2011-10-13
生涯学習について
現在、大学をはじめとする高等教育制度全体が生涯学習という新たな役割を負うように社会から期待されています。
今日はこの生涯学習という現象に焦点を当てブログを書いて行こうと思います。
生涯学習という現象はあまり意識されませんが、二つの異なる背景を持っているように思われます。
一つは余暇を活用し人格の高次の完成などを通じて公共善の追求を目的とする流れです。これは余暇学などで言われているように、労働の機械化が進み余暇時間が多く獲得できるようになった現代社会でその余暇時間をどうやってより良く過ごすかといった問題意識から生まれてくる流れです。生涯学習という言葉を聞いたとき、多くの人がこちらを想像するかもしれません。ユーキャンの生涯学習講座などはこのような視点から生まれたものだと言えると思います。また、この潮流の主体は個人であると言えます。
もう一つの流れは、産業の高度化に対応できる人材を作ろうとする流れです。現代は産業が高度に発達し、更に技術革新のスピードが早まっているので学校教育で学んだ事だけでは社会の変化に対応できなくなっています。そうした現状をふまえて、労働者が再び教育を受けられるように生涯学習を行っていこうという流れがあります。社会人入試や専門職大学院の拡充などがその例に当たります。この潮流は人的資本論という教育学の発想を基にしており、その主体は企業や国家であると言えます。
しかし、よく考えてみると生涯学習化を支えるこの二つの背景は本来お互いが対立し合うと考えられてきたものです。
個人の人格の完成や社会善を実現しようと言う前者の立場からしてみると、経済的合理性を追求する企業や、個人の活動を阻害する事の多い国家や行政は対立の対象でした。
一方、公共善の追求ではなく企業の利潤追求や国家益を第一目標に掲げる後者の側からしてみると、 公共善の追求は企業に対してお金の儲け方に一定の制限を加えるものであったし(公害や環境破壊を極力抑える)、国家にとっては国防や警察活動という領域を取り上げてみても、個人の考える公共善と国家の考える公共善との間で反発が繰り広げられてきました。
不思議な事に、こうしたねじれを内部に抱えながら生涯学習という分野は発展しつつあります。なぜこうしたねじれが生じたかという事はこのブログでは取り扱いませんが、少しだけ触れておくとグローバル化に対するグローカル化という現象が力を付け、地方自治に対する従来の評価が見直されている事が挙げられます。かつてのように国家、企業、個人などのアクターを主体として世界をみるのではなく、今まで人類が積み重ねてきた技術(工学や組織運営、教養といった過去の偉大な遺産をすべて含めて)を基に世界を再解釈するという現象が起こっているのかもしれません。
話が長くなりすぎました。まだ頭の中で上手く整理されておらずわかりづらい文章になりましたが、
生涯学習の中にはねじれがあるという発見を書き留めたくてブログに載せました。
これからもブログで文章を書く練習をして行きたいと思っています・・・
情報発信も出来て一石二鳥ですね。

