下書

戦後における自由法曹団ポツダム宣言の要求する日本民主化の線にそうて,不敬罪の撤廃,基本的人権の確立に対し,不屈不撓の努力をしたこと,労働者をして人権を意識させ,また労働運動の合法化に貢献したこと,朝鮮人の人権を護ったこと,官権の非民主性を指摘し,これと不断にたたかっていることは世間周知のことで,その他,法律技術上において生産管理その他,新しい分野を開拓したことも大きな足跡といいうるだろう


しかしなんといっても自由法曹団は,その幹部に布施[*1],上村[*2],青柳[*3],福田,為成[*4],林,神道[*5],牧野[*6],梨木[*7],岡林[*8],小沢,東方[*9],今野,岡崎というようなそうそうたる共産党の理論家や闘士を擁しているのであるから,世間の眼から見ると,自由法曹団のなすことが,すべて共産党的に見られるのも無理がない. ことに団員が個人としてやる党活動までが自由法曹団弁護士という名前のゆえに,団の活動と混同される場合も多い


現日本は厳重なる占領下にある. たとえ共産主義がどんなに立派なものであったとしても,共産主義革命を目的とする運動は一切壁につき当る. それが法律闘争である場合は,その反動としてかえって既得権利の縮小を来すおそれがあることは,公安条例の発布とか,公務員の組合活動および政治活動の制限のごとき実例がなによりもよき証明ではあるまいか


しかし,それよりも大きな壁は民衆の無智ということだ. 罷業や生産管理の権利を濫用し,たとえ争議に勝っても,日本全国の起業家を萎縮させて労働者全体の職場を狭くし,,年のうちには自分たちも永久的失業者となるような自己矛盾を犯している


世間ではそれらの責任について自由法曹団を責めているようだ. しかし
私はそれを日本共産党の責任であると思っている. 共産主義の戦術の一つは,民衆の無智を利用し,共産主義社会への夢を大きく見せるために,刻下の現実が労働者にとって,できるだけ絶望的であることを,労働者の身をもって体験するようひそかに求めることだ. 労使の協調や融和を極端に排撃するのはそのためである. しかし自由法曹団の党員たちははなはだ僭越ないい方であるが,共産主義者より前に弁護士である. 公立病院建設の必要を宣伝するために,自分のところへ来た患者に,死の苦痛を与えるような残酷な真似は出来ない人々だ. いな,むしろ労働者に対し,あまりにも無条件的に好意を持つ結果,彼等のわがままにひきずられる点がいけないのであろう


旧日本的の官僚の中には,自由法曹団が行き過ぎをやることを期待し,それによって反動的に自己の陣営を強化しようとたくらんでいるものがある. 裁判所侮辱制裁法を成立させようとして横浜の人民電車事件の法廷の混乱を口実にしようとしたのもその一つの現れである. もしも,そのようなことが実現されたなら,自由法曹団の罪,これより大なるはない. 自由法曹団にとって,もっとも警戒すべきは,共産主義的になることよりは,センチメンタリズムとなることであろう. 検事の拷問が悪いのと同様に,拷問のために虚偽の陳述をする労働者も讃めた話ではない. 検事の取調べの杜撰を非難する時には,団の調査も杜撰であってはならない. 一方に寛にして一方に厳というのは人類の合理性が反撥する


不合理を許すということは,結局,大衆を犠牲にするとともに,自分等も犠牲になることだと信ずる

*1:『近代日本社会運動史人物大事典』日外アソシエーツ,1997/01/20より

近代日本社会運動史人物大事典

布施辰治 1880.11.13-1953.9.13 IV.-p.146

*2:上村進 1889.1.23-1969.5.13 II.-p.130

*3:青柳盛雄 ?-.. I.-p.19

*4:為成養之助 1904..- III.-p.390

*5:神道寛次 1896.11.20-1971.2.17 II.-p.995

*6:牧野芳夫 1905.5.29-1981.6.24 IV.-p.279

*7:梨木作次郎 1907.9.24-1993.4.9 III.-p.730

*8:岡林辰雄 1904.1.7-1990.3.1 I.-p.714

*9:東方紀方=三浦次郎 1907..-1971.. IV.-p.396