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これらの批判に対し,当の責任者文部省は黙して語らず,わずかに「草稿の下働き」執筆者の中,岡田,豊田は批判に対しやや謙虚な態度を持し,特に消極的ながら編纂方法そのものの矛盾を肯定しているかに見えたのであるが(岡田「朝日評論」,豊田「大学」動向)中に只一人あく迄戦闘的に反批判を展開したのは家永三郎であつた(「今後の歴史教育」象徴創刊号,「新しき実証史学えの期待」書評第4号,また日本読書新聞[*1]等). しかし氏が従来の軍国主義,極端なる国家主義的な教科書をそれ自体の姿において批判せず,それが政治性をもつていたことがよくなかつたとする態度はさきの安倍文相の談に尾を引くものであり,新しい民主主義の立場をもまた政治的なものとして排撃しようとする態度は「味噌と糞とを一緒にして捨ててしまう」ものとして林基の痛烈な再批判を受けたところである(日本評論1月) 家永は日本が再び非民主主義の世界に逆戻りすることを期待されるのであろうか


以上の批判,反批判,再批判を通じて痛感されたのは,教育の上に自ら勤労し,実地にこれを運用する実際教育家の側からの積極的な批判が殆ど見られなかつたことである. 「欠点を指摘されたが礼賛論も誰か一ぺん位やつていただきたい」といい「兎に角一つの文部省の本が出てしまいますとやはり国民学校の先生というのは非常に時代的に申すと保守的でありますから文部省がこれを出したというと後生大事に馬鹿の一つ覚えで教えてしまいます. 殊に田舎の先生はそういう傾向が強い」(自由懇話会傍聴者)といわれているとき歴史学研究会の合評会に参加した中学生たちは叫んでいた「新教科書は面白くない. もつと明るいわたしたちに親しめる教科書を作つてください」


しかも教科書はすでに与えられ,国史授業の再開は許可された. 藤間生大はこの教科書を以てしても利用のしかたによつては利用し得るとしたのであるが,羽仁五郎もいう通り,新しい歴史教育は自ら考え,今迄権威であつた教科書を今度は材料として批判してゆくところにあり,その限りで藤間の意見は勿論正しいが,現実の問題として高橋は教師の質と能力に危険を感じ,阿部眞琴は時間の不足を指摘し,小学校教員諸氏からは啓蒙運動を切望されたのであつた(歴史学研究会,自由懇話会,朝日評論,合評) しかし歴史家の論議が続けられている中に,すでに小学校教員の間には「くにのあゆみ」を以て農民組合運動誹謗の理論的支柱とし(林基,歴史評論6月),あるいは,戦時中の「国史」教科書の参考書化という憂うべき実例が報告されている


かくて歴史家と歴史教育家の提携協力によつて民主的な教科書がわれら人民の手によつて一日も早く編纂されねばならぬということは進歩的な歴史家,歴史教育家,父兄,生徒児童の切実の要求となつた. しかも目前のこの教科書を以てなお正しい教育効果をあげるためには教員の側の切実な要望にこたえて教員のための,また生徒児童のために,よき副読本が作られねばならない. 毎日新聞社の「新しい日本の歴史」は生徒のために,先生のために,また父兄のためにと銘うつて期待されたのであつたが,その本質は「くにのあゆみ」を一歩も出でず,編纂態度の不明朗,叙述の混乱は,さらに甚しいものであつた. 中村孝也の「新国史観」,丸山二郎の「新修日本歴史」,家永三郎の「新日本史」いずれも旧国史観に過ぎず,中学生用参考書としての小西四郎編「日本歴史講話」も小西自身執筆したとみられる近世以降に新しい息吹が感じられるのみで量的には依然近代史が無視され,岡田章雄の「ぼくらの日本史」が世紀毎に分けた構成の新しさと親しみやすい叙述で児童読みものとしての新しい触感を示したのみであつた. これらの多くが期待を裏切っているとき,井上清は「新日本歴史物語」を民報に,爾津正志は「くにのあゆみ人民版」を人民新聞に連載し,民主主義科学者協会はまた羽仁五郎,藤間生大,石母田正,林基の歴史家を講師として「歴史教育講座」を以て教育者によびかけ歴史家が正しく人民の方を向いていることを示したのではあつたが,なお全国教育者の要望に対しては更に今後のより一層精力的な活躍を期待せねばならない


かく教育家の殆どが新教科書をかかえて戸惑いしているとき,年度より制新教育制度が実施され,新教科目「社会科」の出現によつて小学校に於ては歴史教育は完全にこの中に溶け込み,中学は2年3年に「日本の歴史」を教科書とする「国史」が社会科の別動隊として太刀持をつとめることとなつた


「教育の眞の目的は,よき疑問を起させるにあるといつても過言ではなく,国民生活の上に立たぬ史学は有害無益なる遊びの学に過ぎない」との柳田國男の達言を待つまでもなく(毎日新聞歴史教育の使命」)歴史教育を現代の社会生活から出発させることは血の通った歴史教育への好機会ではあろう. 教員が適当に活用すれば常に現代社会の矛盾よりさかのぼつて生徒児童をして歴史批判の原則を理解させる道が開かれたものともいえよう.しかしながら実際の教員の動きは「新制度」に目を廻し,教育技術の末節を「修得」することに追われて,いたずらに混乱と焦躁を続けているかに見える. やがて配布される学習指導要領についても先ずその編纂方法に注意しなければならない. それらはまた,一方教員養成機関として「学芸大学」案が教育刷新委員会より文部大臣に答申されて旧師範学校の民主的偽装が遂げられようとしていることと共に,現在及び将来の歴史教育ひいては全教育に反動化の抜け道をあたえたものとしてわれわれは厳重にこれを監視する必要があろう


日本の

*1:日本読書新聞1947/04/23 (Wed) 家永三郎「くにのあゆみ : 編纂者の立場から」 id:dempax:19470423