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2007-03-20

[][]奴隷動物解放大英帝国 奴隷と動物の解放@大英帝国を含むブックマーク 奴隷と動物の解放@大英帝国のブックマークコメント

17・18日はこんなところに行きました。

最近ペットについて色々と調べてるので、なんか参考にならんかなと思って行ったのですが、参加費のおかげで今月は金が…('A`)

内容のほうは、生物学的見地から云々の話はよくわからんので「そんなもんか」という感じで、アンケートを用いた研究とかは色々と微妙な内容でしたが、全体的に結構面白い学会でしたよ。特に、英字新聞から日本動物愛護団体の設立にあった外圧を読み取る、という研究は面白かったです。

こういう比較的新しめで、しかも色々な学問領域の人が参加している学会は、実力のピンキリとかはあっても、学会全体に元気と真剣さがあって良いですね。

かたや爺さんばっかりの伝統と威厳ある学会とか…しかも文系だとね…ウウッ

それはさておき、一般口演の後のシンポジウムで、井野瀬久美恵さんという甲南大学教授が「なぜ『動物』だったのか――イギリス人の愛護意識再考」という題目で口演されました。それがまた抜群に面白かったので、どんな内容だったのかをご紹介したいと思います。

イギリス人といえば紅茶か犬かというイメージがあります。特に犬を飼っている人にとっては。

はてなで良く目に付くコーギーなんかは英国産です。他にもソースで有名なブルドッグとか、「名犬ラッシー」で有名なコリーとかの良く知られた犬たちは、大概イギリスアイルランド含む)原産だったりします。そうした多様な犬種を保つために血統書というものがありますが、それを発行するケネルクラブという機関もイギリス発祥です。

これらの事実イギリス人と犬の親密さを感じさせますが、時には親密さが行き過ぎて「犬を太らせたから有罪」みたいなニュース*1まで流れたりします。

恋愛よりお金より犬が大事なイギリス人

恋愛よりお金より犬が大事なイギリス人

そんなことから、イギリス動物愛護先進国と言われ、それがイギリス人たちのアイデンティティにもなっているとも言います。

しかしこれは歴史的に見て最近の出来事。

大昔のイギリスというと、貴族も庶民もドッグレースとか闘犬とか、鎖につながれた熊に犬をけしかける「熊いじめ」などで動物虐待しまくっていました。

といってもイギリスだけでなく当時のヨーロッパ世界はどこもそんな感じだったのです。デカルトは「人間様と違って動物は魂なき機械なんじゃー」と言ってましたし、キリスト教的にも「動物神様が与えた人間の下僕やん?」的な考え方をしました。

個々人で「犬がすき」「ぬこかわいいよぬこ」というのは勿論あったのですが、社会全体としては「でも所詮畜生だよねー」という考え方が、少し前の常識だったのです。


しかしイギリスは、近代に入る中で動物愛護精神が導入され、現在のような動物大好きっ子の国になります。なんででしょうか。

その理由の説明では、「人権思想が発達して、ヒューマニズム的に動物いじめたらアカンとなったから」と、単純に「人々の考え方の変化」で語られることもしばしばですが、そうではありません。

実際には、歴史社会的な文脈が複雑に関わって、動物に対する眼差しが変化したのです。では、その歴史社会的な文脈とはどんなものだったのでしょうか?

…というのが今回の井野先生のお話です。


政治改革道徳改善社会改良・都市化」

大英帝国において、1824年に動物虐待防止協会というものが世界に先駆けて発足しました。1840年にはヴィクトリア女王よりロイヤルの称号を下賜され、王立動物虐待防止協会となり、現在でもさかんに活動しています。上に挙げた「犬を太らせたから有罪」という事件を調査・告発したのもこの協会です。

英国領の植民地カナダオーストラリア南アフリカなどでもこの協会は活躍しました。特に南アフリカでは、アパルトヘイトが廃止されるずっと以前から、動物愛護虐待防止が強く叫ばれていました。

またこの動物虐待防止協会が出来てから40年後の1864年、子ども虐待防止協会設立されますが、モデルになったのは動物虐待防止協会です。

どちらも今の感覚からすると、順序が逆のような気もします。

人に対する差別よりもまず、動物への差別が問題とされる。こうした奇妙な状況は、どのようにして生まれたのでしょうか。


動物に対する眼差しの変化する理由としてまず挙げられるのが「都市化」という要因。

産業革命の影響により農村部の人間の出稼ぎが増え、19世紀中ごろの人口調査では都市部住民の数が農村部住民の数を超えていました。こうして大多数の人民都市部でのそこそこ豊かな生活を行う中で、動物人間関係が変化していき、虐待防止の運動が「都市化」によって起こった…。という考え方です。

しかしもっと重要な要素は、1776年の「アメリカの独立」ということにあるのです。


アメリカという植民地の独立により、大英帝国政治改革道徳改善社会改良の時代へと入っていきます。

アメリカの独立は、イギリスにとってはアメリカ喪失でした。

好き勝手やってる癖に「自分は皆から好かれてる」と思ってる勘違いさんなイギリス戦争するほど植民地の連中が自分のことを嫌っていたなど、考えたこともありません。

アメリカに住んでいたイギリス人は、元々島流しにあった罪人たちだったり食い詰めた貧乏人だったり、イギリス本国暮らしてる貴族とかにとっては見下す対象でした。が、それでも同じプロテスタント同士、同じ国出身の自分の息子みたいなものですから、アメリカ人と戦うことは、カトリックとかの異教徒と戦うよりショックが大きかったわけです。

そこで戦争が終わった後、イギリス本国の人たちは「自分はこんな嫌われる奴だったのか」と珍しく反省しました。

一方イギリス側についたアメリカ人たちは、戦争に負けた後、北へ北へと逃げました。こうして、英領だけどフランス人だらけのカナダに王党派のイギリス人が流れ込み、イギリスによるカナダの直接支配へと繋がります。またイギリスアメリカの代わりの流刑地を探す中でオーストラリア発見し、帝国の版図を広げます。

さらに1801年にはアイルランドが併合され、イギリスは「グレートブリデンおよびアイルランド連合王国」となります。

このように動物に対する視線が変化していく時代には、広大な植民地を有する大英帝国の再編と、島国としての連合国再編、それらに伴う国家規模の意識の変革が、同時に起こっていたのです。


このイギリスという国の再編期には、どのような改革がなされたのでしょうか。

一つには奴隷貿易の廃止です。1807年に奴隷貿易が廃止され、1833年には奴隷制度が廃止されます。

次に監獄と精神病院の改革。それまでイギリスでは精神病院が誰でも見学できるようになっており、精神病院に出かけてキチガイを眺めて楽しむのが一つの娯楽でした。また処刑も同じで、広場で首チョンパされる罪人をみんなで観覧して楽しむものでした。それを段々と規制して、最終的に廃止するようにしていきます。さらにイギリスは「工場法で児童労働改善」「救貧法の改正で貧者の救済」「カトリック法案で規制緩和」「東インド会社の独占禁止で自由貿易化」などを行っていきました。

このように18世紀末から19世紀のイギリスは、二つの新しい概念を自分たちのアイデンティティとしました。

一つは、封建的・閉鎖的な旧体制から色々なものを解放していく自由主義」な体制

もう一つ重要なのは、「慈悲深き博愛主義の帝国」というイメージ

どちらも変化は漸次的なものでしたが、それぞれのメルクマールとして重要だった出来事が、「奴隷解放」と「動物愛護」だったのです。


動物奴隷の法、動物と人の境

今年はイギリス奴隷貿易廃止200周年記念で色々式典とかキャンペーンがあるそうですが、この「奴隷解放」が、イギリス人動物への見方に大きく影響を与えたと井野先生は言います。


1772年、裁判官マンスフィールド奴隷制は非合法であるとし、「誰でもイングランドの土を踏んだ瞬間から自由である」と宣言。これがイギリス国内における奴隷の扱いの一つの指標になり、ここから奴隷解放が進んでいきます。

1781年、「ゾング号事件」という事件がありました。

洋上で迷子になって食料が底をついた奴隷交易船が奴隷を海中投棄したという事件で、船主側が「やむをえない損失だったから保険が適応されるべきだ」としてロイズ保険組合を相手に訴訟を起こしたという事件です。判決としては「奴隷を捨てたんは死に掛けた馬を捨てたみたいなもんだから、保障してあげなさい」という結果になりました。つまり当時の考え方としては、奴隷と馬は同じ扱いで、どっちもただの積荷程度の価値しかなかったわけです。

このゾング号事件を例にして、ケンブリッジ大学学生トーマスクラークソンが懸賞論文を書きました。基本的にジャマイカとかの西インド諸島にいた黒人奴隷たちの存在は、多くのイギリス人にとって不可視存在で、情報がさっぱりありませんでした。知りもしないことなので、奴隷についてどうこう思うことも出来無かったのです。論文を書く中で、奴隷の現状と奴隷に対するイギリス人の意識に気付いたクラークソンは、奴隷解放運動を展開し、やがて奴隷貿易廃止協会を立ち上げます。

そこで使われた広告の一つは、黒人が膝をついて奴隷人間ではないのか?」と嘆いているもの。

次に1810年には「ホッテントット・ヴィーナスに関する訴訟事件」というのが起きます。

これは南アフリカ先住民であるホッテントット族の女性(尻が大きい独特な体形をしている)が、イギリス国内で見世物小屋に出されたことに対する訴訟事件のこと。見世物小屋では、アフリカアジアアメリカ産の珍しい動物と、黒人などの先住民とが、一緒くたにされていました。奴隷動物扱いで、動物奴隷扱いだったのです。

こうして、段々と動物扱いしていた奴隷も、人間として扱われるべきだ」という考えが広まっていきました。


奴隷制廃止運動とほぼ同時に、動物虐待防止についての法律も整備されていきます。

1800年に「牛いじめ違法の法案」が提出(通過せず)され、1809年には「動物に対するいわれなき虐待抑圧・防止協会」ができ、1821年には「残酷で不当な家畜使用を禁止する法案」が提出され、翌年に議会を通過します。1824年には上述の通り動物虐待防止協会ができ、人々の共感を得、動物虐待への人々の関心が向上しました。

1826年に動物学会設立、1831年には「動物に対する合理的慈悲促進協会」が発足、1835年にはヴィクトリア女王動物虐待防止協会に入り、「熊いじめ禁止法」なんてのも出来ます。

この「熊いじめ禁止法」は別にクマさんを助ける法律ではありません。1822年の「残酷で不当な家畜使用を禁止する法」(マーティン法)を改正したものなのですが、馬や牛・羊だけだった保護対象に「熊いじめ」という娯楽で使われていた犬も加わり、冒頭に話した「熊いじめ」を禁止させたのです。

以降マーティン法は動物福祉法の基盤となり、「物言わぬ動物たちのマグナカルタ」と言われるようになります。

そして1840年アヘン戦争真っ只中、イギリスは「黄色人種を支配して搾取するかんね」と企み、中国ではラリパッパがどんどん増えていた頃。

動物虐待防止協会に「王立」の名を冠するすることが許され、イギリス国内で動物に対する愛護の感情はますます高まり、「犬や馬とかの動物も、我々人間と同じように苦しむのだから助けなくてはいけない!」という考え方が女王公認で広まります。


奴隷解放動物愛護の人的なつなぎ目として、ウィリアム・ウィルバーフォースという人物がいます。

リンク先のウィキペディアを見てもらうとわかるのですが、彼は国会議員として奴隷廃止運動の立役者として活躍した人物です。彼の背後には国教会福音派(クラッパム派)というのがついており、ウィルバーフォースとクラッパム派は、動物虐待防止協会設立の際、会員として名を連ねていました。つまり、動物奴隷の話には、人的な面でも重複が見られるのです。


こうしたことから、井野先生はこう考えます。

動物愛護奴隷廃止は実際は重なった運動で、そこでは『人間(白人)は動物奴隷)とは違う』という考え方と、『動物奴隷)も人間(白人)と同じように苦しむ』という考え方がぶつかりながら変化していった」と。


解放と救済のモデル

しかしどうして奴隷動物だったのでしょうか。

最近では、奴隷解放黒人自身の抵抗運動が大きかったとする説が有力になってきています。奴隷が廃止されるまでには、奴隷たち自身が解放を求める主体性と、英国自由主義への変化がかみ合っていったのかもしれません。

一方動物はワンとかニャーとしか言いませんから主体性は無いわけですが、これが逆に、「奴隷と違い、何も言わないで虐待される動物たちを、自分たちが救わねばならない」という博愛精神につながっていったのかも知れない、ということです。


奴隷動物解放プロセスとして共通しているのは、どちらも「漸次的な解放ということです。

最初に奴隷貿易が議会で廃止されてから、奴隷制自体の廃止が議決されるまで、結局30年近く掛かっています。

動物虐待防止協会も、最初期の活動の中心は、動物保護をすることでなく、虐待をしている人間を監視し告発することでした。協会としても、「俺たち告発するだけでいいのかな」という悩みを抱えていたことが、議事録などから伺えます。対象となる動物も犬から猫、鳥、魚の順番で広がり、監視告発だけでなく「保護」が徐々に活動に含まれていきます。

イギリスの救済は、まずそのための法案を議会で通過させることで、救済を行っていきます。

そして法を成立させる際に重要になる民間の団体も、段々と救済の対象を広げ、より深い救済へと目標も変化していきます。

つまり、イギリスにおける救済や解放とは、あくまで漸次的なのです。


この「漸次的」な性格こそ、貧者や子供女性解放動物よりも遅い理由となりえます。

労働者貧乏人や女子供も、皆どうにかしなきゃいけないけれども、一片に片付けることは出来ない。

下手に労働者や貧者を取り上げて革命とか起こされたら嫌だし、当時は「移民すれば金持ちになれる」みたいな幻想があって、捌け口には困らない。女子供は家父長制のなかで、中々政治問題化しにくい。

法改正の優先順位を考えると、奴隷動物のほうが政治の俎上にのせやすかった。…ということだったかも知れません。


このように、イギリス動物愛護精神というのは、単なる人道主義というだけでなく、奴隷解放アメリカ独立などとも関わった、深く歴史的・社会的な文脈の中で培われたものなのです。


というのが井野先生のお話でした。なんだか色々と想像するヒントが詰まった内容だったので実に面白かったです。

ということで今日はこれから国井さんのライブに行ってきます。

*1エキサイトニュースが消えちゃったんで見れません('A`) インターネットアーカイブにも無い…というか見つからないです。

(ひ)aka(く)(ひ)aka(く) 2007/05/15 17:04 こんにちは。
TBさせていただいた(ひ)aka(く)です。

面白い考察を紹介いただきありがとうございました!
「イギリス」「奴隷解放」「犬」と
私にとってタイムリーなトピックがつまった内容で。
イギリス人の友達にも話してみようと思います。

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