poohさんとこのフィギュアスケートの記事を読んでいて思い出したのですけれど、浅田真央選手のインタビューで以前から気になり続けている表現があります。それは、彼女が次の演技の目標を聞かれて答える時などによく使う、
- ノーミス(を)する
という言い方です。僕もスポーツをやっているのでノーミス自体は使用語彙なんですけど、動名詞*1としては使えないんだよなあ…やっぱり「ノーミスで」かな。
と思って、ここでググってみたらやはり気になった人はいたようで↓
ここでの流れはまあ間違いだよね、で終わってるんですけど、もしかしたら彼女独特の言葉ではなくて、もう少し広い、例えばフィギュアの仲間内では使われている語彙だってこともあったりしないかな、と。ってかググって出てきた記事は全部言葉のミスの指摘ですね…
フィギュアはスポーツの中でも、あらかじめ構成されたパフォーマンスを所定の時間で遂行する、というものなので、「ノーミスで演技」全体を行為/事象(event)として捉えて、「ノーミス(を)する」というジャーゴンが生まれていても不思議ではないかなあ、とつらつら考えたことがあったのでした。
実は、この表現に出会う以前に「特定の領域では動名詞として使用されている(かもしれない)語彙」に出会ったことがあります。それは、
- 不登校
という言葉です。接頭辞「不」についてはこないだ論文を書きましたが、基本的にこの接頭辞が付くと、元が動名詞でも、動詞としては使えなくなっちゃうことがほとんどなんですよね*2。例えば、
- 勉強する→×不勉強する/不勉強な
で、僕の直感でも「不登校する」はダメなんですが、これがググると…
ちなみに、「不登校をする」でも同じぐらいの数出てきます。
きちんと調査しないとわからないのですが、どうも、教育関係の現場(に近い人たちの間?)ではよく使われている語のように思えます*3。書籍や公的な文書でも使用されれているようですし。中には、「大学を不登校する」のようにさらに目的語を取っている場合もあって、興味深いです。
実は、この事実をうちの研究会で報告したら、ものすごく驚かれたのですが(^^;少なくとも僕の周りの人々で、直感として許容できる人はほとんどいないようでした。
これも、単に「学校に行かないこと」ではなくて、”ある特定の条件*4を満たす、「学校に行かないことを選択する」という行為”を語彙化したものなのかなあ、とか考えたり。まあ不登校という現象自体は「行かない」という要因も「行けない」という要因もあると思うのですが、語彙化に際して、そのような認識が影響を与えたかもしれない、ということです。
「ノーミス(を)する」の方はどうも世間的には(少なくともネット上では)ほぼ浅田真央個人の特殊な言葉遣いということのようですが、「不登校(を)する」はもう専門用語としての地位は固めつつあるのかな?それとも僕の直感がおかしいだけで、結構普通に使用されている言葉なんでしょうか。
他にもこういう例はあるのかもしれませんが*5、とりあえず僕がここ一年ぐらいで気になった二つの動名詞のお話でした。