社内報


むかし勤めていた会社の社内報が何年分かでてきた。
勤めいたいた当時は「けっ」ってな感じ受け取っていた(けども何となく気になって割にちゃんと読んでいた)のだが、今になって第三者的な目からみると、何かこれはおもしろい「メディア」だなあと。
社内報のメディア史的な研究とか、組織社会学的な研究とか、ないんだろうか。
ざっとデータベースで論文と文献の検索をかけてみたところでは、それらしきものはひっかかってこなかったのだが。
問題軸の設定さえしっかりできれば、かなりおもしろそうな研究ができそうな気がする。
だいたい、社内報ってのは、いつごろどういうかたちで「メディアの生成」をはたしたのだ?
だれか研究してないかなあ。
卒論でこの手の地味かつ着実なテーマがでてきたら、それだけで「良」にするのだが。

万引き


安全神話」の崩壊、犯罪検挙率の低下をめぐって、警察の政策転換が認知件数を底上げして(これまでは受理されなかったものが受理=認知されるようになった)、それが認知件数の増加→検挙率の相対的低下を招いているのではないか、「治安悪化」はもっぱら数字のうえのものではないか、という議論がでてきている。*1
「痛快!書店裏話」サイトの「恐るべき万引きの実態」case.5などを読むと、確かにそうなのかもなと思えてくる。
「万引きなんざ、たいしたこっちゃない、見つけたら叱っときゃいいじゃん、めんどくせー」てな、こういう「ダメ警官」が政策転換で減ったのかもなあと。
『少年の「罪と罰」論』(春秋社)で、宮崎哲弥氏も次のような推測(あくまで仮説的な推測)をだしていた。

長期不況に喘ぐスーパーマーケットのような小売店が、バブル期は内部処理をしていた軽微な窃盗、例えば万引の被害について厳正に被害届を出すようになった。もしこうしたことが大規模に行われたとすれば犯罪認知件数は伸びます。一方で、警察側は従来ならば届出のなかったはずの軽微な万引に対し捜査人員を割く余裕はありませんから検挙率は低下します。

(p.16)


統計のウソ(を見抜くリサーチ・リテラシー)ってところだけにとどまって踊ってしまうことなく、落ち着いた議論が積み重ねられていけば、と思う。
「ウソをあばく」のは、ある意味、簡単なことで、なおかつ、ある種の快感をともなうだけにたちが悪いところがある。
そこから先に行くことこそが難しい。
自分でもそのことは改めて肝に強く銘じるべきだなと思う今日この頃。