大学院進学はまちがいなく自殺行為である


「研究者になるつもりの」大学院進学は、という限定付きであるが。
修士課程を出て他の職に就くつもりなら、かまいません、止めはしません)
id:shinichiroinaba:20041129 さん経由。

「東大で大学院に入るのは自殺行為、それ以外の大学で大学院に入れるのは殺人。」
(c)飯田泰之


激しく熱烈に同意する。
なぜか。
路頭に迷う(迷わせる)ことになるからだ。


団塊ジュニア世代をピークに、若年人口の減少、いわゆる少子化が進んでいることは周知のとおりだ。
一方で、団塊ジュニア世代が大学生年齢だった90年あたりに比べ、大学数は激増している。
90年の私立大学設置数は372→04年には542、国立大(独立法人)は100前後であまり変わらないが、公立大も40程度から80程度に倍増している。
500程度だった大学数が、この14年で700程度と、1.5倍近くまで増えているのだ。


大学入学者数もまた、この間に54万人くらいだったのが60万人超になっている。
20歳前後の人口が減った分を、大学進学率のアップがカバーしているわけだ。
お役所なぞは、この大学進学率のアップをもとに、今後もう10年くらいは58万人前後の大学入学者で横ばい推移するだろうという見通しを立てたりしている。
しかし、だ。


現在は、団塊ジュニア世代が出産年齢層の位置にある。
それゆえ、出生率が低下しているとはいえ、出産人口のボリュームが少子化に歯止めをかけている面がある。
だが今後は、出産年齢人口自体が減っていくため、出生率が多少上向こうとも、順調に(?)少子化が進んでいくことが予想される。
2010年代に生まれてくる人口が、90年代の15〜24歳人口の半分だったとしよう。
2030年代には彼ら彼女らは大学に進む年齢に達する。
90年と同じくらいの大学入学者数を確保するには、彼ら彼女らの7割以上が大学に入学しなければならない(ちなみに90年の大学進学率は短大含め36%)。
しかも、現在ですら、大学数は90年の1.5倍近くに増えているのだ。
現在の大学数・大学教員数を保とうと思ったら、大学全入を画策するしかあるまい。


当然、過当競争が起こる(というか既に起こっている)。
まちがいなく倒産する大学が出てくる(というか既に実質倒産に近い大学はいくらもある)。
大学教員はどんどん余っていく。
その余った大学教員が他の職に転じていくかというと、特に文系の場合、受け皿がない。
大学教員自体にも、他の職でやっていけるだけの能力(と社会常識)をもっている人は少ないだろう。
となると、しわ寄せが来るのは、言わずもがなだが「新規採用」である。
すでに大学教員のポストにある(あった)者が既得権益――という以上に自らの生活――を守るために、「新規採用」を手控える方向へとすすむ。
他人事のように書いているが、私だって、オマエが辞めるか、新規採用を止めるか、と二択で突きつけられたら、なりふりかまわず「新規採用を止める」方に一票を投じるだろう。
結果、大学院を卒業しても「新規採用」の口がないことが、おそらく今よりはるかに常態化する。
実際、2030年を待つまでもなく、こういう状況が年を追うごとに常態化していっている。
かつ、2030年までこの状況が好転する要因に乏しいのだ。


無責任な大学院重点化を即刻止めないと、文字どおり「死者」が出ても不思議でない。
今後、どれくらい教員数が必要となるか、それに対して、教員予備軍(大学院生・OD)が今どれくらいいるか、の試算値だけでも示したほうがいい。
資格取得重視、専門職大学院、産学協同などの動向をみるに、大学の高等専門学校化、実学志向はますます進むだろう。
教員にも、実務家・企業人など「現場」からの転身組・兼職組が、ますます登用されるようになるだろう。
博士課程まで出て、研究プロパーで大学教員へと進む道は(特に文系の場合)その点でもますます狭くなる。


文科省が何を考えているのかは知らんが(文科省のせいばかりでもないが)、このまま無為無策でいくと「死者」が出る。
まちがいない。



(東大以外の)大学院担当教員のみなさん、院試の面接の際には、まず「一生何もしなくても食っていけるくらいお家がお金持ちか」を訊き、次に「食い扶持が十分稼げるサイドビジネスを持っているか」を訊き、そのいずれでもない人には、ちゃんと「死ぬ覚悟があるか」と訊きましょう。
それを訊かないと殺人です。
訊いたとしても自殺幇助ですが。
東大大学院の場合は、訊かなくてもいいですが、やはり自殺幇助です。
法的に係争されうるかどうかは知りませんが、その自覚だけはもちましょう。