『ボルベール<帰郷>』

ずっと観たかった映画。せっかくレンタルしたのに忙しさにかまけて気付いたら延滞。ぉーっと!!? 慌てて観る。

まずはペネロペ・クルスの綺麗さと可愛さにびっくりしました。瞳が綺麗な女優はいっぱいいるが、顔の輪郭、鼻から口へのライン、口元まで整った人ってそうそう居ないんじゃないでしょうか。ニコール・キッドマンぐらい? あ、トム・クルーズの趣味が分かった気が…。まあそれは置いといて、こーんな綺麗な顔で、身体のラインも魅力的ってそうないんじゃないかと思う。役づくりのために数キロ太って、そのうえ付け尻までしてるらしいんですが、ぜーんぜん。むしろ魅力倍増。見た目も良し、演技も良しなんだから、そりゃカンヌ受賞も納得。『オール・アバウト・マイ・マザー』のときの若いペネロペ・クルスも文句なく綺麗だけど、皺とか隈ができた現在のほうが迫力があっていい感じです。

そして内容。よく男性のみで構成される集団や社会、精神的な繋がりをホモソーシャルっていったりしますが、その裏には確実に女性のみで構成される集団や社会、精神的な繋がりが存在していて、『ボルベール』はそれをよく描いているなと感じました。これで監督が男性ってのが驚き。だって、この映画に出てくる男性はあくまで記号でしかない。存在が、どうだっていいんです。『オール・アバウト・マイ・マザー』のときはオカマちゃんとして辛うじて男性が存在していたけど、『ボルベール』に至っては「は? オトコ居た??」ってぐらい男性の存在が希薄。

象徴的なのが、主人公の伯母が亡くなったときの葬式シーン。参列者たちが、男性グループと女性グループにくっきり別れて死を悼んでいるのだが、男性グループを映す場面は完全に敵対的な雰囲気に描かれているのだ。これ、意識的だよなあ。それにしても、葬式では男女で別々の部屋に分かれて集まる現象に凄い身に覚えがあって驚く。父方の祖父が亡くなったときの四十五日がこの状態だった。誰かが言い出したわけでもなく、別に台所仕事をするからとかそういうわけでもなく、何となく、式が終わったら男性と女性で別々の部屋に集まり故人を悼んでいたのだ。そうです、父の実家は九州です。古いというか、男尊女卑といわれる土地柄で、やっぱりそのときも「おーい、お茶!」と女性を呼びつける男性が少数居ました。でも、これがむかつくかっつーと、むかつかないのが不思議なとこでして。呼びつけが頻繁なら腹も立ちますが、実際のところはそう頻繁でもないので女性部屋は「オトコいないほうが楽だしスムーズ」と言わんばかりの雰囲気だったんだよね〜。古くて男尊女卑っぽいところがスペインと九州は似ているのか? 父が言っていた「九州ラテン説」もあながち外れていないのか…。

話が逸れましたが、『ボルベール』の男性不在を象徴するエピソードは他にもいっぱいあって、例えば主人公の姉の職業が美容師であり、客が全員女性というところとか。主人公のご近所さんで色々と協力してくれるのも全員女性なところとか。エトセトラ、です。まあとにかく、お互いが母であり娘であり姉妹であり…が入り乱れて、オンナ・オンナ・オンナばかりの映画であった。

結論としては、「私は、この女性のみで構成されて繋がりあっている社会にこれまで生きてきて、これからもそのなかで生きていくんだろうな」としみじみ感じさせられました。私にとって男性はスパイス程度なんだろうな、きっと。ないと寂しいし味が引き立たないしスパイスは重要よ、シルクロードに乗って大量の金と交換された存在よ、絶対欠かせないわよ、すっごい大切よ。………でも、なくても死なないよね…、と。別々の部屋に集まってお互いそれぞれの居場所を確保し合いながら交流しましょ、と。ぅゎぁ、微妙な結論!