僕も母方のいとこの子供たちには頻回に会っていて、お年玉もあげています。
父方の実家と母方の実家の距離は車で一時間はかからない程度なんですが、おおむね母方の実家に頼った生活をしていました。かつて母方の狭い実家に身を寄せたこともあったし、祖父母と離れての生活が始まった後も、しばらくの間、毎日母方の実家から小学校に通っていました。
今回の葬儀に父方のいとこが時折涙をみせるのを冷静に見つめながら、そういえば母方の祖父母や叔父が亡くなった時には相応の深い思い出が蘇ったのを思い出しもしました。
母の実家も田舎は田舎ですが、一応市制を敷いた町であり、母の実家は、今は寂れたといえ、市の中心の商店街の一角でした。それに対して、父の実家はそれは絵に描いたような村落で、店という店も無いし、田圃のあぜ道みたいなところ以外に家に到達する術のない環境です。周囲はほぼ全て田圃と畑、ただ家の裏手にあった竹藪は綺麗に消え去り、誰か知らない人の土地となって家が建っていて、村内電話番号四桁のみで通じた時代から、市町村合併で県庁所在地に吸収された今までの時の移ろいを少しは感じたりもしたのです。
母方のいとこも含め、ほぼ全てが結婚した中で、親戚が雁首そろえる、しかも、村落のムラっぽさを存分に感じさせてくれる葬儀という場面が、不謹慎ながら故人を偲ぶことよりもむしろ、結婚しない人生を歩むということへの今更ながらの不安やいろいろをぐるぐるぐるぐる考えていまい、激しく心をざわつかせてしまったのです。
折り悪く、先週まで平和というかヒマだった仕事も、久々の辛い手術と、その厳しい術後管理に始まり、また管理の厳しそうな症例を入院させたりなどかなり慌ただしく、そうした重症やら厄介ごとをまとめて急に上司にお任せしたまま、通夜と葬儀に出ていたこともあり、已むを得ないこととは言え、やっぱり医局や病院に長年洗脳されてきた奴隷労働者的な思考による罪悪感を感じてしまっています。それと同時に、ろくにお見舞いにもいかずに迎えた親類の死に対するもやもやとか、その死に関する自分の感情の薄さに対する嫌悪とか、ゲイである自分が「血縁」に対して感じる重いプレッシャーとか、負の感情がうねってしまってどうしようもないのですが、こうして文字にしてはき出すと落ち着くことが多いので、読む人の不快感とかを無視して書き殴っています。すみません。
オトメンと僕のトラウマ
なんとなく録画しておいたテレビドラマ「オトメン(乙男)」を観る機会がありました。これは壮絶にトラウマをほじくりかえされるドラマでした。もちろん大抵の人にはこれは単なる娯楽であり、ファンタジーなのでしょうけれど。
男らしさの中に乙女的な趣味を持っているが、それを恥じて外には出さない主人公。自分が幼い頃、父親が「本当は女になりたかった」と言って家を出てしまったことがトラウマになっている母親に「男らしく」育てられ、男性が乙女的であることを毛嫌いする母親に本当の自分を隠し続けて生きながらも、オトメンとしてのありのままの自分を受け入れてくれる友人たちとの日々に安らぎを覚えていきます。
彼らの恋愛対象は女性であり、女になりたいわけではなく、あくまでも男性でありながら女性的な趣味を持っているというのがオトメンです。僕は恋愛対象が男性に向いているというだけで、そもそも女性的でありたいという願望はほとんどないから、オトメンとは特段共通点があるわけでもないけれど、心理的な部分ではいろいろ似ています。あと、もしかすると、僕は女性らしくありたいという願望を、自制して今に至った可能性もあるのです。幼い頃の僕は相当にオトメンだったし、基本的に男の子よりは女の子と女の子らしい遊びをしていたかったのです。
推定すると恐らく2歳頃の誕生日の話だと思います。母親が、僕に誕生日プレゼントの希望をきいたことがあったらしいのです。僕はフランス人形を所望したらしいのですが、母親はとてもびっくりして、もっと男の子らしいものをと当時の僕に勧めたのだそうです。そんな話を笑い話として幼稚園生くらいの頃にきかされたのです。親としてはたわいのない話であり、笑い話なのかも知れないけれども、これは今日の僕にも強烈なトラウマを残しています。
多分大人の顔色をうかがう癖はこの頃に始まったのだと思います。水が出るしかけになっている台所セットとかお洗濯セットみたいなものが欲しくても、それがチラシの「女の子向け」のおもちゃに分類されていれば、口が裂けてもそれが欲しいなんて言えませんでした。縁日で果物や野菜を模したおままごとセットを自分のお小遣いで買う時も、誰にきかれているわけでもないのに、「従姉妹にあげるんだ」とか妙な言い訳をしていたのです。
本当につまらないことなのかも知れないけれども、僕の中では、僕の正直な気持ちが嘲笑われたフランス人形の思い出が強烈過ぎて、何となく肉親に心をすべて打ち明け難いのです。僕はオトメンの主人公ほど優しくは出来ていないので、母親を傷つけたくない、ショックを与えたくないというような他人を思いやる気持ちというよりは、自分自身がこれ以上傷つきたくないというようなほぼ利己的な思いから心を閉ざしてしまいがちです。オトメンの主人公が友人たちの前では正直に生きられたように、僕もカミングアウトがすんでいる仲間たちの中でこそ安らぎを得られるし、無神経に結婚の話題を振ってくるような、血縁という強烈な関係性が正直鬱陶しくて仕方がなくなることがあるのです。
弟の結婚や祖母の葬儀など、親類と顔を合わせる機会が多かったこととも相まって、オトメンの母親という存在が、激しく僕のトラウマに触れた。「我慢の上には幸せは築けない」とか、「正直な人はほとんどいない。でもあなたにはそうあって欲しい」など、トラウマをえぐられたあとに感情を揺さぶる言葉が響くのです。原作は全く読んだことがないので、ドラマがどの程度原作を反映しているのかわからないのですが、ネット上での情報を拾い読みする限り、原作には「男らしさ・女らしさ」というものへの皮肉が随所に散りばめられているとのことです。今度読んでみようと思います。
幼いながらに、親に養われなければ生きていけないと思っていたし、両親というところへの繋がりが切れてしまうことには絶望が伴うような気がしていました。それほど壮絶なことはなかったけれども、父親にはあまり理屈が通じなかったり、経済観念がおかしかったり、感情的で手が出やすいようなところがあって、それに対するいいようのない恐怖と不満が渦巻いてもいて、それについても未だに心を整理仕切れていない部分があるのです。それはただしかし、単に僕の幼さということなのかも知れません。
2009/07/19(日)
■[雑記]ゆるやかなコミュニティー

先日もまた、よく食事に招いてくれる友人夫妻宅へ。長男は2歳半。僕を愛称で呼び、あわよくば何かおみやげをもってきてくれるおじさんとしてしっかり認知されている。数ヶ月前に彼に妹が誕生した際に、母親が「たーたんの宝物は、あなたとあなたの妹だよ」と話しかけたら、彼は自分の宝物は僕だと答えたのだとか。「宝物(おもちゃ)を持ってきてくれる人」と勘違いしているのではないか。
友人夫妻は、僕の性的指向を知っており、さらには、その家に集う友人たちのほとんどもまた、それを知っている。いまだ両親にカミングアウトしていない、するつもりもあまりない僕にとって、彼らの家庭は、もっとも心を開いて過ごせる場所の一つになっている。
昨日集まった友人たちの多くから。入籍したとか、近いうちにする予定だとかいう話をたくさんきいて、結婚式にお呼ばれするなどした。結婚と言うことがあまりイメージできなかったような人々が、次々に結婚していくのをみていると、それが人生の様々な形の一つの形態に過ぎないとは言え、やはり生命として自然に帰結する場所なのかも知れないなとも思う。
幅広い年齢の方々と親しいおつきあいをさせて頂いていることもあり、毎年たくさんの結婚式に呼んで頂く。数年前に、「今年がお呼ばれするピーク」なんて思ったことがあったけれども、さらに若い世代へ、若い世代へとつきあいが広がるために、翌年以降もコンスタントに誰かの結婚式にお呼ばれしていたところへ、今年から来年にかけては、同世代の中でまだ結婚していなかった友人たちがこぞって結婚を決めたために、数年前のピークを超えて、また喜ばしい席へご招待頂いている。
若い世代へと交流を繋げていくのは、僕が若くて綺麗な男性を好む傾向にあるということだけではなくて、おそらく血縁という意味での子孫を残すことがないであろう自分が、擬似家族的な何かを求めての行動という気もしている。最近の僕は同性愛者というよりは、無性愛者とでもいうべき心境にもあって、性的接触の欲求よりは、ゆるやかな友人関係というよなコミュニティーを希求しているような気がする。
友人夫妻の子どもたちへの愛というのは、自分の子どもの成長をみているような喜びを感じさせてくれるのと同時に、やはりその子は友人たちの家庭の中に存在するものなのだという一種の壁を改めて感じ、いいようのない寂しさにとらわれたりもする。
僕はかつてより、教育を受けられない子どもの存在や、それに伴う貧困の連鎖ということに強い懸念を感じており、自らの手でどうにか介入できないかということをずっと考えていたし、そういうことを時折ネットで書いたりもしていた。それと同時に、僕はせいぜい「偽善者」にはなれるけれども、真の慈善を行うことはできないということをしっかり自覚していた。なんらかの見返りがなくては善行など積めそうに無いのだ。
ゆるやかなコミュニティーということと、孤児院というか、経済的に困窮した子どもたちをゆるやかに保護し、教育の機会を与えてあげられるようなシステムを立ち上げられないかということを最近ずっと考えている。
フランスにおいて、カトリーヌ・オンジョレさんによる「パラン・パル・ミル」という名の「半里親」援助活動をしている団体のことを、ある方に教えてもらった。里親といっても、養子にするのではなく、里親になりたい大人が自分の自由時間の中で他人の子供の面倒を見るという「半里親」の制度である。これは、僕の夢想する「ゆるやかなコミュニティー」というイメージと重なってくる。さらには、「教育の機会を与える」というような目的にも近づけそうであり、なによりこれは、善意の押し売りではなく、それぞれが求め合えるギブ&テイクの関係性でいられるのではないか。アンバランスな力関係の中、自己犠牲や奉仕の精神だけで支える活動の危うさは、ナイチンゲールも指摘していたと言うけれども、こういった方法であればうまくいくのではないかと思う。
医者で博士号とって都心に家持っているような方にも悩みはあるんだね〜
よくご自分の状況が判っていて考えているし、きっと患者にとってはいいお医者さんなんだろうな。
「なんのために働いているのか?」
僕も44歳ゲイだけど確かに悩むよね〜
確かにこの不況の中、それなりに恵まれた立場にはいると思うのですが、ライフワークバランスとか、多数派としての生活を送れないために感じる不都合とか、うだうだと悩んでいるわけです。
マイノリティなのは、もうしょうがないよ。