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歯切れが悪いのは仕様です。


2007-12-18

[]「いっちょ有効なニセ科学批判批判論でも考えてみるか→すぐに挫折」から考えたこと

※追記:書いてから気付きましたが、このエントリはある程度ニセ科学を扱っているサイト(とそこでの議論)を色々見てまわっていないとよく理解できないかもしれません。ご了承ください。

※追記2:コメント欄のやりとりは、このエントリやニセ科学批判に関する問題を理解するための大きな助けになると思います。議論の流れを追うのは大変ですが、じっくり一読をオススメします。この記事のコメント欄のまとめもご利用ください。

※追記3:もうこの記事のコメント欄には書き込めないようなので、続きのやりとりをしたい方は追記2で紹介しているコメント欄まとめの記事のコメント欄でどうぞ。

 最近、変なニセ科学批判批判をする人がなんだかぽつぽつ増え始めていて、ニセ科学に言及するサイトでもそういう人たちの言説が話題になることも多くなってきたような印象があります。

 で、僕の不勉強もあるのかもしれませんが、まだ「おっこれは勉強になる!」というニセ科学批判批判論に出会ったことがない気がします。なんてことを考えていたらapj氏のサイトにこんな記事が↓

 以下、重要だと思われる箇所を引用

...これまでのところ、私がニセ科学批判批判から学んだことは「具体例を踏まえないメタな議論はとことん役立たず」という経験だけである。

 役に立つニセ科学批判批判があるとしたら、

  • ニセ科学批判批判の立場から見たとき、現状のニセ科学批判はどういうものであると認識しているのかが明確に述べられている。
  • その認識は、個別のニセ科学批判のあり方をきちんと捉えた上でのものである。
  • 今のニセ科学批判のどれかががまずいと考えるならば、具体的にどうすればいいと考えるのか。個別の例ごとに、「こうあるべきだ、理由は……」と述べる。

といったものになるのではないか。

 で、関連していくつかつらつらと考えたことを。

対象に共通のニックネームがあるからといって、対処法が同じだとは限らない

 なるほど。確かに「ニセ科学」という用語自体には菊地先生による基本となる定義が存在する*1けれども、水伝批判、血液型性格判断批判、ゲーム脳批判、といった個々のニセ科学批判については、問題点や批判の仕方について何かメタな部分で共通点が無ければならないという強制も必要性も批判者自身は意識していないと思います。むしろ思考の方向としては逆で、それぞれのテーマの批判をしっかりやっていって見比べてみると、似たような問題が浮かび上がってきたね、という同意やじゃあ、それについても考えてみようか、というような議論はある程度なされている、というのが僕の印象です。

有効なニセ科学批判批判を生み出すのは相当難しいんじゃないか

 で、僕がapj氏のエントリを読んで最初に思いついたのは、「じゃあ、なんとかニセ科学批判の活動自体にも貢献できるようなニセ科学批判批判論を構成することができないかな?」ということでした。

 apj氏が述べているようにニセ科学批判全体*2への適切な批判はかなり無茶があるとしても、「水伝批判」とか「マイナスイオン批判」ぐらいの括りのレベルではなんとかメタ的な批判も考えられるかもしれないし、と考えたのですが…

 少しメタな視点に立ってみたり、僕自身がある程度内容にもなじみのある水伝や血液型性格判断の批判について具体的に考えてみたりもしたのですが、無理でした…というか、こりゃー僕程度には無理だな…ということに気づいたというか。

 なぜかというと、僕自身が思いつく程度の批判なんて、すでにそれぞれのニセ科学批判の中でかなり議論されているのですよね。どんな批判を考えてみても、すぐに「ああ、そういえばこれはあのサイトであの人が言ってたなあ」ということを思い出して、同時にそれになんらかの有意義な議論を付け加えるのは相当難しいな、と実感、の繰り返しでした。

 第一、ニセ科学批判に携わる人々の間でも、具体的なニセ科学の範囲から始まって*3、どの問題を重視すべきか、どのような批判の仕方が適切かというところまで色々な立場や意見があって、これまで相当な議論がなされてきましたし、今でもなされているのですよね。

 結局、現時点で最も水準の高い、有効な(個々の)ニセ科学批判への批判を提示、議論し続けているのはニセ科学批判に携わっている人々自身なのではないかと思い至りました。

「ニセ科学に分類されてるからやってる」わけじゃない

 poohさんのエントリのコメント欄でも、「僕らはばらばら」なんていうやりとりをしましたが、これはいわゆるニセ科学批判なんて呼ばれている議論のそれぞれをきちんと追っていくと、よくわかります。批判の内容についてはある程度同意があっても、それに対してどう振舞うかとか、問題点の優先順位の付け方では立場が異なったり、トピックが異なると意見が割れたり。

 そもそも、真摯にニセ科学批判をやっている人たちは、それがニセ科学に分類されているからやっているわけではない、と思います。例えば何らかの理由で(想像しにくいですが)水伝問題や血液型性格判断問題やゲーム脳問題をニセ科学に分類するのはやめた方が良い、という合意がなされたとしても、僕は僕自身の水伝批判の内容を取り下げませんし、kikulogでABO FANさんに付き合ってる方々が「じゃあやめた」とは言い出さないでしょうし*4、TAKESANさんがゲーム脳に関するエントリを書かなくなることも無いでしょう。みんな、そこに具体的な、確固たる問題があるからこそ批判をしているわけで、その問題は「ニセ科学」に分類されなくなったとしても消えるわけではないですよね。

そうすると、「ニセ科学批判批判」と呼べるような議論は構成しうるのか

 こう考えてくると、やっぱりapj氏の予想に立ち戻っていくわけで、結局議論がかみ合うニセ科学批判批判をしたいのであれば、「ニセ科学批判への批判」ではなくて、「水のクラスターの測定に関するapj氏の批判への批判」のように、具体的でローカルな言説を提示しなければならないでしょう*5

 そのような議論を提出することは大変だと思いますが*6、非常に有意義なことでしょう。でも、僕から見れば、それはむしろ通常の健全なニセ科学批判の活動の一つです。上でも書いたように、ニセ科学批判(の個々の議論)自体が、自己への批判も含んでいるのですから。

 これはすでに指摘されていることかもしれませんが、結局、「ニセ科学批判を外(上?)から批判してやってる」ということを論者自身が(安心して)納得できるような形でニセ科学批判批判を成り立たせる*7ためには、存在しない敵を作り上げて、それに適当な固有名詞を貼り付けて抽象的なメタ論を展開するしかないのかもしれません(あるいは根拠のない非難/罵倒/誹謗中傷に終始するか)。

 それとも、僕の想像し得ないような、ニセ科学批判批判の存在の仕方があるのでしょうか。

 …あれ、なんでこんなに長くなったんだろう…

*1:もちろん、ニセ科学問題のどの点を重視するかによって、その詳細な定義や適応の範囲はバリエーションがある。

*2:もうこの括りの時点ですでに存在しない仮想敵っぽいけど

*3:温泉の効能書きはニセ科学か、というテーマは結構意見が割れたという覚えが。

*4:別の理由で諦めたり切り上げることはあったとしても

*5:そしてそれは一部の方々からすると全く興味が無い、あるいは魅力が無いものなのかもしれません。

*6:かなりの勉強が必要でしょう

*7:簡単に言うとニセ科学批判批判がニセ科学批判の外(上)に立ち続ける

結局結局 2007/12/18 20:52 ですね。「ニセ科学批判」という括りが、「ニセ科学批判批判」を起動させている、という分析は正しいと思います。
そういう括りには有効性と弊害の両方があるのでしょう。「ニセ科学批判批判」は弊害の一側面を示しているだけで。

補足補足 2007/12/18 20:56 その括りを採用しなければ、「私、別にニセ科学批判なんてしてないですけど…。何か?」で終了ではあるのですが。

apjapj 2007/12/18 21:19  トラックバックありがとうございます。

 何て言うか「法律論争してます」と言いつつ、やってることは個別の判例検討だとか、そんなイメージですね。

dlitdlit 2007/12/18 22:25 >結局さん
僕やapj氏が難点を示しているポイントは、「そんな、別々にやってることを勝手に一括りにした上で勝手に起動されても…」というところだと思います。
有効性について述べておくと、apj氏が述べているのは、とりあえず今までのところ、「ニセ科学批判批判」サイドからは有効な議論と言うのは提出されてないよね、ということであり、僕がこのエントリで述べたのは、有効な批判ならすでにいわゆるニセ科学批判のそれぞれの議論に携わってる方々が積極的に出してるんじゃあ…ということだと考えています。
もちろん、もし有効性のある議論が今後どなたかから提出されるのであれば、それは色々な方の参考になるでしょうし、僕もぜひ見てみたいのですが(自分では思いつけそうもないので)。

dlitdlit 2007/12/18 22:36 >apjさん
こちらこそ、興味深いエントリの提供ありがとうございます。

基本としては個別の議論を徹底的にやっていって、その中でいくつかの議論に共通点や体系性が見出せるなら、一段階抽象化して議論することもしてみようか、ぐらいのスタンスが、僕の現在の様々なニセ科学批判の議論を追っかけてる上で持っているイメージですね。
上のコメントにも書きましたが、本当に有益で、空回っていないニセ科学批判に対するメタ論が展開できるというのであれば、個人的には非常に見てみたいのですけれど。

FUMAP!FUMAP! 2007/12/18 22:53 >ニセ科学批判する(特に「専門家」の)皆さんへ

ニセ科学の重要なポイントは、「一般の人が科学であると見ているか?」です。
「一般の人がどう見ているのか?」を専門の人が決定することは、捻じれがあるのです。
その捻じれに、自覚的になって頂ければそれでよろしい。

一般の人が科学用語を(曲解して)使うのは、必ずしも権威を笠に着ている訳ではなく、
単純に「面白いから」ということもあると思いますよ。

とにかくとにかく 2007/12/18 23:02 「ニセ科学である」ことを論拠に批判をしている訳でないということですよね。
要するに、「ニセ科学批判」という括りが極めてミスリーディングで、それが
不適切な「ニセ科学批判批判」を呼び込んでいるということでしょう。

追加です追加です 2007/12/18 23:20 「ニセ科学一般」を批判しているのではなく、「ニセ科学の中から悪い物だけ」を選んで個別に悪い部分を批判しているんだ、ということですよね?

ニセ科学批判という呼称は「ニセ科学は悪い物なので、ニセ科学を批判します」というように受け取られるのは非常にありがちなことだと思います。

apjapj 2007/12/19 00:39 >「一般の人がどう見ているのか?」を専門の人が決定することは、捻じれがあるのです。

 その「一般の人」という括りが既に不適切です。「一般の人」のうち、高校の理科の成績が非常に良かった人は科学であると見ないけれど、高校で理科がわからん状態で卒業した人には科学であると見える、という場合だってあるので。

 でもって、明らかに面白がる目的で科学用語を曲げて使っている場合は、
専門家「○○は科学っぽい言い回しをしているが、実は……」
一般の人「だってそれネタだしシャレだし」
専門家「あ、野暮なことしちゃいました」
という展開になるだけ。
 逆に、
専門家「(こんなの誰が見てもネタだよな、スルーでいいか)」
一般の人「これって科学的根拠があるよね」
専門家「うーむ誤解する人が居たか。(では改めて)その話は実は……」
というケースもあるかも。

apjapj 2007/12/19 00:45  要するに、安易に「専門家」「一般の人」といったカテゴリー分けをしない方がいいということです。

 それから、専門家が「決定」はしていません。批判した方が良さそうなのでやってみた、というだけのことで、強いて言うならこれは「推測」です。
 この推測が外れていたら、多くの人に「野暮」などと言われるだけのことです。これまでのところ、私が取り上げた例で、この推測が大ハズレだったケースは無いと考えています。

apjapj 2007/12/19 00:58 >「ニセ科学一般」を批判しているのではなく、「ニセ科学の中から悪い物だけ」を選んで個別に悪い部分を批判しているんだ、ということですよね?

 では、「悪くないニセ科学」や、「ニセ科学の中で悪くない部分」の具体例を出してみていただけますか。「選んでいるんですよね?」という質問が出てくるのなら、選ばれなかったもの(たまたままだ選ばれていない、というのではなく意図的に選んでいないもの)の中に、悪くないものがあるということですよね?

 私はたまたま目立ったもの、かつ、自分が批判できるものを選んでいるだけなので、そう言われてもどれが該当するのかわかりません。

全く全く 2007/12/19 07:19 >apj 2007/12/19 00:39

それでいいと思います。問題となるケースは、
>一般の人「だってそれネタだしシャレだし」
の後で、
「ネタでやってるようには見えない。信じているから、やっているんだろ。ゴラ!」
と続くようなケースです。それ自体、ネタであればいいのですが。

>「悪くないニセ科学」や「悪くないニセ科学」の具体例を出してみていただけますか。

私の考えでは、そのような物はありません。ただ、ニセ科学でない(科学であると見られていない)にも拘らずニセ科学と批判されてしまうことがあるだろう、という点を危惧しています。

つまり、
>「ニセ科学は悪い物なので、ニセ科学を批判します」
という一般的視点を持ちながら、同時に個別の批判をするならば、その個別の対象が「ニセ科学であるか?」ということが問題になりますが、その判断には捻じれがるという点を意識すべきである、というのです。(そこで安易な方法は、個別の対象について非科学という判断までするが、ニセ科学であるという判断までには踏み込まないというものですが。)因みに水伝授業については信じているというよりも、「面白い」からという理由でなされている場合も多いだろう、と推測しています。ただ、教師が信じていないとしても、生徒が信じる場合は考えられるので、その辺りの【生徒が信じない配慮】がなされている授業であるか、どうか、が問題となります。

技術開発者技術開発者 2007/12/19 08:32 こんにちは、皆さん。

私もニセ科学批判者の末席に居ますが、私の表現としては「私はニセ科学の蔓延について批判しています」という事にこだわりを持っています。つまり、何時の時代でも「合理的に見なされる言い方で合理的で無いことを言いふらそうとする者」はいる訳ですが、その言説が「蔓延」するという事は歴史的には比較的稀です。ところが現代の日本では、マスコミが「面白い話がある」と取り上げると、あっという間に「正しいかも知れない話」として蔓延してしまい、時には、大手のメーカーまでがその蔓延したものにかこつけた商品を販売したり、会社の人事係が蔓延している説を人事に反映させようとしたり、学校の先生が大まじめに子供に教えたりするわけですね。そのため、私のニセ科学批判は、どうしても「社会のあり方として何がおかしくなっているのだろう」という考察になっている面があります。

メタな話をしますと、人間という知性ある生き物が社会という群れを作ったときに、本能のみでなく本能の少し上のレベルでの社会ルールというのができたと考えています。簡単に言うと「殺すな、傷つけるな、奪うな、盗むな、騙すな」といったルールですね。これらのルールの根底は相互利害です。つまり、「自分がやられると困るし、嫌だから自分もやらないようにするから、皆もやらないようにしようよ」というルールです。これらのルールは法律とかいう強制力のあるものばかりでなく、嫌悪感と禁忌感いう弱い感情的なルールによっても守られるように社会は文化を築いていたように思います。

私に言わせると現代の日本では、これらのルールのうちの最後に書いた「騙すな」ということに関して「嫌悪感が薄れている」のだろうと考えています。つまり「騙す」という行為が「面白いなら良いではないか」と嫌悪感をもたれなくなっているわけです。この嫌悪感の裏返しが禁忌感でして、「騙すような事をしてはいけない」と軽率な言説の伝搬に個々の人が或る程度の抑制を持っていたのだろうと思うわけです。それが薄れている感じを受けています。私に言わせると、この嫌悪感や禁忌感の薄弱化は現代の数世代をかけて進行したものだろうと思っています。ある意味でニセ科学批判というのは、そういった文化的変化に対する警鐘の面があります。しかし、現代の騙すことに対する嫌悪感・禁忌感の薄弱化した文化の中で、その文化に違和感を感じない人にとっては「小うるさいこと言うな」という感情を喚起する面がありますから、ニセ科学批判批判という流れも生じます。

もちろん、文化というのは「その文化の中で生きる人間」が作り出すものですから、「騙す」と言うことに対して嫌悪感も禁忌感ももたない文化の社会で生きることを現代の日本人が好むなら、それはどうしようも無いことではあります。その結果として「生きにくい社会」ができあがっても、その中で生きている個人の自己責任ではあるからです。

apjapj 2007/12/19 09:24 >「ネタでやってるようには見えない。信じているから、やっているんだろ。ゴラ!」
と続くようなケースです。

 具体的にはどんなものがありますか?
 私が批判対象にしたものは、間違った説明に見当外れの実験まで付けて効果を謳って現実の宣伝に使っている冗談とは思えないものや、「○○は本当ですか?」と訊かれた場合、つまり少なくとも専門家でない人のうちで半信半疑な人がいるものなんですよね。
 それから、おっしゃる台詞はちょっと違う。
「ネタにしてやってるつもりでも、信じる人が出てきちゃったじゃないか、ゴラ!」ではないかと。
 まあ、実際、エイプリルフールのジョークでも信じる人は信じるわけで、そういうネタをやったら、野暮の極みであっても、見えるところに「このページの科学的記述はネタです」とでも明記しておくべきでしょうね。本当にネタとしてやっていて、他人を騙す意図はない、というのであれば、安全側に振っておいてほしい。

>一般的視点を持ちながら、同時に個別の批判をするならば、

 一般的視点でやっているのでなければ、ニセ科学という判断までしてもかまわないことになりますね。それならば問題ない。

 なお、水伝について、批判にあたって、生徒が信じない配慮をしているかどうかを考慮するというのは意味がないです。「ニセ科学以前にオカルトだから……」とやったとして、信じない配慮をしていて実際に信じてない場合は何も問題無し、信じている場合にはちょっと待て、と考えるきっかけになる。水伝については、信じてない人に批判が伝わったとして、生じる問題が思い当たりません。

disraffdisraff 2007/12/19 09:32 しかし、これだけ明快に書かれたエントリのコメントで、即座にメタ議論を始められるヒトがいるんですねぇ。ろくすっぽ読んじゃいないというか、我が身に引き比べるという概念がすっぽり欠如しているというか…。

apjapj 2007/12/19 09:39  追加です。
 水伝については、科学ではないというだけではなく、道徳からみても国語からみてもダメなので、科学として信じてない状態で使われていても、道徳で使うこと自体がまずいのです。

 それでですね、明らかなフィクションについては、フィクションの出来不出来という観点からの批判はあっても、ニセ科学という批判が出ているのは見たことがないんです。逆に、現実の宣伝で使われている科学っぽい記述あたりになると、仮にやってる人がフィクションのつもりでも、フィクションに見えないものが多数出てきます。こういう場合は、批判してみて、「いやフィクションですし……」という主張が出てきたとしても、「紛らわしいことをするな、人騒がせじゃないか」と続くわけで。

lets_skepticlets_skeptic 2007/12/19 10:03  私は、まともなニセ科学批判批判が、今現在も存在するという立場です。しかし、それはニセ科学批判批判と受け止められていないと思います。
 そういった批判は個別のまともなコメントのやりとになったり、ニセ科学批判者が自分の態度として示すことによって、他のニセ科学批判者に影響を与えたりします。

 実は、既に「ニセ科学批判批判」というラベルが、ネガティブな価値判断を含んでいるのではないかと思います。(役に立たない)メタ(ぶった)議論しか「ニセ科学批判批判」と呼ばれないというように。

apjapj 2007/12/19 10:32  「ニセ科学批判批判」をしていると主張する人は、なぜか「(役に立たない)メタ(ぶった)議論」ばっかりしていた。
 「ニセ科学批判批判」などと言わずに個別にニセ科学批判を批判している人の議論は役立つしメタでもなかった。

 ということが積み重なってしまった結果のように見えます。
「ニセ科学批判」という括りがあるように見えて、それならば「ニセ科学批判批判」も可能だろうと安直に思ったのが間違っていたんじゃないかと。「ニセ科学批判批判」にネガティブイメージができてしまったとしたら、それは、「ニセ科学批判批判」なるものが可能だと思った人達の行動が招いた結果ではないでしょうか。

dlitdlit 2007/12/19 11:28 >皆さん
反応が遅くて申し訳無いです。
多くのコメントに対応することにあまり慣れていないので、皆さんが満足のいく返答ができる自身はあまり無いのですが、少しずつやってみます。

まず、
>apjさん
もう何度も色々なところで同じようなことをお書きになっていることだと思いますが、一つ一つ丁寧に解説してくださってありがとうございます。
で、apjさんの応答でほとんど議論は尽きていると思うのですが、

>全くさん
>ただ、ニセ科学でない(科学であると見られていない)にも拘らずニセ科学と批判されてしまうことがあるだろう、という点を危惧しています。
 僕のエントリの中の”「ニセ科学に分類されてるからやってる」わけじゃない”という項目はお読みいただいているでしょうか?
 いわゆるニセ科学批判をする方々が「これはニセ科学だね」と言うのは、批判そのものではなくて分類、あるいは名づけ、だと思いますよ。実際の批判は、「血液型性格判断は不当な差別を引き起こす可能性がある」とかそういう具体的な問題に対してのものなので、もしある現象がニセ科学っぽく見えたとしても、実際に問題にする点が特に無ければ、批判されることも無いのだと思います。もちろんそのような問題の中に、apjさんが述べている「誤解させる」という要素も含まれるでしょうね。
 というわけで、こだわっていらっしゃる「それがニセ科学がどうか?」という判断はニセ科学批判をしている方々にとっては議論の土台となる出発点というよりは、議論の結果浮かび上がってくる副産物のようなものに近いかと考えています。
 実際の議論に関しては当然色々な点でねじれ、というか合わないポイントは出てきますよね。それを理解し、解消するために科学を生業にしている研究者を含めた、色んな人たちで議論を重ねているわけです。

dlitdlit 2007/12/19 11:29 >技術開発者さん
 僕は社会学や文化論には疎いので、技術開発者さんのコメントには色々なところで勉強させていただいています。
 技術開発者さんもどこかで述べていたかもしれませんが、想像力の欠如という問題もあるように思います。実際に、我が身に非常に直接的な問題が降りかかるまで問題の重要性を認識できない、というか…現在でもニセ科学による不利益を被ってしまった方々は大勢いるわけで(まあ、色々なニセ科学自体がそれを「不利益だとあまり認識させない」ような性格も持ち合わせていたりするのでやっかいなのでしょうけど)、せめてそういう事例に接する機会があったら、我が身に置き換えて身震いする、というぐらいは基本であってほしいのですけれど。
 ニセ科学に対して「まあいいじゃない」と言ってしまう人たちは、自分が一体どこまでの範囲についてOKを出してしまったのか、ということに対してちょっと軽率なことが多いんじゃないのかなあ、と感じます。その問題も含めた上で批判を広める必要があるとは思いつつ。

dlitdlit 2007/12/19 11:29 >disraffさん
 なんとなくこういう状況は想像していましたけれど(^^;
 いわゆるニセ科学批判の表面だけを、それもナナメ読みしただけで安易なニセ科学批判批判を展開してしまう方々となんだかだぶらさずにはいられません。
 apjさんが色々丁寧に応答してくださったおかげで勉強になるコメント欄になって良かったです。

>lets_skepticさん
 むしろ、ニセ科学批判をしている方々の間で結構厳しいやりとりがあったりしますよね。
 「ニセ科学批判批判」に対しては、lets_skepticさんがおっしゃるように、ネガティブなタグが付いた形で、今ちょっと帰納されかかっているというか、記述的に一般化されかかっているような状態だと思います。もちろん今後、もし「ニセ科学批判に物申す」という形で、きちんとした批判が出てくるようなことがあれば、apjさんをはじめ「安易なニセ科学批判批判」に辟易しかかっているような方々もきちんと議論に応じると思いますけれど。

どうも。どうも。 2007/12/19 23:20 >一般的視点でやっているのでなければ、ニセ科学という判断までしてもかまわないことになりますね。それならば問題ない。

もしも「ニセ科学は悪いものである」という一般的な含意がなければ、「ニセ科学である」という指摘だけでは否定の意図はないことになりますから、仮に「ニセ科学である」という判断が不適切であったとしても、一般的にはさしたる問題はなかろうと思います。
ということで、確認します。【ニセ科学は、必ずしも悪いものであるとは限らない】ということでいいのですね。少なくとも「ニセ科学は悪いものであるという一般的な認識は持っていない」ということでよろしいですね。(その場合には、ニセ科学批判という呼称がミスリーディングであるという印象はあります。)

水伝授業について言えば、【生徒が信じない配慮がなされている】ような場合については、それはニセ科学とは言えないということです。そのような配慮がある場合でも問題があるのだ、という主張については興味は特にありません。しかし、少なくとも「ニセ科学である」という批判は不適切です。

あと、「ニセ科学批判」が「ニセ科学批判批判」によって何らかの打撃を受けたならば、「ニセ科学批判批判」にネガティブなイメージを持つことは当然です。むしろ、ネガティブなイメージを歓迎します。

dlitさま:
>ニセ科学批判をする方々が「これはニセ科学だね」と言うのは、批判そのものではなくて分類、あるいは名づけ、だと思いますよ。

それなら、了解です。ただ、繰り返しますが、そうであるのなら、「ニセ科学批判」という呼称はミスリーディングである、と思います。少なくとも、【ニセ科学一般を、悪いものであるとは考えてはいない。】ということを繰り返し言っていかないと誤解が付き纏うでしょう。

apjapj 2007/12/20 00:38  どうも。さん、

 批判する側に否定の意図があろうと無かろうと、批判されたために否定されたと受け取る人は出てきます。その状態で、「一般的にはさしたる問題はなかろうと思います。」と、あなたが判断することには全く意味がありません。
 また、あなたがおっしゃる「悪い」の意味も、この文脈ではよくわかりません。良いか悪いかという判断軸とは無関係に、「ニセ科学」にこれまで分類してきた個別の事柄は明白な間違いを含むので、それだけで間違いであることを指摘する対象になります。

>少なくとも「ニセ科学は悪いものであるという一般的な認識は持っていない」ということでよろしいですね。

 個別の批判をするときに「ニセ科学」という括りで表されるような一般的な認識を持っていません。ですから「ニセ科学は悪いものであるという一般的な認識は持っていない」かどうかなど、そもそも考えもしません。
 個別の批判をそれなりに積み重ねた結果「ニセ科学」という概念でくくれるものがありそうだ、という程度のことは見えつつあるんじゃないかと思いますが……。

 ところで、【生徒が信じない配慮がなされている】ような場合とは、具体的にどんな授業のやり方をした場合ですか?わかるように書いて下さい。あなたが思い描いているものが、私にはわかりません。先生の台詞とか授業の組み方とか、例を出して下さい。

>あと、「ニセ科学批判」が「ニセ科学批判批判」によって何らかの打撃を受けたならば、「ニセ科学批判批判」にネガティブなイメージを持つことは当然です。

 逆ですね。何の打撃もなかったから、ネガティブイメージになってるんです。つまり、批判として役立たずということです。相手にするだけ時間と手間の無駄というか……。ただ、内容が完全に空っぽなんだけど、空っぽを空っぽと見抜けない人も世の中にはいるので、誤解を防ぐために「それ、空っぽだから」と指摘する余分な手間が発生してることは確かです。

 いずれにしても「一般には」という議論は、個別の批判においては意味を持ちません。私がニセ科学を批判するときは、そもそも「一般に○○である」といったところからは出発していないので。

>【ニセ科学一般を、悪いものであるとは考えてはいない。】

 批判活動は個別の事例に始まり個別の事例に終わるので、一般論は無意味です。もちろん、一般にいい、とも一般に悪い、とも考えていません。

apjapj 2007/12/20 00:45 >【ニセ科学一般を、悪いものであるとは考えてはいない。】

 もっと正確に書くと「ニセ科学一般」などというものが存在するかどうかが不明なので、不明なものについて良いとか悪いとかを考えることもないです。あくまでも、個別の事例があるだけ。だから、あなたが判断を求めている問いには意味がないんですよ。

どうも。どうも。 2007/12/20 01:17 批判というのは、どういう意味ですか?
単に「論評」という意味であって、否定的な意味は含まないということですか?それならそれで構いませんが、やはり批判という語がミスリーディングになる、と思います。もちろん、その他の注意を頻繁に追加することで誤解を防ぐことは可能と思いますが。

「間違いを含んでいると指摘する」ことに問題は全く感じません。あくまで、否定する場合について問題にしています。
私が確認していることは【ニセ科学である】という指摘は必ずしも否定的意味はないということですね?
それならそれで構いません。もしそうであるならば、私が誤解していただけでしょう。そうであるなら、ニセ科学というのは必ずしも悪いわけではないのだ、と理解しますが、それでよろしいですね。この場では「よろしい、というか、どっちでもいい」とのお答えをしているようにお見受けしますが。

>「ニセ科学一般」などというものが存在するかどうかが不明

つまり、【ニセ科学という概念無し】に「ニセ科学批判」なる呼称だけが成立しているのですか?本当に、ミスリーディングですね。

apjapj 2007/12/20 01:21  「ニセ科学」の定義に戻ります。きくちさんが提唱して私も同意したニセ科学の定義は、
(1)科学を装う
(2)科学でない
の2つを同時に満たすもの、です。
 このうち(2)は、これまでに確定した科学の内容に照らして判断すればいいので、比較する科学の側がどれだけ確からしいかによって、判断の確からしさが決まってきます。(2)の判断はある程度なら客観的にできます。それでもグレーゾーンはありますが。
 問題は(1)でして、「装う」の部分をきちんと考えようとすると千差万別だということにすぐ気づくはずです。まず、誰に対して装ってるのか。中学校理科をやったきりあとはほとんど勉強してない人に対してなのか、理工系の学部まで出た人に対してなのか。どういう形で示された時に「装う」と言えるのか。仮に「○○イオン何チャラの効果」といったものを含む全く同じ内容の広告があったとして、エイプリルフール特集のウェブページ内に出ているのか、いかにもオーバーな説明てんこ盛りのパーティーグッズカタログに出ているのか、漫画雑誌の半分怪しい通販広告欄にあるのか、新聞の折り込み広告なのか、雑誌「ムー」の記事なのか、日経新聞のプレスリリース欄なのかで、どの程度装っているかという判断が違ってきます。話をきいた、というのでも、学校の授業で先生から聞いたのと、飲み屋の酔っぱらいのヨタ話として聞いたのでは、信頼性が違うので、「装う」程度の見積もりが違ってきます。あとは、わざとに紛らわしいことをしている場合は疑われても仕方がない、という判断が入ってくることもあります。
 こんな状態なので、個別の事例に対して、こんなメディアにこんなシチュエーションで登場し、内容の科学的誤りがこれこれだから……とやって、「どうもこれはニセ科学と呼んでも良さそうだ」という判断をすることになります。
 判断の結果「ニセ科学」というカテゴリーに入れることができる個別の事例が積み重なって、共通点が見えてくることもあるかもしれませんが、個別の事例のあり方に対する判断を抜きにして「ニセ科学一般」などという概念を考えるのは難しいでしょう。

補足補足 2007/12/20 01:27 >「ニセ科学」という概念でくくれるものがありそうだ、という程度のことは見えつつあるんじゃないかと思いますが……。

ニセ科学という概念が(少なくとも未だ)不確定な状態で、「ニセ科学」という呼称や「ニセ科学批判」という呼称が一人歩きをしているとの印象を受けますが

apjapj 2007/12/20 01:36 >「間違いを含んでいると指摘する」ことに問題は全く感じません。あくまで、否定する場合について問題にしています。

 いい加減に言葉遊びはやめにしませんか?
 ある程度確立した科学の内容を基準にして、「間違っている」というときは、その内容の否定そのものになります。少なくとも、その内容を主張する側が、既存の科学を覆す証拠を出さない限り。
 でもって「批判」を広辞苑で引いた結果を抜粋すると、
(1)批評し判定すること
(2)人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。
 となっています。(1)の意味なら、どこがどうニセかを批評し、「やっぱりこれはニセ科学に入れよう」と判定するわけで、ぴったり合っています。
 (2)だとすると、正当性や妥当性を評価してみたら間違いが入っていることがわかった、という場合には、評価が否定的になるのはまあ予想の範囲でしょう。

>つまり、【ニセ科学という概念無し】に「ニセ科学批判」なる呼称だけが成立しているのですか?

「ニセ科学」には、既に書いたような定義があります。ただし、幅があるので個別に判断しないといけません。個別に議論した結果、これはニセ科学と呼んでもよいだろう、などと判断しているわけです。

「ニセ科学一般」と呼べるものはない、という認識です。

どうも。どうも。 2007/12/20 01:46 今回の言いたいことは良く分かる気がします。であるならば、自分達が見聞きし、その中から具体的に選び出した対象について、ニセ科学であるとの判断をしているだけで、【通常、それと同じ名前で括られるもの】であっても、そこで取り上げていないものまで判断していないということになるでしょう。
例えば「血液型性格判断」と括られるものの中からニセ科学であるもの(状況)を選び出すことは可能ですし、逆に、ニセ科学であるもの(状況)を選び出すことも可能です。「血液型性格判断はニセ科学である」という表現は不正確であり、「血液型性格判断の中には、ニセ科学的であるものも数多くある」という表現が正確です。

apjapj 2007/12/20 01:52  ところで【生徒が信じない配慮がなされている】の実例を出して欲しいという私の問いには答えないつもりですか?例も出てこないようなことを心配しているのだとしたら、それはただの杞憂ですね。

>否定する場合について問題にしています。

 否定したことが問題となった「ニセ科学批判」、というのは具体的には何でしょうか?実例を出して下さい。まさかまた例が出てこないんじゃないでしょうね?

>ニセ科学という概念が(少なくとも未だ)不確定な状態で、「ニセ科学」という呼称や「ニセ科学批判」という呼称が一人歩きをしているとの印象を受けますが

 不確定といっても、それがどの程度不確定なのかは、上記に定義の説明をした程度にはわかっていると認識しています。「不確定」の一言で括るのは乱暴過ぎます。
 どのみち、ニセ科学とそうでないものの間にはっきりした線引きはできないというのが私やきくちさんの立場です。どう見てもあからさまにニセなものは確かに存在するが、グレーなものもある。ですから、それなりに確定させればそれでいい、とするしかないです。
 ということで、上記の定義で、松山の学会以降進んでみたのですが、これまでのところ、そう破綻はしていないようです。そう悪い定義でもないのかな、という感触を得ています。最初の定義が悪かったら、事例を集めている間にどんどん修正が必要になってくるものなんですが、今のところそうなっていない。
 なお、概念というのは、実例で試すことによって段々補強されて確立してくる面があります。そのプロセスを「一人歩き」というのは、違うんじゃないですか。批判してる側は、ニセ科学の定義が含んでいる問題に気が付いている状態でやっています。ですから、ニセ科学という定義をとりあえず作っておいて、後はどんなものが当てはまるのか様子を見ながら、批判は全部個別にやってます。それが、水伝だったりマイナスイオンだったり磁気活水器だったりするわけで。

どうも。どうも。 2007/12/20 01:53 >ある程度確立した科学の内容を基準にして、「間違っている」というときは、その内容の否定そのものになります。

それは「科学的な内容」としては否定されるというだけに過ぎないでしょう。それならば、「ニセ科学批判」という言葉は何ですか?「非科学であるという指摘」と「ニセ科学であるという指摘」とは違うのでしょう。それだけなら「非科学であるという指摘」にしか成らならないのです。

apjapj 2007/12/20 02:01 >「血液型性格判断はニセ科学である」という表現は不正確であり、「血液型性格判断の中には、ニセ科学的であるものも数多くある」という表現が正確です。

 これについてはkikulogで議論がなされているので、そちらを見てください。
なお、「○○はニセ科学である」についても精度の問題があります。例示されたので、とりあえず「血液型性格診断」という言葉を使うことにしますと、

(1)巷で主流となっている「血液型性格診断」なるものがあって、
(2)その「血液型性格診断」のロジックやら根拠やらを詳細に検討した結果ニセ科学の定義にあてはまる、という結論になって、
(3)その「血液型性格診断」以外の非主流派「血液型性格診断」が事実上見当たらない場合
は、それなりの精度でもって「血液型性格判断はニセ科学である」が成り立ちます。
 ここで書いた「血液型性格診断」は、単なる例で、代わりに「マイナスイオン」が入ることも有り得ます。
 ここで血液型性格診断について議論するつもりはないし、私の批判の対象でもないので、やりたければkikulogの専用エントリで続けてください。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:01 >上記の定義で、松山の学会以降進んでみたのですが、これまでのところ、そう破綻はしていないようです。そう悪い定義でもないのかな、という感触を得ています。最初の定義が悪かったら、事例を集めている間にどんどん修正が必要になってくるものなんですが、今のところそうなっていない。

社会科学的な概念として、「ニセ科学」というものを作ろうとしている、ということですか?繰り返しますが、ニセ科学は、非科学というだけとは違う訳ですよね。要するに、ニセ科学概念は未科学であると理解すればいいのですね。であるならば、ニセ科学であるという判断も【あなた方が研究中の未科学】に基づくものである、ということになりますね。

apjapj 2007/12/20 02:05 新しい質問をする前に、

○ところで【生徒が信じない配慮がなされている】の実例を出して欲しいという私の問いには答えないつもりですか?例も出てこないようなことを心配しているのだとしたら、それはただの杞憂ですね。
○否定したことが問題となった「ニセ科学批判」、というのは具体的には何でしょうか?実例を出して下さい。まさかまた例が出てこないんじゃないでしょうね?

に答えて下さい。都合の悪いことはスルーですか?

>それならば、「ニセ科学批判」という言葉は何ですか?

 定義は示したので自分で考えてはいかがかと。あ、質問に答えていただく方が先ですが。

 「ニセ科学」の定義を読み直してください。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:05 >非主流派「血液型性格診断」

私も一言だけ。主流派と非主流派とをどう判断するのですか?ニセ科学に該当するものを主流派に分類し、そうでないものを非主流に分類すれば、当然、そうはなりますね。

apjapj 2007/12/20 02:09 >二セ科学であるという判断も【あなた方が研究中の未科学】に基づくものである、ということになりますね。

 これも松山の学会で解決済み。科学の側が未完成でも、相当確からしいものからそうでないものまで幅があります。グレーゾーンもあります。で、これまで批判の対象にとりあげてきたものは、相当あからさまにはっきり黒なんですよ。科学の方の確からしさに幅があっても、相当確かな部分に基づいて考えるということは可能なんですね。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:16 あら、定義はあるのですね。
では、その定義に当てはまるかどうかが問題になりますね。
で、同じことの繰り返しですが、科学を装っているか、どうか、を専門の人が判断するのは捩れがある、ということをもう一度、繰り返します。

因みに私はニセ科学であるような水伝授業もそうでない水伝授業も知りません。別に「ニセ科学である水伝授業がある」という主張は否定はしません。ニセ科学である水伝授業もそうでない水伝授業も可能です。ですから、問題はその多寡がどうであるかのはずです。「ニセ科学である水伝授業が多い」であれば否定するつもりは特にありません。

apjapj 2007/12/20 02:18 >主流派と非主流派とをどう判断するのですか?

 一番広まっている血液型性格診断が主流派。広まっていない血液型性格診断が(あれば)非主流派。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:21 >>二セ科学であるという判断も【あなた方が研究中の未科学】に基づくものである、ということになりますね。

>これも松山の学会で解決済み。科学の側が未完成でも、相当確からしいものからそうでないものまで幅があります。

そうではありません。「科学か?非科学か?」を問題にしているのではありません。「ニセ科学」を問題にしているのです。
「ニセ科学」概念は、「非科学」概念とは別物でしょう。

「ニセ科学」について解決済みなのですか?
それは、社会科学の学会か何かでしょうか?

apjapj 2007/12/20 02:21 どうも。さん、

>あら、定義はあるのですね。

 語るに落ちましたね。私が書いたニセ科学の定義は、松山の学会の時点では共通認識となっていたものです。
 つまりあなたは「ニセ科学」の定義も知らないままに、「ニセ科学批判」だの「ニセ科学批判批判」だのについてあれこれ書いていたわけです。
 こういうのを、空理空論と言います。

 あと、専門家が試しに判断したって捻れでも何でもないですよ。空振りしたら笑われるだけのことで。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:24 広まっているものとそうでないものをどう区別しているのですか?ニセ科学に関心があれば、ニセ科学的なものが多く目に止まるのは自然だと思いますけれど。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:27 いえいえ。その定義(あるいはその類似物)を前提に話をしたら、ニセ科学一般なるものはない、と言い出したのでしょう?何の話をしているのですか

どうも。どうも。 2007/12/20 02:30 >専門家が試しに判断したって捻れでも何でもないですよ。空振りしたら笑われるだけのことで。

だから、笑われている訳ですよ。
いや、もちろん、笑わずに信じる(?)人も集まるのでしょうね。
ニセ科学と似ていますね。

どうも。どうも。 2007/12/20 02:40 貴方は化学の専門家であって、「ニセ科学」研究の専門家ではないでしょう。というより、「ニセ科学」研究なる専門は確立していないと思われます。

化学の専門家として非科学であると判断することは可能でしょう。しかし、「ニセ科学」研究の専門家としてニセ科学であると判断をすることは(今のところは)不可能です。それが可能になるためには、「ニセ科学」研究を専門として確立をしなければばりません。

一言一言 2007/12/20 02:52 正直に言えば、ニセ科学批判批判はニセ科学批判への近親憎悪…。

dlitdlit 2007/12/20 09:07 >どうも。さん
apjさんのこれだけ懇切丁寧で配慮の行き届いた説明に僕がさらに付け加えられることはほとんど無いと思いますが(もしまだ色々納得できないのであれば、言葉遊びを繰り返すより、理解できるまでapjさんの応答を読み返し、勉強することをおすすめします)、

>貴方は化学の専門家であって、「ニセ科学」研究の専門家ではないでしょう。というより、「ニセ科学」研究なる専門は確立していないと思われます。
化学の専門家として非科学であると判断することは可能でしょう。しかし、「ニセ科学」研究の専門家としてニセ科学であると判断をすることは(今のところは)不可能です。それが可能になるためには、「ニセ科学」研究を専門として確立をしなければばりません。

 明確な定義を提出しているにも関わらず、それに基づいた判断をしてはいけないというのは不思議な話だと思います。
 もし、どうも。さんが誰がニセ科学論の専門家かどうかを判断できるほどの見識をお持ちなのでしたら、ここのようなネットの辺境ではなくて、ぜひその見識を生かしてニセ科学の定義や定義の適用の際に起こりうる具体的な問題に対しての議論に参加されてはいかがでしょうか。
ニセ科学に関するサイトはどこも、専門家か否かというようなことは問わず、議論に関して誠実でさえあれば、あらゆる方に対して開かれていると思いますよ。

もしどうも。さんや誰か他の方が、きちんとした種々の現実の問題に適応できるようなニセ科学研究を確立できるのであれば、ぜひお願いしたいところです。
そうすれば、きくちさん、apjさんをはじめとした多くの貴重な人的財産である方々の負担も大分減って多くの人が幸せになれると思いますので。

lets_skepticlets_skeptic 2007/12/20 11:08 簡単に言えば、どうも。さんは単なる(悪い)相対主義者なんでしょう。オカルト肯定の文脈で使われる(詭弁)テクニックをニセ科学批判批判として持ち出したに過ぎない。

dlitdlit 2007/12/20 12:30 >lets_skepticさん
 確かに、なんだか色んな意味で既視感を覚えるロジックです。
 ある種の(安易な)相対主義というのはなぜこんなに変に乱用されるのかずっと疑問なのですが、相対主義自体が魅力というより、相対主義が自分の説を正当化してくれる(ように見える)ことが魅力ということもあるのかもしれないなあ、とふと思いました。

lets_skepticlets_skeptic 2007/12/20 15:31 相対主義ってのは、ちゃんと適用すれば自分の発言にも跳ね返ってきちゃうので、都合よく濫用する以外に相手を批判する文脈では使えないんですよね。

apjapj 2007/12/20 16:17 >広まっているものとそうでないものをどう区別しているのですか?ニセ科学に関心があれば、ニセ科学的なものが多く目に止まるのは自然だと思いますけれど。

 違います。私の場合ですと、水に感心があったので、水の個別の怪しい話を調べることになっただけです。ニセ科学に感心があったわけじゃない。

>いえいえ。その定義(あるいはその類似物)を前提に話をしたら、ニセ科学一般なるものはない、と言い出したのでしょう?何の話をしているのですか

「ニセ科学」は一応仮に定義されているけど解釈に幅があり、具体例をあてはめて一歩ずつチェックしているところです。ですから、「ニセ科学一般」と呼べるものはない、ということです。

>だから、笑われている訳ですよ。
>いや、もちろん、笑わずに信じる(?)人も集まるのでしょうね。

 私のやった範囲では笑われていることはほとんどありません。また、科学を専門としない人からの「○○に科学的根拠があると説明されたがこれは本当か」という問い合わせで動いていることがかなりあります。なお、私が書いた批判については、消費者センターや消費生活相談員の人が活用しているという連絡をもらっています。この間は、神戸の訴訟の傍聴人の半分ほどが消費者センターの方々でした。

>貴方は化学の専門家であって、「ニセ科学」研究の専門家ではないでしょう。というより、「ニセ科学」研究なる専門は確立していないと思われます。

 そうであるなら、あなた自身が書いた

>「一般の人がどう見ているのか?」を専門の人が決定することは、捻じれがあるのです

は成立し得ないこといになります。専門の人が居ないという認識であるなら、なぜこんなことを書いたのですか?
(ニセ科学の)専門の人がまだ居ないということであれば、誰が批判したって捻じれは起きません。
なお、きくちさん、たざきさん、私は物理学の専門家ですし、左巻さんあたりだと理科教育の専門家です。

>正直に言えば、ニセ科学批判批判はニセ科学批判への近親憎悪…。

 ということは、ただの憂さ晴らしということですよね。鬱陶しいだけで役立たずで、世の中のうっかり者にデマを伝える効果しかない。

apjapj 2007/12/20 16:29 どうも、さん。

>だから、笑われている訳ですよ。

 具体例をお示し下さい。

 なお、今後、ここで問題提起のご意見を書かれる時は、具体例を出してから一般論を述べるようにしてください。どうも、さんのこれまでの議論は、
・議論の前提条件の絞り込みが甘すぎる。
・前提条件が甘い結果、結論はどうとでもとれるものしかない。
・つまり考慮に値する内容が含まれていないので使えない。
・そのくせ、内容が含まれていないことを見落としたうっかり者には、誤解を誘発する効果だけある。(だから、それが解ってる側が、内容空っぽ、と言い続けるしかない)。
・曖昧すぎる話しか出てこないので、個別の例の確認をその都度別途やらねばならず、余計な手間がかかる(議論の相手に余計な労力を使わせる行為なので、極めて不親切)。
・個別の例に何があるか確認してみたら、結局何も出てこない。つまり、架空のことを前提にして議論していたことが後から判明する。

 言うべき内容をあなた自身が何も持っていないことを自覚してもらえませんか。
あなたが言うべき内容を持っていることがらは、あなたが具体例を特定して示せることがらに限られているのですよ。

どうも。どうも。 2007/12/21 01:11 > 明確な定義を提出しているにも関わらず、それに基づいた判断をしてはいけない

そのようなことは全く言っていません。例えば「血液型性格判断と括られるものの中でニセ科学の定義に当て嵌まるものの割合がどの程度なのか?」ということに関して、印象程度のレベルの話をしているのでしょうと言っているのです。印象程度だから悪いというのではありません。印象程度のことを、さも確定的であるかのように誤解させるとすれば、それが『ニセ科学』であるというんですよ。

>どうも。さんが誰がニセ科学論の専門家かどうかを判断できるほどの見識をお持ちなのでしたら、

一体、何を言っているのですか?現状では「ニセ科学」研究という分野は存在していないのですよ。そんな専門家など(今のところ)いないのですよ。確立してもいない研究分野が確立しているように誤解させるとすれば、それは『ニセ科学』ですね。

確立していない状態の中で、印象レベルの話をしているということでしょう。もちろん、それが悪いという訳でありません。

>APJ様
例えば、物理の専門家が「ニセ」物理であると判断することには、捻じれがあると言っているのです。「ニセ科学」研究の専門家(今はまだいませんが)が『ニセ』物理であると判断することに捻じれがあると言ったのではありません。
こんな誤解が成立したということは、まさかご自分を(化学の専門家であるだけではなく)「ニセ科学」研究の専門家でもあると認識している、ということですか?

それから私が主に批判しているのは、普通の人にもその気になれば容易に非科学であることが分かる(と思われる)ものをニセ科学と呼ぶことについてです。例えば、水伝などが典型です。
ある人が水伝について話題にしながら、非科学であるということを意識していないとしても「それはそうすることに利得があるから」でしょう。その気になれば、簡単に分かる(と私は思いますが)のですから。もちろん、生徒は分からないかもしれない。生徒については誤解の生じないよう配慮がなされているかは問題になります。

補足補足 2007/12/21 01:26 私が主に関心があるのは、水伝や血液型性格判断などに代表されるような「話のネタ」的な非科学的主張をニセ科学と呼ぶことについてです。
ニセ科学と呼ぶのではなく「非科学だと指摘する」ことについては問題であると思ってはいません。

dlitdlit 2007/12/21 08:21 >lets_skepticさん
そうなんですよね。
部分的、表面的に見ると一見口当たりの良い言説になっていることもあるからか、変に同調者が出たりして、頭が痛いところだと思います。

disraffdisraff 2007/12/21 08:33 >私が主に関心があるのは、水伝や血液型性格判断などに代表されるような「話のネタ」的な非科学的主張をニセ科学と呼ぶことについてです。

そうですか、それはおめでたくございます。それが何の役に立つのかはさっぱりわかりませんけれども、したいのであればせいぜい悩めばよろしいでしょう。一人で。

あなたが何に関心を持ったり問題と思ったり思わなかったりしているか、などにべつだん興味はありませんが、どうせならもう少し実のあることに思索を振り向けられればマシだろうになぁとは思います。老婆心ながら。

ではさようなら。

dlitdlit 2007/12/21 08:42 >どうも。さん

>例えば「血液型性格判断と括られるものの中でニセ科学の定義に当て嵌まるものの割合がどの程度なのか?」ということに関して、印象程度のレベルの話をしているのでしょうと言っているのです。印象程度だから悪いというのではありません。印象程度のことを、さも確定的であるかのように誤解させるとすれば、それが『ニセ科学』であるというんですよ。

 apjさんも再三要求しているように、例えばどの議論のどの辺りが印象程度のレベルなのか具体的に指摘していただけないと、どうも。さんのこの主張自体が「印象程度のレベルの話」としか受け取ってもらえないんじゃないかと思うんですけど…

>>どうも。さんが誰がニセ科学論の専門家かどうかを判断できるほどの見識をお持ちなのでしたら、

>一体、何を言っているのですか?現状では「ニセ科学」研究という分野は存在していないのですよ。そんな専門家など(今のところ)いないのですよ。確立してもいない研究分野が確立しているように誤解させるとすれば、それは『ニセ科学』ですね。

いわゆるニセ科学批判の具体的な議論の数々を見て、「まだ専門的なレベルに達していない」と言い切れるということは、最低「どこまで達せされれば十分か、何が足りないか」ということが明確にわかっているということではないのですか?そうでなければ、それこそただの印象だと思うのですが。

どうも。どうも。 2007/12/21 11:46 > どうも。さんのこの主張自体が「印象程度のレベルの話」としか受け取ってもらえないんじゃないかと思うんですけど…

もちろん、私の話はもともと印象程度レベルの話ですよ。それは、分かり切っているので誤解はない、と思っているのです。問題は、印象程度レベルの話が、まるで確立された事実であるかのように、受け取られるとすれば、問題であると言っているのです。だから、それ(非科学であるというだけではなく、ニセ科学でもあるという主張)は検証された話ではなく、今のところは、印象レベルの話である、と注意しているのですよ。もちろん、それに対して「そんなことは分かりきっている。野暮な奴」と笑うことはありでしょう。

今一度、問いますが。「ニセ科学」研究なる専門は既に確立しているのですか?

>ニセ科学批判の具体的な議論の数々を見て、「まだ専門的なレベルに達していない」と言い切れる

まず、注意しますが。「非科学である」という判断が専門的なレベルで行うことができない、と言っている訳ではありません。「ニセ科学である」という判断を専門的なレベルで(今のところは)行うことはできないと言っているのです。なぜなら、「ニセ科学」研究なるものは(まだ)専門として確立していないからです。確立していないというのは、もちろん、私の印象です。

「自然科学であると誤解されているか?どうか?」と言ったことは自然科学の問題ではなく、むしろ、社会科学的な問題ですね。自然科学の専門家(の何人か)が、盛んにその問題を取り上げているということから専門性が確立している、ということにはなりません。もちろん、自然科学者が社会科学者も兼ねることは可能ですけど。
まさか、dlitさんは、「ニセ科学」研究なるものが既に専門として確立しているとお思いなのでしょうか?念のために申し添えておきますが、ここで問題にしている専門性は「科学か?非科学か?」の問題ではなくて、「科学と誤解されているか?どうか?」の問題についての専門性ですので。

あるいはこう言ってもいいでしょう。「○○はニセ科学である」という主張は(既に)実証の対象なのですか?私はそのような主張は実証の対象では(まだ)ない、と思っています。「実証対象にならないものが、確立された事実であるかのように誤解されている」とすれば、それこそ「ニセ科学」というものです。

どうも。どうも。 2007/12/21 12:10 要するに、自然科学者らによる「非科学であるという判断」は別として、「ニセ科学であるという判断」は自然科学者らによる余興、あるいは、ネタのレベルの域を出ていないということです。別に、それが悪い、と言っている訳ではありませんが。

もちろん、「非科学であるという判断」がネタや余興レベルだ、と言うのではありませんので、誤解なきようにお願いしたいですね。

dlitdlit 2007/12/21 18:12 >どうも。さん

>> どうも。さんのこの主張自体が「印象程度のレベルの話」としか受け取ってもらえないんじゃないかと思うんですけど…

>もちろん、私の話はもともと印象程度レベルの話ですよ。

あ、それは失礼しました。僕はてっきりもっと強い主張をされているのかと理解していましたので。

>今一度、問いますが。「ニセ科学」研究なる専門は既に確立しているのですか?
 これは、何をもって確立しているとするかによると思います。例えば、しっかりした学会が組織されていて、査読制をとっている専門誌が存在する、ということを基準にすれば、明らかに専門分野としては確立していないと言えるでしょうね。議論の内容から判断する場合は、すでに長い歴史を持つ研究領域に関してですら意見が割れることがあるので、判断するのは難しいと思います。まだまだ議論しなければならない問題がたくさんある、ということは確かだと思いますけれど。
 あと、何度も言ってきたつもりなのですが、いわゆるニセ科学批判をしている方々の目的は「○○はニセ科学である」であることを確定することではなくて、具体的な個々の問題に対応することだと思いますし、実際の活動や議論の多くはそこに割かれていると思います。
 「実証の対象」ということがどういうことなのかよくわからないのですけれど、実証していくためには議論を重ねなければいけないと思うのですが、ではどういう基準を満たせば議論を始めても良いのでしょうか?具体的に教えていただければ幸いです。もちろん、特に根拠は無くて印象だということであればそれでもかまいませんけれども。

どうも。どうも。 2007/12/21 20:06 >ニセ科学批判をしている方々の目的は「○○はニセ科学である」であることを確定することではなくて、具体的な個々の問題に対応することだと思いますし、実際の活動や議論の多くはそこに割かれていると思います。

それならば、「○○は非科学であることには異論はないが、必ずしもニセ科学であるとは限らないのではないか?」という疑問に対して、やっきになって反論する必要もないのではないでしょうか。
このような疑問が「○○は科学である」という誤解を広める訳でもないでしょうし。(むしろ、どちらかと言えば、その点に関しては誤解を抑制するかもしれません。)

>実証していくためには議論を重ねなければいけないと思うのですが、ではどういう基準を満たせば議論を始めても良いのでしょうか?

議論をするのは結構です。但し、「議論で収束した結論」が実証済みの事実であるのか?と言えば、そうではないでしょう。それだけでは、実証済みの事実と認めるには不十分なのです。例えば、「江本グループの中での議論の結論」が実証済みの事実でないように。
例えば、様々な社会的統計調査を重ねて、それを元にした議論を公表していけば、「ある範囲で実証済みである」ということにはなるかもしれません。
しかし、「○○はニセ科学である」という主張にもともとそれ程の拘りがないのならば、そこまでする必要はないのかもしれません。

どうも。どうも。 2007/12/22 00:21 そう言えば、津村さん(http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a5a6.html)が

【ニセ科学であるかもしれないもの】について、それが科学的なものではないということを説明・広報したことがある

というような感じの言い回しをどこかでしていましたね。
これは、「科学的なものでない」という判断の正確性と「科学であると誤解されている」という判断の正確性の違いをよく自覚した言い回しなのですね。



>コメント欄のやりとりは、このエントリやニセ科学批判に関する問題を理解するための大きな助けになると思います。

私もそう思います。

一言一言 2007/12/22 02:59 ちょっと話の流れから逸れますが、「常識で考えて非科学であると分かる」ようなものはニセ科学とは言えないですし…

APJさまへAPJさまへ 2007/12/22 12:27 大事なことを書き忘れていました。

○○は科学的事実であると社会的に誤解されている、ということを検証したデータなりが存在しているのですか?

私の議論は印象レベルですが、貴方の議論がそうではないと言うのならば、その論拠をご提示ください。

APJさまへAPJさまへ 2007/12/22 12:32 「○○は、ニセ科学である(科学的事実と一般の人達に誤解されている)」と主張をしているのは、ニセ科学批判派です。
要するに、それらは(未だ)何ら実証されていない主張である、ということでよろしいですね。

apjapj 2007/12/23 16:56 >○○は科学的事実であると社会的に誤解されている、ということを検証したデータなりが存在しているのですか?

 問いの立て方が違うと思います。あくまでも、誤解したという個別の事例が存在するか?ということになります。

>要するに、それらは(未だ)何ら実証されていない主張である、ということでよろしいですね。

 よろしくありません。あくまでも個別の事例ごとに検討しなければなりません。
 まず、「一般の人達」でくくってはいけません。「一般の人達の一部」が「科学であると信じた」ということがあれば、批判をすることに意味が出てきます。
 「科学であると信じた」をどう判定するかというと、例えば、「”マイナスイオンは体にいい”が科学的に正しいと信じて商品を購入した」といった行動をとった人が居た、ということでも十分ですし、「”マイナスイオンは体に良い、ということに科学的根拠がある”と信じた」ことが、普通の人の常識を持って読めば分かる内容を、たとえばblog等に書いて公開した人が居た、ということで良いのでは。

 最終的には「どの程度装ったか」については、法廷で決着、ということになるでしょう。科学の枠組みでは決められないので。しかし、紛争をやらないといけないので、訴えてもらわないことには判断も確定しません。
 では、裁判やるまで何も基準が無いかというと、おそらくそうではない。たとえば、過去の公取の排除命令などを参考にして、この程度の状況でこの程度の書き方であれば人は真実と誤認する、という判断の「相場」については、かなりわかってきていると考えます。

 「科学を装う」の判定基準の現状について考えるならば、科学そのものではなく、むしろこれまでの不当表示の判決・審決例などに求めた方が現実的でしょう。他の消費者被害の裁判例も参考になるかと。薬事法の効果効能の表示の規制も良い例になります。
 「科学でない」の方は、科学で何がどこまでわかっているかに照らして考えればよい。

apjapj 2007/12/23 17:08 前後しますが、
>「○○は非科学であることには異論はないが、必ずしもニセ科学であるとは限らないのではないか?」という疑問に対して、やっきになって反論する必要もないのではないでしょうか。

 ○○に具体例を挙げていただければ、それをニセ科学と考えたかどうか、考えた場合はなぜ考えたか、可能な限り説明いたします。しかし、あなたは○○に具体例を入れていません。上記のようなことを言うのなら、まずは、○○を特定してください。特定せずに上記のような事を書くのは、「どうも。さんが○○を特定したのにもかかわらず私がやっきになって反論した」という、間違った印象を読者に与えかねません。

 ○○にあたるものを明らかにせずに、一般論の形で曖昧に述べることについては、それ自体がミスリーディングであると考えるので、そのようなやり方には反対します。

 どうも。さんの議論の仕方は、○○のところに具体的なものをわざとに入れず、入れなかったことで議論が曖昧になってそのままでは私が答えられない状態を作り出し、私が答えられないことを持ってニセ科学という判定に異論を唱えようというとしているように見えます。

どうも。どうも。 2007/12/23 17:34 「一般の人が信じたという個別の状況があれば、その状況を批判する」ということになる、ということですよね?
つまり、【通常、同じ言葉で括られるもの】であっても、状況を同じくしないものは批判の対象外に置かれる、ということで、よろしいですね。
「○○はニセ科学である」という主張はそもそもミスリーディングであって、それに対して疑問が出るのは当然のようにも思いますが。

>「科学を装う」の判定基準の現状について考えるならば、科学そのものではなく、むしろこれまでの不当表示の判決・審決例などに求めた方が現実的でしょう。他の消費者被害の裁判例も参考になるかと。薬事法の効果効能の表示の規制も良い例になります。
これについては、同意します。

上では血液型性格判断と水伝授業を例に出しました。水伝授業については(相手が小学生ということも考慮に入れて)ニセ科学であるものが【多い】ということに特に異論はありません。ただ、水伝授業ならば(必然的に)ニセ科学である、という主張には同意できません。要するに、確認のための疑問だ、と思って下さればよいかと思いますが。

追加追加 2007/12/23 17:51 血液型性格判断について言えば、例えば、「A型は神経質だ」と言う【だけ】では、ニセ科学ではないでしょう。
血液型性格判断という括りは個々の状況を表す言葉にはなり得ていないと思います。

念のため念のため 2007/12/23 18:07 霊感商法で人を信じされば、それは批判されるべきでしょう。
嘘とか、オカルトとか、怪しい話で人を信じさせたとしても、批判されるのは当然ですが、ニセ科学として批判するのは不適切です。
「科学的事実として信じる」という場合がニセ科学かと思います。

早川早川 2007/12/23 21:53 田崎さん
>「水伝授業はニセ科学である!」

SSTもそうだけど、そんな性急な一般論は無茶ですよw

apjapj 2007/12/24 21:53 >つまり、【通常、同じ言葉で括られるもの】であっても、状況を同じくしないものは批判の対象外に置かれる、ということで、よろしいですね。

 良くないです。
 状況を同じくしない場合であっても、同様の批判の対象になる場合もあるし、批判の対象にならない場合もあるので。

>「○○はニセ科学である」という主張はそもそもミスリーディングであって、それに対して疑問が出るのは当然のようにも思いますが。

 当然じゃないです。

 同様のやり方で名付けられているものに「詐欺」というのがあります(法律用語となると民事と刑事で違うので、ここでは一般名詞の方を考えて下さい)。普通、他人を騙して金を出させたり暴利で物を売りつける行為を指して「詐欺」と言いますよね。納得して買いその後も納得している人や、そもそも騙されなかった人が居たとしても、やっぱり「詐欺」と言いますよね。納得している人や騙されなかった人が居るから「詐欺」と呼ぶのはミスリーディングである、とはならない。

>ただ、水伝授業ならば(必然的に)ニセ科学である、という主張には同意できません。要するに、確認のための疑問だ、と思って下さればよいかと思いますが。

 それでは、水伝の話を具体的にどのように提示すればニセ科学で無くなるのか示して下さい。今のところ、水伝の話で道徳の授業をした例で、ニセ科学にならない方法でなされたケースを見たことがありません。具体例が存在しない状態で、確認のための質問など無意味ですよ。

>血液型性格判断という括り

 括りの問題ではなく、血液型性格診断の「定義」あるいは意味する範囲として、なにを採用するかでは。この話は既にkikulogで十分出ているし、議論は今でも続いています。

apjapj 2007/12/24 21:55 >「科学的事実として信じる」という場合がニセ科学かと思います。

 「科学を装う」が、目下採用している定義なので、ズレがあります。

どうも。どうも。 2007/12/24 23:14 >他人を騙して金を出させたり暴利で物を売りつける
>納得している人や騙されなかった人

この二つは違う状況じゃないですか。一体、何を言ってるんですか?なぜ、違う状況を一緒くたにすりんですか?個別個別と強調していたのは貴方でしょう。

あえて【一緒くたにして論ずる】ならば、「○○は詐欺」は不正確で、「○○の中には、詐欺があった」になるはずでしょう。

水伝授業については「これは事実ではありません。お話です。」と明確に説明すればいいでしょう。そもそも、もしそれが不可能だというなら、「小学校の教員にはそれは出来ない」が、「あなた方、ニセ科学批判者なら、事実ではないことの説明ができる」というのですか?それともニセ科学批判者にも説明は不可能ですか?なら、水伝を批判しても無駄と思いますね。

どうも。どうも。 2007/12/24 23:20 つまり、「血液型性格判断」をニセ科学であるようなものだけに、範囲を限定するということですね。非常に不自然ではありますが。

どうも。どうも。 2007/12/24 23:30 全体の中での詐欺の多寡を表現すれば、「○○は詐欺である場合がほとんど」、「詐欺である場合が多い」、「中には詐欺がある」、「詐欺のケースは少ないが、ない訳ではない」等、いろいろあるでしょうね

技術開発者技術開発者 2007/12/25 09:05 こんにちは、皆さん。

なんとなく、悪徳商法啓発系の掲示板で「マルチ商法」の議論をしていた時と同じような既視感があります。「マルチ商法」なんて用語も昭和の40年代にホリディ・マジック社とかが「人を誘う事で利益が得られるという期待を抱かせて入会保証金を巻き上げる販売方法」を始めたことで、マスコミなどが「名を付けた」わけです。最初の頃は「マルチ商法」以外にも「紹介型販売」とか「ねずみ講式販売」とか、様々な呼び名が有ったわけですが、やがて「マルチ商法」という言い方に統一されてきたわけです。今となっては、誰が最初にそう呼び出したのかも分からなくなっていますね。

大事なのは、世の中に何かが起こり、その事象に名をつける必要性が生じ、そして誰かが名を付け、その名が事象を表すのに適していれば、人々に膾炙されることで定着するというだけのことなんですね。

ニセ科学という言葉が今後、広く一般に膾炙されるかどうかは分かりませんが、私は膾炙されるように成れば良いなと考えています。

どうも。どうも。 2007/12/25 11:16 参考です。

科学的なるものの概念 - on the ground
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070707/p1

>不正確さがはらみかねない危険性の方に目が行く。
>疑似科学ないしニセ科学という名指しによって、そうした本質主義的な想定を強化するような機能が生まれる事態は、いわゆる疑似科学ないしニセ科学による科学の「僭称」を批判する人々の目的意識から著しく遠い帰結である。だが、疑似科学ないしニセ科学という名指しを支える欲望には、そういった帰結を呼び込みかねない芽が全く存在しないわけではない。
>明確な断定に傾きやすい私たちの本質主義的な欲望を刺激し、そうした欲望によって利用されかねないという危険性を伴っている。

apjapj 2007/12/25 20:55 >>つまり、【通常、同じ言葉で括られるもの】であっても、状況を同じくしないものは批判の対象外に置かれる、ということで、よろしいですね。

 この書き方では、「状況を同じくしない」の内容が分かりません。これを読んだだけでは、貴方がどういうものを指して「状況を同じくしない」と呼んでいるのかが不明です。
 具体的に、こんな場合は状況が違うと考える、といった例を出せば、それなりにはっきりするのですが、あなたはこの時、わざとにそれを避けたようです。

ですから、これに対する私の答えは、
> 状況を同じくしない場合であっても、同様の批判の対象になる場合もあるし、批判の対象にならない場合もあるので。
と、一般的なものにならざるを得ませんでした。

>「○○はニセ科学である」という主張はそもそもミスリーディングであって、それに対して疑問が出るのは当然のようにも思いますが。

 議論している間に考えたのですが、科学を装うが科学でないものを、まずは、原則として「○○はニセ科学である」と呼んでもかまわないと考えるようになりました。外見だけ装って他人の判断を誤らせるのは、それが科学でなくたってニセモノの範疇に入りますので。
 で、「○○はニセ科学」と呼ぶのにふさわしくない特定の○○がある場合には、その都度「この特定の○○は××という理由でニセ科学のカテゴリーには入らない」と例外として定めた方がすっきりしそうです。
 「装う」の部分の判断は、自然科学的な基準ではなく、むしろ法的な意味での基準を採用する方向で考えた方が、うまくいくように思います。ですから、数学やら自然科学の用語の定義のような形ではなく、法律論っぽく原則と例外という定め方の方が適切かと。

ところで、
>>他人を騙して金を出させたり暴利で物を売りつける
>>納得している人や騙されなかった人

>この二つは違う状況じゃないですか。一体、何を言ってるんですか?なぜ、違う状況を一緒くたにすり>んですか?個別個別と強調していたのは貴方でしょう。

 は典型的な後出しじゃんけんですね。上で指摘したように、違う状況とは何かを貴方ははっきり主張していなかったわけですから。まずは、書いた文章の具体的な中身を先にはっきりさせて下さい。

どうも。どうも。 2007/12/25 21:00 そもそも、貴方の言う個別がはっきりしていないのではありませんか?

>>他人を騙して金を出させたり暴利で物を売りつける
>>納得している人や騙されなかった人

個別の状況と言いつつ、これらが同じに扱われるのですか?

どうも。どうも。 2007/12/25 21:45 テストです。もう書き込めない?

苦肉苦肉 2007/12/25 21:49 http://science6.2ch.net/test/read.cgi/bake/1178232652/618

URLはURLは 2007/12/25 22:06 【>貴方がどういうものを指して「状況を同じくしない」と呼んでいるのか】への返答です。

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