豊岡選手のジロ・デ・トスカーナレポート

06ジロ・デ・トスカーナ


9月12日〜17日 ジロ・デ・トスカーナというイタリアのステージレースに日本代表で出場しました。
6日間で8レース。しかもコースによってはかなりの山岳。出場人数は180人前後。

天候は最初の3日は晴れ、とても暑かったですが、後半3日は雨、くもり、雨、くもりの繰り返しで、雨風の激しい日もありました。
結果は総合55位。トップと6分10秒差でした。

今回8レースの中で一番厳しかったステージは、やはり3日めの山岳コース。
天候は雨。サングラスをしても、目に泥や水が入ってきて補給食を食べるのも大変だった。
全長121キロ。80キロ地点から15キロほど登りで、集団が分かれ、私は第2集団。頂上付近は石畳で勾配もきつく、道も細く日本ではあり得ない道だった。
でも、日本で練習している時に三船さんから、石畳はギヤかけて踏まないと進まないと言われていたので、思い切ってアウターでガシガシ
踏んでみたら、驚くほど登れて2番手で通過でき、4人程が抜け出る感じになり、そのまま下りに入った。
下りは、もちろんガードレールなし。
下りも峠の下りなのでクネクネ。私は、自分で下り得意と思っているので、調子にのって先頭で攻めまくっていたら落車。
何が起きたのかわからなかった。気づいたら、道路に横たわっていた。頭も打っていたので、中々立てない。
スイス人が「大丈夫?大丈夫?」みたいな事を言っていたけど、大丈夫なわけないやろと思っていた。
右足を負傷していたし、頭もフラフラしてたけど頑張って立った。後輪がパンクしていたので、サポートカーが来るのを待った。
車がきてメカニックの西君が「もう!左じゃなくて右側で止まらなあかんやん!乗れる?」と。
落車してる時に怒らんでもいいやんと思ったけど、ルールなので守らないと危険。
とりあえず、集団からは遅れているけど完走しないと明日が無いので、自転車にまたがった。
右足を激しく負傷していたので全然踏めないし、痛すぎた。
後ろから登りで遅れた7人位の集団が追いてきたので、その集団で走った。足も痛いし、踏み方もおかしいし、頭もフラフラするし、最後は10キロの頂上ゴール。

どうにかゴール1キロという所まできた。あと500mと思ったのもつかの間、ARRIVO(ゴール)は、見上げる程の石畳の坂だった。
ゴールした時は嬉しいというより、明日走れる〜よかった〜でも足イタ〜という心境だった。
救護に速攻連れていかれた。
宿に帰り、その夜は足の痛さと頭がフラフラして、明日は2レースもあるのに大丈夫かなと眠れない夜を過ごした。
次の日は朝方は雨が降っていたけど、レースが始まると止んだ。
朝は70キロ。レースは立ち上がりの連続で足は痛かったけど、なんとか走れるもんだんだなあと思った。
でも、そんな時パワフリーヒル(400mくらいで皆アウターで時速40キロ程で登る坂、私が勝手にそう呼んでいる)でチェーンが落ちてしまった。
もう最悪で、しかも後20キロ位だったので、また一人旅になってしまった。
そんなこんなで大幅にまた遅れてしまった。
夕方のレースは57キロだが、立ち上がりの連続で一箇所パワフリーヒルがある周回コース。
なんと平均時速44キロ。立ち上がりの後の集団が一列棒状になった時は速過ぎて道も悪いし、風もすごいし、泣きそうだった。
みんな位置取りに必死で殴り合いをしている選手とかもいた。
頭が痛かったので夜病院に連れていってもらったけど混み過ぎで、夜の12時半になっても見てもらえる気配がなかったので帰った。
適当に看護婦さんが血圧とか測ってOKみたいな。

5日めも雨。コースは100キロで、4周回でコーナーの連続で1箇所2キロの登りがある。最後はまた12キロの峠を登って下って5キロ平地でゴール。
周回は粘ったけど、最後の峠でちぎれてしまい小集団でゴール。このコースも本当に厳しかった。

最終日は曇り。コースは全長106キロ。12キロの周回を7周してゴール地点のフィレンツェの街中に向けて走るコース。
私は、もう成績は期待できないので、チームのエース鹿屋体育大学の萩原選手をどうにかアシストできたらと思った。
とりあえずどうしたら良いのかわからないので、終始近くを走り風除けや、前に上げる事を心がけた。
フィレンツェの街中は激しい石畳でボトルとか飛んでる人がたくさんいた。
大阪で言ったら難波みたいな所でゴールだから、すごいたくさん人もいるし、その辺にグッチとかプラダとかあって凄かった。
どうにか第1集団でゴールできた。

今回は世界選前のレースで調整の為、強いプロチームや選手がたくさん来ていた。
だから途中で辞める選手もたくさんいた。
そんな中、鹿屋の萩原選手は総合15位という好成積を収めることができた。チーム全員頑張ったし、全力を尽くせたと思う。
日本のレースでは、まずこんな人数で走る事はないし、BR2で走るより距離も長いし、全く別世界だった。
もっとたくさん走りたいと思ったし、もっと練習しないとレベルが全然違うとも思った。

もっともっともっと強くなって逃げたり、アタックしたり、峠も先頭で登れるようになりたいと心から思った。
今回のジロ・デ・トスカーナもたくさんの方々にご迷惑をかけ、サポートして頂いた事に深く感謝致します。
本当に有難うございました。
                    
cyclingnews.comのジロ・デ・トスカーナの写真の所に私が先頭を引いてる写真が出てますので興味ある方はチェックしてみて下さい