朝日新聞 1945/09/05(1面)「開院式に優渥なる勅語賜ふ 平和國家を確立 擧國自疆,國本を培養」


標題見出記事に「勅語」「聖旨奉體に關する決議」が載っているので紹介する[*1]. 軍装の天皇が,敗戦の現実を否認する国体護持勢力発明の欺瞞語「戦争の終結」「終戦」を使っている点に注目=8/15朝日新聞を見ると大見出【戦争終結の大詔渙發さる】一面中央の見出【國體護持に邁進】だから露骨だ


勅語

88臨時議會開院式【1945/09/04】



朕茲に帝國議會開院の式を行ひ貴族院衆議院の各員に告く


朕已[すで]に戦争終結の詔命を下し更に使臣を派して関係文書に調印せしめたり


朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し國體の精華を發揮して信義を世界に布き平和國家を確立して人類の文化に寄與せむことを冀[こいねが]ひ日夜軫念措かす此の大業を成就せむと欲せは冷静沈着隱忍自重外は盟約を守り和親を敦くし内は力を各般の建設に傾け擧國一心自疆[疆=強]息ます以て國本を培養せさるへからす軍人遺族の扶助傷病者の保護及新に軍籍を離れたる者の厚生戦災を蒙れる者の救済に至りては固より萬全を期すへし


朕は國務大臣に命して國家内外の情勢と非常措置の經路とを説明せしむ卿等其れ克く朕か意を體し道義立國の皇謨に則り政府と協力して朕か事を獎順し億兆一致愈々[いよいよ]奉公の誠を竭[つく]さむことを期せよ




聖旨奉體に關する決議


大東亜戦争勃発以来正に四年戦局歳と共に激化し形勢我に利あらず加ふるに戦慄すべき爆弾の使用を見るに至れり


天皇陛下至仁至愛深く臣民の康寧と世界の文明の為に軫念あらせられ 聖断を下して戦争終結を宣し新に臣民の懸?ふ所を詔示し給ふ ■■■■■■の至りに堪へず臣子の罪逃るる所なし貴族院は國民と共に敗戦の事実を直視し協力一致


聖旨を奉體し道■を篤くし志操を■くし猛省奮起刻苦勤難重荷に任じ刑■を開き以て平和日本建設の道に邁進し内は萬古不易の國體を護持し外は世界平和の招来に寄輿し■て聖恩の萬一に報い ■慮を安んじ奉らむことを期す


右決議す

*1:原文片仮名を平仮名にした. 旧漢字は=直せないので=そのままとする,縮刷版の潰れた文字を誤読している箇所あるかも,「勅語」は千田:1983を参考にした

「勅語」「聖旨奉體に關する決議」注記


(1)同じ記事に「貴族院勅語奉答文」「衆議院勅語奉答文」「皇軍将兵並に勤労戦士への感謝決議」があるが,省略


(2)此の勅語,決議は以下の本には見つからない


歴史学研究会『日本史史料[5]現代』岩波書店,1997/04/24


日本史史料〈5〉現代



山極晃,中村政則『資料 日本占領 天皇制』大月書店,1990/02/16[*1]


天皇制 (資料 日本占領)



(3)以下2冊が「勅語」に言及.



千田夏光天皇勅語と昭和史』汐文社同時代叢書,1983/02/15


1926年12月25日「改元詔書」から1946年1月1日「年頭,国運新興の詔書」までのほぼ全て[*2]を紹介,各々に千田の解説を附す


第88臨時帝国議会開院式勅語の解説を以下に引用


解説 これは昭和20年9月4日に開会,会期1日で閉会した第一臨時議会のときの「勅語」だが,鈴木内閣は8月15日に総辞職し同17日に,皇族で陸軍大将の東久邇宮が首相になっていた. 議会は敗戦と無条件降伏にいたるまでの経過を説明するために開かれたものだった


東久邇首相はこのとき「全国民総懺悔」をいい,戦争にいたった責任は全国民にあり全国民等しく懺悔しようとした. いわば戦争責任の分散である. それは,天皇,天皇の軍隊,政府,官僚,政治家,その特定の誰にあったのでもなく国民全部が悪かったとしたのだった


なんともおかしな論理だが「一億総懺悔」という言葉で新聞を通じそれは流されていった. 言葉をかえれば戦争責任は一億国民すべてにあるとなるのだが,よく考えてみると昭和20年8月15日現在の日本人の人口は7190万である. 一億というのは朝鮮人と台湾人も入れた数字であった


この議会でそのことを口にする議員は一人もいなかった. 考えるまでもなく,そこにあつまっている議員はすべて戦争遂行協力者であり,ここまでもってきたその人なのだった


玉木研二(毎日新聞編集局)『ドキュメント 占領の秋 1945』藤原書店,2005/12/30


p.37「9月4日・火曜日籠停留所の会話」冒頭に勅語の引用[*3]


敗戦後初の臨時帝国議会を開く. 午前10時40分,軍装の天皇は宮城を出門,各国務大臣,正副議長の奉迎を受けた後,開院式場に望んだ


「…終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し國體の精華を發揮して信義を世界に布き平和國家を確立して人類の文化に寄與せむことを冀ひ…」


勅語はこの「大業を成就」させるために「冷静沈着隱忍自重」を求めた. 翌日の毎日新聞記事は「勅語を拝して誰か慟哭せざるものがあろうか」と書いている. 議員や記者等が抱いたこの感動は,これから全国に出現する占領時代への底知れぬ不安と表裏一体だったろう. 我々はいったいどのような服従を求められるのか


ドキュメント 占領の秋 1945



(4)これから読む


保阪正康『昭和史の大河を往く()そして官僚は生き残った/内務省,陸軍省,海軍省解体』毎日新聞社,2011/01/20


そして官僚は生き残った 昭和史の大河を往く 第十集



吉見義明『焼け跡からのデモクラシー 草の根の占領期体験 (上)』,2014/03/18


焼跡からのデモクラシー――草の根の占領期体験(上) (岩波現代全書)



松尾尊兌[たかよし]『戦後日本への出発』岩波書店,2002/03/22


戦後日本への出発



歴史学研究会『日本同時代史(1)敗戦と占領』青木書店,1990/09/01


敗戦と占領 (日本同時代史)

*1:占領軍史料が大部分で,日本側史料が少ない. 巻末付録大窪愿(日本太平洋問題調査会)「戦後日本の天皇制の諸問題」,1947/8/10 p.600 に『毎日新聞』1945/9/5 東久邇宮 の演説が紹介されている

*2:p.408-p.414に「昭和前半期の詔勅一覧」

*3:ミズーリ号艦上での降伏調印式は9月2日