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ジェンダーとメディア・ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011-02-26

高岡市職員の不祥事、特に性暴力事件が多すぎな件

拙ブログを「高岡市職員」でぐぐってくる方があるが、先頃、高岡市の29歳の職員が市役所5階の印刷室でコピーしていた女性職員の後ろから近づき、スカートの中などをデジタルカメラで盗撮していたという事件があった。ここでニュースが見られますが、高岡市、あんまりにも不祥事が多すぎて、言挙げするのもいやになるくらいだ。市民は、またかとうんざりだ。北日本新聞(読めない方が多いと思いますが)ですら、「高岡市では賭けゴルフや無免許運転、万引き、盗撮など職員の不祥事が続いている。」と呆れたように書いているくらいだ。しかも、これらの職員が29歳とか39歳と比較的若い年齢層であることが余計気がかりだ。よく言われる、旧来の体質というものが高岡市では何代も市長が変わっても相変わらず引き継がれているのか、あるいは仕事に打ち込む職場環境が別の要素からできていないのか。いずれにしろ、よい職場環境でないことだけは確かだ。

昨年10月には、「盗撮で処分受けた高岡市職員、今度は強制わいせつ」という事件があったばかりだ。電車内で女子高生の体を触ったとして、強制わいせつの疑いで同県高岡市市民生活課主任が逮捕されている。しかも、この方、一昨年3月に、盗撮事件で市から停職1年の処分を受けていたという始末。なんだか、盗撮、強制わいせつと女性への性暴力が横行しているのは許せない。足下の職員が女性になんでもできると思っているとしたら、高岡市は2008年に男女平等都市宣言しているのは単なるポーズ? 女性をバカにするのも休み休みにしてよ、と思ってしまう。市の男女平等・共同参画課は、まず櫂より始めよで、職員を対象に男女平等を進める必要があるのではないか。こんな性暴力がまかり通っている市役所が「男女平等・共同参画社会の形成に向けての取り組みを総合的、計画的に進める」とか、「男女平等・共同参画の推進に関する施策を総合的に進める」と言っても空念仏のようで、市民の気持ちは離れるばかりだ。

ちょっと前に、市職員が勤務中に県迷惑防止条例違反で逮捕されたとかで(どの事件のことだろうか?)、「職員に対しては、職員の意識改革、能力開発を総合的、計画的に推進するための基本事項を盛り込んだ「高岡市人材育成基本方針」を平成19年度に策定し、これに基づき毎年度の研修実施計画を定め、継続的・計画的に職務遂行に必要な知識、技術の習得を図るとともに、公務員としての倫理観の育成に努めてまいりました。」と市のサイトで弁解したばかりだが、その時から何も変わっていないということを今回また如実に示してしまったのではないか。

北日本新聞によれば、「昨年10月には別の男性職員が強制わいせつの疑いで逮捕され、市は綱紀粛正したばかりだった。高橋市長は24日、全職員に対し「市政や市職員に対する信頼を著しく損ない、誠に遺憾。市民に信頼される行動を強く求める」とする文書を出した。」という。「綱紀粛正」って何をしたんだろう? また、「遺憾」という文書を出したからといって、一体どういう効果があるのだろう。とりわけ、ここんところ度重なる性暴力に関する不祥事に対して、庁内での新たな取り組みを求めたいと思う。

ニュージーランド地震の被害者報道に思う

ところで、ことしはまたまた大事件が起きた。そのニュージーランドのクライストチャーチにおける地震に関する報道だが、「富山」「富山」とテレビから呼びかけられるのでどうしても気になり、見る機会が多い。大きな被害を受けたビルにあるキングス・エデュケーションに語学留学で行っていた中に、たまたま富山外国語専門学校の学生さんが多くおられたようだ。地元でも、接骨院に行った時に、(職業欄に教員と確か書いたようなかすかな記憶が、、、。そのせいか)あなたはニュージーランドに関係してないのかと聞かれたり、友人に会ったら、知り合いの娘さんだかお孫さんだかに行っていた方がいらしたとか、ニュージーランドに行くツアーを取りやめたとか、なにかとこの話題を耳にする機会が多い。

これまでの事故報道では、被害にあった方々のお名前、年齢、時には顔写真までがずらりと並んだものだ。一般に、犯罪などの加害者については匿名になっても、犯罪や事故の被害者は実名が当然といった報道が長らく行われてきた経緯がある。富山のメディアの中の性差別を考える会でまとめた『メディアに描かれる女性像ー新聞をめぐって』(桂書房)では、性犯罪被害者が殺された場合は実名、存命の場合に匿名というルールを問題にした。

しかし一連の報道をみていていると、今回は、少なくとも数日間の初期報道では、被害者の実名報道を避けていたふしがある。「富山市女性(○○歳)、高岡市女性(○○歳)、射水市女性(○○歳)」という風に匿名で表示されていた。数日後から実名に切り替わり、中にはfacebookから顔写真を借りてきて貼り付けた新聞もあり、どうかと思った。自分も事故にあったらfacebookの写真が使われるのかなと想像してしまった。このように本人の許可を得ることができないことが明白な中、実名で写真付きで掲載されるように変わった背景にはどういう力学が働いたのだろうか。自身の情報の出され方に有無を言えない場合、だれがそれを管理する権限があるのだろうか。決して、マスメディアに全権の権限があるとは思えない。

ちなみに、親やきょうだいが現地に赴く中、留守を預かる祖母や祖父がよくテレビに登場しており、しかも、素朴に方言で語っている同じ映像が繰り返し流されていた。それを見る度に、画面に出ることの影響を想定できないまま単に目の前に現れたマスコミに対応しただけだろうと思うが、結果的に、祖母や祖父の善意の対応がマスコミの餌食となっている感が感じられて、なんか痛々しい感じがしたし、またそれを見せつけられている側としていやーな感じも味わった。

しかしまあ、初期だけでも匿名報道がなされたという変化は、犯罪被害者基本法の制定も若干影響を及ぼしているのだろうか。あるいは、個人情報保護や人権擁護という流れが関与しているのだろうか。また今回当初匿名の方針を堅持していたことには、富山外国語専門学校が富山市が設立した学校であり、富山市が情報を管理していたであろうことが何らかの形で関係していたのではないと感じている。一私立学校だったら、マスメディアの攻勢にここまで匿名を堅持できただろうかと考える。

考えてみると、犯罪加害者を報道する際に、どう表記するか、という点は推定無罪という原則、ならびにそれと裏腹に新聞・テレビ・雑誌による集中豪雨的な「犯人視報道」*1の実態(例えば、http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no99.htm参照)があることから、これまでそれなりに議論されてきたが、こうしうた災害や事故の被害者、犯罪の被害者などをどう報道するのがよいのか、についてはごく最近まであまり熱心に議論されてこなかったように思う。

ということで、このように、事故の被害にあった方やその関係者を報道の二次被害で苦しめるようなことだけは避けたいと思う。誰もが被害者になる可能性はあるのだから。その点で、言われているように右足を切断した方への報道記者の暴言だけではなく、広く被害者をどう取りあげるか、という点に関心を払いたいと思う。特に今回のように、事故の被害者が現場に埋もれており発言できず、家族も現地に赴くことで精一杯でマスコミへの対応をしきれない場合、だれがこれらの情報開示をコントロールできるのだろうか。

*1:ちなみに、今では一般的に使われている「犯人視」報道という概念は、元毎日新聞記者の木部克己氏が『甲山報道に見る犯人視という凶器』(1993年、あさお社)において提起された概念だったと思う。たしか、木部氏は新聞記者を辞してこの問題提起の書を書かれたと記憶している。