赤旗海賊版

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17/08/31 (Thu) 宮武外骨「流言浮説に就いて」

『震災畫報【第六冊】』

大正十三年二月



流言浮説に就いて



流言浮説の本家本元であつたらしい其筋から 9月6日 関東戒厳司令部の命として左の如き印刷物を廻付した



流言蜚語に迷はさるる勿れ


何事にも驚いたり騒いたりしないて冷静によく真相を確めて事を処するのか我か国民伝統の誇りてあるのに今度の大震に當り往々無根の流言に迷はされたり又甚しいのは無稽の事を流布して人心を惑はすものかある これは実に御互に遺憾とするところてあつて其の著しき実例を挙くれば

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17/08/30 (Wed) 宮武外骨 軽信誤認録/流言浮説集

震災畫報【第一冊】

大正12年(1923年)9月25日発行


14頁(ちくま学芸文庫 p.30)

●軽信誤認録(甲)


學者とか識者とかいはれる人々でも あわてると謬見誤認を免れない まして凡夫俗人においてをやである

■ 震源番は江戸川筋

今回の地震につき當日午後 帝大の今村博士は伊豆大島邉が震源地であると發表して的中したが當日中央氣象臺の中村博士は江戸川筋が震源地であると發表した


江戸川とは利根川の支流で關宿から行徳までを云ふのである 此邉にも震源はあるのであるが 斯く誤認したのは 昨年来の地震につき 霞ヶ浦邉とか松戸邉とか主張して帝大に負けたらしい事があるので 我説を主張すべく同系の連發地震と見ての誤認發表であらう


また同中村博士は去る10日「餘震は終った」と發表したがその後も連続してこの稿を締切る18日までも毎日數回の餘震は止まなかった これも「餘震はおよそ1ヶ月間くらいつづく」と發表した方が的中している

■ 秩父連山の噴火

去る3日發行の「大阪毎日新聞」に「長野来電」として「秩父連山大爆發 噴煙天に冲す」と初號大活字の標題で


秩父連山は卅日噴火を始め一日正午に至り俄然噴煙天に冲して大爆發をしたものらしくこれを高崎方面で眺むれば寧ろ壮観で 今回の大地震は秩父連山の大爆發によるものであらうと傳へられている


火山脈でもない秩父連山が噴火したといひ その噴煙が天に冲すとは無稽の妄説であるが 何が故にかく誤認したかと云ふにこれは東京市中の火焔が夜陰の天空を照したので 秩父連山に遮られて居る高崎方面からは恰も噴火しているように見えたのであわて者の通信員が輕率に發信したのであらう

■ 放火目的の投彈

火災中に頻々と聞こえた大爆音は薬店や諸學校の薬品が爆發したのであるのに 不良漢が放火目的での投彈だと誤認した者が多かつた

■ 横濱市内に新温泉涌出

去る11日頃 横濱市南太田町に新温泉が涌出した 冷水を入れた鐡瓶を浸すとすぐに沸いて熱湯に成るなど大騒ぎをしていたが 翌日藤原理學博士が實地を踏査した報告によると「直径1尺の穴2つが出来 其上部の方からは盛んに青色の煙を吐き 下方の穴は一見温泉の如く 其周圍に湯の花附着し 湯水には塩分を含んで居るが 精査してみると其場は材木置場で數百本の材木が火災のため土砂の下敷になつて蒸焼きにされ その結果木質から酢酸を發酵したのが塩分の味と成り青色の煙と成つたものである 其材木の蒸焼きが終れば湯も冷え煙も消えるのである」とは大笑ひの事で地主が糠喜びをした落膽さも察せられる

■ 何でも賣切申候

大震の翌日頃から数日間 焼残り市街の諸種販賣店では 大概「賣切」の札を出してあつた 其中で最も早かつたのは米屋と菓子店・八百屋等であつて1日の夕方には戸を閉めて表に「白米賣切申候」とか「菓子は一つもありません」とか「悉皆賣切」とかいう貼紙をしてあつた これは前途の危惧で我も我もと多量に買占めた結果であらうが中には事實の賣切でないのに一時賣切として隠し置き後に暴利を貪らうとした者も多かつたようである 其例につき「都新聞」に面白い話が出て居た


新宿終點の或油屋では店内に油があるにも拘らず「賣売切」と貼出した さあ附近の住民は火の様に激して四谷署に告發した 早速 小使いを密かに買ひにやつた處 これも斷られたので四谷署から2,3名の署員が出張し取調べると數箱あつたので「無い物があるとは不思議だ 是は当方へ押収する」と全部押収したので油屋は口あんぐり




(ちくま学芸文庫 p.35)

● 流言浮説集【1】



人心騒亂の時には一種の變態心理者があつて何等の根據なき妄誕無稽の事を言觸らせて喜んだり 又何かの爲めにする所があつて 捏造虚構の事を吹聴したりするものであるが 今回の大變事に際してはそれが最も多く行はれた 後の訓戒となるべき奇言珍説を續載する

■ 國攝政殿下の御避難

畏れ多いうそを傳へた者があつた 青山御所は全滅だとか宮城の二重橋が傾いたなどさも見て来たように言囃して居たが最も甚だしい空事なのは攝政宮殿下が飛行機にお召しになつて京都へ御避難遊ばされたと云ふ事であつた

■ 7時間後の大揺り返し

安政2年10月2日江戸に大地震のあつた四五日後 人心尚ほ恐慌せるに乗じて「今夜大津波が来る,高臺へ避難せねばならぬ」と觸れ歩いた者があつたので全家挙げて上野山内や湯島辺へ上がつて夜明しをしたのもあつたが さて何の事なく翌朝帰宅して見ると 目ぼしい物は皆盗み去られて居た これは盗賊共が申し合わせたうそであつたといふ これとは違ふだらうが何者が言出した事か地震當日の午後2時頃「今夜7時に大揺り返しがあるから注意しろと警視廳より通知が来た」と真実らしく觸れ廻つて居た者があつた

■ 国民新聞社長は海嘯[かいしょう=津波]で死んだ

松方老公は鎌倉の別荘で圧死した 安田善次郎は横網の宅で焼死したといふうそも弘く傳はつたが国民社長の徳富猪一郎が相州で津浪にさらはれて死んだといふうそも可なりせん宣伝されて居た

■ 井戸に毒薬を投げ入る

朝鮮人が井に毒薬を投げ込むという嘘も盛んに行はれ 市内各所へ注意すべしと貼紙した者もあり 浅草寺境内の井へすこぶる美貌の朝鮮女が毒を投げ入れようとして捕はれたなどの嘘もあつた

■ 上野公園内の■死者千人

親に死なれ子に死なれ 可愛い妻に死なれ 頼る夫に死なれた者などが この世を悲観して首をつって死んだ それが上野公園の樹々に鈴なりになっていたという嘘が麹町麻布渋谷邊で盛んに伝■搬されたそうであるがその実■死者はただの一人であつた

■ 暴利商人の首を■はねてさらす

新宿邊の米屋某は白米1升を1円に売っていたが それを罹災者の群集が押寄せてこの奸商に天誅を加うべしといきなり首をはね その首を竿に刺して公衆に示し売残りの白米を一同が没収したという嘘が各所に傳わった

■ 浅草觀音が焼け残った理由

本所の国技館が焼け残り神田佐久間町邊が焼け残り本郷でたつた一軒の大島とかいう店が焼け残ったなどの理由は 誰もこれを不可思議的に解釈する者もないが 四圍に空地と樹木の多い浅草寺の焼け残った事に就いては 愚夫愚婦どもが例の迷信でその妙智力によるものとし「ありがたい觀音様の御霊験」としているがそれにもなおあきたらで「彼が焼けなかったのはいよいよ火焔に包まれて あわや本堂に火が移ろうとした時 周圍の樹からシューシューと水を吹き出したので無事であつたのだ」との愚にもつかぬ流言が行はれた

■ 監獄の囚徒を解放した

市ヶ谷監獄や巣鴨監獄で囚徒を悉く解放したから強盗窃盗の注意が肝要だとの浮説が一時盛んに行われた またそれを打消しの解放じゃない脱監じゃ 数百名の囚徒が看守を斬殺して脱出したという流言も各所に伝わっていた

■ 變装した爆裂彈所持者

牛込の某町で飯櫃を持ち野菜を持って歩く夫婦者を憲兵が怪いと見て捕へると 社會主義の夫婦者で飯櫃には爆彈を入れ 野菜の中にはピストルがあったという浮説 又本所で妊娠中らしい朝鮮女を捕へて見ると 腹部に爆彈を隠していたという流言も行はれた



(ちくま学芸文庫 p.41)

●はきよせ(抄)

■ 焼け残った東京の新聞社

報知新聞・東京日日新聞・都新聞の三社が焼け残ったのみで東京朝日新聞・国民新聞・讀賣新聞・時事新報・万朝報・中央新聞・東京毎夕新聞・やまと新聞・中外商業新報等は烏有に帰したのであるが 焼け残った社であつても活字のケースが悉く転覆したので 植字も出来ずまた職工連・記者連は自宅へ駆け付けたまま出社しないから発行難で 東日が当日平板の小號外を出したのみ 5日から報知と東日が2頁物を出し 都が4頁物を出し 10日後にやや復旧に近い物が出来るに至った この間焼失新聞社は罹災外の活版所を買収して号外式の物を出し時事新報などは旧活字ルビなしの四頁物であたかも明治7,8年頃の新聞らしいものを発行している


かくて東日・報知・都の三新聞はこの際たりとばかりに焼失新聞の読者を取込まんと焦りその争奪戦もまた尋常ではなく至る所で衝突の修羅場を演出している また一方焼失新聞社は読者を奪われまいと焦っているが何といっても焼け残りには敵はない 形ばかりの物を日々発行していても焼け残り新聞社に買収された前取次店が配達せずにわか出来の新聞売子も三新聞の他は扱わないので何れも歯ぎしりでやきもきしている まず当分は三新聞の天下であろう

■ 珍妙の馬車

…略…

■ 発売頒布を禁止された新聞

去る4日以来 治安妨害または風俗壊乱として頒布を禁止された新聞は4日のいばらき新聞と北陸タイムスをはじめとして 5日の濃尾日報,都新聞,報知新聞,岐阜日日新聞 6日の東京朝日新聞,新愛知 7日後には東京日日新聞,やまと新聞,神戸又新日報,鷺城新聞,大阪毎日新聞ほか十数の禁止があった そしてその忌諱に触れた点は「」とか「」などいう浮説を記した類も少なくないが多くは本所被服廠跡の焼屍体を写真版にして出したがためであつた

■ 吉原遊郭

日本橋の宜(ねぎ)町にあった吉原遊郭は明暦2年江戸大火の後 浅草田■に移転したのであるが 近年市区の発展で吉原附近が■■の町屋となつたので今回の全焼を機として早くも風紀上の転地説が行われている されど罹災の楼主連はそれに頓着せず 復活の応急策として合資会社を組織し全廓内に仮屋を建てて営業を開始せんとしている ちなみにいう 罹災前吉原全体の娼妓は26百名弱であつたがうち千名以上は焼死し 4,5百名は逃走および抱主の一家全滅で自然解放もあり かたがた現存は千名内外に過ぎないという

■ 著者外骨の一身

大震当日の午前 編輯部の楼上へ印刷所の主人を呼寄せて 中田博士の著書『文学と私法』の挿画の印刷が悪いにつき改刷せよと厳談中 ミリミリと来て 隣の間にあった6尺の洋装本棚が襖2枚とともに倒れたのにびっくりして屋外へ逃出し その後余震が頻来するので近傍の人々とともに谷中墓地の一隅で野宿し 明2日は前日来るはずの米屋が全焼で米を持って来ず 近所で奪合うようにして買入れた玄米を梅干壺に入れ摺木で半白にする事を担任し 夕刻からは桜木町会の招集に応じて夜警隊の配置監督役になり 不眠不休で5日間続け7日8日はくたびれで安眠 9日から本書の発行準備に着手し 12日から挿画 16日から編輯 この間毎日数回の余震 戦々兢々と強迫観念に追われつつ 原稿締切となつたのが 18日の午後3時であつた


次回からはもう少しよいものを作り上げたいと思うている 思うばかりかもしれない



⇒ 震災畫報 第二冊 id:dempax:20170829



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17/08/29 (Tue) 宮武外骨 軽信誤認録/流言浮説集【2】

震災畫報【第二冊】

大正12年(1923年)10月10日発行


14頁(ちくま学芸文庫 p.65)

●軽信誤認録(乙)

■ 夜間通行の絶対禁止

大震後 九月七日発行の東京日々新聞に「夜間通行を禁止 午後9時より絶対に」と題して


福田関東戒厳令司令官は警備遂行のため5日午後9時より一般の通行を絶対に禁止する旨命令した


とあつたが事実には其様なことは無かった 然しこれは東日子の流言浮説ではなく軍隊の歩哨兵に対して 警戒上必要と認めた際には一時一部の通行を禁止してもよいと命令した事を誤認したのであらう 一時的の通行禁止は日暮里・巣鴨・大塚等で行はれたといふ

■ 良家處女の賣淫

立派な家の娘が家は焼け親兄弟には死なれ頼る所もなく其日の生活に窮して辻淫賣に出て居るのが少なくない 浅草寺内や澁谷邊にはそれが最も多く出没して服装や容姿も見にくからず中には袴を着けて居るのもあると其噂が一時宣傳されたがこれは事実では無かった 然しこの風説の起りは全くの虚構でなく外見上チョットそんなに見えた事があつたのだと云ふ それは浅草の名物であつた銘酒屋といふ魔窟が悉く焼失したのでそこに稼いで居た私娼が四散した先々で良家の處女らしく装って客を引いたのであると云ふ そしてそんな辻引は2,3日間のことで後には警察の取締で止んで了まつた

■ 朝鮮人は悉く暴徒

朝鮮人が500名東京へ入り込んで来て焼残りの町家を悉く焼払うと云ふから 朝鮮人と見れば片端から殺してよいなど云ふ不穏な説が弘く行はれたが これは他の地方で遂はれた鮮人が逃げて来た迄の事で鮮人の中には悪い事をしたのもあつたが鮮人悉くが暴徒ではないのである 然るに何等の罪なくして民衆に殺された者も少くないと聞く 暴徒は鮮人でなく日人 實にき氣の毒至極な事で軽信誤認の大罪悪であつた

■ 吉原で娼妓が千人死んだ

吉原遊郭が全焼で廓内の公園に避難した娼妓が千人以上焼け死んだ 池へ飛び込んで死んだ者も多いなど傳へられたのと 又實地を見て来た者の報告によるなどで 本書の著者もそれを軽信して前回の誌上に「罹災前吉原全体の娼妓は名弱 内千名以上は焼死し」と記したが 事實は88名の死亡であると云ふ 此誤傳の起りは廓内の老若男女や廓外から避難した者等合せて千名以上が焼死溺死したと云つた事実を吉原で千名以上といふのならば娼妓が千名であらうと思ってそれからそれへと語り傳へたのであつたらしい



(ちくま学芸文庫 p.71)

● 流言浮説集【2】

■ 山本首相は暗殺された 何者が作った事か新内閣組織の親任式があつた當日 山本首相は暗殺された 兇漢は憲政會の壮士らしい と 眞實らしく吹聴した者があつた 通信途絶の際とて問合せをする便りもなく茨城県水戸の新聞などは大活字使用の號外を發行し翌日の紙上にも亦其虚傳を仰々しく掲出したと云ふ

■ 大本教信者の爆彈襲来

九月五日の午後七時頃栃木縣生れの人見信一といふ者が青山通りで「只今牛込神楽坂方面で大本教信者数十名が各々爆彈を携へ數臺の自動車に分乗して襲撃に出かけた 各自嚴重に警戒せられよ」と叫び廻ったので警官に捕へられたと東日紙にあつた

■ 手を斬落された自動車運轉手

赤坂見附を自動車で通る者を青年團員が捕へて調べると朝鮮人であつたので直ぐに斬り殺し 一方運轉手に何故鮮人を乗せたかと糾問すると 麻布から新宿まで百圓の賃料を拂ふといふから鮮人と知りながら乗せたとの答へ それぢや今後運轉手に成れない様にしてやるとて 両腕を斬落して追放したといふ馬鹿氣た嘘も傳へられた

■ 動物園の猛獣 射殺

上野公園内の帝室博物館も帝國圖書館も皆焼けた 動物園の猛獸類は解放すると危険だから悉く射殺してしまつたといふ流言が山の手方面で行はれた 又日比谷公園内に居た鳥獸魚類は避難者が空腹のため悉く捕へて食つてしまつたと云ふ虚説も盛んに行はれた

■ 大道で賣る毒菓子

菓子類が一時払い底で俄出来の菓子賣が大道でボッタラ焼などを盛んに賣つて居た それを中傷する者もあつた[挿画…電信柱に貼られた警告「注意 大道で賣る菓子は毒入りですから買つてはいけません」]

■ 軍艦で60萬石の米

食糧問題で暴動が起りはすまひかと識者連が心配して居た9月2日 政府は関西の在米60萬石を軍艦に積んで昨日神戸から出發せしめた といふ事を傳へた者があり 四辻にその貼紙が出 新聞の號外などにも同じ報道が出た 然るにこれは全くの嘘であつたが今回の流言中でこれが最も有益の流言であつたと云ふ 其の嘘の元は政府筋から出たらしい[*1]


震災畫報【第三冊】

大正12年(1923年)■月■日発行


14頁(ちくま学芸文庫 p.■)

●日鮮不融和の結果

今度の震災當時 最も痛恨事とすべきは鮮人に對する虐遇行為であつた■ 其誤解の出所は不明としても不逞漢外の鮮人を殺傷したのは一般國民に種族根性の失せない人道上の大問題である 要は官僚が朝鮮統治政策を誤つて居る餘弊であるにしても 我國民にも少し落付いた人道思想かあつたならば其程までには到らなかつたであらう 根も葉もない鮮人襲来の脅しに愕いて自警團団が執りし對策は實に極端であつた 誰何して答へない者を鮮人と認め姓名は普通でも地方訛りがあると鮮人と認め訛りが無くても骨相が變つて居ると鮮人と認め骨相は普通でも髪が長いから鮮人だろうと責め 甚だしいのは手にビール瓶か箱を持つて居ると毒薬か爆彈を携帯する朝鮮人だらうとして糾問精査するなど一時は全く氣狂沙汰であつた 北海道から来た人の話によると東京から同地に逃げた避難者は警察署の證明を貰ひそれを背に張つて歩かねば危険であつたと云ふ[挿画…「これ日本人なり/函館警察署」の看板を背負う山高帽紳士の後姿]



●近くて遠い安否

9月2日頃相州の江ノ島が全部海中に陥没したとか 箱根7トンネルは悉く鮮人に爆発されたなどと云ふ流言が盛んに行はれた 其真偽が不明であつたのはまだしもである


青山は1丁目から7丁目まで全焼で 青山御所も全滅であるといふ風説が傳つたので 青山に親戚を有する者や事業に關係ある者が心配して櫻木町會本部へ眞偽の問合せに来た者が2,3名あつたが誰も其眞偽を知つて居る者が無いので谷中警察署へ行っておききなさいと答へた



震災畫報【第四冊】

大正12年(1923年)■月■日発行


14頁(ちくま学芸文庫 p.■)



●寄書集(二)



●はきよせ(抄)




*1:みすず『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』姜徳相解説 viii頁 id:dempax:20170909 に詳しい

新聞資料ライブラリー監修『シリーズその日の新聞 関東大震災(上)激震・関東大震災の日』大空社,1992/8/27 p.17 〜 p.64に「{公報}震災■報」NO.5(1923/9/4 23:00発行)〜NO.66(2013/10/23 17:00発行)収載

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17/08/28 (Mon) 忘るな・白色テロルの記念日・九月一日

出典…朴慶植編集・解説『朝鮮問題資料叢書 第15巻 日本共産党と朝鮮問題』あじあ問題研究所 発売 三一書房,1991/5/20 p.407

『アカハタ』1946/08/30


忘るな・白色テロルの記念日・九月一日


『アカハタ』1946/08/30


大震災の混乱に乗じて 進歩的労働者・社会主義者・中国人・朝鮮人に加へられた白色テロルは言語に絶し 川合義虎・平沢計七などの南葛労働組合の進歩的労働者をはじめ無政府主義者大杉栄その他朝鮮人6000名 中国人数百名が軍閥官僚およびそれらに使嗽された暴民のために惨殺されたのである これは1918年の米騒動以来労働者運動の発展を見てしばしば弾圧を試み成功しなかったので 震災のどさくさに乗じ でまを放って軍部・官僚・上層階級への憎しみを解放運動の闘士と異民族に転荷したもので軍部による独裁の確立を計画し史上まれに見る惨虐な事件となつたのである



9月2日加藤内閣のあとをうけて山本内閣成立(陸軍大臣田中義一)戒厳令を施行 軍部指導の下に大虐殺を敢行したが 17日に至り米国および世界の輿論が悪化し 外資および救援物資の来なくなるのをおそれ 政府は軍部に申入れを行つてテロルを中止させた しかしこの白色テロルはその後もなんらかの形でつづきそれが今次の太平洋戦争[*1]において皇軍によりおこなはれた南京事件・マニラ虐殺事件となつてあらはれて 世界の文明の名の下に 裁判をうける結果となつたのである 内においては共産主義運動・進歩的労働運動への弾圧 外は朝鮮・中国その他極東における異民族への抑圧迫害をつづけた 日本の天皇制軍閥官僚・資本家・地主階級こそ 徹底的にその罪悪を追及されねばならないものである



終戦[*2]第二回目の震災記念日を迎へるにあたり共産党・社會党・在日本朝鮮人聯盟・中国団体代表・文化団体・その他民主主義大衆団体など共同主催で 午前10時より 宮城楠公銅像前広場にて


大震災虐殺犠牲者追悼大會


がひらかれ 自由と人道の名において 犠牲者の追悼と これら白色テロの残党および反動警察政治に対する弾劾を行ふが 以下 震災テロを直接体験して闘つて来た人々からその真相を聴かう



(次の記事が続く)


■志賀義雄(1)「虐殺・暴行・目をおおふ惨劇 政府や金持への反感をそらす」


■「軍隊先頭に大虐殺陣を展開/九死一生の金天海[*3]氏」


■藤沼栄四郎氏の談「騎兵隊が一斉銃殺恨みのこる亀戸署演武場」


■林檎が爆弾 船底に二昼夜 姜氏の談




軍隊先頭に大虐殺陣を展開


九死一生の金天海氏談


私はその時 本郷のモトフジ[*4]警察管内にいて 九死に一生を得た一人であるが 負傷してひめいを上げる多数の同胞や虐殺されて道路に死骸を転がされている光景が今でも目に浮かぶ テロルは関東一帯にわたつておこなはれ鮮人6千数百名の虐殺 中国人 数百名 負傷者を入れると数万人にのぼる これは全く何らの根拠・理由もないのであり一例を挙げれば 井戸に毒を入れたといふ鮮人[*5]が捕まり針金でしばられ殴打暴行を受けていたが これは実はその人が震災のため水道が破裂して 水が飲めないので井戸水をさがしていて捕まりテロを受けたのである わたしは警察官と立会ひ その井戸水を飲まされたが何の毒もなかつたのである かやうにことごとく実のない事を云ひふらして鮮人を虐殺したが 憎むべきは警保局長が長崎県の知事に与へた指令の中に朝鮮人が来たら機宜の処置をどれといふ命令があり また内務省当局は 日本軍隊が9月3日の夜から各所で虐殺行為をおこし それが5日迄続いたのにかかはらず何らの処置もとらなかつた そしてやつと

朝鮮の人々や外国からの申入れによつて始めて形式的な虐殺禁止令が出たくらひである


それから戒厳令がしかれ鮮人同胞の罹災したもの・負傷者の救済事業も禁止されたのだ 今日内外に悪逆なるテロルをふるつた日本の軍閥・官僚・政府は一応形の上で崩壊したが しかし日本の人民勤労大衆は日本から完全に軍国主義・侵略主義を追ひはらひ 二度とかかることにしないと真に民主主義国家としてその名誉と信用を世界に回復することは出来ない そのために現在の反動政府を倒し人民自身の人民政府をつくることが第一の任務だ かうすることにより朝鮮人の日本に対する不信と憎悪は解消し 両国は手を握ることが出来る



騎兵隊が一斎銃殺
恨み残る亀戸署演武場


藤沼栄四郎氏の談


米騒動の時の山本懸藏[*6]の写真の下で亀戸事件当時南葛労働者協會の幹部だった藤沼栄四郎氏[*7]は語る

*1:今日の感覚では「太平洋戦争」は真珠湾攻撃以降ポツダム宣言受諾までを指す

*2:「アカハタ」ですら「敗戦」ではなく「終戦」を使っていたんですね 「敗戦」と呼ぶか「終戦」(内務省官僚がポツダム宣言受諾決定と同時に発見/発明した言葉)と呼ぶかの間には歴史認識のきわめて深い亀裂があるのだが

*3:金天海…キムチョンヘ 1899/5/10-? 農業及び海産物商を営む家庭に生まれ書堂に学び仏門に入りのちソウルの中央学林に入学したが中退し郷里で海産物商を営みながら夜学を開き農民教育を行う その間同胞のおかれている現状を観察し民族意識を強める 年渡日 日大専門部社会科に入学し社会問題の研究を志したが在日朝鮮人の窮状とくに関東大震災時の同胞虐殺の惨状を実見し 学業を中退し労働運動に入る その間マルクス主義を学び社会主義者との交際があつた……

*4:当時の『アカハタ』は人名・地名等の固有名詞をカタカナで標記している…読みにくいので漢字に戻した

*5:『アカハタ』1956/9/5に「鮮人」→「朝鮮人」の訂正記事

*6:ちゅう

*7:栃木県生れ 1881/8/21 - 1952/1/26 小学校卒業後農業手伝いや米穀商迄経験した後 北海道へ渡る 日鋼室蘭製鉄所で鋳造工として働き労働運動に加わり友愛會に加盟 1915(大正年)ストライキで活躍 年 茨城県日立鉱山本山製作所で友愛會支部結成 後に検挙・投獄される

21年に東京へ出て渡辺政之輔らと南葛時報社を設立し 南葛労働會(後に東京合同労組)結成の発起人となり理事長の任につく 関東大震災のさい 川合義虎 加藤高寿ら9人が亀戸署で虐殺される事件が発生 藤沼らは犠牲者の肉親らと亀戸署へ押しかけて追及 調査にのり出した布施辰治や山崎今朝弥らの自由法曹団と連携しながら 事件の調査・糾弾運動の中心的役割を果す 藤沼は組合本部に「働きたい人は毎朝6時半までに友愛會本部に来れ 藤沼」と掲示したため「美名に隠れ陰謀をたくらむ」と検挙され手酷い暴行を受けたという 1924年2月亀戸事件犠牲者労組合同葬で司会を務める 25年関東地方評議会の常任委員 27年6月に共産党に入党『無産者新聞』発行に関わる

藤沼の活動歴は前半の労働運動と後半の社会運動犠牲者救援運動に大別出来るが救援運動に本格的に関わるのは28年からである 徳田球一野坂参三らのモップル委員会から依頼された太田慶太郎 操は解放運動犠牲者救援會結成に向け動き出し 29年3月準備組織としての発起人会が出来るが 藤沼は 太田慶太郎・馬場■・阿部磯雄・大山郁夫・市川房枝ら超党派人中に名を連ねる しかしそれから僅か10日後の3月10日 治安維持法による共産党大弾圧3・15事件に連座 救援する側から一転 救援される側に追いやられる 30年に保釈となるや厳しい監視下におかれながらも救援運動に復帰する 藤沼は3・15,4・16事件中央統一公判を前に重要課題と取組む その一つは解放運動犠牲者救援弁護士団を結成することであつた 獄外被告 藤沼・関根悦郎・湊七良らは救援会の太田操・弁護士の角田守平らと弁護士団結成に向け動いている もう一つは モ・ベ・ヒ(モ=救援会・ベ=弁護士・ヒ=被告)会議への参加であり藤沼は関根・湊らと獄外被告代表として同会議に出席する 解放運動犠牲者救援会は30年8月の第2回大会で国際赤色救援会(略称 モップル)に加盟決議し日本赤色救援会と改称 32年4月の第3回大会は救援運動への貢献者人を名誉中央委員に推すが佐野學・徳田球一野坂参三・太田慶太郎

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17/08/27 (Sun) 『関東大震災』関連図書【MEMO】

千葉大学附属図書館NDL-OPAC所蔵図書検索結果 及び「コンテクスト本」「小池文庫本」等貴重図書資料の利用可能性と手続きについて

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17/08/26 (Sat) 山辺健太郎「震災と日本の労働運動」現代史資料月報 第五回配本「関

みすず書房『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』1966/10/25附録月報より抜粋


震災と日本の労働運動 朝鮮人問題と関連して

    山辺健太郎



今年は関東大震災からちょうど40年目にあたるわけだが 今ではこの震災のことを知らない人も随分いると思う ましてやこの震災の時に何千という朝鮮人が日本の民衆や警察・軍隊の手にかかって殺されたことを知っている人はもっと少ないのではなかろうか


芦ノ湖で白鳥が殺された時には各新聞ともこれを紙面で大きくとりあげたが 関東大震災の時も新聞は朝鮮人虐殺のことを大きくとりあげた ただしその取り上げ方はまったく正反対である 関東大震災で朝鮮人が殺されたのは新聞が朝鮮人暴動に関する事実無根のデマ記事を大々的に紙面で報道したこともその一因である


ただしこのデマの製造元は日本の政府・特に当時の内務大臣であった これらの証拠は本巻に出ているから私はもっと違う点からこのことを論じたい


震災当時の内務大臣は二人いたがこの二人ともなかなかの曲者である 一人は九月二日まで内務大臣をやっていた水野錬太郎で 水野は米騒動の頃は内務大臣で食糧難からくる暴動のおそろしさを十分に知っていた それだけでなく 植民地統治者として朝鮮の有名な・暴動のあとに政務総監になつた男だが彼が斎藤総督と一緒に京城につくと早速朝鮮人から爆弾を投げられた話も有名である


水野が京城に来てから後 朝鮮の統治状態は悪化するばかりであつた そして関東大震災の頃は いわゆる朝鮮通として有名だつた細井肇というようなジャーナリストは 朝鮮が革命前夜にあるかのように描いている


九月二日に内閣が代わり 水野の次に後藤新平が内務大臣になつた この後藤は開明的政治家として有名であるが 後藤も台湾の民政長官をやつていた時は台湾の人々を何千人も殺している その殺し方は関東大震災の時の朝鮮人虐殺よりも酷い 彼自身の言う所によると土匪帰順法というのをつくり帰順した土匪(台湾の日本領有に反抗した人たちを当時こういつた)に仮帰順証を与え「其後本帰順証交付の為警察署弁務署へ呼び出し訓令を加へ之に抵抗したるものは之を殺戮することに予定し同日同刻に呼んで一斉射撃で殺したのであります」という その殺戮数も判決によるのが537名 討伐隊の手によるのが106名 であるのに 後藤のやつたのが「捕縛若くは護送の際抵抗せしため」という統計数字上の名目で これが驚くなかれ 4033人である


おかしなことにこの後藤新平も米騒動当時の内務大臣で 騒動の少し前に水野と代わって外務大臣になつた 民衆暴動のおそろしさを知っている点と植民地統治をやつた経験も両者共通であつた こんな恐ろしい連中が震災当時の内務大臣であったから朝鮮人もたまったものではない



朝鮮人虐殺をけしかけたのは食糧暴動の起るのを防ぐ為 民族憎悪の感情をかきたてて政府に向かう民衆の反抗を朝鮮人に向けたものであろう これが計画的なものであつた証拠は本巻の資料によつて自から明かであるが 今度の敗戦に至る少し前の空襲の混乱状態のもとでも朝鮮人に対するデマがなかつたわけではないが 震災のような混乱と朝鮮人虐殺の起ってないことも考えてみる必要がある


さて ふたたび関東大震災当時のことに戻ると あの朝鮮人虐殺には 朝鮮内の民族運動の革命化が 日本の支配者に与えた恐怖心もその背景にあつたと思うが 日本にいた朝鮮人の民族運動にもその頃大きな変化が起っていたことを忘れてはならない


この変化というのは単なる朝鮮独立ではなく この独立が朝鮮の無産階級解放運動と結び付いたこととそのため日本人労働者と朝鮮人労働者の統一と団結ということが大正11年頃から両国の解放運動に携っていた人々の意識の中に芽生えはじめそれが大正12年における朝鮮人の学生団同友会のメーデー参加・朝鮮人労働組合の結成となつてあらわれたことである


大正年から年の関東大震災までは日本労働総同盟も進歩的・革命的であつた時代で日朝労働者の提携にも熱心であつた 例えば総同盟は大正11年4,5月頃から対露非干渉運動を始めているし7月には争議中の朝鮮平壌におけるゴム女工の餓死同盟に同情の激励電報を関東労働同盟会から送っている


それが大正12年になるとさらに進んで4月17日の総同盟中央委員会では「朝鮮人労働運動の調査及提携」に関する要点は次のような決議となつてあらわれた






……


ところがこんな意見をもっていた人たちの大分が大正12年6月の共産党員検挙でやられたり川合義虎のように震災で殺されたりした.それと本巻にでている朝鮮人に対するデマと大量虐殺とが日朝労働者のあいだの提携気運[*1]をすっかり崩してしまったといっていい


震災で実際に朝鮮人を殺したのは警察以外はその大部分が『自警団』をつくっていた一般民衆であった. この連中の頭を支配していた民族憎悪の感情をときほぐす啓蒙活動は震災後もすぐにはやっていない


震災のとき亀戸で川合義虎たちが殺された事件については つぎのような決議をしているがこの中で朝鮮人虐殺のことを一言もいっていないことが今では奇異にさえ感じられるだろう


亀戸事件労働者大会宣言

我等は同志川合義虎 山岸寛司[*2] 平沢計七 北島吉蔵 近藤元蔵[*3] 鈴木直一 加藤高枝[*4] 吉村光治 佐藤欣治の9名は震災後の混乱に乗じ 警察と軍隊との協力によつて九月三日殺戮せられた


九名は何れも人類解放の勇敢なる闘士であると共に勤勉なる労働者であつて共の多くは現に従業して居つた 震災に遭ふや 或者は誠実に自警の役割に服し或者は老母や弟妹の保護に尽くして居つた それを突如検束し拘禁する事すら既に許すべからざる不法である


況んや一回の取調べをも行はず犬の如く刺殺したに至つては恐らくは人間の為し得る残忍狂暴の限りを尽くしたものである


我等は先ず当局に対し此の最悪なる犯罪行為に向むて瞹然敏速なる司法権の発動を求め一般世人に対して許すべからざる人道の蹂躙が日本の官僚に依つて行はれたる事を警告する 而して我等労働階級の大衆に向つて此事件を正当に解決すべき必要なる努力を促すと共に 我等の敵の残忍にして強大なるに対して今更の如き決意を要求せねばならぬ


【決議】


■吾人は官憲当局の発表は己の非を蔽わんが為の卑劣なる遁辞にして人道上断じて許すべからざる行為なる事を認む


■吾人は速やかに司法当局が司法権を発動して責任者を厳罰に処せん事を要求す


右決議す


日本労働総同盟が公式に朝鮮虐殺事件の抗議をしたのはやっと大正13年になってからであった このように関東大震災のときの朝鮮人虐殺はせっかくおこりかけた日朝労働者の提携をおしつぶしてしまったのである…

参考図書

加藤文三『亀戸事件 隠された権力犯罪』大月書店,1991/01/18

ISBN:4272520202

*1:例えば渡辺政之輔「無産階級から見た朝鮮解放問題」『赤旗(せっき)』創刊号 1923/4/1 http://d.hatena.ne.jp/dempax/19230401

*2:同書xxxi(冒頭解説=姜徳相=31頁)では実司

*3:弘三

*4:高寿

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17/08/24 (Thu) 復讐の歌(亀戸事件犠牲者追悼の歌)

出典…西尾治郎平・矢沢保 編 『日本の革命歌』一声社,1974/6/10 追悼歌 p.114

亀戸事件関連資料


姜徳相「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」解説xxxi〜xxxiii [*1] 以下の官憲史料を紹介している


□亀戸署内の惨劇と当局の談


□不穏の流言と騒■


□惨劇を前に見た検束者の談


□第一連隊長林桂談 他


■山辺健太郎「震災と日本の労働運動 朝鮮人問題と関連して」『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』附録月報


■二村一夫「亀戸事件小論」歴史科学協議会『歴史評論』No.281(1973/10)特集・関東大震災50周年


■加藤文三『亀戸事件 隠された権力犯罪』大月書店,1991/1/18 ISBN4-2725-2020-2


■南巌[*2]「亀戸事件の体験」関東大震災70周年記念行事実行委員会『この歴史 永遠に忘れず』日本経済評論社 第1分科会「犠牲者追悼・体験・証言」 座長…大竹米子 p.72

復讐の歌

(曲「赤旗」=「O Tannenbaum」)


♪(1)亀戸の森夜は更けて 悲鳴は地上に充ちぬ


血潮に飢えし銃剣は可燐の闇に刺しぬ


(繰返し)銘記せよ此の秋を

殺されし吾が友よ


恨みは深し復讐を 吾等はかばねに誓う


♪(2)民衆の幸民衆の 光に生きし友よ


富者を憎みて権勢に 反抗したる友よ


(繰返し)銘記せよ此の秋を

殺されし吾が友よ


恨みは深し復讐を 吾等はかばねに誓う


♪(3)嗚呼(ああ)呪わしや軍国の 魔の手に友は逝きぬ


紅(あけ)に染めたる魂の 恨みは世々につきじ


(繰返し)銘記せよ此の秋を

殺されし吾が友よ


恨みは深し復讐を 吾等はかばねに誓う

*1:解説に収められた理由は亀戸・大杉事件は日本国内の階級戦の中での権力犯罪であり これに対して日本の官民一体となっての民族差別としての朝鮮人虐殺の性格を区別・強調するためだろう 権力犯罪と民族差別犯罪の性格付けについては姜徳相「三大テロ史観について」関東大震災70周年記念行事実行委員会『この歴史 永遠に忘れず』日本経済評論社,1994/1/25 p.138 第3分科会「大震災と歴史研究」 座長…山田昭次

*2:日刊アソシエーツ『近代日本社会運動史人物大事典』→南巌 石川県出身 南喜一・吉村光治の弟 1920年(大正9年)上京し旋盤工になる 川合義虎らと共に暁民会に加盟 22年渡辺政之輔らと一緒に南葛労働会=後に東京合同労組=の発起人の一人となる 年同会の吾■支部を作り野田醤油争議の支援で活躍した 9月関東大震災で亀戸警察署に拘引され暴行を受けた この時兄の吉村が虐殺されたので権力糾弾の運動を続けた 渡政,兄喜一,相馬一郎,黒田寿男らと24年2月27日青山斎場で川合,平沢計七,北島吉蔵,中条宇八,近藤広造,加藤高寿,山岸実司,佐藤欣治,鈴木直一らの弔いを労働組合葬として行った

25年10月クートベに留学 日本人第2期生で風間丈吉,袴田里見,中川誠三,中川為助,酒井定吉,…らと共に学んだ 28年3・15後帰国 日本共産党に入党 人夫をしながら京浜地区のオルグ活動 同年10月検挙され拷問で危篤状態となり起訴留保保釈 関東金属労組に加盟,30年6月全協の武装デモなど極左的方針と全国的単一産業別組織方針を批判し是正を求めて 佐藤秀一,内野壮児らと刷新同盟結成【人物大事典からの転載 残り半分】

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17/08/23 (Wed) 水間政憲氏の関東大震災を読む

書誌情報


水間政憲『ひと目でわかる「大正・昭和初期」の真実 1923-1935』



PHP研究所,2014/7/8 ISBN9784-5698-1945-7

4頁 関東大震災の報道写真 午前11時58分


【1. 須田町の街路時計『大震災写真画報』大阪朝日新聞社,1923/9/15】


【2. 11時58分 『大震災写真画報』上記】


【3. 大阪測候所 『大震災写真画報』上記】

5頁 関東大震災の■災地を見舞われる皇后陛下



【4. 皇后陛下 親しく赤十字社に■災の病児をご慰問あらせらる(9月30日)『大震災写真画報』大阪朝日新聞社,1923(大正12)/10/7】


【5. 猛火中の閣議『大震災写真画報』大阪朝日新聞社,1923(大正12)/9/15】

6頁(以下 15頁まで 頁毎の見出しはない)


【6. 飛行機上より見た隅田河口の猛火『関東大震画報』6頁 東京日日新聞社,1923(大正12)/10/10】


【7. 歩哨に守られる大蔵省焼け跡の金庫】


【8. 】

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