息子に見せたいオヤジのCD棚....#006

Pretender

名著「ブルースの魂」の著者リロイ・ジョーンズは、ブルースの定義は無数にあるとした上で、「ブルースは事実でなければならない」という意味の言葉を残しました。いかにもそれらしい何かを含んでいても、それが絵空事だったとすればブルースとは言えない、ブルースとは呼びたくない。同感です。
一個の人間が生きていることは、「ゆえに我あり」じゃないけど厳然とした事実なんだろうから、すべての人間の中にそれぞれのブルースがある、ということです。個々のブルースは独立した事実に過ぎないけれども、だからといって完全に孤立しているわけでもありません。それどころか、一個一個のブルースはときに激しく共鳴し合います。もちろん、その音楽がブルーノートに乗って書かれているかどうかなどは、二次的な問題です。
妻を亡くし、残された息子との生活が始まる。そんなチェンジの前後に作られたいくつかの歌が、悲壮と諦めと覚悟と希望が複雑に入り混じった歌が、このアルバムの中には納められています。ジャケットには、都市の雑踏を歩くジャクソンの姿があります。書物も教師も親も友人も頼りにならない「その時」の孤独を、この男は味わったのでしょうね。それは、ジャクソンのブルース。息子よ、そのブルースを受け止めるためだけにでも英語を勉強する価値はある、と父は思うよ。

チェンジ!

バラク・オバマ氏が、アメリカ合州国の大統領になりました。
一貫して「チェンジ」を叫び続けたオバマ氏に、変革の具体策と実行力の欠如を憂う声があるようですが、黒人が大統領になったこと自体が「チェンジ」ですよね。これからは、かつての農場主の子孫が、奴隷の子孫を敬って「ミスター・プレジデント」と呼ぶのです。全代議士の45%を二世・三世議員が占めるどこぞの非近代国家の国民には想像もできない、偉大なる変革だと思います。