2010年12月18日(土)
■[新宗教巡り]るるぶ新宗教 第四回 天理教の巻 前編

世界の中心で愛を叫ぶなんて物語が流行ってしまったため、その世界の中心をグランドキャニオンをだと思い込んでいる人が多いと思いますが、実はそれは奈良県にあります。そんなわけで今回は天理教です。天理教本部のある奈良県天理市は日本唯一の宗教名を冠する市町村。私的団体としても日本には天理市と豊田市しかありません。JR西日本桜井線(万葉まほろば線)もしくは近鉄天理線の天理駅にあります。JRだと奈良駅から13分、京都や大阪からも一時間ほどの距離です。
天理市の中心部は天理教の関連施設が立ち並び、いわばディズニーリゾート天理教版。天理教ランドです。
天理駅前の広場はとても広く、駅の中には団体用スペースがあります。日本中、そして世界中から集まる信者のためにこれらが設けられています。
駅前には「ようこそおかえり」の看板。この「おかえり」は別に昨今の「おかえりなさいませご主人様」的なメイド喫茶ブームに乗っかってるわけではありません。この言葉は街のあちらこちらでみかけることができます。
天理教が立教されたのは1838年。日本はまだ江戸時代で、大阪では大塩平八郎の乱をやっていた頃です。多くの新宗教がそうであるように天理教立教のきっかけも神憑り。百姓の嫁だった教祖(天理教では「おやさま」と読む)中山みきは息子の病気を治すため修験者に祈祷をお願いしました。その最中に親神(おやがみ)・天理王命(てんりおうのみこと)が乗り移り天啓を受けたそうです。
天理教の教えは教祖中山みき、そしてその高弟である飯降伊蔵を媒介として天理王命が啓示したという『おふでさき』(御筆先)『みかぐらうた』(神楽歌)『おさしづ』(御指図)の三つで成り立っています。その内容は単純明快で、「陽気ぐらし」という人々が助け合い日々陽気に暮らす世界の実現を目指しているそうです。
もうひとつ天理教が天理教たる重要な考え方があるのですが、とりあえず教会本部の写真です。とても斬新な形をしています。
これは西礼拝所といって教会本部を西側から見た図です。立派な建物ではありますが、一見普通のお寺です。しかしこの建物、
南側から見ても、
東側から見ても、
北側から見ても全て正面なんです!
南西から見るとこんな感じです。右が南礼拝所で左が西礼拝所。くっついてるのがわかります。
上空から見るとこんな感じ。この中は「ぢば」を中心に全て繋がって広大なスペースがあります。ここは元々教祖の家の庭でした。立教から40年近くたった1875年に教祖によりここがぢばという人類発祥の地であることが定められました。人間はここから出てきたわけですから、ここを訪れる人は帰ってくるということになります。街中に見られる「ようこそおかえり」というのこれによるわけです。通常宗教施設というと神式仏式限らず一方向に祈ることになるのですが、これが世界の中心ともなるとそうもいきません。全ての方向から祈ることができるようにこのような形の神殿なったのです。
じゃあそのぢばに何があるのかというと、「甘露台」という2.5mくらいの塔が立っています。この甘露台、天理教の理想である「陽気ぐらし」の世界が実現した時に、空から降ってくる甘いものを受け止めるために造られたそうです。本来は石製ですが、まだその世界は実現できていないので仮の木製です。天理王命という神様は常にこの甘露台の上にいるそうです。残念ながら内部の撮影は禁じられているため実物をお見せすることはできないのですが、図のように形状が定められているためレプリカなら見られます。
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/top2.html
これは天理教豊文分教会という天理教から分派した団体のHP。甘露台は天理教という思想の象徴なので、分かれた団体が甘露台を作ってしまうことが結構あるみたいです。
これは神殿の中央部分の屋根なんですが、真ん中に四角く穴が開いているのが見えます。2.5mもある甘露台はさぞ高らかに掲げられているように思いますが、実は神殿の中に穴が開けられて地面に設置してあるのです。人類発祥の場所に台を置くわけにはいかないですね。そしていつ甘露が降ってきてもいいよう写真のように天井も穴が開けられています。24時間雨ざらしです。
ちなみにこの神殿、東西南北の礼拝所でできた時期が違うのですが、その辺の話はこの本に詳しいです。
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新宗教の歴史や教義がいかにその建築に影響しているかを書いた名著です。いくつかの教団について書かれていますが、天理教は一番分量も多く内容も充実しています。天理を訪れる前に是非読んでほしい一冊です。
東西の礼拝所は1980年代にできました。その頃の法令によりこの神殿も完全な木造建築ではありません。信者の方に伺うと木製の甘露台を守るために仕掛けがなされているそうで、火事が起きた瞬間甘露台を囲むようにして水のシャワーが出るそうです。ちょうハイテク! これ信者の方もあまり知らないそうなんで、周りに天理教の方がいたら教えて驚かせてあげましょう。
神殿の北側にある緑の屋根は教祖殿です。1887年教祖中山みきは90歳で亡くなりました。当時とすれば相当長生きなんですが、普段から115歳まで生きると公言していたため信者は困り果ててしまいます。そこで導き出した結論が、体は死んだけど魂は生きているということ。その魂のすみかとして建てられたのがこの教祖殿です。天理教の死生観では人は死ぬとぢばへ帰るものとされており、人の死は「出直し」と呼ばれます。しかし教祖だけは別で今でもこの教祖殿で生きているとされ、三食の用意からテレビまで置いてあるそうです。ちなみにその亡骸は教祖殿からまっすぐ北1キロほどの天理教墓地に埋葬されています。
この三つの施設が回廊で結ばれています。これらは誰でもいつでも出入り自由です。
南礼拝所に至っては24時間OK。僕が訪れた時は昼間でしたが2時間ぐらいこの中をうろちょろしてました。中にはひのきしんと呼ばれるわかりやすくいうと信者のボランティアスタッフがいて、お祈りの作法とかわからないことは聞けば丁寧に教えてくれます。
神殿の中では信者の方が一段低い甘露台に向かって歌と手振りで祈っていました。
大体みんなこんな感じの歌を歌っています。タイミングが良ければ踊りと演奏の儀式を見ることもできますし、真柱と呼ばれる教団トップの方もちょくちょく現れます。面白かったのが神殿の中で子供たちが暴れまわっていたことです。どうやらこの中では怒ってはいけないという教えがあるそうで、すんげーどったんばったんやってるのにみんなほったらかし。でも怒られないのは子供だけじゃありません。初めてこの中に入った時、何かの儀式の最中で人がいっぱいいて、中々甘露台が見られませんでした。信者の方に「あそこに甘露台というのがあるんですか?」と聞いたところ「そうです。どうぞどうぞ気にせず前の方へ」と言われました。流石にみんなお祈りしてるのにそれは無理と思って断りましたけど。厳粛かつ開放的な空間の天理教本部でした。


















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http://z.z-z.jp/?tokumei-hiroki
投稿時間が、1919であること。
これは、いく、行く、の 天の啓示であります。