普通

感想を求められる、というのは吾輩が苦手なことのひとつである。昔から本を読むのは好きでも読書感想文は嫌いだった。
吾輩の思考と情動はどうにも「ふつー」の範疇がかなり広いので、感想をくれ、と言われるとまず認識しやすい不満な点の批評になる。
そんなわけで友人に渡された自作小説について某所の掲示板でああだこうだと書き綴っていたのだけど、不満点というのは吾輩の考える「あるべき姿」から外れる部分であり、言葉として積み重ねてみるとその基準になる「“理想的な作品”観」がいくらか見えてくる。


彼の小説に限らず知人にSS見せられた時など、キャラクターの認知と作者或いは読者の認知の区別について吾輩はよく突っ込む。たとえば二人だけで作戦行動中の場合その仲間は読者視点では『部下A』であったとしても、一緒に来た「相方」なのだから主人公の主観描写ならそれが誰であるかは個人として明確に意識していないとおかしい。設定上の知識と経験の範囲で判断し、感動するのでなければ生きたキャラクターにならない、というのはまあ当たり前のことだと思うのだけどわりとそれを言う機会が多い。


また登場人物が一々「いい子」すぎると印象が薄い。人格的に立派=キャラとして魅力がある、ではないし、ひたすら最善の手段をとり続けるのは完璧超人出木杉くんでしかない。
まず吾輩としてはキャラの個性は欠点にこそ出ると思う。それは明白な欠点に限らず、物事の優先順位・判断の取捨選択の差もある。そして人間関係にはある程度のコンフリクトが必要である。どんどん仲違いをさせろとは言わないが、各々の意見が異なる適度な不和はキャラの個性をはっきりさせる。
特に、読者に分かることは書かれた文面から読み取れる内容しかない。ツンデレヒロインが毎回本音を小声でつぶやくような手法は物語として本来は反則技のはずなのだけど、やらないよりはよほどいいって判断で頻繁に使われているのだと思う。
あたりまえのことを何事もなく普通に消化していくだけならそこにいるのが誰でもほとんど変わらないわけで、失敗や諍いとその原因・結果にこそ個性が表現できる。


ではその個性がある個性がないとはどういうことを言っているのか、と訊かれたのだが、これは吾輩が個性を感じて愛しているものが何故好きかを考えると思いあたった。個性は欠点に出ると書いたが、これは別の見方をすれば「ふつー」の行動をとらない、ということになる。(ここでやっと冒頭の「ふつー」に繋がる)


吾輩が愛しているものといえば、言うまでもなく由佳里先輩である。
由佳里先輩はツンデレ大全でP34(当然憶えてる)に1ページ割かれているのだけど、由佳里先輩の個性はツンデレではないと吾輩は思っている。むしろクールデレに近いけどクールとも言い難い。わがままで意地っ張りで気位が高い、タカビーお嬢様キャラ*1というツンデレのベースフォーマットになるべき外観を備えていながら、中身はどこまでも素直であり、実のところ終盤のイベント進行上のコンフリクトを除いては敵意の欠片も無いほど完全にデレ切っていて普通のツンデレとは全く異なる動きをする。このツンデレのテンプレから外れた言動、強権的激甘勝ち気素直ヒロインという稀有なバランスが由佳里先輩の強烈な個性になっていると思う。


問題を矮小化してしまえば、要するに「他の凡百のキャラではありえない態度と対応」*2が個性である、といえる。


どうにもまとまらないし長くなりそうだから続きはまた今度書くとして、ともかく由佳里先輩が素晴らしいことは改めて確認できたのでよしとする。


*1:フローラリアプラスのギャラリーモードのコメントで本人が言っているw

*2:それが魅力的であるか否かはまた別でありキャラの核心でもある。

相変わらずの混迷

近時の気になる検索元。

ドリパで聞いたけどSymphonyの中の人も分からないとか。とりあえず「本当のまふまふは、みんなの心の中にあるんだ…!!」というあたりに結論付けられる模様w

ぬいぐるみでよいのではなかろうかと思わないでもない。

三ノ宮由佳里先輩抱き枕と考えるのが妥当か。

…女将を呼べ!!