2007-12-03 「「姥捨て」って言うな」と言うためには――穂積陳重を讃えてもなお
穂積陳重『隠居論』(第二版、大正四年/1915年)の復刻版(日本経済評論社、1978年)の紹介をかねて。以下、目次を記した後、二・三の要点をあげる。なお、用字は私に変更する。
【目次
第一編 隠居の起源
第一章 食老俗
第二章 殺老俗
第三章 棄老俗
第四章 退老俗
第二編 隠居の種類
第一章 宗教的隠居
第二章 政治的隠居
第三章 法律的隠居
第四章 生理的隠居
第三編 隠居の名称
第一章 隠居の事実
第二章 隠居の名称
第四編 隠居の年齢
第一章 第一期の隠居年齢
第二章 第二期の隠居年齢
第三章 第三期の隠居年齢
第五編 隠居の性質及び要件
第一章 隠居の性質
第二章 隠居の要件
第六編 隠居の無効及び取消
第一章 隠居の無効
第二章 隠居の取消
第七編 隠居の効果
第一章 一般の効果
第二章 身分上の効果
第三章 財産上の効果
第四章 訴訟上の効果
第八編 隠居の将来
第一章 優老の習俗
第二章 優老の徳教
第三章 優老の体制
第四章 優老の法制
第五章 隠居の存続
附録
甲 隠居に関する重要法令
乙 隠居に関する重要判例
索引】
○「姥捨て山伝説」について。これは第一編・第三章「棄老俗」で取り上げられている。先ず、棄老俗の原因が、英人類学者の所説を参照しながら論じられる。次に「古代老人を山野に棄てたる伝説」が多少の考証を加えつつ引かれていく。『雑宝蔵経』の「棄老国」伝説から始め、それを伝える『枕草子』『今昔物語』が引かれる。これと別系統として、「楚の原穀の故事」から始め、それを伝える『令義解』『沙石集』などが引かれ、「本邦に於ける棄老の伝説は「をば捨山」の故事を以て著名なりとす、此話は最も古くは「大和物語」に見えたり」として、『大和物語』、及びそれを伝える諸本が引かれる。以上を受けて、「をばすて」の地名は「棄母の事実」に依るものか否かが問題になるとして、様々な見解が検討される。穂積陳重自身は、「悉く信ずべき事実なりと断ずること能はざるは言を俟たず」との立場から、特に賀茂真淵『古今和歌集打聴』の所説を評価する。すなわち、「棄老の伝説の既に当時に存在せしによりて、之を思ひて「我心慰めかねつ」と、山月の凄涼たるを詠ぜしものなりと解せむは、寧ろ事実の真相に近きものと謂ふべきなり。」と。
〈姥捨て〉は伝説であって事実ではない。事実の真相は、〈姥捨て〉は常に既に伝説であることとして伝承されてきたということである。では、何故、そのように伝承されるという事実が成立してきたのかと問うことができる。他方、周知のように、別の系統においては、〈姥捨て〉を行なうも「凄涼たる」の故にとでも言うべきか引き返して連れ戻ったとの話型で伝承されてきたという事実がある。では、何故、そのように伝承されるという事実が成立してきたのかと問うことができる。「姥捨て山伝説」が意図的にジェンダー化されていることを含め(ただしこの場合の「姥」は〈家長でない者〉ということであるから、家長のいない現在にあっては、「嫁」の位置付けを除けば、ジェンダーフリーに読んでも構わない)、穂積陳重を出発点として再考しなければならない。
○「社会政策」としての「優老の法制」について。本書の眼目の一つは、第八編・第四章にある。穂積陳重は、当時のヨーロッパの動向の観察から始める。
「秦西諸国に於ける個人制社会に於ては、労働者其他自己の勤労に依りて日々の生活の資料を得る者は、老衰勤労に耐へざるに至るときは忽ち生活の途を失ひ、飢餓に迫るに至るべきは必然の結果なり。殊に近年に於ける工業の進歩は著しく老貧者の数を増すに至りたるを以て、社会国家は是等自活力を失ひたる同胞を如何にすべきかの問題を生じ、竟に養老期金法、老齢保険法の如き社会政策的立法を観るに至り、或は社会は其成員の老人にして自活の能力を失ひたる者を扶養する義務あり、老人は社会より扶養を受くる権利ありとする者あるに至れり。/故に老人優遇に関する法制に二種あり、其一は貴老尚歯の礼教に基づきたるものにして、其二は社会政策に基づきたるものなり。」
先ず、「尚歯の礼教に基づける法制」の歴史と現在が詳細に検討される。細部は別として注目しておきたいのは、「本邦中古の制」のうち、「侍を給ふの制」(老人に「侍る」一定数の人間を公費で宛う制度)、「賦役免除の法」、「刑の猶予、減軽、免除」である。最後の制度は、明治期には責任無能力論を論拠として一時期「近代化」されて継承されたが、それ以前は、「優老」の「礼儀」を根拠としていたことを穂積陳重は強調している。
次に、「社会政策に基づける法制」が詳細に検討される。ここで穂積陳重は、「社会政策」の先駆けとなる制度を「国史」に求めて各種の文書を引証した上で、ヨーロッパの動向の詳細な検討に入っていく。
「第二十世紀の新現象と称すべきもの頗る多し。空に飛行機あり、地に自動車あり、学界に「ラヂウム」の発見あり、而して法律界に於ては、人生の両極端に関して古来未曾有の新制度の設定せらるるを観るに至れり。未曾有の新制度とは何ぞ、少年裁判制度及び養老期金制度即ち是れなり。」
別けても穂積陳重が強調するのは「権利の観念」の「大変動」である。すなわち、「新世紀に及んで優老思想は殆んど其頂点に達し、法律上に於ける老人の位置は頓に上進し、老人は老人なるが為めに権利を取得するものなりとするに至りたる」ということである。そこで、穂積陳重は、その「所以」を解明していく。その所論から、二箇所だけ引く。
「養老期金制度の基礎は社会の方面及び個人の方面より之を観察することを得べし。之を社会の方面より観れば、吾人は人類とし、はた社会員として、同人類、同社会員にして頽齢なるが為めに不幸にも自活力に乏しき者に対しては、共同して其生活を完うせしむる義務を負ふものなり。而して此人道の要求を完全公平に行ふには、国家なる公機関に依るを以て最も適当なりとす。更に之を個人の方面より観れば、苟も個人にして其体力、智力及び機会に相当なる業務に従事して、直接間接に其社会の進歩に貢献したる者が、其社会の状態の為めに、老年に及んで自活する能はざるに至りたるときは、社会の一員として、其社会に対して生活資料を要求する権利を有するものなり。」
「前に養老期金法の基礎を説くに当りて述べたる如く、「ニュージーランド」の法律の如きは報酬主義に依り、老人は其強壮なるに当り、労働、納税、執役其他の方法に依り社会の目的に対して貢献したる者にして謂はば株金の払込を為したる社員の如きものなるを以て、其利益の分配を受くるは当然の権利なりとせり。然れども、此報酬主義に依る理論は老人の権利の基礎の説明として正鵠を得たるものに非ず。若し野蛮人をして文明国に於ては、社会に貢献したるが為めに養老金を受くる権利あることを聞かしめば、彼等は必ず其殺老、棄老の習俗を弁明して、老人は食料の消費者、戦闘の障害者として社会に損害を与ふるが為めに之を排除するものなりと云はん。老人は壮時社会に利益を与へたるが為めに其報酬として権利を取得するものに非ずして、単に社会の一員たるが為めに其社会に向つて「我に「パン」を与へよ」と叫ぶ権利を有するものなり。只社会政策上、怠惰者、犯罪者等には此社会的権利を認めず、人道の要求として、慈恵的に之に生活資料を給与するものなるを以て、彼等は人類の一員としては同人類に対し「我に「パン」を与へよ」と叫ぶことを得べきも、社会の一員としては、之を権利として其社会より要求することを許さざるなり。/老の至るは其者の罪に非ざるなり。社会の一員が自然の経過に因る生理上の衰弱の為めに自活力を失ふに至りたるとき、其社会に向つて生活資料の給付を要求することを得るは社会の性質より来る権利なり。社会は無組織なる人類の群集に非ず、組織あり、目的ある一体なるを以て、其全体は其一部を支へ、其一部は其全体を支へて以て始めて其存在を完うすべきものたり。社会の目的は共同生活に依りて共通の幸福を得、其種族の維持発展を為すにあるを以て、其構成分子たる各員の存在を完からしむるは、即ち社会の目的の一部なり。故に老人の権利は報酬として之を取得するものに非ずして、社会組織の必要上より生じたるものと云はざる可らず。」
なお、穂積陳重は、「養老期金制度」をめぐる英国の論争を紹介するなかで、「普及主義(The Universal Scheme)」、すなわち無条件・一律支給方式を支持している。ただし、「普及主義」の諸案では「尚ほ巨額の費用を要する」ために、「普及主義の最も人望あるに係らず、未だ之を採用したる国なく、英国に於ても、先づ試験的に制限主義を行ふことと為りたり」と総括している。
●コメント:考えてみたいことは多いが一つに絞る。「姥捨て山」伝説・伝承のポイントの一つは、〈家〉(〈在宅〉)にあっては棄老の欲望が〈不可避的〉に湧き上がることを率直に認めているところにある。〈本当〉は、家人は棄老したい。棄老したいのだが棄老できない。様々な理由や事情があって棄老できない。そうして、可能ならば、取り返しのつく形で棄老できればと願望することになる。棄てても取り返せるなら、そんなことが可能ならば、一度でいいから行動化したいと願望することになる。〈不可避的〉に欲望は湧き上がるのだから、これを鎮めるためには一回限りで片を付けられる行動に打って出るしかない。ところが、一回限りの行動に打って出る〈意志〉が弱いために、反復可能な行動を願望せざるをえない。こうして、伝説が伝承されて反復され、その伝承の反復をもって願望は幻想的に満たされるかのように再び伝承される。あるいは逆に、家人の内面にそんな欲望と願望のロジックを作り出すのが、伝説の伝承の反復である。ともかく、「姥捨て山」伝説・伝承という制度は、たしかに「優老の制度」に繋がるものであるのだが、そのロジックは複雑であることを銘記しておきたい。
問題の一面は、穂積陳重が信を置く「公機関」「国家」「社会」「同人類」が棄老の欲望をたとえ秘かにでも抱いたときに、われわれは、その欲望を鎮静するなり解消するなりするための「姥捨て山」伝説を未だ形成していないということである(あるいはむしろ、問題の他の一面は、ここは軽く書いておくが、「社会政策」的「姥捨て」制度に代わる「優老の制度」を形成していないということである)。これは穂積陳重も同意したであろうが、依然として「社会政策に基づける法制」は「尚歯の礼教に基づける法制」に劣っているのである。