第3の師

 本務校所属学科の学会の開催日ということで、朝から大学へ出勤する。今年の内容は、春に卒業した学生2人の卒論をもとにした発表と、3番目の師である出雲路修先生のご講演の、2本立て。
 この10年ほどは賀状での交流しかなかったのだが、久しぶりに師のお話しを直接にお聞きして、知的興奮をかきたてられる。
 「仏教説話」における「笑い」とは、われわれが単純に思い浮かべるような譬喩・揶揄で表現される類のものでなく、作者が「ドヤ顔」で仕込んだ一見してそれとは感じないような部分に「笑い」の要素がある。それは音や連想によるダジャレ的技法がもちいられ、おそらく説話の第1の読者たちが、ニヤリとさせられ、作者に対して「1本とられた」と思えるような「笑い」。
 話しをうかがいながらニヤニヤのおさまらないこの感じを、かつて説話を受容した読者たちも感じていたはず。それをきちんと説明できずにいる国文学の研究者は、名作を多数に生みだした萩尾望都(師は作品集全巻を揃えるほどのファン)を超えることはできない、という楽屋話もふくめ、やはり師はスゴイと再認した、土曜日の午後。