嬌飾された偶然 『ライク・サムワン・イン・ラブ』


この老人に訪れるオスの試練には段階があり、その階梯の間にはタメとしての踊り場がある。中盤での加瀬亮との接触がそれで、メスをまるで扱えない童貞然とした老人が加瀬へ人生の教訓を垂れ始め、オスとしての甲斐性をようやく発揮する。


ただし不穏なのである。


老人との関係が恋人の加瀬に知覚されることを女は恐れている。老人はケセラセラと実に無責任な言辞を彼女に弄する。性欲が事態を都合よく解釈している。老人のターレン振りは、これから彼をどん底に突き落とすことへの前振りなのか。それとも老人は語り手の魔の手から逃げ切れるのか。語り手の価値観をめぐるスリルが生じるのである*1


淡き期待があるからこそ、インターホンのモニターに出た、狂戦士化した加瀬亮が与える絶望はすさまじい。地理的に遠隔しているので、加瀬が老人の居所を探り当てるとは思えない。その驚きもある。しかし彼が見つけるであろう伏線は張ってあって、もしそれが唐突に見えるのなら語り手は受け手との勝負に勝ったことになる。


老人は加瀬の工場でかつての教え子と遭遇している。教え子は老人の近所に住んでいるという。通俗小説のような偶然であるが、この話では人の関係についてこの手の偶然が頻繁に発動する。不自然の中に本当の作為を見落としてしまうのである。


加瀬の来襲で老人が達するオスの試練の最高段階は、メスの目前で展開されるゆえに痛々しさは天井知らずだ。女の目前でオス性を否定された方が屈辱感が大きいのであり、女を自室に連れ戻したプロットが活きている。老人は、加瀬に襲われたメスを一端は庇護したもののまるで役に立たず、甲斐性のなさが恐怖の前戯となっている。そこに来襲するのが加瀬であり、老人はメスの前で右往左往するばかりである。


ケツ持ちのヤクザは何をやっているのか。あまりのおそろしさに、わたしはテクニカルな話題に固執して恐怖を紛らわしたくなった。