ストレス・マスター

ストレス耐性度チェックテストによると、私は「ストレスにやや弱い」そうな。「ストレスに弱い」と思っていたので、限りなく平均に近い「やや弱い」という結果がむしろ嬉しかった。

最近、うちの部長とかMさんみたいにストレスに強くなりたいなと思い、ストレス耐性をあげる方法を模索している。いろいろ調べたり読んだり、そうやって得た知識をレジュメにしてまとめて読み直したり、心に響いた一節をとりあえず書き溜めてみたり。これはもしや「努力している」という状況なのかしら? 自分としては「夢中」って感じだが。

しかし、それにしても目指す頂は高い。ストレス・マスターたちはどうやって耐性を身に付けたのかと、しみじみ嘆息してしまう。温室育ちだからなのか、経験が足りないからなのか…。そんなこんなの日々を送っていたところ、Mさんに「私はストレスに弱い。だから常にストレスを感じない行動を自分がとっているかどうか点検している」と言われた。「!!!」。そうか。そうなのか。

考えてみれば、部長といいMさんといい、私の気持ちが分かるということは、本人たちもストレスを感じているということだよね。そういえば、部長は「いいね、●●さんはストレスなくってさ」とか言われるタイプなくせに、今、ストレスが原因の突発性難聴を患っている。それでも彼が日々を確かに過ごすことができているのは、なぜなのか? 彼方此方を分けているのは、これまで生きてきた過程のどこかでストレスの散らし方をマスターしなければ乗り越えられない局面にぶち当たったことがあるか否か、ということだけかもしれない。ということは、私も将来的にそのようになれるということじゃないか? 私はああいうふうになれるんじゃないか?

思い出した。1社目のとき、隣の編集部の女性編集長が「diamondwaterちゃんが今こうやって色々悩んでいるということは、将来、あなたの後輩たちの悩みを分かり助けてあげられるということよ」と言われたことがあったっけ。あのときは「ふーん?」程度でピンとこなかったけど、つまり彼女は「私もいろいろ乗り越えてきたから、あなたの気持ちが分かる。あなたもそうなれる」と言いたかったのではないか?

なんだか。これまで集めてきたなんでもない小さなカケラが、ジグソーパズルみたいに何か大きなビジョンのピースのひとつひとつを構成していることに気付いた、みたいな気分。そろそろ生まれて30年ですが、ピースが揃ってきたのかもしれない。