阪和貨物線廃止

JR西日本2月2日付プレスリリースによると、関西線八尾・杉本町間(通称阪和貨物線)は前倒しで3月31日限りで廃止される。
区間には1965年3月1日から1967年9月30日まで、定期旅客列車が運行され、短絡線経由の営業キロで乗車券が発売された。貨物線・短絡線の旅客営業で、運賃が営業キロどおりに計算されたのは、阪和貨物線のみである。
運転されていたのは、名古屋・東和歌山(現・和歌山)間のキハ82系特急「あすか」である。途中停車駅は、四日市、亀山、伊賀上野、奈良、堺市(65年3月1日、金岡から改称)であった。天王寺を経由しなかったのは、当時1階ホームの関西本線大阪環状線と2階ホームの阪和線の間に渡り線がなく、列車の直通ができなかったためである。堺市駅停車は、天王寺方面の乗客の便宜を図ったものだろう。名古屋・和歌山間の旅客需要は少なかったと見え、わずか2年半で廃止となった。伊賀上野、奈良、堺市に停車した特急は「あすか」だけである。
その後、城東貨物線と併せて旅客化の計画があったようだが、城東貨物線がおおさか東線に生まれ変わる一方、立ち消えになった。1989年7月20日天王寺駅に渡り線が設置され、大阪環状線阪和線の直通運転を開始した*1ことも、阪和貨物線の関西・阪和短絡線としての価値を低下させたのだろう。
貨物輸送では、東急車輛横浜製作所の南海電鉄向甲種回送が同線を経由していたが、輸送ルートの変更*2により、2003年4月1日、竜華(信)・杉本町間10.5キロのJR貨物第2種事業は、奈良線、関西線木津・平野間、阪和線杉本町・和歌山間とともに廃止された。

*1:京都・新大阪発着の特急「くろしお」が梅田貨物線経由で運転

*2:従来逗子・和歌山市間(横須賀・東海道・奈良・関西・阪和貨物・阪和・紀勢経由)が、百済貨物駅から南海千代田工場へのトレーラー輸送に変更されたとのこと

阪和貨物線旅客営業開始の国鉄公示

阪和貨物線の旅客営業開始は、44年前の今日、昭和40(1965)年2月6日に公示された。関連の国鉄公示を紹介する。

日本国有鉄道公示第63号
 日本国有鉄道線路名称(昭和24年6月日本国有鉄道公示第17号)の一部を次のように改正し、昭和40年3月1日から施行する。
 昭和40年2月6日
  日本国有鉄道総裁 石田 禮助
 関西線の部関西本線の項を次のように改める。
  関西本線(名古屋木津奈良湊町間、八尾杉本町間及び貨物支線)

日本国有鉄道公示第64号
 昭和40年3月1日から関西本線八尾・杉本間において、旅客運輸営業を開始する。
 昭和40年2月6日
  日本国有鉄道総裁 石田 禮助

営業規則の改定は第66号で公示された。「あすか」運転に関連して、第86条の大阪市内地図が変更され、別表第1号の3イ・ロ・ハの特急料金三角表に、「関西・紀伊関係」が追加された。当時は、まだ旅客及び荷物営業規則の時代で、荷物営業編の第370条が次のとおり改定された。

第370条第2項第1号ホをヘとし、以下順次繰り下げ、ニの次に次のように加える。
ホ 関西本線八尾・杉本町間を経由し、同区間通過(八尾及び杉本町両駅発又は着を含む。)となる経路が最短経路となるときは、同区間を経由しない他の最短経路による。

荷物運賃の計算においては、短絡線経由の営業キロが適用されなかったようだ。逆にこの規定は、旅客運賃は短絡ルートの営業キロで計算されたことの証左になる*1
また、当時旅規の規定外の特定の特急料金制度があったようで、第71号として次のように公示された。

 特定の特別急行料金を適用する列車、区間及び期間(昭和35年6月日本国有鉄道告示第296号)の一部を次のように改正し、昭和40年3月1日始発駅発となるものから適用する。
 つばめの項中「岡山」を「倉敷」に改め、まつかぜの項の次に次のように加える。
  あすか 名古屋・東和歌山 東和歌山・名古屋 同 

当時「つばめ」は名古屋・熊本間の電車特急、「まつかぜ」は福知山線・山陰線経由京都・博多間の気動車特急であった。

*1:なお、現在も旅客営業取扱基準規程第186条第1項第6号に、阪和貨物線経由の乗車券を発売する場合は「関西、(短絡)、阪和」の例により経路表示する」との規定が残っている