赤旗海賊版

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65/01/15 (Fri)

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65/01/14 (Thu) 日本共産党中央委員会『アカハタ』1965/01/14(4面)

日本共産党中央委員会『アカハタ』1965/01/14(4面)「写真特集 米占領20年 屈辱から立ち上がる沖縄県民」


写真総数: 6点


復帰運動を撮影: 6


日章旗の写真数: 0

『アカハタ』1965/01/14(4面)「写真特集 米占領20年 屈辱から立ち上がる沖縄県民」写真を読む


■【(1)首席公選要求,米専制支配粉砕のため決起した労働者,農民(1964/6/26). 米側は「沖縄での自治権は神話にすぎない」と公言しましたが,首席公選をめざすたたかいは奪われた民族主権の回復の闘争として次第に高まっています】旗【□□学生自治会】等(座り込んだ集会参加者は鉢巻き,書いてある文字は読めない,日の丸鉢巻きではなさそうだ)


■【(2)本土での安保反対闘争と結んでたたかわれたアイゼンハワー退去要求の大デモ(60/6/19)多数の武装米兵が鎮圧に出動しました】(デモ隊と揉み合う米兵=写真手前)看板【アイクかえれ!】【…祖国復帰】【…反対】


■【(3)島ぐるみの土地取り上げ反対闘争は十数万人が参加してひらかれた四原則貫徹県民大会で大きくもりあがりました(1956/7/28)】


(会場の後方から全体を撮影,沢山人が集まっていることしか分からない. 沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会『沖縄県祖国復帰闘争史 写真集』沖縄時事出版,1982/5/15の演壇近くから撮影した【p.32-33 1956/7/28 四原則貫徹県民大会(那覇市)10数万人が参加】を見る限り,日章旗は無い)


■【(4)沖縄を祖国から分断した北緯17度線上での最初の海上大会(1963/4/28)沖縄,本土双方の代表は感激のうちにかたい握手をかわしました】旗【□(「福」「静」いずれか?)岡県平…(和委員会)[*1]】他(日の丸無し)[*2]


■【(5)米人経営のプライウッド社の労働者は植民地的搾取に抗議し,地上33メートルの煙突にのぼって54日間も決死の抗議をしました. 写真は煙突をおりた労働者とのスクラム(1964/5/15)】[*3]


■【(6)いま,全県下の農民は砂糖黍買入価格の切り下げに反対して,デモ行進などに立ち上がっています】先頭の横断幕【農民と農業を守る大行進】旗3本【…】(日の丸無し)


【補足説明】「沖縄・小笠原返還要求行動月間」が始まる1月15日の前日,紙面一頁を使った写真特集, 紙面8段の上6段に,写真と写真説明文を配置, 下2段に「本土人民と堅く結び/祖国復帰へ 弾圧・分裂を打破り前進」と題する沖縄 戦後史 戦後人民闘争史(署名論文)と「沖縄県/(地図)沖縄県の位置」を載せている


本土人民と堅く結び
祖国復帰へ 弾圧・分裂を打破り前進

(まえがき)

沖縄に対する事実上の永久占領を取り決めたサンフランシスコ「平和」条約発効の民族的屈辱の日4月28日を中心に,ここ数年来本土と沖縄の人民はかたく団結して「沖縄かえせ,アメリカかえれ」の行動を高めてきましたが,ことしは1月15日から4月28日をはさんで6月28日の沖縄占領開始屈辱20周年記念日までの期間を「沖縄・小笠原返還要求行動月間」として,これまでにない大規模な沖縄返還闘争を全国で展開することになっています. この期間に,本土では沖縄返還をめざす個人加盟の全国的組織の結成も具体的な日程にのぼろうとしています. また4月28日には,アジア諸国を中心に全世界で,沖縄返還要求の日本人民の闘争を支持し,沖縄の属領化をたくらむアメリカ帝国主義への抗議の国際共同行動が展開されます. 米占領下20年の沖縄における人民の英雄的な闘争をふりかえってみましょう

収容所からの解放と食糧闘争

1945年6月22日,沖縄全土を占領したアメリカ軍は,すべての沖縄県民を各地の収容所に強制的に収容しました. 日本政府が無条件降伏をした同じ年の8月15日が過ぎてようやく段々に解放して部落に帰しましたが,戦災で生産手段のすべてを失った沖縄県民は部落に帰っても生活のめあてがなく,米軍の配給物資にたよらざるを得ませんでした. このようななかで,1947年に米軍は突然食糧品の3倍値上げを発表しました. このとき,不法な措置に憤激した沖縄・奄美の人民は,市町村部落ごとに値上げ反対の集会を組織し,対米非協力・不服従運動を起こしました. 軍需品やその他の物資の荷揚げ作業を拒否するという勇敢な抵抗も行われました. これこそ米占領開始後,最初の大衆闘争だったのです. そのため結局米軍も県民のこの要求に屈し,値下げにふみきらなければなりませんでした

復帰運動の発足

1950年はじめ,対日講和条約問題が日程にのぼり,ダレス国務長官が日本にやってきてマッカーサーなどと協議を重ねました. これを機に沖縄,奄美大島では祖国復帰の世論が急速に高まってきました. 翌51年はじめ,対日講和にたいする英米草案が発表され,そのなかで沖縄,小笠原の「信託統治」方針が明らかにされると沖縄,奄美では激しい怒りが巻き起こりました. このとき,沖縄人民党(1947/7/20創立)は,当時政党として活動していた社会大衆党,琉球民主党,琉球社会党によびかけて,四党会議をもち,全政党が統一して祖国復帰運動を推進することを提案しました. この提案に対し社会大衆党は賛成しましたが,民主党は信託統治賛成,社会党は独立論を主張して譲らず,結局人民党と社会大衆党を中心として復帰の署名運動がすすめられました. しかし,その結果,全県民がこれを熱烈に支持し,有権者の80%[*4]が署名をしました. 奄美では90%を突破しました


こうして,沖縄県民の祖国復帰の意思表示は,アメリカ帝国主義と日本の売国勢力に痛烈な打撃を与え,当時一部にあった信託預金論や独立論も現在ではほとんど姿を消しています

基地労働者のストライキ - 労働三法の獲得

サンフランシスコ条約の発効(1952/4/28)は沖縄・奄美の労働者のたたかいに新しい転機をもたらしました. そのなかで,1952年6月,米軍の基地建設に従事していた日本道路の労働者は,労働条件の改善を叫んでストライキに立ち上がりました. このストライキは占領下の沖縄における労働者の最初の組織的抵抗で,それ以後の沖縄の労働運動の土台を築いた歴史的な闘争でした. 日本道路のストライキは全県的に波及し,労働者は発足したばかりの立法院を包囲して,日本道路労働者の要求貫徹と労働三法の制定要求のたたかいを進め,ついに日本道路のストを勝利させました. これをきっかけに,沖縄の労働者と人民は1年8ヵ月のねばり強いたたかいによって,ついに,完全な形とは言えないにしても労働組合法をかちとりました

プライス勧告反対闘争と瀬長市長の出現

1956年6月,アメリカ帝国主義のその後の沖縄基地建設の基本を示したプライス勧告が発表されました. これは沖縄の公然たる核武装化を目的としたもので,そのための全県下,とくに沖縄本島での土地の大規模接収をうたったものです. この勧告が発表されると同時に,沖縄県民はいっせいに反対を叫んで立ち上がり,いわゆる「島ぐるみ」のたたかいが燃え上がりました. このたたかいは沖縄県民の土地四原則(新規接収反対,地代の一括払い反対,適正補償,占領後のいっさいの損害に対する完全賠償)の貫徹として発展しました. このたたかいのさなかに,もっとも勇敢にアメリカ占領軍とたたかってきた沖縄人民党書記長瀬長亀次郎氏が,四原則貫徹,祖国復帰,市政民主化のスローガンのもとに,米軍の激しい妨害をけって,那覇市長選挙に勝利し,国際的にも沖縄県民の不屈のたたかいを示す機会となりました. しかし,約1年後,アメリカ占領者は卑劣にも一片の布令で瀬長氏を市長の椅子から追放し,瀬長氏がいっさいの公職につくことを禁止しました

アイゼンハワーにたいする銃剣下の抗議

1960年6月19日,米大統領アイゼンハワーは極東訪問の途中,沖縄に立ち寄りました


そのアイゼンハワーの沖縄到着のさい,沖縄でかれをむかえたのは星条旗でも歓声でもなく,祖国復帰と米軍占領反対,サンフランシスコ条約第3条撤廃をさけぶ沖縄県民の赤旗だったのです. アイゼンハワーはアメリカ民政府ビルの窓口から入ることはできましたが,そこをとりまいた沖縄県民数千人のデモ隊の「ヤンキー・ゴー・ホーム」の怒号の中でついに予定を30分くりあげ,こそこそと裏口から逃げ出しました. このとき,着剣した銃をかまえて米海兵隊員多数がデモ隊の鎮圧に出動し,県民の心底からの憤激を呼び起こしましたが,この事件はアメリカ帝国主義が自ら武力で占領している沖縄においても,決して安泰ではありえないということを示しました. 同時にこのたたかいは,沖縄の全県民の前にいま一度,アメリカ帝国主義の本質をはっきり示しました

占領支配揺さぶる首席公選のたたかい

沖縄県民はサンフランシスコ条約発効以来,一貫して首席公選を要求したたかいつづけてきましたが,ワトソン高等弁務官は昨年10月29日から31日にわたっての立法院臨時会で,県民の強い反対を無視し,新しい傀儡松岡政保の首席指名を強行させました. 県民の意思をふみにじったワトソンの専制に反対する県民は立法院を3日間にわたって包囲し,一時は議会を流会させるなど,アメリカ占領軍と買弁勢力を追い詰めました. これにたいして,ワトソンが警官隊に米軍専用の野戦食糧をくばり,立法院内外の人民を弾圧させて,首席指名を強行したことは,アメリカ帝国主義と沖縄県民を含む日本人民とのあいだの矛盾をさらに激しくせざるをえませんでした


このように米占領下20年の沖縄県民の闘争は,祖国復帰を目指す沖縄県民の熱望がアメリカ帝国主義と売国反動勢力のいかなる圧迫や弾圧,懐柔や分裂策動をもってしてもおさえることが出来ないことを示すとともに,本土人民とかたく結んだ沖縄県民の闘争は,日本人民の解放闘争の重要な一部分として,必ず最後の勝利を収めるに違いないことを証明しています. 沖縄返還の闘争を本土でさらに大きく発展させることは,本土の民主勢力に課せられたもっとも重要な課題のひとつです【高安宜正】


*1:ピカソの鳩の絵から平和委員会旗と分かる

*2:『アカハタ』写真特集の海上大会(1963/4/28)に日章旗はないが,撮影者/機関紙編集者の取捨選択が働いていることは頭においておく必要がある. 沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会『沖縄県祖国復帰闘争史 写真集』に掲載された1963年,1964年の4・28を見ておこう【p.72-p.73 1963年4月28日 北緯27度で本土・沖縄が初の海上大会】3隻の小船,旗【旭…】の船に日の丸小旗1,幟【沖縄返還協…】の船には日の丸無し,手前撮影者の乗る船には旗【人民…(党)】旗【沖縄社…(社会大衆党)】腕章【…(社会)大…(衆党)】(腕章【…大…】が旗【沖縄社…】と小旗【日の丸】を持っている,その左隣にも小旗【日の丸】),ibid.【p.77上 [1964]4.28海上大会】(2隻の船)左の船に幟3【沖縄祖国復帰…】日章旗1,右の船に旗【官□(公?)労】幟【歓迎…[一番上に日の丸]】日章旗1【p.77下 (1964年)4・28デモ行進】横断幕【祖国復帰】日の丸小旗をデモ隊の何人かが持っている,看板【祖国へ[「祖」「国」の間に日の丸]】提灯【お母さんアンマーヨー[提灯に日の丸]】と日の丸だらけである

*3:沖縄タイムス社『写真に見る沖縄戦後史』沖縄タイムス社,1972/08/01 p.89には煙突上での記念写真【米系資本の沖縄プライウッド社で賃上げをふくめた権利闘争がストへ発展. 従業員中四人が那覇市壺川工場の煙突にのぼり,寒空の中で54日間頑張った.戦後沖縄の労働争議史上特筆される事件で写真は本社カメラマンが煙突上で撮影した(1964/3/25)】

*4:沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会『沖縄県祖国復帰闘争史 写真集』p.20では【1951/8/28 日本復帰期成会は,即時復帰の嘆願書と署名簿を講和会議参加国全権に送付(全有権者の72%署名を達成)】集計の仕方が違うのかな?

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