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歯切れが悪いのは仕様です。


2007-05-21

[][][]「水からの伝言」に言語学の立場から反論する

 というわけで、宣言どおり「水からの伝言」に対する言語学的な視点からの反論を書いておくことにします。

 これまでこのブログではこういう話題は全然取り上げてこなかったので突然に思われるかもしれません。web上でこの話題に出会ってからかなり多くの関連サイトをのぞいて勉強させていただきましたが、「言葉」の役割がかなり大きい問題であるにも関わらず、言語学的な問題に焦点を当てた反論というのは管見の限り見つかっていません(いや、色んなところでちょっとずつ触れられてはいて、それで議論はほとんど尽きてさえいるのですが…例えば”no title”ではこのエントリの主要な論点がほぼ出揃っています)。まあこのお話に触れた言語学経験者の方々は全て一笑に付してきたのでしょうが、一応簡単にでもまとめたものがあってもいいかな、とずっと思っていましたので。あと、いくつかのサイトで見かけた「人文系の反応が薄いよなあ…」という感想に対して何か反応したかったという経緯もあります。

◆読む前の注意点

  • 簡便のためにここから先は、「水からの伝言」を略して「水伝」と表記することにします。
  • 「水伝」がどういう問題かという点に関してはwikipediaの簡潔な記述を参照ください。さらに詳しい議論が知りたい方はそこからさらに田崎晴明氏や菊池誠氏のサイトを訪ねると良いと思います。
  • この記事は、水伝の主張が純粋に言語学的な観点だけから見ても不可能であると示すことを目的としています。水伝が自然科学の観点から見て成り立たないことはすでに色々なところで示されています。しかし、この記事が全く意味が無いかというとそんなことはなく、「水伝の(ある)主張はたとえどんなに厳密に科学的方法論にのっとった研究を行っても検証されえない、原理的に成り立たないものである」ことを示すという点ではおそらく少しは意義があるでしょう。
  • とは言っても、これからの議論はほとんど様々なサイトで少しずつ端的に指摘されてきたものです。目新しく鮮やかな「さすが専門家!気づかなかった!」というような反証が出てくることを期待しないでください(笑)
  • かなり多くのサイトを見て回り、ブログの議論にも目を通し、江本氏の本も我慢してちゃんと読みきりましたがそれでも拾いきれなかった情報があると思います。お手数ですがご指摘いただけると嬉しいです。あと、「この程度の議論しかできてないお前なんかが言語学を代表するな!」と思われた方もどんどん突っ込んでください。
  • まだ荒いバージョンだと思っているので議論の進展やご指摘によってどんどん改訂していくつもりです。…あと、読んでみて期待はずれなできだったらごめんなさい…

※ある程度全体を書いた後で結構むなしくなってきました…というか、主張が至る所であいまいで逃げ道が色々あって、反論しにくいのです…こんな「お話」に躍起になるなよ*1、と思われるかもしれませんが、言語学(特に意味)に関する色々な問題を考える一例にもなっていると思いますし、実際、院試なんかで出すと良いかもしれません*2

 言語学を勉強している若い院生の皆さんにはむしろ他の批判サイトへ行って、そこでのやりとりなんかを追ってみて、科学とは、科学的態度とは、科学的方法論とはなどに関する議論を肌で味わうことをおすすめします。

※追記(2007/06/09)

 TAKESANさんのブログに、ここから先に書いてある議論を親子の対話形式という形でよりわかりやすく展開したエントリが発表されました↓

 上で交わされている会話の背後にある(言語学からの)理論的な裏付けが本エントリ、ということになると思います。

 どちらから先に読まれても良いと思いますが、両方読まれることをオススメします。水伝に対して具体例を挙げた反論はすぐ思いつくのだけど、それがどう(あるいはどういった言葉で)一般化されるか知りたい、という方はここから先の議論を、ここから先の議論を読んで、「でも具体的にもっと簡単に人に説明する場合はどうすればいいのか」知りたい方はTAKESANさんのエントリを読んでみてください。

では↓

0.イントロ

 さて、まず最初に反論のターゲットにする主張を明確にしておきます。水伝には水質に関する主張などもありますが、もちろんここで取り扱うのは言語に関する問題に限ります。またこれこそが水伝の主な、というか主に重大な問題だとされてきたものですし。以下はほぼwikipediaからの抜粋です。

 水に「ありがとう」や「平和」など「よい言葉」をかけて凍らせると美しい雪花状の結晶ができ、「ばかやろう」や「戦争」など「悪い言葉」をかけると汚い結晶ができる。

 言語学的に気になる点をさらに詳しく挙げておきます。

  1. 水に言葉を触れさせる方法は、「紙に書いて容器に貼る」のと、「声をかける」どちらの方法でも良い。
  2. 様々な言語(英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語など)で同じような結果が得られる。

1は水が音声言語と文字言語のどちらも理解できる、ということですね。2は…水はどの言語も理解できる、かあるいはどの言語についてもそれを理解できる水がある…となるのでしょうか。この時点でもう怪しさいっぱいですよね(^^;

 …では気をとりなおして。論点はいくつかありますが、言語学的に見て大きな問題点は二つあります。言語表現の恣意性に関する問題と、文脈に関する問題です。他のサイトでも良く見かけるのは文脈に関する問題点の指摘なので、まずはそちらから見てみましょう。

 

1.発話の解釈の文脈依存性

 表出された(個々の)言語表現の解釈は文脈に依存します。僕の好きな先生の例*3(厳密にオリジナルと同じではありませんが)を挙げます。次のような表現を考えてみましょう。

  • 彼は、料理がとても上手い。

 この表現は次のようにそれが発話された文脈によってその解釈(意図)が異なってきます。

  1. 話題が結婚の条件についてで、自分の友達に対する評価を求められた時
  2. 話題が哲学の研究についてで、自分の友達に対する評価を求められた時

 1の場合はその友達についての高い(好い)評価となるのに対して、2の場合は強烈な皮肉を表してしまうでしょう。このように、字義上の意味(「文の意味」と言ったりします)は同じでも、その発話の意味(ものすごくラフに言えば意図)は文脈によって場合によっては大きく異なってしまうのです。同じ「ありがとう」でも口汚い罵り合いの後に突然発せられた場合はあまり謝意の表明とは理解してもらえないのではないでしょうか。

 このレベルぐらいまでの情報も無ければある言語表現の評価というのはできないのではないでしょうか。

 この問題が水伝に関して提起する問題点は二つあります。まず、文脈も無しにある言語表現の評価をしろと言われても(人間にとってですら)難しいということです。しかし、人間であればこれまでの知識や体験を(無意識に)参照して判断を下すことができるかもしれません。ところが、水はどのようにしてそのような知識や体験を参照することができるのでしょうか。

2.言語記号の恣意性の問題

 言語の形(音、文字)と意味(内容)は一般的に恣意的に結びついています*4

 言語学に触れたことがある方、ソシュール関係の本を読んだことがある方であれば、すぐに「シニフィアン(能記)」と「シニフィエ(所記)」という言葉が思い出されるでしょう。日本語の訳語を見てもよくわからないと思いますが、これはフランス語の"sign"に当たる動詞の現在分詞と過去分詞です。荒く訳すと「表すもの」と「表されるもの」とでもなりましょうか。

 言語学の教科書では色々な例が挙げられますが、例えば”犬”という種を表すために日本語では「いぬ/犬/イヌ」という言語記号を使用し、英語では"dog"という言語記号を使用します。このように、(これは音、文字両者について言えると思いますが)言語表現においては*5その記号の形と意味の結びつきに必然性はありません。これはすなわち次のようなことでもあります。

  • その言語における形と意味の対応に関する情報を持っていないと、その言語(の表現)を理解(あるいは使用)することはできない。

 (確か)田崎先生が挙げていた、「じゃあ"shine"と書いたらどうなるの?日本語で解釈するなら「死ね」で英語なら「輝け」じゃない」という反例は、ここでの問題を適格に鋭く指摘していると考えられます。

 これは水伝に対して次のような問題を突きつけます。すなわち、水はどのようにしてそのような形と意味の対応に関する情報を持ちえるのか、と。言語能力にいかに生得的、普遍的な部分があるとしても、このような情報に関しては母語話者、非母語話者に関係無く学習して覚えていくしかありません*6。しかもその情報は言語(時には方言、コミュニティなどの単位で)によって大きく異なっているのです。

3.問題点の整理

 ではまとめてみましょう。

 水がある言語表現を「よい言葉」だと判断するためには、水自身が、

  • その言語表現がどのような意味(内容)と結びついているのかという情報、と
  • その言語表現がどのような文脈に置かれるとどのような解釈を得るのかという情報

 を持っている必要があります。さらに、

  • 評価の基準に関する情報

 も持っていなければならないでしょう。かなりの程度解釈を絞り込むことができたとしても、そこでその表現が良いか悪いかを判断するにはやはり何らかの知識が必要だと思います。評価、価値ということに関してはさらに”水に芸術はわからない: 朴斎雑志”を読まれることをオススメします。

 すなわち、「波動」というような怪しげな概念の物理的な議論に入るまでもなく、

  • ある言語表現の、その物理的性質(形)のみと特定の評価を結びつけることは原理的に不可能

なのです。そして、

  • 「意味」を受け取るためにはそれがどのレベルのものであれ、受け手側が実に様々な情報、知識を持っていることが必須

なのです。

 これらの結論は、「現段階では無理でも水伝が将来科学的に検証されるかもしれないと考える方々」が支持するであろう「言語記号(文字、あるいは音)がその物理的性質によってのみ水に意味を伝え、水の物理的性質が変化する」というような主張に対する完全な反論になっていると思います。形だけからは、意味は生まれないのです。

 この反論を克服するためには、例えば1)実は水は言葉に反応しているわけではなく、それを表現したものの「心」に反応している、とするか、2)水は万能の学習者で、実は人間と接するたびにその言語に関する情報を学習している、あるいは、水はなんだかしらないけれども全ての言語に関する情報を備えている、というような道を選択しなければならないでしょう。

 1)はそもそも「水が言葉の意味に反応している」という水伝の大きな主張を破棄するものであり、人には優しい心で接しましょう、といったような当たり前の教訓*7だけが出てくることになるでしょう。2)は水がそういう情報を持つことができるとするところからなんというかもう神話の世界のお話になりそうですが、ホメオパシーとの関連性を強調していたり、本のあちこちに出てくる水に対する神秘的崇拝指向から考えると本気でそう言い出しそうな感じがするのが怖いところです。しかも水は物理的に離れていても情報をやりとりすることができるとか言い出しそう…

◆追記:記号の認識について(2007/06/11)

 ここのコメント欄や他ブログでも少し議論が出たのでまとめておきます。重要な議論だと思うのですが、もしかしたらこの点に関しては言語学者間でも少し意見が異なってくるかもしれない*8ので、追記という形で…

 むしろこの点が(言語学的に考えた時に)水伝が越えるべき最初のハードルなのかもしれません。それは、「水はどうやって言語記号を言語記号として認識できるのか」という問題です。…そもそも水に受容器官なんか無いじゃん…という根本的な問題もありますが、それは水の物理的性質に関わるものだと思いますので、ここでは取り扱いません。

 問題は、言語記号というものが本質的に離散的な性質を持つのに対して、それを具体的に実現する物理的実態である「インクの染み(文字)」や「空気の震え(音)」は連続的なものだということです。つまり、私たちがそういった単なる物理量をきちんと個々の言語記号として受け取ることができる、というのも私たちが有している言語に関する知識に依存しているのです。

 音に関して見てみましょう。例えば、「う」という音を出しながら、だんだんあごを開いて舌の位置を下げていってみてください。「お」になりますよね?このように調音運動というのは連続的に調節可能ですし、実際に産出される音も連続的に変化します。しかし、日本語の音としては「う」か「お」でしかなく、「33%の”う”」というものが言語記号として使用されることはありません*9。日常会話で実際に中間的な音を出したとしても、「勝手にどちらかに解釈される」でしょう。音に鋭い人なら「日本語っぽくない音」とか「変な(わかりにくい)発音するな」などと言うかもしれません。

 このようなシステムになっているからこそ、物理的には様々に異なっているはずの音を同じ「う」として言語記号として使用することができると言えます。文字に関しても基本的には同じことが言えると思います。「ある約束事を満たしていればXという記号として認識する」という知識を持っているからこそ、小学生が書いた「う」も書の達人が書いた「う」も、同じ「う」として認識し、使用することができるのです*10

 すなわち、水が言語記号を言語記号として認識するには、このような「インクの染み」や「空気の震え」を言語記号と結びつける知識も持っていなければならない、ということになります。このハードルを越えなければ、水伝の上記の主張は恣意性の問題にすらたどり着くこともできません。

 

4.さらに気になったところなど

◆水は文法も持っている!?

 本文中には「ありがとう」や「ごめんなさい」といったような非常に固定的で、ある特定の言語行為と密接に結びついている表現だけでなく、「しようね」と「しなさい」を使用した実験も紹介されています。もちろん「しようね」は綺麗な結晶を作り、「しなさい」は美しくない結晶しか作らないということです。

 しかし「しなさい」はまあ結構固定的な表現であるとしても、「しようね」の意味を解釈するためには、上で議論したような情報に加えてさらに「する」と「(よ)う」と「ね」を合成するとどのような意味になるのか、という計算ができる必要があります…すなわち文法を持っていないといけないのです!しかも「〜しなさい」の〜の部分が特定されていてもとんでもないことなのに、そこを捨象して「命令」という意味を抽出できるとは…水恐るべし、です。

◆愛と正義も知っている!?

 さらに、「愛」と「正義」も美しい結晶を形作ることが写真つきで紹介されています。しかし、この単語、本当にそんなに生易しいものなのでしょうか。もちろん、辞書を引くとその意味が乗っていますが、我々はその意味はこの概念に結びつく具体的なエピソードに関する知識や経験を持たないと理解することはできないのでしょうか。ということは水はそういうった知識も持っていることに…

 まあ本当にこれらの単語の意味がそのように得られるかどうかはともかく、「犬」といったような言葉と違って、このような高度に抽象的な概念に対しても適切な評価ができると言うのは本当にすごいと思います。

◆歴史的変化はどうするんだろう…

 さらに、言語表現の持つ意味というのも様々なレベルで(それこそ語彙的意味から文法的、発話の解釈に関するものまで)歴史的に変化します。水が参照してるのはどの時代の言語の情報なんでしょう…まあ現代なんでしょうけど、では今良い言葉とされやすいものが百年後には全く逆の意味になってしまったら?水はそれも学習できるのでしょうか。

*1:菊池誠先生の言い方を借りれば「宗教」

*2:次の文章、「水からの伝言」を言語学の観点から批判せよ、とか

*3:全くの余談ですが、この「僕の好きな先生の例」という表現は構造的に曖昧です。どういうことでしょう?

*4:もちろん、一部では形と意味の有縁性が顔を出すことはあります。日本語だとオノマトペが有名ですが、音象徴論とか最近結構盛ん…なのかな。

*5:交通標識などを考えるとわかると思いますが、恣意性は記号そのものの一般的性質ではありません。

*6:生成文法でやっていようがanti-lexicalismのモデルだろうがこういう情報を蓄えておく部門は絶対必要です

*7:論理が分かる人なら問題無いと思いますが、もちろんここまでの議論は「心の持ちようが水の物理的状態に影響を与える」という主張に対する何の肯定的な根拠にもなりません

*8:音素の心理的実在性などが問題になってくると思うので

*9:実際に実験音声学では連続的に変化する音を聞かせて、被験者がどのポイントで音が変わったと感じるかを調べるような研究などがあります

*10:もちろん様々な違いはありますし、人間がそれを認識することもできます。

TAKESANTAKESAN 2007/05/21 22:56 初めまして。

大変的確かつ平易な内容で、納得しました。
私が知る限りでは、水伝を言語学的に批判したものは、余り無いので、こちらのエントリーは、とても貴重なものであると思います。
ビリーバーは、こちらにある様な説明を読んでも、あらゆる方法で、自説の正当化を試みると思いますが、何となくおかしいな、とか、よく解らないな、という印象を水伝に持っている人に対しては、言葉に対する認識を新たにするきっかけに、なるかも知れませんね。

水伝と言えば、文字を見せる事でも有名?ですが、ここも、矛盾だらけですよね。水が、文字をどうやって弁別しているのだろうか、とか、書体が異なっても良いのか、とか。

TAKESANTAKESAN 2007/05/21 22:58 あ、すみません、ハンドルを間違えました。正しくは、半角です。

dlitdlit 2007/05/21 23:32 >TAKESANさん
感想ありがとうございます。正直言うと言語学プロパーではない方々にどれだけわかってもらえるように書けるか不安だったのでちょっと安心しました(^^;ただ自分で読み直しても足りないところやわかりにくいところがあるので、初めてこの問題に出会った方でもわかるような記事にしたいと思っています。
最初は論理的に完全な矛盾を導けないかと考え始めたのですが、結構難しそうなので論理的にとんでもない方向に行かざるをえないように追い詰める方針にしたつもりです。そんなどこまでも水伝についていきたい人はもうどうしようもないかな、と…
文字に関しては書道家の素晴らしい字を見せたら綺麗な結晶を作った!と言うだろうなあと(笑)ホントは音やインクの染みといった連続的な物理的実体を離散的な言語記号として認識するためにも知識が必要なんですよね…この点に関してもそのうち書き足すかもしれません。

JEDIJEDI 2007/05/22 01:18 こんにちは、実は本読んでないのですが。。気になったのでカキコしました。
ところで最後におっしゃっていることですが、確かに大きな問題だと思います。
水が、あらゆる言語の文字を認識し、その意味を解釈できるとすれば、その知識というのはいったいどこに蓄えられているのでしょうかね。
第一、よく認知関連の書籍でいわれているような現象、つぼの絵とか、少女と老婆の絵など、結局あんなものも、色の違い以外のなんでもないはずですよね。
それを関連付けし、何かのまとまったものとして観察する認知能力を持っているということは言わざるをえませんね。

こんなに水が発達できる知的な何か(生命体ではないでしょうが…)だとすると、将来人間に取って代わって、文明を築きあげるのは、水かもしれませんね(笑)

にしても、それだけ能力がありながら、太古からまったくその形状的変化なり何の変化を(少なくともヒトの目には)生んでいない水というのが不思議でしょうがないです。

ふまふま 2007/05/22 10:30 言葉が「水の美しさの主観的判断」に影響する、とすれば特におかしくないと思うがな…

あくまで「水の美しさ」という主観的判断が問題になっているんだから。肯定派も否定派もそこを弁えなければ、どっちもどっちだぜ

追加追加 2007/05/22 10:41 水伝は、あくまで「主観的判断」と「主観的判断」との関係を問題にしているだけ。
それは(言葉と水の)「美しさ」と言っているんだから、最初から明らかですよね。
もちろん、「美しさ」に自然科学的な定義を特殊限定的に与えているのなら話は別なんですが。

ぎーもぎーも 2007/05/22 22:49 shineの例は,例えば毎日新聞の「理系白書’07」(2月7日分)で挙げられています(リンクは貼らないでおきます)。ご参考までに。

dlitdlit 2007/05/23 01:06 >JEDIさん
脳科学関係の分野でもその難しさが言われていると思いますが、言語能力、特に意味に関連する処理ってのは本当に色々厄介で難しい問題、手続き、概念が絡んでくるんですよね…かなり色々な認知能力が関わっていると思います。
水が…まあ水じゃなくても人間以外にそういうシステムを持ちえる対象があったらむしろ(特に認知科学寄りの)言語学者としては助かるのかもしれません(笑)

>ふまさん
えーと…書き込みの趣旨が理解できているかどうかわかりませんが、「〜主観的判断に影響する」などと考えても、それが「言葉の意味によって」人から水に伝わることはありえない、というのがこの記事の主張です。人がある言葉を「美しい」と思う気持ちが水に影響を与えているのであれば、それは水が言葉を理解しているとはとても言えないですよね。僕の立場からはそこまで示せれば十分です。

>ぎーもさん
お久しぶりです!&情報ありがとうございます。そして、さすがです。まさかこのようなことでまでお世話になるとは思ってませんでした…(^^;そのうち本文の方にも書き加えておきます。

AboutAbout 2007/05/23 04:52 はじめまして。
shineの話は、青山剛昌作:名探偵コナン 単行本第25巻にあるエピソード(雑誌初出は平成11年)で出てきたりするんですよね。水伝関係の話題でshineの話が出ると、どうもそれを思い出してしまって、つい書き込んでしまいました(^^;

dlitdlit 2007/05/23 11:41 >Aboutさん
はじめまして。
コナン、25巻だったら確実に読んでるはずなんですけど(^^;出てたんですね〜
機会があったらチェックしてみます。情報ありがとうございますm(_ _)m

negennegen 2007/05/23 16:27 こちらでは初めまして。面白かった。水ネタは俺も書こうと思ってたけど、書くことが無くなってしまったよ。
水伝はもともとが論をなしてないから、いくらでも反論できるんだよね。例えば「13」という数字を見せたらどう反応するか(日本ではただの数字、西洋では忌みことば)、とか、指示とか固有名の問題はどうなるのか、とか。思考実験としては面白く遊べるかな。
個人的には、トンデモ同士のつぶし合いっつーのを考えてた。水に「ゲーム脳」という言葉を見せたらどうなるのだろうか、と。

ふまふま 2007/05/23 18:41 「美しい」という判断は、個人の主観により成立します。

ある人が美しいと感じる言葉の存在により、その人が水の結晶を美しいと感じるか、どうかに影響を与える、という解釈が水伝のまともな解釈でしょう。それ以外の解釈は、水伝を肯定するにせよ、否定するにせよ、トンデモな解釈です。

というのが主張です。なぜか、肯定派の人ばかりでなく、否定派の中の人にも、トンデモな解釈をする人が少しいるような。

あるいは、言葉を美しいと思ったとき、その人は選択的に美しい結晶を選ぶ傾向がある、というのもいいでしょう。
基本的に、水に影響を与えているというのではなく、人に影響を与えているということです。

そして、水伝肯定者に対するその影響は水伝否定者のそれより大きいという傾向は当然ながら、あって良さそうですね。

ふまふま 2007/05/23 18:48 こう言ってもいいでしょう。

宗教はその宗教を信じる人に大きな影響をもち、信じない人にはあまり影響をもたない、という傾向は当然のこと。

水伝が示しているものはあくまで人に対する影響であり、その影響が肯定者と否定者とで差があるのは極めて自然なことです。

dlitdlit 2007/05/23 23:44
>negenさん
そういえばここでは初めてかもですね!訪問ありがとうございます。
こうやって言語畑からの「とりあえず問題無し」の反応をいただくのが一番安心します(^^;しかし”shine”より良い例を出したくて色々考えてみたんですけど…なかなか思いつきません。僕も色々思考実験の例を書いてみたかったのですが、水伝を肯定的に捉えてるととられると困るのでやめときました(笑)やっぱり意味関係の問題は考え始めると底が無いですよね…
確か水伝自体を水に見せたらどうなるのか、っていうコメントがどこかにありました。やっぱり美しいのかな…自画自賛の無限参照ですね。

>ふまさん
ああ、なるほど。分かった気がします。
そういうことなら、ふまさんの主張はこのエントリの僕の主張となんらぶつかりません。というか、(本文にも書いてあると思いますが)僕の論自体水伝がそういう方向にしか向かえないように展開してます。そして、そういう主観、行動選択、宗教といったところまでは言語学は踏み込めません。
そもそも水伝の主張自体が学問の命題としてはかなり曖昧ですし、ここでは言葉(の意味)に水伝が明示的にコミットした場合の問題点を挙げ、反論しただけです。
そういった(主観とか)議論をお望みということであれば、そういった問題について真正面から取り扱っている場に行くことをおすすめします。

ふまふま 2007/05/24 01:28 >水伝が示しているものはあくまで人に対する影響であり、その影響が肯定者と否定者とで差があるのは極めて自然なことです。

基本的に言いたいことはこれですが。水伝は本文中にいくら「科学的である」という言明があるとしても、そもそも字義通りに受け取るようなものではなくて、違う読み方をするのが普通の読み方だ、と思います。

普通でない読み方に基づいて肯定するのも、否定するのも、何だか極端だな、という印象を持っています。

ふまふま 2007/05/24 01:48 水伝を科学的に扱うとすれば、「肯定派の人は水伝の通りになるようにするか?」、「否定派の人は水伝の通りにならないように抵抗するか?」、「水伝に特に興味のない普通の人は言葉の美しさが結晶の美しさの印象にどのくらい影響を受けるか?(例えば、音楽が映像の印象に影響を与えるように)」といったことが問題にできると思います。
私は、水伝は字義通りには科学でないと思いますが、だからと言って、科学的に全く扱い得ない、とは考えません。また、そもそも字義通りに読むような本ではないでしょう。

kazkaz 2007/05/24 15:38 こんにちは、dlitさん
ふま氏には関わらないほうがいいかと。
ふま=うま=でま、でしょうから、きっと。
kikulogや天羽さん、そして朴斎ところで暴れている人ですから。

dlitdlit 2007/05/24 18:11 >ふまさん
この記事でやっていることは水伝への「否定」でも「非難」でもありませんので、あしからず。「批判」と「否定」をごっちゃにされると学問をやっているものとしてはつらいです。
webを回っていると、残念ながらふまさんのような水伝の正しい読み方?ができずに字義通り受け止めて信じてしまう方々もいらっしゃるようなので、それは成り立たないよ、ということを示したわけです。というわけなので、僕のような輩を諭すより、そういう「間違って理解していて」、かつ「信じてしまっている」人々に教えてあげた方が良いのではないでしょうか。

>kazさん
ご忠告ありがとうございます。他の方々のところでの事情はおおよそ認識しているつもりです。このエントリを書く前にある程度予想も覚悟もしていましたので。なにぶん性分なので応えてしまうのですが、あまりにエントリの内容を踏まえてない意見を書かれるのはちょっと悲しいですねえ…そのために注意書きとか前置きををくどいぐらいに書いたのですが。

ふまふま 2007/05/24 20:36 >水伝の正しい読み方?ができずに字義通り受け止めて信じてしまう方々もいらっしゃるようなので、それは成り立たないよ、ということを示した
 
つまり、親切でやっている訳ですよね。ただちょっとずっと気になっている点がありまして、例えばですが
 
水伝授業=「字義通り受け止めて信じてしまう」
 
という等式は少なくとも、いつも成り立つようなものではない、と私は思うのですね。もちろん、中にはそういう授業もあるだろうから注意を促す、という親切は成り立つと思います。ただ、そこから「水伝授業は全て止めた方がいい」というのは行き過ぎた反応だと私は思う訳です。dlitさんが、水伝授業についてどう考えているかは正確には分かりませんが。
 
私は「道徳授業は、そもそもお話に仮託して道徳的な建前を説くようなものが多く、そのようなお話は通常字義通りには受け取らないものだ」と考えています。
 
ありがとうと言うことは良く、バカと言うことは悪いという主張は、道徳的建前としては奇異なものではないし、「言葉の美しさが水の結晶の美しさに通ずる」というのも、小学校の道徳授業に出てくるお話として見れば、それほど特別なものではない、と思います。
 
確かに科学という点では、水伝は字義通りに見れば、おかしい訳ですから、その種の授業である理科教育に侵攻するようなことがもしもあれば異常事態だ、とは思います。あと、上にも書きましたが、字義通りには受け取らずメタな視点に立てば、真面目に扱うことも全くできない訳ではない、とも思います。

追加追加 2007/05/24 20:40 >字義通りには受け取らずメタな視点に立てば、真面目に扱うことも全くできない訳ではない
 
ま、この点については、水伝を特に取り上げる理由は「何か流行っているみたいだから」以上のものはなさそうですけど。

ふまふま 2007/05/24 20:54 すみません、かなり補足的な話なのですが。
 
道徳授業を受けた子供が、その授業での道徳的建前に合わせた反応をその場で示すことは、どこまで自覚的行動であるかどうかはともかく、それは、彼らなりの自然な社会性の表れだと思います。その反応を真に受けて、「子供達が真に受けている」と考えるのは少し極端だなあ、と思っているところが私にはあります。

dlitdlit 2007/05/24 21:25 >ふまさん
そういった論点についてはこれまで色々なサイトでしっかり議論されたと思うので、僕から特に述べておくことはありませんねえ。

通報通報 2007/06/05 10:57 > >ドーキンスのように躍起になって神を否定する必要は科学にはないはずです。
>創造論が信仰の範囲に留まるなら、ですね。創造論が教育や政治にかかわりだしたら、否定せざるを得ない。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1118068989#CID1181003617


150 :ご冗談でしょう?名無しさん :2007/06/05(火) 10:23:56 ID:???
>>149

>創造論が教育や政治にかかわりだしたら、否定せざるを得ない。

大学の宗教生活および教育の完成を助けること
http://www.icu.ac.jp/abouticu/christianity.html

創造論が「科学として」教育や政治にかかわりだしたら、
否定せざるを得ない。

というならいいがなw

http://science6.2ch.net/test/read.cgi/sci/1174710590/149-150

ファンクマスターファンクマスター 2007/06/08 06:08 自分がこの「水伝」を読んで、非常に疑問に思ったことをAmazonのレビューに皮肉の形で書いたのですが、
その点について言語学の専門家の方が的確に批判をされ、すっきりしました。
ちなみにAmazonでの拙文は以下の通りです。

著者と著者が使ってるお水様に聞いてみたいなあ。お水様が価値判断をしてくれるなら、
お水様に「マ○コ」「チ○ポ」って言葉を見せたらどう反応してくれるのか。
性器は豊饒のシンボルで神様として祭られてたりするわけだから、いい反応してくれるはずだよね。
でも「マ○コ」「チ○ポ」って子供が学校で使っちゃいけない言葉だよね。なら悪い反応になるのかなあ。
どんな結晶作ってくれるの? ねえ、教えてよ、江本さんとお水様。

dlitdlit 2007/06/08 16:41 >ファンクマスターさん
Amazonのレビューは見てなかったので、教えてくださってありがとうございます。特に専門的な知識は無くても、この辺りのことは結構疑問に思う人は多いのではないかと思います。実際、問題になりそうな例は色んなところで色んな人が挙げていますし。
しかしレビュー一通り読んでみたのですが意外と肯定的な評価が多いことに驚きました。

菊池誠先生を菊池誠先生を 2007/06/14 18:51 応援するスレッド

【ニセ科学】菊池誠@モンテカルロ屋【疑似科学】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/sci/1174710590/

ファンクマスターファンクマスター 2007/07/14 23:07 こんばんは。お返事ありがとうございます。
この「水伝」は確かに言葉というものを嘗めてるとしか言いようありませんね。
「しようね」が○、で「しなさい」が×なら、これを道徳教材に使う教師は、テストの問題で、「次の計算をしなさい」は「次の計算をしようね」(または「〜しましょう」か)と書かねばならなくなります。しかし、高等教育レベルだと「計算せよ」「解け」等の完全な命令形が普通です。水が”嫌う”言葉でしょう。なら、大学の試験問題でも「計算しようね」と書くべきなのか?(書き言葉、話し言葉の違いはありますが、「水伝」の世界はその区別が存在しないようなので) 結局「水伝」のロジックは小学校低学年を教える程度の方便でしかなく、主張するのは自由ですが、実際に教育に使うというのは方便であっても、非常に問題が多い、という以前に破綻している、と改めて思います。

dlitdlit 2007/07/18 17:22 >ファンクマスターさん
こんにちは。
水伝は本当に色んな点で破綻しまくっていると思います。言葉の問題だけを考えても、これだけ色々変なことになってしまいますから。
しかし水伝を信じている方々の怖いところは、本気で「数学の問題文から命令表現を消せ」というような運動を起こしてしまいそうなところだと思います。

ぷーさんぷーさん 2007/08/25 10:43 津村ゆかり:「ニセ科学」関連・最終記事
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_05f4.html

takesanetakesane 2007/10/19 12:45 私自身は「あれは科学的に正しくないのですから、もしも授業にお使いになるなら【科学的には正しくない】ということを明確にして使って下さい」程度が、科学側からの提言としてはちょうどいいと思っています。

まさに、棲み分けの問題です。棲み分けの可能性をあらかじめ排除してしまっている点に問題がある、と思います。

http://therese.air-nifty.com/therese/2007/10/post_b2a2.html#comment-15971867

ふまふま 2007/12/23 02:07 水伝は、ニセ科学ではなくて、オカルトでしょう。水伝を、ニセ科学として批判するのは不適切です。
(ニセ科学ではないから批判するなということではないので誤解なきよう。ニセ科学ではない、というだけですので。)

takesanetakesane 2008/01/24 11:39 ホメオパシーを科学とする関係者はいないし、それで騙すこともないということです。非科学ですけどそれでもいいですかと説明して、納得してやるものです
Y形大学さんに楯突くなんて、恐ろしい、怖いもの知らず、なんていってしまう環境にいつまでもどっぷり浸って、さぞ居心地がよかったことでしょう

日和見追随者と風のゆくへ アルバトロス海溝  D島改
http://similar.blog60.fc2.com/blog-entry-96.html

Interdisciplinary: 脳内藁人形批判者
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_0888.html#comment-22410495

たけさんたけさん 2008/01/25 12:21 ぶいっちゃん氏の現在の態度はつまりこういうことである。

 「『水伝』は科学ではなく、科学の名を騙るインチキであることを認める」
 「だがそれは『どちらでもいい』ことだ」
 「『水伝』に共感し、肯定的に伝えるのは良いことだ」

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-24-1
http://blog.goo.ne.
jp/kurokuragawa/e/7957449b130ac5b9d28bf7afe3d80357
Commented by ぷーさん at 2008-01-25 12:04 x
良い悪いはともかく

それはニセ科学ではない

TAKESANETAKESANE 2008/01/25 19:18 昨今の疑似科学批判ってなんか浅薄だなと思う。水が語るわけないし、進化の過程に神が介在するわけじゃん。
世の中そういう人はいるし、そういう人だってまっとうに生きているかもだから、そんなのほっとけというか、
悪徳ビジネスとかいうなら、消費者問題として区別すればいいんで、スジが違うように思う。

なんというか - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080124/1201132364

>dlitさま。>dlitさま。 2008/01/27 16:16 お前はそれでニセ科学を批判しているつもりなんだろうが、
何も分かっていないんだよ。

例えば、「科学用語」(←科学周辺の科学ならざる物)と
「科学そのもの」を同一視するところからニセ科学は産ま
れる。それが分からんようじゃ、何を批判したって無駄。


20 :あるケミストさん :2008/01/25(金) 23:01:12
>>19
>例えば、「科学用語」(←科学周辺の科学ならざる物)と
>「科学そのもの」を同一視するところからニセ科学は産ま
>れる。それが分からんようじゃ、何を批判したって無駄。

他にも、「科学技術を使った工業製品」(←科学周辺の科学
ならざる物)と「科学そのもの」を混同するとか、「科学の
教科書」を「科学そのもの」だと思い込むとかな。

それらに科学者が関るのは、とても自然なことだ。だからと
言って、それらが科学ではないということに変わりはない。

http://science6.2ch.net/test/read.cgi/bake/1200978466/20

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