穴ぼこ生活

穴ぼこの空いた数だけ書き記すお気楽ブログ。穴ぼこ人生ここに極まリ!

美しいものしか見ない国

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民主主義を守るとはどの口が言ってんだというのが、正直な感想だ。
自公政権の歴史とは民主主義を破壊してきた歴史そのものであり、でもって、その中心にいたのが安倍晋三であったことは疑いようのない事実だ。
政権与党の政治家に民主主義を語る資格なぞ無いね。

思い起こせば、穴ぼこオヤジが安倍政権による民主主義国家の崩壊を最初に感じた出来事は、イスラム国の人質となった日本人ジャーナリストに対して見殺し同然とも言える政府の対応を見せつけられた時だった。
政権の意にそわない国民であろうと、全ての国民の身の安全を守るのが国家の務めであるはずなのに、あまりに後ろ向きな政府対応に戦慄を覚え、国民に恐怖や不安を与えることで国の支配を試みようとする安倍政権の本質が垣間見えた瞬間だったと記憶している。
その後にあった、国会の手続きを無視して強引に推し進めた安保法制は憲政史上最大の汚点と言っても過言ではない出来事だったし、更には、公文書の改ざんや破棄を平然と行い、そもそも公文書としてすら記録しないなど、国家と国民の信頼の砦でもある情報公開を棄損する安倍政権の姿勢は民主主義の破壊そのものであったと言わざるをえない。
加えて、国会答弁ではまともに質問に答えず、無駄に時間を浪費したかと思えば、首相自ら野次を飛ばすなど、強行採決は元より国会を空転させたり軽視する姿勢は数知れず。
挙句、街頭演説で総理自ら発した「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言は、まさに国家が国民の分断を煽る象徴的な出来事にもなっている。
中でも一番酷いと思ったのは、障碍者施設で起きた惨劇に際して短いコメントを発しただけの素っ気ない安倍晋三の態度だ。
世界各国の首脳や宗教者が重大な人権問題と捉えて素早い反応を見せ、想いのこもったメッセージを日本に寄せていたのとは、あまりに対照的な対応に愕然とした。
本来なら、総理大臣がやることは、即座に事件現場に駆けつけ哀悼の意を示し、排外主義を全力で否定し、国民の人権と命を守る強いメッセージを国内外に発するべきだったと今でも思っている。
一国のリーダーの自覚があるのなら、嘘でもいいから、そのようなパフォーマンスを普通はするだろうに、事の重大性を理解できていない安倍政権の対応には、呆れを通り越して恐怖と虚しさを感じる他なかったね。
即ち、あの事件の犯人が安倍政権にシンパシーを抱いてたのも、もっともな話だということだ。

こうやって改めて振り返ってみても、つくづく安倍政権は民主主義を破壊し、人権を軽んじ、分断や排外主義を推し進めてきた政権でしかなかった。
政治の思想信条の違い以前のレベルで、民主主義国家としてあるまじき政権だったのが安倍政権なのだと思う。
そして、そんな政権与党にお墨付きを与えてきたのも、有権者による民意であった事実は重い。
政治的な正しさが失われていけば、国や社会が混乱を来し内部から崩壊していくのは当然の成り行きだ。
分断がもたらすものは対話の喪失であり、それによって益々社会的勝者と弱者の格差は鮮明となっていき、そして弱者は孤立を極め、やがて排除されていくのみなのだ。
美しい国を目指すといった安倍晋三だが、敵味方思考に支配され、負のエネルギーが渦巻く社会が、果たして美しい国と言えるのだろうか?
恐らく彼は、自分が美しいと思うものだけしか見ていなかったのだと思う。
そして昨日、彼の死角から放たれた負のエネルギーが詰まった銃弾によって、この世から排除されるという、あまりに皮肉な最後を迎えるのだった。
もし、彼が対話を重んじる政治家だったら、その命は失われずに済んでいたかもしれないと思うのは、穴ぼこオヤジだけだろうか。
いずれにしろ、安倍晋三の死は、彼との対話の機会を永遠に失っただけでなく、民主主義を取り戻す機会も失ったいう意味で、日本社会にとって大きな損失だったと言える。

そして、美しいものしか見ない人々によって安倍晋三は崇められ、民主主義を破壊した悪政は、改ざんや無かったことにされていくことになるのだろうね。

新しい国へ  美しい国へ 完全版

分断の果て

昨年から五十肩と首痛が酷くて、ブログの更新がままならない中、参院選が迫っていることもあって、せめて選挙前に更新をと思って政治ネタで下書きを書いてたのだけど、そんなことが吹き飛ぶような出来事が起こってしまった。

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いかなる理由であれ、政治を暴力で変えようとすることは断じて許されない。
ましてや暗殺など言語道断のなのは言うまでもない。
安倍元首相の無事を祈る。

ただ、昨今の日本の社会情勢を思うと、社会に対する不満を抱えた輩による無差別殺人や巻き添え自殺など、テロリズムに通底する事件が頻発するようになっており、いずれ今回のように、その刃が政治家に向かう暴挙がいつ起きても不思議ではない時代になったとも考えていた次第。
かような人々を生み出すような社会を造りだした張本人とも言える安倍元首相が、その餌食になってしまうとは、まさに民主主義と言論の自由を蔑ろにし、分断を生んだ政治家がテロリズムによって最後を迎えたのだとしたら、あまりに皮肉な結末だ。

正直、選挙どころじゃない非常事態だけど、仮に選挙が行われるのならば自民党の歴史的圧勝になるだろう。
犯人の動機は現時点では不明だが、いわゆる反安倍的な動機だとすれば、このテロによってもたらされる結果は、犯人の思惑とは真逆の流れになるだろうね。

実は「崩壊から絶望の時代へ」と題したブログを更新しようと思っていたのだけど、まさに奈落の底へ落ちていく日本を救う術は、今回のテロ行為によって確実に失われたと言わざるをえない。
より息苦しい時代が続いていくことになる。

消えた民意

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まさに因果応報とはこのことだね。
選挙キチの小沢一郎は、自らが築いた小選挙区制で落選した現実をどう受け止めるのだろうか。

そんな訳で、穴ぼこ的には今回の選挙結果は想定していたレベルではあるものの、立憲と共産が予想以上に議席を減らした分、維新に流れちまったかぁというのが率直な印象だ。
即ち、世間では「立憲共産党」の一本化は失敗だったという烙印が押されることになるのだろうけど、ただし、それを額面通りに受け取るのはあまりに短絡的だとは思う。

というのも、立憲の獲得議席の内訳をみると、小選挙区では9議席増やした一方で、比例では23議席も減らす格好となっていて、つまりは、野党一本化は小選挙区ではポジティブに作用した分、比例ではネガティブに作用してしまったことが伺える。

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野党が一本化した小選挙区の多くは接戦が繰り広げられおり、その証左として、やらかした自民のセンセ達が軒並み落選しているのがそれを物語っている。
従って、選挙結果としては与党の安定的勝利に映って見えるのだけども、その内実は薄氷の勝利でもあったということなんだよね。

一方で、比例に関しては、反与党の有権者小選挙区で「立憲共産党」に入れた分、比例では「立憲共産党」以外の野党に入れようとした投票行動が見て取れる。
つまりは反与党という大きなうねりは確実に存在し、その受け皿として「立憲共産党」は充分な役割を果たしてはいたものの、その民意は小選挙区では死に票となって消え、比例では分散してしまうという、小選挙区と比例併用の選挙制度がまさにテトラポットのように波を打ち消す方向に作用してしまったというのが、今回の選挙結果ではないかと分析してみた。

かつての米大統領選でトランプが勝利してしまったように、小選挙区制は民意が反映されにくい上に、ちょっとした投票心理が極端な結果を生んでしまう、極めて危うい選挙制度でもあるってことが改めて浮き彫りになったのだけど、かような検証は行われることなく、選挙制度の歪は見過ごされたままになるんだろうね。
その小選挙区制を生んだ張本人の小沢一郎が落選の憂き目に合うとは、これ以上無い皮肉な結果なんだけど、氏は今回の選挙をどう総括するのだろうか。

そんな訳で、立憲民主党共産党の惨敗は、彼らが必ずしも有権者の支持を失ったということでなく、選挙戦術を誤ったというのが正しい評価なのだと思う。
とはいえ、政治家は結果が全てなので、両党の執行部の責任が問われてしかるべきだろう。
以前から批判してるけど、政治に変化を求める野党の顔ぶれが、何年も変わらない糞コントは、いい加減終わりにするべきでしょ。

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いずれにしろ、与党が安定多数を獲得したことで、今までの通りの腐敗臭漂う政治がこの先も続くということだ。
所詮、岸田総理は芳香剤の役目でしかなく、むしろ維新の躍進と相まって、日本の政治は益々崩壊の道を着実に辿ることになるのだと思う。

行き過ぎたグローバリズムネオリベラリズムの反動による右傾化から、コロナ禍を経て、左傾化に先進国が舵を切ろうとする流れの中で、日本だけが取り残されていくことになるだろう。
しかしそれは必ずしも国民の意志ではないんだけどね。
果たして消えた民意は、この国をどこへ導くのだろうか。

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新社会主義?

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国民を巻き込んだ党内のゴタゴタ劇の末、岸田新政権が誕生したのも束の間、「分配」の必要性を訴えて解散した。
デフレ不況と言われ続けている間にも株価は上昇を続け、企業は内部留保に走り、その一方で、実質賃金は横ばい、そして生活保護は倍増するなど、自公政権によって、まさに格差の拡大と固定化を招き、国を歪ませてきた訳で、何を今更としか言いようが無い。
経済的にも社会的にも日本の将来を救うには、歪を正すこと、即ち富の再分配以外に道が無いのは明らかなのだけど、これまで政権与党の中枢で歪を生んだ立場にいた人間がどの面下げて言ってんだって話ではある。
そもそもコロナ対策でもはっきりしているように、自公政権の目は、財界、創価学会とせいぜい高齢者にしか向いていないので、彼らの利益に反する再分配なぞ出来るはずがないのだけど。
ましてや、安倍麻生に魂売って総理の座に収まった人間が、飼い犬の手を噛む真似なぞ出来るはずもない。
仮に無党派層の支持でも大量に獲得して、安倍麻生に反旗を翻す野心があるのだとしたら、大したもんだけど、早々にトーンダウンしてるし。

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そもそも政権与党が政策や政治姿勢を改めるというのならば、前政権の反省や検証を行った上で変更点を明かにする責務が伴うはずなんだけど、当然、そんな姿勢は皆無な訳で、いわばパチンコ屋の新装開店のチラシみたいな新政権でしかないんだよね。
看板を付け替えたところで、オーナーも経営方針もなんら変わることは無いので、看板政策は単なる見せかけのままで終わることになるだろう。
まぁ、むしろ彼らの目的は選挙に勝てさえすればよいので、もっともらしいことを言って有権者の期待を煽りつつ、野党との争点を無効化にするための方便とも言った方が正しいのかもしれない。

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一方で、分配に脊髄反射の如く、過剰な反応を示す新自由主義者の親分のツイッター

実体経済でトリクルダウンが起きないことは歴史的に証明されつつある訳で、であるならば政治によって富の再分配を促していく他ないのは明らかなんだけどね。
未だかつて、ネオリベの側から、格差の拡大と固定化を懸念する話を聞いたことがない。
そりゃそのはずで、彼らの膨大な利益は、労働者からの過分な搾取で成り立っている訳で、再分配なぞもっての外だもんね。
とはいえ、労働者の懐が暖まらなければ消費が冷え込むのも当たり前の話なんだけど、それって新自由主義者からしたって搾取先を失うことにもなるのだけどなぁ。
草食動物が居なくなればライオンも餓死するしかないよ。

あと、二重課税の批判にしても、既に消費税でも起きている事なので、自分達の資産にフォーカスして批判したところで、なんら説得力を持たない。
ついでにもっとスリム化しろとか言っているけど、世界的にみれば日本は既に小さな政府なので、これ以上の緊縮策は国が滅んじゃうよ。
それこそ、彼の論を用いたらアメリカ以外の先進国は皆、社会主義国家ってことになっちまう。
結局のところ、三木谷社長の一連の発言は、新自由主義者というよりも拝金主義にまみれたご都合主義者と呼ぶ方が正しいと思う次第。

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つくづく不思議なのは、かような「なんちゃってネオリベ」に期待を抱く人々が有権者にそれなりにいることなんだよね。
なんちゃってネオリベ政党といえば今は無き「みんなの党」が思い起こされるけど、そのマインドは「維新の会」に引き継がれ、根強い支持を集め続けている。
まぁ好景気ならまだしも、コロナ禍における大阪の失政でも明らかなように、ネオリベと危機管理の相性が最悪なのは実証済みなんだけどねぇ。
三木谷のような経営者や資産家がネオリベを志向するのは当然だとしても、庶民の支持が無ければ、なんちゃってネオリベ政党は存在しえない訳で、貧乏人が金持ちの心配してどうすんの?って話だよ。

ネオリベ総本山のアメリカですらサンダースの登場によって若い世代で社会主義への支持が集まりだしているというのに、日本は未だ、反共のバイアスが色濃く存在し、社会主義への偏見が根強く残っているように思う次第。
まぁこの辺りは、安倍政権下での反共キャンペーンと左派政党の自滅が大きく影響しているのだろうけど。

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そういった意味でも、自民党プロパガンダだけは時代の先を行っているとは思う。
かねてから自民党の党勢の分析力はかなり精度が高いと穴ぼこ的には思っているのだけど、どうすれば選挙に勝てるかをよく分かっているんだよね。
ネトウヨプロパガンダしかり、そもそも菅降ろしにしても、G20を蔑ろにしてまで解散を早めるのも、今まで口にしてこなかった分配を言い出すのも、はたまた公明党と組み続けているのも、全ては選挙に勝つための手段であり、だからこそ長期政権を築けてきたのだとも思う。
とはいえ、さすがにコロナ禍によって鮮明になった失政のダメージは大きいようで、なりふり構ってられない様子も垣間見えてはいる。
考えるに、自公政権によってもたらされた歪は分断を生み、と同時にその分断を利用して長期政権を維持できたまでは良かったけど、結局は分断は国力を弱めることにしか作用しないので、分断する側の支持層に支えられてきた政権では、国難とも言えるコロナ禍を乗り切ることができず、いよいよ行き詰ってしまったということなんだろうね。
そんな訳で、まさか自民党の口から「分配」の言葉が聞けるとは思わなかったけど、ただしそれはあくまで「分配」であって「再分配」ではどうもなさそうなので、富の再分配や所得の移転といった本当の社会主義政策が実現することはないと思われる。

そんな時だからこそ、野党の存在意義が求められるのだけど、選挙前から一本化のドタバタ劇が繰り広げられているようで期待薄なのが実情だ。
そもそも旧民主党系の政治家もまた、過去の反省や検証を蔑ろにしている連中ばかりなので、そんな彼等に国政を託す気になれないのは当然とも言える。
結局のところ、第2次安倍政権が誕生して以降、いわゆる中動左派がぽっかりと抜け落ちたまま*1有権者の間で政治(家)不信が募り、無党派層に流れていったのが日本の政治状況なんだろうね。
ただ、そういった有権者の反応も健全だとは言えるものの、悲しいかな現行の小選挙区制においては、与党を利することでしかない。
投票率が下がれば、少ない得票率でも国政を牛耳ることができちゃうのだから。
今の自民党がそうであるように、有権者の僅か4分1の得票を得ただけで、国会の単独過半数を占められるのはどう考えても不健全でしょ。

そんな訳で、コロナ禍によってこれまで以上に政治が国民生活に直結する事態となり、否が応でも選挙に関心が集まるようになるとは思うけど、現行の選挙制度下では必ずしも民意を反映した結果とは成り得ないので、少しでも民意に近づくように投票率が上がることに期待するしかないだろうね。
少なくとも投票に行かないということは、自公政権白紙委任することと同じ意味を持ちうることは自覚しておく必要があると思う。

ちなみに、穴ぼこオヤジのここ最近の投票行動はというと、白票か鼻をつまんで野党に入れてきたのだけど、前回の参院選は、一刻も早く日本をぶっ壊してもらうために、生まれて初めてあえて自民党に投票してみたら、本当に日本がぶっ壊れちゃった。

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とはいえ今回の選挙も、まぁ現実的には与党が勝つのだろうけど、せめて健全な国会運営が行われる為にも、自民党単独過半数だけは与えるべきではないと強く思う。
恐らく、その攻防が、現状維持なのか社会主義政策への変革なのかの分かれ目となる選挙になるんじゃないかな。
果たして、空洞化した中道左派の陣取り合戦を制するのはどこの政党になるのだろうか。

なんだか色々書いていたら収拾がつかなくなってきたので、最後に共感を覚えたネット記事を転載しておくことに。

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 安倍・菅政権では、森友学園問題や日本学術会議問題など説明しない政治が続いた。衆院選ではその是非も問われることになる。


 「政治に関心が薄い人は、安倍・菅政権のやらかしてきたことはあまり重視しないと思います。公文書の改ざんや破棄などが厳しく追及されている時でも、安倍さんは選挙に勝ってきたからです。間違ったことをしているのに、それを許してきた国民にも相当責任がある。一方で、安倍政権があれだけ続いたのは、旧民主党政権の『素人政治』への反動という面もあります。その後も野党はだらしなく見える。多くの国民にとっては民主主義の危機より、今日の生活、明日の給料が大事。コロナ禍で生活を安定させてくれるのはどの党かを見定める選挙になるのではないでしょうか」


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*1:自民党ではハト派が駆逐され、社民党は自滅、立憲民主党は保守を自認し、国民民主党ネオリベを志向し、共産党は腐っても共産党だし、でもって令和新撰組は党名からしてバリバリ保守

ネバーエンディングバッドストーリー

実を言うと、仕事柄、医療関係に関わりながら食いつないでいる穴ぼこ生活なのだけど、8月に入ってから、子供達の間で密かにコロナが大流行しているのを目の当たりにしていた次第。
蔓延防止にしろ緊急事態宣言にしろ、夜の繁華街を中心に街中の人流を抑制させることに比重が置かれているけど、既に感染はより広がっていて、市中感染よりも家庭内感染による流行期に入っていると個人的には感じている。
特に夏休み期間に入っているだけに、子供達の感染状況が掴みずらく可視化されていないだけで、子供達の間で感染が広がる中で、家族間に持ち込まれるケースが急増している向きがあったんだよね。

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最近になって、その辺りが指摘されるようになり、国も動きをみせるようになってきたけど、もし仮にそうだったとすると、蔓延防止や緊急事態宣言はもはや的外れの政策となっていて、即ち、感染者を減らす効果が期待できる政策ではなくなっている可能性も高い。
そんな訳で、夏休み明けの感染者数の動向を注視しておく必要はありそうだね。

にも関わらず、政府、オリパラ組織委員会パラリンピックに児童を観戦させようと企む様は、もはやイカれているといしか言いようがない。
さすがは「感染拡大を最優先」に取組む政権だけのことはある。
オリンピックの時もそうだったけど、パラリンピックで医療のリソースが奪われるだけでもありえない話なのに、ましてや選手が感染しようものなら医療サービスが受けられない可能性だってある訳で、今の感染状況を考えれば、どう考えても中止以外の選択肢しかないのだけどね。
それこそ、パラリンピックを中止にすることで、これ以上ない感染拡大を阻止する強いメッセージにもなったはずなのに、むしろ子供達をも犠牲にしてまで突き進まんとする菅政権。
てかそもそも、何処へ向かって進んでいるんだ?
国を滅ぼすつもりなのだろうか?

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そんな訳で、いよいよ政府の信頼は完全に失われ、有効な手立てもなければ、保障もなく、そして感染は広がり続け、医療は崩壊し、積み重ねられていく死亡者のカウントを眺めることしかできない様は、まさに日本崩壊。
頼みの綱のワクチンにしても、接種が滞っているだけでなく、期待するほどの効果が得られない現状も垣間見えるなど、必ずしも特効薬とまでは言えず、何より壮大な人体実験でもある訳で、特に穴ぼこオヤジが気になっているのが、ワクチン接種後の死亡例を調べると、インフルエンザワクチンよりもコロナワクチンの方が明らかに高い死亡率データが出てきているのだが、実際のところは「関連が認められない」とかいう魔法の呪文を唱えられて、自己責任を押し付けられているのが実情だ。
本来なら、接種後の国民の健康も担保するべく、保障や医療サービスとセットであるべきなのだけど、接種に関するあらゆるリスクについて、政府や医療サイドから丁寧なアナウンスが為されている形跡は知る限りない。
特に脳内出血や心臓系の疾患による死亡例が顕著なだけに、「関連が認められない」で済ましていい話では無いと思うのだが、国はいつまでだんまりを続けるつもりなのだろうか。
それこそ、子宮頸がんワクチンの件で痛い思いを経験しているはずなのに、教訓になっていないのかねぇ。

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免疫学的にはコロナワクチンが現時点で有効なのは明らかだとしても、一個人の立場からすれば、僅かでも死に至るかもしれないワクチンを打つことになる訳で、かようなリスクを個人に押し付けて、自己責任で判断してくださいってのはあまりに酷い話だ。
なぜこの国は、個人で負いきれない責任を、国家が代わりに負うことを忌み嫌うのだろうか。
さすがは「自助」大好き政権だけのことはある。

一方で、他国のようなロックダウンを日本でも行ってはどうかという話も出てきているけど、確かに、感染防止の切り札になりえる可能性は高そうだけど、どこかの専門家の話を聞いて思ったのは、国家と国民のコミュニケーションがいかに取れているかが重要であり、即ち信頼関係によって効果が大きく分かれるとの見解を示していて、全くその通りだなと感じてみた次第。
国会での議論しかり、導入プロセスから生活保障に至るまで、国民からの信頼とコンセンサスを得たロックダウンでなければ、効果が期待できないのはそら当然の話な訳で、となると、これまでの振る舞いをみれば明らかなように、今の菅政権には天地がひっくり返っても土台、無理な話ではあるんだよね。
当の菅総理もロックダウンには後ろ向きのようで、安倍政権以降、大日本帝国的な憲法改正を掲げてきた政権与党なので、私権の制限は大好物かと思いきや、ロックダウンについては急に腰が引ける謎対応。
ま、要は生活保障をしたくないってだけの話なんだろうけど、国民の自助と同調圧にコロナ対策を委ねるような政府なら、必要無いって話だよ。

ということで、さすがに内閣支持率が急落する事態にまでなってはいるけど、正直、何を今更とも思う。
遡れば、憲法の解釈を自在に変え、公文書の隠蔽改ざんを平然と行い、国会での議論を避け強行採決を繰り返し、まともな総理会見すら開かない、こんなご都合主義にまみれた政権が、有効なコロナ対策を行えるはずも無いのは端から分かりきった話なのだけど、しかしながら、そんな政権与党に毎度フリーパスを与え続けきたのは、多くの有権者でもあるという事実を忘れてはならないと思う。
無能な政権を退場させる機会はこれまでにいくらもあった訳で、今頃になって政権を批判したところで、もう時は遅し。
即ちこの先も、政権にとって不都合な事実は肥溜めに延々と流し込まれ、国民は漏れ出る腐敗臭を延々と嗅がされ続けることになるのだと思う。

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まさに菅総理が宣言したように「自助」で、即ち、己の身は己で守る以外に生き残る術はない殺伐とした世の中になるということだ。
結局、彼らが口にする「自助」「自己責任」ってのは、本来なら国が行うべき「公助」や「共助」を放棄する方便でしかない。
それこそ「自宅療養」なんて言葉で誤魔化しているけど、実態は「自宅放置」もしくは「見殺し」なんだよね。
コロナ禍に陥ってからというもの、果たして自公政権は一体何をしてきたのだろうか?
彼等が着実に成し遂げたのは、世論の反対を押し切って開催したオリンピックしか思い浮かばん。

穴ぼこ的には、自公政権になって以降、日々、北朝鮮やロシア化が進んでいるなぁと思っているのだけど、今の状況は、もはやそれを通り越して、ミャンマーの軍事政権レベルになってきたぐらいな気がして眩暈を覚えるよ。
現政権の腐りきった体質を変えるには血を入れ替えるしかないのだけど、世襲やベテラン議員が締める与野党の顔ぶれが変わらない限り、いくら選挙をやったところで、何も変わらないのだろうね。

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↑産経にすら書かれている始末


即ちそれは、政治の劣化と腐敗が益々進むということでもあるって話だ。
コロナと共に「終わりの見えない時代」に突入したのかもしれない。

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オリンピック禍

慢性的な首痛に加えて昨年から始まった五十肩の悪化が著しくて、キーボードを「鬱」もとい「打つ」ことが難儀する為に、更新どころじゃなかった穴ぼこ生活。
そうこうしている間にも、なりふり構わず東京五輪の開催へ向けて国家が暴走する様を連日見せつけられてばかりで、いやホントに鬱になりそうな今日この頃。

思うに、なぜ、かつての日本が無謀な戦争に突き進んだ挙句、膨大な犠牲者を生んで、尚且つ、それら総括もなされず、責任の所在も曖昧にされたまま現代に至っているのか、東京五輪開催に向かってアクセル全開の政治と社会を見るにつけ、まさに「歴史は繰り返す」と言わんばかりの有様だ。
まぁ、同じ過ちを繰り返すのは、過去から学びや気付きを得ていないだけの話なんだけど、例えば、学術会議や公文書管理を巡る自公政権の対応一つ取っても、知見や科学的態度の一切を無視し、客観性を担保しない姿勢を隠そうともしなかった訳で、歴史や事実を直視せず、改ざんや隠蔽が横行するようなご都合主義を貫けば、そりゃ同じ過ちを繰り返すのは当たり前の話であり、事今に至っては、もはや過ちすら無かったかのように振る舞うレベルにまで劣化が進んでいる。

そんな訳で、劣化は政治に留まらず、官僚や行政にまで及ぼすようになり、そして現在、そのしわ寄せが国民生活にダイレクトに響くようになっている状況にも関わらず、恐ろしいことに未だ30%以上(普通の民主国家であればせいぜい10%レベルでしょ)も内閣支持率があるという現実は、もはやディストピアしか言いようがないね。
まさに「魚は頭から腐る」を国家レベルで体現し、そしていよいよ尻尾まで腐り始めているのが、今の日本なのだと思う。

実際、後手を踏み続けている新型コロナ対策や東京五輪の強行開催によって、様々な社会の歪が露わになっても尚、なんら顧みることなく、その場しのぎの手当てを施すだけで、まるで何事も無かったかのように社会が動き続ける様を見るにつけ、この国は完全に自浄作用を失い、そして本当に日本の社会は崩壊してしまったのだなと強く思っている次第。
それこそビルのように音を立てて崩れていけば、皆で崩壊を実感できるのだろうけど、社会の崩壊は、静かに、そして弱い所から、即ち声なき弱者から、じわじわと壊れていくものなので、皆が崩壊に気付く頃には既に手遅れなのだと思う。

そんな訳で、開催が決まった当初から東京五輪に大反対だった穴ぼこオヤジなのだけど、この期に及んでは、むしろ開催してくれた方が良いんじゃね、と考えるようになった次第。

そもそも「震災復興の証」とのたまっていた時点で既にまがい物臭に満ちていたのだけど、コロナ禍に陥った途端に、何の断りもなく「コロナに打ち勝った証」に変貌する辺りからして、いかに東京五輪が虚飾にまみれたいい加減なイベントなのかを露呈してもいる訳で、そういや「絆を取り戻す」なんてのたまっていた大臣もいたけど、むしろ絆を切り刻むが如く、差別や分断をせっせと後押しているのが今の政権与党な訳で、彼らが口にする「絆」ほど物騒な物はないっしょ。
挙句、オリンピックに反対する人々は反日なのだ!と、止めを刺しにくる安倍前総理のご登場とまで来るもんだから、日本て、なんて素晴らしい国なんだろうね。
まさに被災者を、コロナ患者や医療従事者を、そして国民を愚弄し蔑ろにしてまで強行するオリンピックって、一体、誰の為に、何の為に開かれるのだろうか。

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そもそもコロナが無かったとしても、猛暑を筆頭にスポーツに適さない環境下で行われる、アスリートにも観客にとっても安心安全とは言えない大会になる懸念がただでさえあった中で、これに明らかな準備や人材の不足に加えて、お粗末なコロナ対策の中で五輪大会が繰り広げられる訳で、まともな運営なぞ出来る訳が無く、どう考えたって史上最悪なオリンピックにしかならんでしょ。

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文字通り、1億2千万をドブに捨てたらしい


利権にまみれた側からしたって、もはや開催して得られる物より、失う物の方が大きいように思うのだけど、まるでブレーキの無い車を走らせているようなもんだよね。

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さすがにトヨタにはブレーキがついていたか


東京ではコロナの第5波に発展する動きを受けて、慌てて緊急事態宣言を出したけど、信頼を失った政権や、ガバナンスの欠落した役所の言うことを、果たしてどれだけの人が聞くのだろうか。
そしてそんな自覚があるのかどうかは知らんけど、民主国家とは到底思えない、ピンポイントで酒販業者に対して強権的な施策を打ち出す始末。
さすがに批判を浴びてドタバタの末に撤回してたけど、オリンピックの為ならなりふり構わず、平然と国民に牙を向く姿勢を見せたことは、現政権の本性をよく表した出来事として記憶しておく必要があると思う。

まぁそれもこれも、国会を頑なに開こうしない政権与党のご都合主義によって自ら招いた所業も言える訳で「無理を通せば道理が通らぬ」を地で行くが如く、この先、続々とボロを出しまくることになるのだろう。

そんな訳で、選手達にとっては気の毒な話でしかないけど、これからの1ヶ月間は、腐りきった日本の現状をオリンピックを通じて世界に晒し続けることになるのかと。
恐らく、これまでと通りというか、それ以上に政府、五輪関係者によって国内メディアはアンダーコントロールされるのだろうけど、海外メディアにはその手は通じないからね。
政府、五輪関係者にとって都合の悪いことを隠そうとすればするほど、むしろ悪臭を放ち、海外メディアの格好のネタとして、全世界に発信されまくる羽目になると思うよ。

そういえば、日本人選手がメダルを取る活躍を見せて盛り上がれば、政権の浮揚に繋がって衆院選の追い風になるとの一部報道もあるけど、恐らくそれなりには盛り上がるのだろうけど、別に日本人選手がメダルを取ったからって、それでコロナが収まる訳でも無く、ワクチンや保障が行き渡る訳でもないので、閉会した途端にオリンピック熱はあっという間に冷めるだろうね。
むしろ、オリンピック禍の中で、益々事態は悪化していくだろうから、日本にとっては、五輪後により厳しい現実が待ち受けていることになるかもやしれず。

ということで、東京オリンピックによって、これまでの政権がせっせと誤魔化しながら溜め込んできた汚物が、白日の下に晒されることになるのだとしたら、強引にでも開催する意義があるってもんだよ。
だだし、劣化した政権の尻拭いは国民がするしかないのだけどね。
そんな訳で「震災復興の証」でも、「コロナに打ち勝った証」でもなく「日本が崩壊した証」となるオリンピックになることで、日本が再生する機会を得られることを願うぐらいしか、オリンピックに夢や希望を持てそうもないのは、あまりに虚しぎるけど...

しかしまぁ、次から次へとスキャンダルが出てくるね。
個人的に、小山田圭吾の一件では「因果応報」が思い浮かんでしまったのだけど、なんだかこの先の日本を暗示しているかのような出来事に思えて仕方がないよ。
ちなみに、編集長の訳の分からない謝罪文でやり過ごそうとしてるみたいだけど、本来ならロッキンオンジャパンにしろクイックジャパンは廃刊レベルの事案でしょ。
小山田に非があるのは当然としても、彼のグロテスクな話をショーアップして世に放った出版社の社会的責任は大きいと思うよ。
結局、誰も責任(検証と反省)を取らないから、今になって、こんな騒動になっているんだよね。
どちらの雑誌名にも「ジャパン」と付いているのが、あまりに暗示的過ぎる。

そんなことを書いている側から、今度は開会式のディレクターを務める元ラーメンズ小林賢太郎について、欧米が敏感に反応しそうなネタが急浮上。

mainichi.jp

一方で、東京周辺ではコロナが感染爆発しそうだし、いやホント、この先どうなっちゃうんだろう。

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津野米咲の自死について思う

natalie.mu

フジファブリックのように、支柱を失ってもバンドを継続していく選択肢もあるのかなと思ってはいたけど、同じ失うにしても、やはり津野米咲自死は、バンドが背負うにはあまりにも重過ぎる十字架だったということなのだろうか。
誰よりも、残されたメンバーが感じているに違いないはずだろうけど、解散は無念の一言に尽きる。

去年、移動中の車内で津野米咲自死を知らせるネットニュースが飛び込んできた時は、あまりに突然の出来事に本当に我が目を疑い、と同時に絶句したのだった。
音楽が文化を生み出すよりも消費されるような時代に移り変わっていく中、次第に穴ぼこオヤジも音楽から興味が薄れるようになり、特に邦楽の魅力がどんどん失われているように感じているのだけど、そんな中、唯一と言っていいほど、デビューから動向を追っかけていた日本のバンドが「赤い公園」だったんだよね。

昔っから、ギャルバン(古っ!)が気になって仕方のなかったオヤジ目線はさておき、リリースを重ねる毎に、楽曲や演奏のクォリティが上がっていき、次はどんな曲を聴かせてくれるのだろう?というワクワクを感じさせてくれる数少ないバンドだった。
そして、穴ぼこオヤジが指摘するまでもなく、その源は、溢れ出るほどの才能が織りなす津野米咲の音楽性によってもたらされてきたものであり、まさに唯一無二のミュージシャンであったと思う。
それだけに、彼女の自死は、バンドのみならず日本の音楽シーンにとっても、大きな損失であったと言わざるを得ない。

一部のファンの間では、津野米咲の遺作となったアルバム「THE PARK」の歌詞の一説を、遺書のように解釈する向きもあるようで、確かにダイイングメッセージとも受け取れるフレーズが随所に見られるとは思うものの、一方で、希望に満ちたメッセージを感じさせるフレーズも同じくらい放たれていて、むしろ、かようなアンビバレンツな音楽性こそが、津野米咲が生み出す「赤い公園」の魅力そのものなんだと思っている。


赤い公園「pray」Music Video

音楽に限らず、アートでも演技、文学でもそれこそ料理なんかにでも、表現する全てにおいて言えるのは、本来なら同居することのない相反する要素を独自の黄金比で融合し、表現できるのがモノ創りの才能でもあり、そんな才能によって生み出されたモノを、僕らが受け取とったり感じ取ることで、その奥深さに触れ、そして感動を味わうのだと思う。

希望と絶望、陽と陰、刹那と永劫、調和と不協 etc... 赤い公園の音楽性を語ろうとする穴ぼこオヤジにはかようなアンビバレンツな言葉が頭に浮かんでくるのだけど、これらを絶妙なバランスで、しかも見事なまでにポップロックに仕上げてしまうのが津野米咲だったんだよね。
それこそ、これからという時にボーカル脱退というバンドの存続に関わる危機を経て、それまでの明るくパワフルな姐御キャラだった佐藤千明から、内向的な元アイドル(アイドルルネッサンス)の理子という対照的な新ボーカルを迎えてもなお、「赤い公園」らしさを失うどころか、より進化した姿を披露してみせたのには驚く他なかった。
まさに、一回り大きくなろうとしていた矢先に訪れた突然の自死だけに、その衝撃は図り知れないものがある。


赤い公園 「絶対零度」Music Video

実を言うと、津野米咲がパーソナリティを務めていたFMラジオの番組をよく聴いていたんだけど、J-POPとハロプロをこよなく愛する彼女の想いが伝わってくる番組内容だったりで、以前の穴ぼこブログにも書いたように、穴ぼこオヤジが「ようこそジャパ リパークへ」を聴くと涙がこぼれそうになるのだけど、実は津野米咲もラジオで同じことを話しているのを偶然聴いていたことがあって、まさかの同志だったとはと、びっくりした覚えがあるんだよね。
穴ぼこオヤジが、津野米咲の生み出す音楽がいつも気になっちゃうのも、かような感性にシンパシーを抱いていたからなのかもしれない。

divot.hatenablog.com

ただし、津野米咲のアンビバレンツな面は何も音楽性に限らず、メンタリティーにも及んでいたように思える。
ラジオ番組のトークを聴いていても、予定調和を嫌ったり、自虐的だったりと、色々とこじらせている印象が強く、ナイーブさと熱さが同居する危うさを感じずにはいられなかった。
穴ぼこオヤジの野暮な想像でしかないけど、表現者としての感性の豊かさゆえに、アンビバレンツな対極のエネルギーをどんどん肥大化させてしまい、いつバランスを崩してもおかしくない不安定さを抱えていたようにも思えるんだよね。
そして、そのバランスを保つ唯一の方法が、音楽に情熱を注ぐことだったのではないかと。
だからこそ、熱量と儚さが同居する不思議な魅力に満ちた音楽を放ち続けていたのかもしれないと思ってみた。

ちなみに「赤い公園」の曲を聴いていると、カウベルがよく登場してくるのだけど、以前から穴ぼこ的にはこれがずっと気になっていて、激しい展開の後のブレイク部分に「ポコンッ!」とまさにコミックバンドかの如く、カウベルが響き渡る曲とかが結構あって、個人的にはあまり好みではなかったんだけど、恐らく、一つの方向性に引っ張られてしまいそうになる予定調和を崩そうと、一種のトリックスターのような味付けになっていて、津野米咲なりのJ-POPに対する拘りにも聴こえてしまうんだよね。
そういった意味では、色々考え過ぎる上に色々詰め込み過ぎだったりと、何かと、とっ散らかった印象に陥りがちな曲も多く、かような音楽性の複雑さ加減が「赤い公園」の魅力であるのと同時に、今に至るまでヒット曲に恵まれなかった要因にもなり得たという、厄介な話のようにも思えてみたり。
まっ、そんなところもひっくるめて、穴ぼこオヤジが「赤い公園」が好きなところではあるのだけれどね。


赤い公園 ライブ サイダー(熱唱祭り)
穴ぼこオヤジお気に入りの曲。もちろんカウベルあり。

そんな訳で、まさにこれからという時に、コロナ禍によって音楽活動が制限されるだけでなく、先行きも見えない中、次々と表現の場が失われていく状況を前にして、音楽が津野米咲にとってバランサーとしての役目を果たせなくなり、自分自身でも気づかないうちに、心身の均衡を失ってしまっていたのかもしれない。
もしもコロナ禍が世の中に訪れなかったら、もしも彼女の心にカウベルの音を響かすことができたのなら、僕らは、彼女の新曲を楽しみに待ち、そしてステージ上での姿を、今も見ることができていたのだろうか?

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穴ぼこオヤジは、かつて自死ばかりを考えていたことのある人間であり、そして自死を否定するつもりは今も無い。
それでも、今こうして穴ぼこ生活が続いているのは、自分が自死することで涙を流してくれる人がいるのならば、その人のために生きよう、と思えるようになったからだ。
それこそ、そんな気持ちにさせてくれるのも音楽の力だったりするし、そういう力が津野米咲が生み出してきた音楽にもたくさん宿っていたはずだ。
だからこそ、多くのファンが彼女の死に涙し、悲しみに暮れているのだと思う。
やはり、彼女は生きて音楽を届け続けるべきだった。
残されたメンバー、とりわけ新ボーカルの理子のことを考えると胸が痛む。

2015年に「赤い公園」の代表曲の一つでもある「KOIKI」がリリースされた際に、津野米咲がこんなオフィシャルコメントを残している。

大災害や命の終わり、大きなものから小さなものまで、私たちは逃れることのできないピンチに直面します。どこかで誰かが悲鳴を上げていることを知りながら、喜ぶことやふざけることは自粛するべきだと世界が怒っています。しかし、そんな時にも新しい命は生まれ、花は咲き、日は昇ります。大切な人が、そんな喜びを申し訳なく思うのであれば、私だけでも滅びゆく街の中で「おめでとう!」と言いたい。あの人の笑顔は誰も奪ってはならない。そんな気持ちで書きました。


津野米咲には小粋でいて欲しかった。



赤い公園「KOIKI」MUSIC VIDEO