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2008-10-01-Wed
■[日本]究極の政局化とは
アメリカの終わりの始まりを私たちが見ているとすれば、全くもってこれは大事である。政治の空白を作ることなどは出来やしないという意見には首肯すべきものがある。アメリカを震源とする金融不安は、確実に連鎖しようとしている。流動性の枯渇、信用不安など、縁起でもない言葉が当たり前のようにテレビや新聞で見聞きするようになってきている。欧州はその恐怖のなかで、対応に躍起になっている。矢継ぎ早の銀行国有化などは、政治と金融不安のスピード競争である。どちらが早いかと言えば、恐らく後者ということとなるだろう。それでも政治は着いていくしかないし、そのためには効果的な対策を迅速に講じていく必要がある。
ただ1つ確かなことがある。それは、これからしばらくは不景気の時代に突入するということだ。これまで何年も誰も景気拡大を実感出来ない経済成長をして来たが、成長しているということは、何かしらの形で恩恵がそれなりにあったことを意味する。それもなくなるということだ。大企業の生産が縮小し始め、多くの分野で縮小傾向が見えてきた。政治はまさに、激流とも言える金融の動きに対して、徹底した対応を求められており、まさに正念場のときを迎えつつある・・・あれ?
ところでわが国では、現時点において3代にもわたって国民の審判を受けていない内閣が続いている(参議院議員通常選挙は国民の審判とは一般的には言わない)。そう、衆議院議員総選挙の洗礼を受けていない全く無垢な内閣が続いている。つい先週までは総選挙という流れであったものがアメリカ発の恐慌が間近とも言われている今、その流れが全く別のところに向こうとしている。麻生太郎総理大臣は、今日の代表質問を受け、幾度も「年末」という言葉を多用した。総選挙ではなかったのか。そういえば首相は、補正予算成立ということを前代未聞の、あの所信表明演説において訴えていた。アメリカ発の金融不安は、いささか不謹慎だが、中山成彬前大臣の騒動をある程度相殺してくれたようで、これは首相にとっては幸運と言えるのかもしれない。
景気対策は解散総選挙に勝るという訳なのだろうが、ではいったいいつなのか。それは恐らく首相以外判るまい。アメリカの非常事態のある一定の収束を見る必要があるという意見がこれから増えてくるだろう。解散総選挙による「政治の空白」を作るのは良くないという意見は頷くべきものはある。この政権がおこなおうとしている景気対策は、確実に政権党の得点となる。これは明らかだ。その得点は、民主党にとっては完全に失点である。野党は何も出来はしない。参議院で否決しても予算案だから、衆議院の優越によって成立する。その際に民主党側の「不誠実さ」を宣伝することで、アメリカの情勢を見つつ与党は解散総選挙に打ってでるのは明らかだ。
麻生太郎という人は、解散権は首相にあるということを徹底的に利用するだろう。そこが福田康夫との大きな違いだ。やはり麻生太郎という人は、勝負師としての才能がある人だと感じる。ただ問題はいつ勝負するかということだ。総選挙を結局回避して、ヘタレの烙印を押されてしまい、指導力と求心力に疑問符が付いてしまった英国のブラウン首相については、さすがに念頭にはあるだろう。どこで解散総選挙をするか。まさにこれは麻生太郎だけでなく自由民主党にとって、博打以外の何者でもない。民主党の非を鳴らし、それに成功し世論を味方に付けられるか。明日以降の補正予算審議から、麻生太郎の正念場が始まる。あの所信表明演説はそのプロローグに過ぎなかったといえる。
ともあれ、国内政界は麻生太郎首相によるコントロールが効き始めている。野党民主党による解散総選挙への流れは急速に萎みつつある。しかし、国外で起こる事態については、どのように進んでいくか判らない。どちらにしろ、状況そのものを麻生首相は政局化しつつある。相当の逆風が吹いている自民党は、相当な博打を打ち始めている。とても政権党のすることではないが、政権党にしか出来ない芸当である。野党には逆立ちしても出来はしない。ただ、これが良いことかと言えば、良い訳はない。何せ3代もまともに国民の審判を受けていない、正統性を一部欠いた政権が続いているのは事実だからだ。麻生太郎が勝負に勝つことと国民の幸福が両立するかどうかは判らない。ただ言えることは、過去数代の自民党政権において、国民生活は悪化したということだ。このマイナスの繰り返しを再び繰り返して良いのかという疑問がどうしても生じる。
「政治の空白」に話は戻る。この事態に空白の是非が問われるのは仕方がない。しかしだ。空白はいつか来るものだ。衆議院の任期は来年9月まで。そうなればいやでも空白になる。空白とやらはいつかは必ず来るのだ。来年までの事態が終わることの保証があるだろうか。ある訳はない。政権選択とは空白を必ず生む。問題はその空白をどの程度短くすることではないだろうか。政治の空白というものを恐れていたら、選挙など永久に出来はしない。非常事態を理由にすれば何でも通るというのは、戦争以外にはない。ちなみに恐慌は戦争ではない*1。状況の政局化という博打は、不健全極まりないというしかない。一刻も早い、解散総選挙を私は希望する。国民の選択を無視し続ける内閣は、結局のところ正統性をいささか欠く存在であるし、わが国には政権交代という政治のダイナミズムが、今後の日本には必要であるからだ。今後のなりふり構わない政権党の行動は注視が必要であろう。




