敗戦の虚脱の中で/英米の物量と精神力を軽く見すぎた
櫻田 : 私どもは軍に徴用された工場の紡機でマニラで紡績工場をやることにしましたが,紡機を三万錘ぐらい送ったんですが,半分は沈んじゃう. 人間も三分の一は沈んで死ぬ. 18,19年ごろはこんな状態でしたね. 軍の関係の仕事を見ていても戦争はもう無理だと思わざるをえませんでした
鹿内 : いまマニラの話が出ましたが私たちの主計の仲間もマニラではずいぶん死にました. 餓死したわけですよ
櫻田 : そうでしょう
鹿内 : ろくな戦争もしないうちに最後はみんな餓死してしまったんですが,緒戦は本間雅晴中将を中心として上陸したときは大変な勢いでした. 本間軍団の経理部のいちばん偉い人は私どもの経理学校の上官だった人ですが,名前はここで申し上げないほうがいいと思う. 上陸作戦がすんでから,その人が陸軍省に報告に来られた. 経理担当の最高の師団将校ですから. で, その人の報告は要するに「すばらしい」というんです. 何がすばらしいのかといったらマニラ大学の女の学生は全部セレベスとか, 方々の島々の豪族の娘たちが集まっていた. ところが,日本軍が,マニラに上陸したら島に帰れなくなっちゃった. 寄宿舎にいるやつがみんな孤立しちゃったわけだ. それを日本の将校がいただくわけだ. それがいかにすばらしいかという報告で終始一貫終わっちゃったわけね. その戦況報告の話が……
櫻田 : う〜ん
鹿内 : ぼくは,そのとき非常に衝撃を受けたけれども, しかし, 話としちゃ面白いよね. 戦争中の話ですから. その女子大生が日本の将校のえじきになったという報告があったのが, ぼくには非常に刺激的な印象としていまも残っています. しかし,この人は中将になって,最後は満州で戦死しています
【p.29 - p.30】【以下,省略】
衛生用具製造指導篇
戦後を担う人たちとの出会い/堅牢敬遠'突撃一番'罹病率高し
櫻田 : 経理監督官としては, いろんな苦労があったんでしょう
鹿内 : そうなんです会社へ行きますと直接原価の査定は出来ますけどぼくがいちばん苦労したのは間接部門の総掛かり費をどういうふうな配分でどういう比率で原価に算入していくかということですその算定方法で全く変わってしまいますから…
櫻田 : そうそう. 間接費の割合だな
鹿内 : ええ. 例えば倉庫だとかあるいは埠頭の輸送機関の施設の経費をどう見るかということ. でも日立とか王子とか, 当時の大きな会社を相手に, 大変大きな数字を見ながら, ものを見る修練が出来たわけね. 当時, ぼくが扱った会社をあとで数えてみたら360社もありました
櫻田 : それは大変だ
鹿内 : でも, それだけのバランスシートとか, 何かを全部見たわけですから……
櫻田 : いい勉強になったでしょう
鹿内 : これは今日, ぼくがいろんな経営を預かるうえで大変な財産になっていると思います
櫻田 : そりゃそうでしょう
鹿内 : こんなことは, どんなに金をかけても勉強できるこっちゃない
櫻田 : そうなんだ. よほど年期を入れないと, 直接費と間接費の比率なんて, そんなにぽんとは……
鹿内 : ええ出てきません
櫻田 : 出るもんか(笑)
鹿内 : そういうことで, 私としてはこの時代に一生のなかでかけがえのない勉強をさせられたと思いますけどね
櫻田 : それはそうでしたね
鹿内 : しかし, 雑品屋ですから, そのなかには面白いこともありましてね. まさか誰も知らないとは思うんですけど, 兵隊が女を買いに行くときの衛生サックね, これが需品本部の担当なんです(笑)
櫻田 : ほほう
鹿内 : そうしたら, ある日, 支那派遣軍のいちばん偉い人の名前, 確か畑俊六さんだったと思うけど, その人の名前で要注意の報告書が送られてきた. 要するに「何月何日送付に関わる衛生用具については罹病率が非常に高い」ということなんです
櫻田 : そうですか
鹿内 : そこでぼくは担当の課長さんに呼び出されて「おまえこれは非常に粗悪品らしいぞ現地調査をしてちゃんとしたものを送らなくちゃん」と注意されたそこで「それじゃその工場を見に行こう」と出かけて行ったぼくは今でも忘れません東京・葛飾に国際護謀[旁に草冠]工業という工場がありましてそこへ軍刀を下げて下士官を引き連れて行ったわけだ(笑)
工場には
櫻田 :
鹿内 :
櫻田 :
鹿内 :
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