祈りは踊りと共にある

 2009年7月5日 大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎 青空舞踏公演 旭川三番館前にて。
 
 
 
 
 
 今年もこの季節がやってきた。ギリヤークさんがこの地で舞うとき、夏が始まる。青空舞踏公演は私にとって夏の風物詩。毎年初夏の新聞に掲載される北海道公演の報せは、恒例の楽しみでもあり、今年もギリヤークさんがやってくるのだと知ると嬉しくなる。しかし、今年は少し違った。春の新聞で、ギリヤークさんが昨年の暮れ、心臓にペースメーカーを入れる手術をうけ、三ヶ月の療養後の復帰公演が関西で行われた、という記事を見つけた。そんな一足早い報せが切なかった。ギリヤークさんは御歳79歳、決して若くはない。ただでさえ毎年この季節この街で舞う事がどれほど得難いものかと思う。関西での復帰公演を無事に終えた報せは、一時の安心もあり、今年もギリヤークさんの舞いで夏を迎えなければ、と思うに等しい便りにもなった。旭川の青空舞踏公演は西武前と三番館前、二日間に渡って行われるけれど、今回は前日の西武前のは見送った、西武前は街中という場所的にも道行く若人の白い眼差しが痛くて、それも風景のひとつとしての面白みはあるが、気疲れしてしまってあまり宜しくない。私は三番館前の公演が凄く好きだな、銀座通り周辺の奇天烈な三番館前の町並みを前にしたギリヤークさんの舞いは何か宿るものがある気がする。今年の演目は、代表得意作じょんがらに絞った例年よりも短めの三演目。そこら辺はやはり復帰後の影響もあっての事か。それでも、じょんがらの舞いは迫真の気迫を感じた。涙が出そうになった、物悲しい演目ではあるが、悲しみじゃなく魂がこみ上げる涙。どうしてギリヤークさんのじょんがらを見ると涙が出そうになるのだろう。写真を何枚も撮ってみても、あの悲鳴を聞かせられないのが辛い、踊りに秘めた祈りの力をちっとも伝えられないので苦しい。それがちゃんと判るまで、伝えられるようになるまで、私はまだまだ歳が浅いというこった。全ての演目を終えたあと、ギリヤークさんご本人は街頭公演50周年となる88歳まで踊り続けたい、と力強く言っていた。やはり何にしても長く続けている人というのは突き抜けた品格があるなと感じる。毎年青空舞踏で夏を迎えれるのだろうかと不安げに思う私なんてまだまだ甘いものだ。まだまだ、知らない事なんてたくさんある。だから、これから何年先も、ギリヤークさんの舞いで夏を始めたい、その必要がある。
 ということで、夏が始まった。今年の夏はこれからも楽しみな事がたくさんあるから、かけがえのない季節がやってきた、始まりはいつも、祈りの踊りとともにある。