* トライアウト
お金を払って、WordPressと格闘中です。近日中にアレすることになる見込みです。まあ、勉強ついでにやってみようかな、と。深い意味はないです。
* おらこんなクラムチャウダー
新しい革靴を買ったら、足の甲にペンか何かを押し付けて先に皺をつけてしまって、履いているウチにねじくれた皺がつかないようにするといい、という話を、いつも新しい革靴にねじくれた皺がついたころに思い出します。
高見順の小説をいくつか読んでみて、とくに『いやな感じ』を大変気に入ったのですが、小説を読んだ限りでは、ドナルド・キーンにどの辺がウケたのかは皆目検討もつきませんでした。日記と小説とでは人格が違うタイプの人なのかもしれないですね。今年読んだ小説の中では一番ひどかったし面白かった『いやな感じ』は、中古で探すか図書館で全集を借りてくるのが入手しやすいと思います。オススメです。自称テロリストのお兄さんが淋病にかかったり人を殺したりする話です。
私も日記をやってみたいと思ってはいるのですが、まともに続いた試しがありません。
本当に、続いていることといったら、このような、分類不能のWebサイトを運営したり放置したり抹消したり復活させたりすることくらいで、まったくどうしようもない人間だと思います。何者が何の目的で運営しているサイトなのか常にわからない状態にあるというのが、私のWeb上のプレゼンスが一貫して低位安定している一つの要因なのではないかと……五年くらい前から……。
サブの時計が壊れてしまったので、やっすい時計を買ったのですが、ボタンを押し上げるとアラームがONになって、ボタンを押し下げるとアラームが止まると同時にOFFになるという仕組みで、ふーん、と思いました。常用するには不便だけど、サブに使うには好都合な仕様なので、ラッキーでした。しかし、昔にそんな時計を使っていたような気がしないでもなくて、なんだか記憶の混濁というか夢うつつの境界の融解というか、脳みそのはたらきがひどくなってきたのではないかと不安に襲われました。
もうじきクラムチャウダーの季節です。
* 今週のお題は「サンタクロース」です
この間、エアコンのフィルターを掃除したんですよ。フィルターを取り外して、シャワーの水をジャージャーとかけてやったんですけども、そういうときって、つい手元のことを忘れて、余計なことを考えちゃいますよね。フィルターの掃除→フィルターの王子→フィルダーの王子→プリンス・フィルダー、みたいな。
それで、フィルターを元通り取り付けてやってから、プリンス・フィルダーのWikipediaのページを読んでいて、三分の二くらいいったところで気付いたんです。俺これ読んだことあるよ! ってね。
で、まあ、何が言いたいかというと、僕もWikipediaみたいに堂々と寄付を要求できる立派な人間になりたい、ということです。誰か助けてください。
* 登り坂
粗く編まれた緑のうさぎが、どちらを向いているのか判然としない豆粒ほどの目で、それでもわたしに助けを求めているように見えたのは、ひとつには風邪をひいて頭がぼうっとしていたせいで、もうひとつ挙げるなら、わたしが緑色のフレームのメガネを買ったばかりだったからだ。
「なんていうか、サイケ? だっけ? そんな感じ」
とは友人Nの証言だ。緑のメガネに花柄のマスクでは、自然と心も広くなろうというものだ。あいにく、哲学とか文化人類学とかの授業は入っていない日だったけれど。
両耳の付け根、脳天のあたりからチェーンが生えていて、キーホルダーなのかな、と思ったが、キーがついていない物体をキーホルダーと称してよいものか、わたしにはわからなかった。
キーどころか、何もついていなかった。
キミは一体何者なのか……と掌の上で転がしてやったが、ちりちりと金属のこすれる感覚と小さくもふもふとした感覚がない交ぜになって、あまり心地のよいものではなかった。それで捨てられてしまったのかもしれない。
大教室の窓際の席で、そんな風にわたしはうさぎを拾った。夏休み気分がようやく抜け始めた、十月の初めころのことだった。
うさぎを拾ったら、まずは名前をつけないといけない。
緑のドリーはどうだろう、と考えていたら、ドリーは羊だと各方面(友人Nとバイト先の同僚S)からツッコミが入ったので、なんのこっちゃと思ったが、調べてみると、ドリーはWikipediaにページがあるほどの有名羊だったので、そこはわたしが譲ることにして、グリーンのグリーをカレーにスルーして、うさぎと呼ぶことにした。
申し遅れたが、うさぎの緑は鮮やかな緑ではなくて、がっつり茹で上がった感じの緑だった。この色の小型の物体を持ち歩いているとどういったイメージがわたしに添えられることになるのか、なんともよくわからなかったが、カバンからうさぎを吊るすほど若くはないのではないかという判断により、一端ケータイにぶら下げられた後に、やっぱり色合いがちょっと、ということになり、硬派なポジションならやれるのではないかという話になって、電子辞書のポーチのファスナーにとりつけてみたが、どうにも無理やりに居場所を与えた感じを拭い去ることはできなかったし、その時点でわたしも投げやりになっていたことは否定しない。
投げやりになっていたといえばフランス語の授業がまさにそれであり、フランス人は逆にバカなんじゃないかというような悪態をつくときに、うさぎが喋っている体をとることがよくあった。特に反応はなかった。
お前は紅葉か、と罵られながらもしばらく赤いメガネをかけていたわたしだったが、クリスマスが近付くと緑のメガネにも再登板の機会を与えないわけにはいかなかった。もっとも、一人時間差3Dか、と言われてしまう危険性もあったので、十二月の間中ずっと、肌の青い人が周りにいないか常に警戒して過ごす覚悟が必要であったことは言うまでもない。
そうして久々に緑のメガネをかけて、いよいよ切羽詰まってきたフランス語の勉強を図書館でやっていたら、あなたが声をかけてきたというわけで、そしてこちらが友人のNです。