2014年解釈改憲問題と1960年安保改定問題


安倍内閣解釈改憲について喧しく議論され、賛否が問われているが、私自身の賛否はひとまず措くとして、ややもすると本来区別すべき2つの問題がごっちゃにされるきらいがあるように思う。
憲法“内容”をどうすべきかという問題と、憲法改定の“手続き”はどうあるべきかという問題だ。
ちょうど一昨日の講義で1960年の安保条約改定(新安保条約調印・承認)時のようすを、当時のニュース映像なども見せながら取り上げたところなので、ちょっとその話と絡めてみたい。
言わずもがなではあるが、その時の首相は、今の安倍首相の祖父、岸信介である。


まずごく簡単に経緯を振り返っておこう。
1951年に締結された日米安保条約は、日米関係の対等化をうたい文句に1960年に改定される。
この新安保条約に岸首相が調印したのが同年1月19日。
ただし、首相が調印しただけでは条約は発効しない。
憲法73条に規定されているとおり、国会の承認を要する。
そこでまず衆院に諮られるが、野党の強い抵抗にあって紛糾。
与党自民党は5月19日に議院運営委員会強行採決、翌20日に与党単独採決で衆院可決にもっていく。
まあ、こないだの特定秘密保護法案の時と同じような強行採決――というか、もうその比ではないくらいの荒れ模様――ですよ。


これで一気に国民的な反対運動が盛り上がる。
次に参院の承認が必要となるが、ここでは衆院の可決から30日以内に議決に至らないと、衆院の議決が優越する(憲法61条)。
なので、内閣・与党としてはそっちの方向へ持っていこうとする。
この間には、国会を何万人何十万人の反対デモが取り囲み、安保反対の署名は1000万人を超えたとも言われる。
しかし、内閣・与党の思惑どおり参院は議決に至らず、改定された新安保条約は6月19日午前0時をもってそのまま自然承認となる。


さて、このとき国民は時の首相・政府(あるいは与党)に、なぜ、何に対して、反対していたのか。
まだ第二次大戦の戦禍の記憶さめやらぬ当時なので、「安保改定してまた戦争するのか、戦争できる国にするのか」と左翼的に反対していたのだろうと――つまり安保(改定)の“内容”に反対していたのだろうと――今の私たちは思いがちだろう。
だが、必ずしもそうではない。
国会を取り囲んだり反対デモしたりして声をあげているやつらばかりでなく、「声なき声」にも耳を傾け、世論全体をみなければならないとおっしゃった岸首相にならって、当時の世論調査をみてみよう。


朝日新聞は、1960年1月11, 12日に全国世論調査をおこない、その結果を18日の朝刊一面に掲載している。
新安保条約の調印直前におこなわれた調査である。
朝日の調査なんて信じられるカー、偏向ガー、云々とおっしゃる方々もいるかもしれないが、まあちょっと待て。
結果をみてから言ってくれ。
少なくとも調査対象は層化二段無作為抽出という信頼性の高い手法でサンプリングされているし、調査票設計も私の見る限りとりたてて誘導的ではない。

「こんどの安保改定で、日本が戦争にまきこまれるおそれが強くなった」という人がいます。あなたはそう思いますか。そうは思いませんか。
そう思う 38%
そうは思わぬ 27%
その他の応え 1%
答えない(わからない) 34%

確かに「そう思う」の方が「そうは思わぬ」より11ポイント高くはなっている。
しかしながら、過半数には達していない。
さらに注目すべきは、次の回答結果である。

結局、安保条約が改定されるのは、よいことだと思いますか。よくないことだと思いますか。
よいことだ 29%
よくないことだ 25%
その他の答え 6%
答えない(わからない) 40%

これについては「よいことだ」が「よくないことだ」を4ポイントだが上まわっている。
もっとも態度保留派「答えない(わからない)」が最も多いので、これをもって安保改定賛成が多かったとまでは言えないでしょうが、朝日がやってこれですよ(笑)
少なくとも、安保改定(新安保条約)の“内容”そのものに当時の国民が強く反対していたとは言いがたいんじゃないでしょうか。


しかしながら次に、衆院での強行採決直後5月25, 26日に同じく朝日新聞がおこなった全国世論調査の結果をみてみよう(6月2日の一面に掲載)。

新しい安保条約の国会審議で政府や自民党のやり方は、よかったと思いますか。よくなかったと思いますか。
よかった 6%
よくなかった 50%
どちらともいえない 18%
その他の答え 1%
答えない 25%

ここでは「よくなかった」が半数に達し、明らかに反対派が優勢である。
じゃあ国民は野党を支持していたのかというと、そうではない。
社会党のやり方」は〈よかった〉11%に対して、〈よくなかった〉が32%に上る。
当時の社会党(の左派)は「革命」を容認していたので、必ずしも議会制民主主義を護ろうとするスタンスをもたず、それゆえに国会で審議放棄・拒否したと国民にみられ、反感を招いていた。
この与党・野党そろっての議会制民主主義という“手続き”の軽視を、国民はどう見ていたか。

いまの国会は、国民の代表として、ほんとうに国民のために、働いていると思いますか。そうは思いませんか。
働いている 17%
そうは思わぬ 56%
その他の答え 5%
答えない 22%


これらの回答結果にあらわれているように、当時の国民は、安保改定の“内容”よりむしろ、改定のために取られた“手続き”――より正確には議会制民主主義という“手続き”をないがしろにしたこと――に対して、強く反対したのである。


このような当時の国民の見識、良識は、今一度評価されてしかるべきではないかと私は思う。
深まる東西冷戦対立構造のもと、「理想」がどうあるべきかとはまた別に、国民はどうしても「現実」主義的な対応を考えざるをえなかった。
その苦渋、悩み、ためらいの跡は、「戦争にまきこまれるおそれが強くなった」と思うかどうか、と、「安保改定はよいことだ」と思うかどうかの、回答分布の乖離からも読み取れよう。
それでも議会制民主主義の根幹を揺るがすような“手続き”に対しては、国民は明確に異を唱えたのである。


ひるがえって現在、改憲の論拠のひとつとして挙げられているのは、東アジア情勢の変化という「現実」への対応である。
憲法も「現実」に応じて改定すべきという理路はひとまず認めるとしよう。
しかし、「現実」への対応は、立憲主義や民主主義の“手続き”からの逸脱を許容するための論拠にはなりえない。
どのような「現実」あるいは「理想」をもってこようとも、それは“手続き”を軽視する論拠たりえない(立憲主義や民主主義を否定するような「理想」を立てるなら別だが)。
恣意的な解釈改憲は戦争を招くからダメという議論も、理路としては成り立たない――たとえ仮に「現実」問題としては恣意的な解釈改憲を認めると戦争につながる蓋然性が高いとしても、だ。
だって、「現実」は変わるものだし、その変化に応じて政権が替われば、その解釈改憲によって逆に自衛隊を撤廃することすら簡単にできるようになるわけで。
その意味で、恣意的な解釈改憲の問題は、戦争につながるかつながらないか等とはそもそも別次元の問題なのだ。


この問題を、スポーツに――たとえばサッカーに――喩えて考えてみよう。
手も使えたほうが試合おもしろくなるよね、と考えるプレイヤーがいるとする。
言ってみれば、ハンド禁止というルールはないほうがよいことを「理想」とするプレイヤーである。
だから、そいつは「二の腕を使ったくらいじゃハンドじゃないよ、現実問題としてそのほうが試合おもしろくなるし、二の腕はハンドじゃないってことにしよう」と言い、ハンド禁止は絶対を「理想」とするプレイヤーやファンたちの反発を受けつつも、押し切って慣例化してしまう。
ルールの明文規定としてはハンド禁止を残したままにして。
これが解釈改憲だ。
今回は、これが「手の平使うくらいまでいいんじゃない、現実問題そのほうがもっと試合おもしろくなるだからさ、指先がふれてなければハンドじゃないってことにしよう」と言っているようなものだ。
ハンド禁止というルールは明文規定としてそのまま残っているにもかかわらず、それがどんどん形骸化されていく。


ここで損なわれるのは、ハンド禁止という当該ルールの意味・効力だけではなく、ルールは守られなければならないものであるということ、それ自体である。
「だったら、オフサイドも1メートルくらいはいいんじゃない、現実問題そのほうが試合おもしろくなるしさ」等々と続いていったとしても、歯止めがきかない。
そこから最終的に帰結するのは、何でもありのルールなき試合(ですらない状態)であり、サッカーというスポーツそのものの崩壊である。
ハンド禁止のルールの明文規定をきちんと変更していれば、それまでのサッカーとは異なるスポーツになっていたかもしれないが、こういうことにはならない。
ルールは守られねばならないものであり続けるから。
1960年の安保改定時に国民が強く反対したのは、ハンド禁止の緩和そのものではなく、明文化されたルールがルールとして意味をもたなくなる、形骸化するということであったのだ。
ルールを守らなくてよいプレイのくり広げられるスポーツから観客・ファンが離れていくように、ルールを守らなくてよい政治のくり広げられる場から国民が離れていき、関心を失っていったことは、その後の歴史が物語るところだろう。


【結論】

  1. 改憲するか否か以上に、解釈改憲するか否かは、基底的で重大な問題である。
  2. それゆえ、政治家もメディアも、今回の解釈改憲問題については、改憲そのものに賛成か反対かとは明確に切り離して、争点化すべきである。


ちなみに私自身は改憲には必ずしも反対ではない(と言っても諸手を挙げて賛成でもない)が、少なくとも今回の解釈改憲には絶対反対である。
それはともかく、そういえば、安倍政権の教育再生実行会議って規範意識を育むとか謳ってませんでしたっけ?
首相が国家規模で「目的のためにはルールなど多少守らなくてもかまわないのだ」というメッセージを発していても、規範意識って育めるんですかね?

『ケータイの2000年代』刊行されました

ケータイの2000年代: 成熟するモバイル社会

ケータイの2000年代: 成熟するモバイル社会

2001年と2011年に実施した全国調査の分析をもとにした論集です。
私は第3章「デジタル・デバイドの現在――それは今なお問題であるのか」と、補論2「ネット依存とケータイ依存」を書いています。
今さらデジタルデバイド?と言うなかれ。
ネットの動向・流行がめまぐるしいせいか、それを研究する側も関心が移ろいやすく、日本ではデジタル・デバイド問題などすっかり過去の話として忘れ去られた感もありますが、実はその陰に隠れて(?)この10年間でデバイドが深まった面も認められます。
海外では地道な研究が続けられており、それらも結構フォローしてありますので、レファレンス代わりにもなるかもしれません(もちろん紙幅の制限もあるので、網羅的には扱えていませんが、ポイントとなりそうな研究は押さえたつもり)。
5400円+税はやっぱりちょっと高いなあとは思いますが、これでも執筆者は印税なしで価格は最大限抑えたのですよ。
巻末にはちゃんと単集表(+2001年と経年比較できる項目はその集計値)も付いてます。

『俺俺』の“俺”の問うもの

 『俺俺』では、2通りの“俺”(もしくは“私”)が問われる。
 1つは、「俺は男であり、日本人であり、人見知りであり、……」という属性の束として規定されるような“俺”である。他者が私と彼(ら)を見分け、私を私(たとえば辻大介と名指される人物)として認識するときの手がかりであり、個性やアイデンティティと言い換えてもいい。世界の中に、私とすべて同じ属性をもって存在している人物はいない。少なくとも今ここにこの身体をもって存在している(という属性をもつ)のは私ひとりだから。これを“俺”の〈特殊性〉と呼んでおきたい。
 もう1つは、そのような属性(の束)とはまったく無関係に、世界に唯一しか存在しない“俺”の特質である。“俺”以外のだれが死のうとも、世界は消滅しない。一方、“俺”が死ぬことは、世界が消滅することに等しい。私が死んだ後も世界は存続するだろうと私は思ってはいるけれども、私が死んだ後に世界が存続していようと消滅していようと、私にとっては何の変わりもなく、それを問うこと自体が端的に無意味である。このような点において、“俺”が世界に唯一しか存在しないことを、“俺”の〈独在性〉と呼んでおこう。たとえば、他者からみて私が何らの変わりなくしゃべりつづけ、存在しつづけているようにみえても、ある瞬間に私が死んでしまっていること、私にとっての世界が――あるいは私の「魂」が――消滅してしまっていることは、十分に(思考・想像)可能だ。それゆえ、“俺”の独在性は、“俺”の特殊性とは根本的に別のことである。
 『俺俺』の四章までは、もっぱら“俺”の特殊性をめぐる物語だが、五章からは“俺”の独在性へと話が踏みこんでゆく。その展開をかいつまんで追っておこう。

 “俺”の特殊性は、そもそも偶さかのものにすぎず、程度問題にすぎない。自分とよく似た感じ方、考え方をもっている(属性をもっている)人もいれば、そうでない人もいる。一般には、前者とのほうが後者よりもわかりあえる等のファンタジーが存する。三章前半ではそのファンタジーに浸る俺たちのすがたがまず描かれる。

 そんな苦行の糾弾にもかかわらず、俺らは解放を感じるのだった。感情を爆発させ、落ち込んだ後は、とても穏やかな境地が訪れる。三人でいることの、静かな喜びに浸る。そこまで至ると、もはや口に出さなくても、互いの考えや感情が、自分の心として理解できた。 (三章、p.105)

 乾杯をすると、俺らは例によってのどを鳴らして三口ほどを一気に飲み、同じタイミングで缶を離して「んめえ!」とハモる。三人でいて何が幸福かって、このシンクロナイズド・ビールの瞬間だ。俺らが百人いたとしても、ばっちりそろうだろう。 (三章、p.116)

 なにしろ俺は今、人の役に立っているのだ。俺は熱烈に必要とされているのだ。替えはきかず、ほかならぬこの俺こそが必要とされているのだ。ここまで完璧に人を理解し、求められている力を過不足なく与えられるなんて、初めての経験だった。 (三章、p.126)

 しかし、それはやはりファンタジーにすぎない。「溶け合うことを求めて自我が近づきすぎれば、摩擦を起こすか、貼りついてもたれあうか、二つに一つ」(『毒身』講談社文庫、p.48)という現実主義的なモチーフが、三章後半では展開される。

「それだけじゃない。申請に来るの中には、ムカムカするほど性格のねじくれたやつもいる。でもその醜悪な人格は俺自身にも備わっているんだってことを、いちいち実感させられるんだよ。…(略)…。何度もそんな輩(やから)が目の前に現れると、極端な話、そいつらを殺して自分も死のうかと思うこともある」 (三章、p.153)

 本書においてゴシック体で記されるとは、基本的には、日常の場面で「我々日本人」とか「俺たち男」とか表現される“私(たち)”のことを指している。世の中には、日本人どうしのほうが、男どうしのほうが理解しあえるというファンタジーをもつ人、そこに自分のアイデンティティを感じる人も、決してめずらしくはない。それを戯画化したのがであろう。
 似た者どうしの同族嫌悪の激しさもまた、日常的になじみ深いものだ。それは、自分の醜い部分を鏡として映し出されることへの嫌悪という以上に、自分が自分であること(のかけがえなさや取り替えのきかなさ)を揺るがされることへの恐怖が潜在しているからなのかもしれない。
 その嫌悪からなのか、恐怖からなのか、四章から、俺らは互いに互いを削除する殲滅戦へと突入していく。四章の最後では、その削除される側の心象風景が一人称で描かれる。

 倒れかける俺に、またそいつは体当たりを食らわせ、今度は腹に刃物を埋(うず)める。俺は膝から崩れ、仰向けになる刹那(せつな)、そいつの顔を見た。ふちの太い眼鏡をかけた丸坊主のそのが、均であるかどうか、俺にはわからなかった。さらにそいつは俺の胸に力任せに突き立てる。俺はもう何も感じない。ただ体が反応して、咳き込んだりしている。光が暗くなっていく。もういいと思う。 (四章、p.194)

 それに続く五章の冒頭、「おふくろに揺さぶられている。俺は顔を起こした」と語られる“俺”が、先ほど削除された“俺”と同じ“俺”――特殊性において同一のではなく、独在性において同一の俺――なのかどうか、読者はこのあたりから宙づりにされる。五章ではこの宙づり状態がつづいたのち、最後にまた、一人称で“俺”の殺される光景が繰り返される。

 俺の体を痛みが襲った。覚えのある感覚だった。矢印のような形の針がいっせいに俺に降りかかってくる。俺の視界すべてを、潤んだ目をした俺らの顔が埋め尽くす。肉の雹(ひょう)が降るように、俺らが俺の上にのしかかる。 (五章、p.228)

 しかしそれは「覚えのある感覚だった」。“俺”は殺される前の記憶を(一時的に)なくしていただけで、他のに転移しながら生き続けていたわけだ。六章では、記憶の連続性も少しずつ保たれていくようになり、“俺”がたちの間で転生していっていることが徐々に明確にされていく。

 そんな削除の嵐の中で自分が生き残ったと言えるのかどうか、俺にはよくわからない。俺は誰かを刺した記憶があるが、一方で、一回刺され、一回突き落とされて何か重くて硬い物に頭をぶち割られ、一回大量の足で圧迫された気もするのだ。いつ、どんなを相手に、どんな経緯で削除し合ったのかは、まるで覚えていない。ただ、この手や胸や頭部に、あのときの鋭くて冷たい痛み、あのときの無重力感、あのときの破裂するような衝撃、あのときの息の苦しさ、腕にかかった肉の重みとなま温かさが刻み込まれていて、ことあるごとによみがえるのだ。 (六章、p.233)

 おや、俺は痛んでるよ。何も感じなかったはずなのに、痛んでいる。俺は「俺は痛んでいる」と声に出して言ってみた。俺の声は、厨房の中でかすかに反響して聞こえた。俺はテーブルを叩いてみた。ごん、と音が鳴る。埃を吹けば舞い上がる。
 つまり、俺は生きていた。でも、この歓びが伝えられないという無念を感じている。それだけじゃない、今日、立て続けに二人を削除したときの感触まで、しっかりとこの手が覚えている。
奇跡が起きたらしかった。今までを食ってきて、こんなことは初めてだった。俺は食っていたはずなのに、食われた俺になっていた。いや、逆かもしれない。食われていた俺が、食った俺になったのだ。
 どっちでもいい。俺にはもう区別がつかない。俺の人格が二つになったわけでもなければ、どちらかに偏ったわけでもない。とにかく、食った俺は、食われた俺の歓喜と無念を体で知っていた。(六章、p.242)

 食った経験(の記憶)と食われた経験(の記憶)を同時にあわせもつことは、いかにも荒唐無稽でナンセンスなようだが、思考可能・想像可能であるように思われる。それは、本質的にこれと近いことを、私たちが経験しているからではないか。不審な男が近づいてきて腹を刺された!と思ったら、次の瞬間、汗びっしょりで布団の上に起き上がっていた。このとき、私は刺されたという経験(の記憶)と布団で寝ていたという経験(の記憶)を同時にあわせもっている。ただ、通常は一方の経験を(たいていは刺された経験の方を)夢の中のできごとや、あるいは幻覚として処理してしまう。いかに刺された痛み等がリアルに記憶に残っていたとしても。そのような処理をほどこさなければ、上のような“俺”の経験と本質的に違うところはないのではないだろうか。
 さて、このようにして“俺”は、死ぬことができない(かもしれないという可能性に開かれてしまった)、いわばゾンビと化す。ここにおいて、実は、共同体あるいは社会を営むことを迫る道徳的な支え、あるいは足かせが外れるはずなのだ。人を殺すべからずという共同体・社会の成立のために基盤(以前)的な規則は、〈あなたが殺されたく(死にたく)ないのであれば、あなたは他人を殺してはならない〉という定式化によって説得力をもつ。この前件が成り立たなければ、後件は説得力も強制力ももちえない。そして、死ねないゾンビと化した“俺”については、前件が成り立たないのだ。
 裏を返せば、このたちの相互殲滅戦状況において、“俺”が他のたちを殺す動機・理由もなくなっている。“俺”は生きるためにたちを殺していたのだから。
 ここにいたって、殺すか殺さないかは“俺”にとって、道徳や規範などの問題というよりも、単なる「趣味」の問題――殺すことに歓びをおぼえるか、殺さないことに歓びをおぼえるか――となる。本書の“俺”は後者であったようだ(なぜかはわからないが、私も含めこの社会の大半の人もおそらくは後者のようであり、おそらくはそれゆえに社会は偶さか成り立っている)

 じわじわと俺の体を歓びが浸していき、無念は薄らいでいく。幸福感が手足や耳や頭のすみずみまでを満たし、やんわりと痺(しび)れるような快感が広がる。気持ちは穏やかで、どこか少し高いところから俺と俺のいる場所全体を見渡しているような気分である。そこは日に照らされ、柔らかい風が吹いていた。風の中には暖かい空気が含まれている。南風だった。雪の表面が溶けて、帯状に光を反射している。
 俺はもう、を削除する気が失せている。おそらく、自分から相手を削除することは、二度とないだろう。 (六章、p.242)

 しかし、その幸福感、快感はすぐに消しとぶ。

 実際、俺の口は勝手に絶叫していた。言葉にならない、吼え声だった。何度も喚いた。さもないと正気が保てなかった。恐怖が、夜の冷え込みよりも猛スピードで体の芯を侵していく。
 俺は一人なのだ、ここにいるのは俺一人なのだ、俺だけしかいないのだ、みんな削除され尽くしたのだ、俺が今日削除した二人、あれが最後の二人だったのだ!
 自分だけしかいないという絶対的な認識が、俺を波状攻撃で襲う。 (六章、p.245)

 世界中に自分のほか誰もいないという、このような「無人島」的恐怖や孤独感は(読者にとって)わかりやすくはある。ただ、私としては、どうもそこに、問題のごまかしというか、すり替えがあるような気がしてならない(それは著者の意図的なものであるかもしれないが)。この“俺”の孤独は、たまたま自分の他には誰も世界にいなくなってしまった、死滅してしまったがゆえの、孤独なのだろうか。それは、偶さか経験的に生じた孤独状況なのではなく、先験的・原理的に世界には自分以外存在しないこと――独在性――を生きてしまった、その意味での孤独なのではないのか。
 たとえ、自分の他のが生き残っていたとしても、それは“俺”の転生先でしかない。すなわち、それも“俺”でしかない。身体的には複数のに分かれていようとも、それらは右手と左手の違いのようなものだ。たとえ、それらの間で会話が成り立っているようにみえても、一人二役の独り言のようなものだ。自分でコンピュータの会話プログラムを組んで、それと話しているようなイメージの方が近いのかもしれない。これは、事実としてたまたま他者がいないということとは違う。原理的に他者がありえないのだ。
 他の誰が死んでも世界は消滅しないが、この“俺”(もしくは“私”)が死ぬことは世界が消滅することに等しい。その意味で、“俺”と並び立つ他者はいない。しかし、自分以外にもそのことがあてはまる――独在性を備えた――存在がいると、“俺”は了解している。本書の“俺”も、少なくともかつては了解していたはずだ。ただし、そのような誰にもあてはまるような独在性は、もはや“俺”にしかあてはまらないような独在性ではない。そもそもの独在性の語義に自己矛盾するようなものに転化してしまっている。しかし、転化することなくして、“俺”の存在と並び立つ他者はありえず、独在性の孤独はその転化の動きのなかへ紛らわされ、忘却される。
 本書の“俺”はしかし、その転化が止まるような生を生きた。いわば独在性の方へと生を踏み抜いた。その独在性の孤独は、次のように「究極の独り」と表現されるようなものではありえない。「俺ら」に共有可能とみなしうるような「究極の独り」はせいぜいが転化後の独在性(の孤独)にすぎない。

 俺のように、逃げた先でひとりぼっちになって絶望して彷徨っていた連中が、少しずつ集まったのだった。宇宙に自分だけしかいないというあの究極の独りを味わった俺らは、もはや削除のできない身になっていた。そんな局面に遭遇しても、体が動かないのだ。 (六章、p.249)

 転化しつづける=忘却されつづける独在性の運動のなかに、ふたたび我が身を置くようになった“俺”は、したがって、ありふれた日常へと、常識的世界へと、社会へと回帰していくことになる。

 そうして気がつけば、俺らは消えていた。誰もがではなく、ただの自分になっていた。俺と他の人とは、違う人間だった。
 そのことに気づいたとき、俺はそこはかとなく寂しかった。もう、誰かを自分のことのようにわかるということはないんだなあ、と感傷的になった。いや、と俺は考え直す。相手を自分のことのようにわかろうとし続けていれば、たまにはわかるのだ。その程度でいいのだ。すべて同じ自分であるがゆえに、自分が消えてしまうことのほうが、ずっと恐ろしかったはずじゃないか。 (六章、p.250)

 私には、独在性を踏み抜いた生を経験した者が、何を考え、語り、生きるようになるのかはわからない。ただ、幸不幸とか孤独だとかに拘泥しなくなるのではないかという気もする。この“俺”のように教訓を語る以外にないのかもしれないが、それにしても、“俺”は自らの経験の伝えようのなさに、何かをあきらめ、忘れようとしているようにも思える。


《参考文献》
永井均『〈私〉の存在の比類なさ』講談社学術文庫(1998→2010年)

俺俺 (新潮文庫)
2年前にGCOEの「コンフリクトの人文学セミナー」で作家の星野智幸さんをお招きして、「ことばから世界へ 〜星野文学から考える集団性」というワークショップをやったことがありまして、その際に書いた文章です。
ふと思い出すことがあったので、気まぐれにアップしておきます。

震災対応に関するマスメディアへの提言

ポイントをあえて1つだけに絞って提言します。
マスメディア各社が連携して、被災地全域にわたる情報を集約し、共有するしくみを作ってください。


今回の震災は、阪神淡路や中越に比べても桁違いの規模・範囲におよびます。
大手のメディア企業であれ、1社で、被災地全域をカバーし情報収集・集約できる限界を超えています。
1社単位ではなく、マスメディア業界全体で連携し、支援の必要な、どの被災地も取りこぼされることなく網羅する。
たとえば、各社が取材地域や役割をある程度分担する。
情報はひとつに集約して、行政やボランティアとも共有する。
そのような連携が必要ではないでしょうか。


原発計画停電等々への対応のため、政府の情報収集力・集約力は過去の震災よりも削がれています。
県や市町村でも自治体じたいが深甚なダメージを受け、加えて二次災害・複合災害への対応のため、十分に情報を集め、出すことができません。
今、マスメディアには、政府や自治体に代わる分までも、被災地の情報を収集し、集約し、発信することが求められています。
そしてまた、そんなことができるのは、マスメディアしかありません。


しかし、連携して業界全体として被災地を網羅するという考え方は、未だマスメディアから出てきていないように思います。
18日時点ですが、ある通信社の記者の方からも、ツイッターで次のような反応がありました。
「今現場には民放を除く新聞各社、NHKは100人以上の記者が取材に当たっています。各社ごとには網羅的な取材をしていますが、全社が統合的に取材することは原則ありません。有事ですから協力することも大事ですね。「結託して云々」との批判があるかもですが、提言してみます」
現場は多忙と混乱を極めているでしょうし、そんな中、余計な負担をかけるだけでも心苦しいものがあります。
ただ、こうした連携は基本的に、現場でどうこうできる・すべき話ではなく、各マスメディア本社・中枢部レベルで取り組むべきマターであろうと思います。
このレベルにおいて、未だ動きがあるように思えません。


今となっては、取材地域の分担・調整などは難しいかもしれません。
各社ごとの、取材・報道の多様性が重要であるという考え方もわかります。
しかしながら、そうだとしても、たとえば各社が取材の中でつかんだ情報のうち、安否や物資の必要性等に関わる情報だけでも(要は支援に関係する必要最低限の情報と言うことです)一元的に集約し、自治体やボランティアを含めて共有できるようなシステムが組めないでしょうか。
個人単位の安否情報ではなく、町村単位(できればより細かく公民館のカバーするくらいの範囲)で、現在どのような状況で、何がどれくらい必要とされているか(特に医療資源)を、関係機関・団体すべてが一覧できるようなしくみです。
その情報をGoogle Map等にマッピングさせれば、被災状況に比して、どの地域の情報が薄いか、取り残されてしまっているか、すぐわかるでしょう。
それだけでも十分に意味があるはずです。


震災発生時から10日経って、もう急いで多くの被災者の命を救う・救える時期ではなくなったのかもしれません。
メディア報道にもそういう空気が漂い始めています。
しかし、これからの10日は、これまで食料や医薬品の枯渇を何とか耐えてきた慢性病患者、けが人、お年寄りなどの弱者が、二次災害として命を落としていく時期です。
これからは、「減災」のための勘所の1週間、10日になります。
阪神淡路クラスの規模であれば、震災発生10日後の時期には、行政によっても、個別バラバラに動いていたメディアによっても、各被災地にそれなりに目が行き届いてきていたかもしれません。
しかし、今回の震災はそれを数倍上回る規模と深甚さです。
それにも関わらず、どこかこれまでの「大震災」と同じような感覚で捉えてしまっている、状況を甘く見てしまっているような気がしてなりません。
(このような言い方が、阪神淡路、中越などの被災者の方々に失礼極まりないこともわかっているつもりです。申し訳ありません。非難・批判は甘んじて受けます。)


ネット上でも被災各地域の情報は逐次あがってきてはいます。
しかし、それらがどこまで確度の高いものか、「裏を取る」ことはマスメディアしかできません。


昨日は、各局、各紙とも、高校生とお祖母さんの9日ぶりの救出がトップ扱いでした。
貴重なニュースだと思います。
ですが、入院先まで踏み込んで取材すること、高校の先生へのインタビューに報道時間を費やすことに意味があるとは思えません。
これからはさらに震災報道のドラマ化が進んでいきそうな気がします。
それが一概に悪いと言うのではありません。
ただ、現場の記者の方々は、必ずしも絵になる映像、感動ドラマになる話を追い求めているのではなく、実質的な支援に役立つ地味な情報も――いや、そういう情報こそを――つかんでいらっしゃるはずです。
記事にならなくてもニュース映像にならなくても、その情報は直接被災者を救うかもしれない情報です。


現場で大変な思いをしていらっしゃる記者の方々の頑張り、努力に最大限応えるためにも、マスメディア各社が連携して、情報を集約し、共有するしくみを考えていただきたいのです。
事が落ち着いた後で問題提起するよりも、まだ現在進行形の今、提起・提言しておくことが、今後につなげるためにも重要だろうと考えます。
何卒どうかよろしくお願い申し上げます。



大阪大学大学院人間科学研究科准教授  辻 大介

「(1)マスメディアの問題」補足

これは関谷さんではなく、辻からの補足です。
ポイントは、今回の震災の規模、深甚さが、マスコミの1社単位でカバーできる範囲を超えているということです。
個々の記者や報道人の方々、マスコミそれぞれの社の単位での活動が不十分とか不適当ということではありません。
現場の方々が大変な思いをしながら、誠実に懸命に頑張っておられるのは、よくわかっているつもりです。
「非常時だからマスコミは一体となり協力せよ」という、第二次大戦時の総力戦体制のような物言いの危険性も理解しているつもりです。
しかし逆に、だからこそ、マスコミの内部から自主的に連携、協働する試みが必要なのではないでしょうか。
取材地域を偏りなく分担し、取材から得られた情報で、支援に必要・重要となるものは全社で(フリーランスの方々も含め)共有する。
すべての取材活動、報道活動を、そうする必要はありませんし、各社独自の取材・報道ももちろん重要でしょう。
しかしながら、各社がそれぞれで網羅的に取材・報道するにはどうしても限界がありますし、結果的に、伝えられるべき必要な情報がどのメディアからも伝えられないということになりかねません。
これを読まれたマスコミ関係の方がいらっしゃいましたら、どうか中枢部・上層部に提言してみていただけないでしょうか。

【転載】災害情報、広報の視点からみた「今、被災地のためになすべきこと」

(21日追記)
関谷直也さんがご自身のホームページに情報・提言をアップされています。
支援のためにすべきこと・できることは時間の経過とともに変わっていきます。
以下はあくまで18日時点のものであることを念頭にお読みください。


ここは大阪大学大学院人間科学研究科准教授、辻大介のブログです。
(信頼性確保のために所属を記載しましたが、大学の活動ではなく、個人で運営しています。)
災害情報の専門家、東洋大学の関谷直也准教授からのメッセージを、ご本人の許可を得て取り急ぎ転載します。
チェーンメール化して内容が変わるのを防ぐため、内容そのものの転載はお控えください(リンクはご自由に)。


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災害情報、広報の視点からみた「今、被災地のためになすべきこと」
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                    2011年3月18日(Ver1)

             東洋大学社会学
             メディア・コミュニケーション学科准教授
             /日本広報学会理事
                       
                             関谷直也


 今回の規模の災害では、[1]壊滅的な被災エリア、[2]その奥、山側にある、避難している人たちがいる支援のあるばらばらの被災エリア、[3]情報として孤立し、支援のない被災エリア、[4]その周りのライフライン、物流が滞っているエリアと多層的です。メディアで報道されているのは、[1]、[2]が中心です。
 復旧段階の現在、[3]をいち早く全貌を確認すべきです。また[4]も重要です。今物資がとどいていない人に物資を届けることが重要です。寒さ対策の燃料、水・食料・薬・医療資源が最優先です。他のは後です。医療資源をとどけなければなりません。これを必要とする弱者、高齢者、けが人は今生命の危機にあります。


(1)マスメディアの問題

  • 今問題なのは、被災エリアの全貌が見えてないのに、収束に向かっていることです。自治体そのものが被災し、情報をだせず、規模が大きすぎたり、複合的な災害のため政府や自治体の情報集約能力が欠如しています。
  • 被災地の中に入って情報収集を行えるのはマスメディアだけです。支援団体や企業は、メディアをみて、これからの支援体制を考えています。社会の眼となって、今、被害情報を集約することはマスメディアにしかできないことです。
  • 過去と比べて規模が違いすぎます。ぜひ、業界統合的に行ってください。
  • 端的に言えば、まだ災害報道をしてください。「画」的に飽きられたのと、新しい情報が入ってこない
  • 個人の安否情報よりも集団の安否情報が重要です。それは支援の情報になります。
  • 今は、寒さ対策の燃料、水・食料・薬・医療資源を以下に届けられるかが重要です。個人の安否情報や情緒的な情報が必要な段階ではありません。

(2)企業広報

  • 企業の広報は支店、事業所、チェーン、フランチャイズ、拠点の「被害情報」「集団安否情報」をぜひ開示してください。このような大規模災害では、個人の安否情報では、全体像を把握するのが困難です。それが広報としてできる最大限の減災となります。
  • この、被害情報に加え、物流、支援情報の共有化を。それを共有できれば、災害情報は、物資不足・支援不足によるこれ以上の犠牲者を減らせます。現在からできる最大の減災になります。
  • 企業は組織として、被災地支援を行うべきです。現段階では、個人は金銭的支援が重要ですが、企業は金銭的支援よりも組織的に企業ドメイン、本業にかかわる物資・サービスによる資源を提供してください。
  • できれば、同じ業種で共同して支援活動を行ってください。そうしないと、長期的に支援のばらつきがでます。支援情報を業種で共同して共有化してください。
  • 全貌が把握できていないので、現段階の支援が十分とは思えません。ほぼ間違いなく、現状ではたりません。

(3)ボランティア

  • 今はガソリンが足りていません。今、現地に人を出し、燃料を奪う、道路の混雑に加担してしまうことは、水・食料・薬など命にかかわる支援物資を届けるのを阻害します。一台一台積み重なると相当な分量です。あせる気持ちは日本中一緒です。今は個々にはできるだけ行かないことが最大の支援です。水・食料・薬・医療資源など命にかかわる支援物資を届けるのを阻害します。できるだけ行かないことが重要です。
  • 今は「命の安全」「生命」にかかかわる支援を優先させてください。「生活上の困難」「安心」にかかわる支援よりも、生命の危機を救うことが最優先です。
  • 個々人としては、金銭的支援が一番です。かならず、最終的になんらかの形で、被災者に分配されます。今は個々にはできるだけ行かないこと、見守り、必要な時期を待つことが最大の支援です。

今回の災害は、先進国がうける世界最大の自然災害です。 
過去の災害対策の延長線上で考えずにもっとドラスティックにできることを。


                                 以上
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