対キロ区間制への移行(2)

間隔があいてしまったが、第2回は、区間制から対キロ区間制への移行について。区間制は、路線をほぼ等距離の区間に区分し、通過する区間の数に応じて運賃を定める。多くの鉄軌道事業者が対キロ区間制に移行した結果、現在一般路線で現在区間制を採用しているのは、叡山電鉄阪堺電気軌道土佐電鉄(中心部の均一運賃と併用)、筑豊電鉄の四社だけになった。
6月5日の記事に書いたように、日本の鉄道運賃制度は、区間制から始まった。京浜間鉄道開業時に採用した区間制は、1区1駅間であった(品川・川崎間は2区。4年後中間に大森駅が開業し各駅間1区に)。1区の運賃に通過する区数をかけて運賃を計算するから、運賃は通過する駅数に比例した。

ところが、その後開業時に区間制を採用した私鉄は、駅の間隔が短かく、同一区内に複数の駅が存在した。そのため、区をまたがる短距離の運賃が同一区内の長距離の運賃よりも高くなる逆転現象が生じることとなった。

阪神電鉄は、1905年4月12日の開業時に区間制運賃を採用し、三宮・出入橋間を4区に分割し、1区の運賃を5銭、阪神間の運賃は4区、20銭とした。運賃逆転現象を緩和するために、新在家・住吉間などの駅が2区にまたがる区間や両ターミナルから短距離の区間に3銭の特定運賃を設定した。それでも、特定区間で運賃が3銭の新在家・住吉間に対し、その一駅外方の大石・住吉間は2区の10銭になり、一挙3倍以上になるという不公平感が避けられなかった。特定運賃は、その他の私鉄も多かれ少なかれ採用し、計算の簡便さから採用された区間制は、かなり複雑なものになっていた。
区間制は、京浜間や阪神電鉄の例にみたように、当初は通過区数に運賃が比例していたが、その後1区の運賃をかさ上げし、区が増すごとに上昇の幅を低くする、遠距離逓減制に変わっていった。阪急が京都線を含む全線の運賃を統一した1944年4月1日以降の区間制時代の運賃推移を表に示す(単位:円)。

区数1234567891011121314151617181920212223
1944/04/010.10.20.30.40.50.60.70.850.951.11.21.31.41.51.61.71.81.9
1945/04/010.10.20.30.40.50.60.70.80.91.11.21.41.51.61.71.82.02.12.22.32.42.5
1946/03/010.30.50.81.01.31.51.82.02.32.52.83.03.33.53.84.04.34.54.85.05.35.5
1947/03/010.50.71.01.31.62.02.32.62.93.23.63.94.24.54.85.55.56.06.56.57.07.5
1947/07/07234567891011121314151617181920212223
1948/05/183.55.579111214161819212325262830323335373940
1948/07/186111519222426283032343638404244464850525456
1949/05/016111620242832364043464952555861646770737679
1950/05/1561116212631364146505458626670747882869094
1951/11/01102030405060708090100110120130
1953/01/15102030405060708090100110120130140150
1959/01/29152030405060708090100110120130140150160170180
1962/11/011530405060708090100110120130140150160170180190
1966/01/2020355060708090100110120130140150160170180190200210220230
1970/10/0530405060708090100110120130140150160170180190200210220230240250
区界の駅が不明で、区数が変化しているが、このように初期は区数に対し比例的であった。なお、1区の増加額が10銭に対し、1944年は7-9区と9-10区で15銭、1945年には9-10区と11-12区で20銭上昇し、むしろ遠距離逓増になっている。これは、戦中・戦後の一定期間、21キロ以上の乗車に通行税が課されたためだろう。対キロ制の東武や東急は、21キロ以上の賃率に、1944年4月1日以降2厘5毛(0.0025円)、1945年4月1日以降5厘(0.005円)の通行税を加算していた。
1946年3月改定で、30銭、20銭を交互に加算するときまでは、区数比例的だったが、1947年から1区を2円として、以降1円ずつ加算する方式に変更になり、以降この初乗り運賃かさ上げ方式が継続している。
対キロ制が、初乗り運賃+キロ地帯制の過渡期を経て対キロ区間制に移行したように、区間制も区数比例運賃から初乗り運賃のかさ上げによる遠距離逓減制を経て、対キロ区間制に移行した。
1974年7月の運賃改定時に、関西大手5社が一斉に対キロ区間制に移行し、中途半端な特定運賃によらずに区間制の運賃逆転現象を解消したのである。