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思索の海 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

歯切れが悪いのは仕様です。


2008-01-30

[][]いくつかの疑似科学批判批判?についてのいくつかの違和感

※このエントリの内容は多少自意識過剰/過剰防衛気味であるかもしれませんが、どうにも最近もやもやっとさせられることが多いので、少し吐き出しておきます。同じようにもやもやっとしている方々の思考のきっかけにでもなれば幸いです。

※長いです。

※追記:以前反省したはずなのに、生かされてないorz正確には、タイトルは「疑似科学批判者への批判」、あるいは「疑似科学批判の方法についての批判」とするべきだったと思います。

 例えば、以下のページで展開されているような言説について

※黒影さんの最近のエントリ↓

については、ここで一緒に触れると問題がややこしくなる、というより別枠できちんと論じた方が良いと考えているので、このエントリでは触れません*1

とりあえず

 具体的にどの、少なくともどのような主張に対しての批判なのかを示してほしいといつも思います。ネットにはリンクという便利な機能もあることですし。

昨今の疑似科学批判ってなんか浅薄だなと思う。

なんというか - finalventの日記

エセ科学(に見える発言)を嫌い、論理的・科学的に実証できることをのみを基盤にして物事を語ろうとする学級委員たち

語も語る エセ科学?

などと言われても(言われてるかどうかすらわからないのですが)、どうにも反応のしようが無い、というかこれについてどう思考を始めようか、というところからして難しいです。

 こういう書き方だと「理系はムカツク」とか「男っていつも偉そう」っていうような単なる感想と同じレベルのものに思えるんですけど。もしかしてそれで良い、というかそれが目的なのかな?まあそうだとしても、「この人のこういう言い方ってムカツク/なんか偉そう」という風に一つでもいいので例示してもらえると、疑似科学問題に興味を持っている者の一人としては、自分の態度などへの参考にできるので助かるのですよね。わがまま過ぎなんですかねえ。

 論者の方としても、一つでも例を出すだけで、「少なくとも藁人形相手に戦ってるわけじゃないよ」ということが示せてお得だと思うのですけれど*2

 そういう事情があって、このエントリのタイトルの疑似科学批判批判にも「?」を付けています。そもそも「批判」として受け取っていいのかがいまいち判然としない、というか。

「トンデモ」と呼ぶこと

 一方、以下のような比較的具体的な指摘もあります。

それでも、自分はときどき、疑似科学批判を得意げにおこなう人たちに気持ち悪さを感じる。たとえば、疑似科学を信じている人たちを、「トンデモさん」と呼ぶ人がいる。こりゃ、あかんやろ。「トンデモさん」というとき、疑似科学批判者は、批判対象の全人格を否定してしまっている。

疑似科学を批判する人は謙虚であれ - plaisir.genxx.com

 ただ、これも個人的には「どういう論者/言説に対して「トンデモ」と言ったことがまずいのか」まで示されていないと、どうにも評価し難いのですよね。この方の主張は字義通りとって、とにかくどんな人に対しても「トンデモ」と呼ぶことはやめた方が良い、というもので良いのかな?

 「トンデモ」という言葉については、僕はnovtanさんの疑義に共感するところもあるので、ここで深く踏み込むことはしませんけど、はてブコメントなんかで叩かれているのは、大体「ただ信じている」だけではなくて、「何らかの形で正当化、あるいは広めようとしている」からだと思うのですよ。

 まあ「ネット」ということを考えると、ただ「信じています」と言うことでさえ、どう他の人に影響するか未知数なところがあるので、例えば「私は水伝を信じています」とただ一行書いただけで批判されることがあっても致し方ないこともあるかな、と個人的には考えています(とても影響力の強い、特に盲目的な支持者を多く持つようなブロガーさんの場合とかですね)。

 では、なぜ「正当化、広めようとする」と批判されても仕方ない(と僕が考えている)かについては次で述べます。

疑似科学批判者は皆傲慢か

 なぜ疑似科学が批判されるのかについては、例えば以下のページが参考になります。

 ここで論じられているのは「ニセ科学」を批判する動機についてなので、疑似科学批判全般には当てはまらないかもしれませんが、僕の立場は、「ウソはいけないから」というものに近いです。

 疑似科学と呼ばれるもの、あるいはそれに与する運動は、ほとんどの場合*3、意図的かどうかという点や、程度差はあるにしても、「人間の知的活動及び知の蓄積を不当に貶める」という要素を含んでいると考えています*4

 端的に述べると、疑似科学はその言説のどこかに、やはり「ウソを含んでいる」と言えるのではないでしょうか。そのウソを一個人として信じるところまでは、まあ個人の自由ですが、一旦それを「正当化」、あるいは「広める」という段階までくると、最早それがウソであると知っていたかどうかに関わらず批判されても仕方ないと思います。だって、それは単なるウソではなくて、「これまで多くの先人が、そして現在多くの科学に携わる人々が、多くの場合人生をかけてまで積み上げてきたものを踏みにじるようなウソ」だったりするのですよ。

 しかもなぜか疑似科学批判が無差別先制攻撃のように述べられることがありますが、どちらかというと「仕方なく防衛」、なことも多いということは意識されることはあるのでしょうか。疑似科学が専門領域内で主張されているだけなら、そもそも疑似科学批判なんて必要無いんですよ。どうしようもない言説は無視されて終わり、ですから。それが事情を良く知らない外部の人たちに対してウソを広めようとしたり、時には具体的に営業妨害になるようなケース*5まで出てくるから、仕方無く批判「しなければならない」という事情があったりします。

 というわけで、

「トンデモさん」と名づけ疑似科学信仰者を批判するとき、科学者は一線を踏み越えてしまっている。疑似科学を信じている人が、どのように生きようと自由なのだ。科学者が一線を踏み越えて相手を「嘲笑」するとき、疑似科学信仰者は、自分の生き様を全否定されたように感じて、ますます反発するだろう。

疑似科学を批判する人は謙虚であれ - plaisir.genxx.com

 などという意見には僕は違和感を覚えます。どちらかというと、疑似科学の方が科学の領域内に迷い込んできて、ウソを付き捲るので、「それはウソです」と応答しているだけ、という事例ばかりを僕は見ることが多いので。まあ、時々ウソや間違いを指摘されても科学や議論のルールを全無視で暴れまわる人もいるので、そういう人はもう「トンデモ=要注意人物」というラベルを貼られても自業自得かな、と思うのですけれど。

 疑似科学信仰者の人格や人生について配慮するのも良いですけれど、疑似科学(を主張すること)によって多くの先人や現在科学に携わっている人々の人生が否定されてしまうこともあるということについては考慮してもらえないのでしょうか。あ、もちろん「やられたからやり返しても良い」という正当化ではありませんよ。そこにも気付いて欲しい、というか。

 大体、ネットなんていう誰が聞いているかわからない空間で、大声で「これまで多くの先人が、そして現在多くの科学に携わる人々が、多くの場合人生をかけてまで積み上げてきたものを踏みにじるようなウソ」を主張して、踏みにじられた側の人から「それウソですから!」と指摘されたら、「あれ?なんかオレおかしいのかな?じゃ、ちょっと考えてみるわ…ヤベ早く消えよ」とか「うわー知らなかった!これからは人前でウソを言わなくて済むよ、ありがとう!」とか「なんか納得いかないなあ、もうちょっと詳しく教えてくれませんか?」という反応が普通であって、「お前オレのことウソつきって言ったな!しかも人前で!許せん!」っていうのはどう考えても見事な逆切れにしか思えないんですけど…というかそれ大人としてアリなの?僕の感覚がおかしいのかなあ。

 というわけで、個人的には

批判対象(疑似科学を信じている人たち)に対し、むしろ「あなたの生き様は認めますよ」という肯定的なメッセージを発する必要があるのではないか。

疑似科学を批判する人は謙虚であれ - plaisir.genxx.com

 という主張には賛同しかねます。これはもう疑似科学批判、あるいはニセ科学批判の議論でよく言われることなのですけれど、「疑似科学やオカルトにはまる(そして不幸になる)自由」は誰も批判も侵害もしようとはしていません。ただ、「他人を貶めるウソ」を付いたり、正当化したり、広めたりしようとする生き方についてはやっぱり肯定できないのです。しかもそのウソが自分の人生や生業に直接関わるものであればなおさらですよね。さらに疑似科学を主張する論者には部分的な肯定を全肯定に拡大解釈するプロも多いのでそれも怖かったりします。

 あ、あとこれも散々言われてきたことですけど、「疑似科学/ニセ科学批判はビリーバーのため(ビリーバーを説得するため)にあるのではなくて、事情を全く知らなかったり、境界で迷っている人のことを第一に考えて行われていることが多い」ということも付け加えておきます。

おわりに

 うーむ、やはり論点が定まらない論に言及するのはなんだか難しい。まあ僕の論者としての力不足が主な原因でしょうけど。僕が上でだらだら論じている点に関しては、

(※同じ内容の記事のようです。上がseesaaで下がはてな。)

と、そこで紹介されていて、ここで紹介していないリンク先のエントリもぜひ参考にしてください。僕の考え方や立場は結構偏っているかもしれないので。

 まあでも結局この点に関しては、TAKESANさんが

で述べていることが正しくて、どう考えても過渡に攻撃的な疑似科学批判者や、疑似科学批判をダシに人を罵りたいだけ、という人もいるかもしれないので疑似科学批判(者)全てを正当化することなどもちろんできないのですし、それを目的ともしていません。

 まあですから結局最初の提案に戻るんですけど、少なくとも何かを批判したい、「いや、だからヤバイ疑似科学批判者もいるって!」と主張したいのであれば、具体例を挙げて欲しいなあ、と思います。

 まだまだ述べたいことはあるのですけれど、今日は力尽きたのでこの辺りで。

おまけ

大多数の一般市民にとって、科学はとても難しい。なにが正しいのか、あれこれ詳細を吟味している能力も時間的余裕もない(毎日仕事がある)。たとえば、ダーウィンの進化論を本気で理解しようとしたら、とても骨が折れる。だから、「フツウの人」は、いずれにしろ「信じる」しかないのだ。専門家が正しいと言う科学(たとえば進化論)を信じるか、身近な人格者が正しいという疑似科学(たとえば創造説)を信じるか。彼はいずれにせよ「信じる」しかない。だからこそ、「信じて」もらうためにも、よりいっそう謙虚であることが求められるのではないかと強く思うのだ。

疑似科学を批判する人は謙虚であれ - plaisir.genxx.com

 これ、「まああの信頼性の高いと言われている専門家が言っているのだから、一応Aが正しそうとしておくか。でもまあよくわからないから保留」というような態度ではダメなんでしょうか?とりあえず何か信じなければならないの?

 というより何より、疑似科学批判、ニセ科学批判を行っている人たちからすれば、「何も考えずに信じます」という態度自体が疑似科学/ニセ科学と同じぐらい批判されると思いますし、「それぐらいなら全部判断保留にしてくれた方がまだまし」とか言われそうですけど。

*1:エネルギーとモチベが補充できたら書くかも、です…

*2:「おいおい、一つの例から勝手に一般化するんじゃないよ」というような批判を受ける可能性はまた別です。

*3:全てと言い切っていいのか自信がありません

*4:実際は、この特徴は疑似科学の枠を越えて、「疑似学問」とでも呼べるようなもの全てに当てはまると考えていますが、これについてはまたいつか。

*5:これはapj氏が明確に打ち出している立場でもありますね。

GenGen 2008/01/30 16:06 http://plaisir.genxx.com/?p=179の書き手です。

・まず、自分は認知心理学に関わっていた経歴を含め、文系ではありますが科学側の人間です。反証可能性に開かれていて、データを伴った反証に対して自らの理論を適宜修正する「科学」という制度の素晴らしさは身に染みているし、先人たちの偉大な業績にも頭が下がります。そして何よりも、疑似科学と日々戦っておられる方々に対しても尊敬の念を抱いています。現場の方々への配慮が足りない表現を用いてしまったのは、こちらの落ち度であり、謝罪したいと思います。

・疑似科学批判を批判する記事だと捉えられてしまったことは不本意です。私の問題意識は、疑似科学批判側と疑似科学信仰者のあいだに芽生えている相互不信というかディスコミュニケーションをいかにすれば改善できるか?という点に絞られていました。

・幻影随想さんの記事を受け手書いたのですが、幻影さんの趣旨は、疑似科学批判は「科学のモノサシ」(実証=観察と実験から導かれたデータ)に則って「科学」の領域で行われているけれど、疑似科学批判を批判する人たちは「自分のモノサシ」を手に「疑似科学批判批判」を行っている。だから噛み合わない。というものでした。この「噛み合わなさ」は何だろう、という疑問から文章を書きました。

・私の「科学」に対する理解は次のようなものです。科学は近代の産物であり、かつてはアリストテレス的な哲学の営みが科学の役割をも担っていた。古代の哲学では、知識と知恵の同一性が保証されていた。<ものごとが、それが現に在るような仕方で在るのはいかにしてか>に関する知識を探求すれば、人生の意味を与えてくれる知恵に至るとされていた。つまり、宇宙がそれ自体として人間の生きる目的を表現していえると考えられていた。ところが、デカルトを中心とした17 世紀の科学革命は、自然を脱呪術化した。「宇宙は人間の目的などあらわしてはおらず、たんに物理法則に支配されているだけだ」と。ここに近代科学が誕生した。だから、近代科学は、「正しい知識を探求すれば正しい生き方に至る」という前提を放棄することによって成り立っている。ここに現代の危機が生じた。知識と知恵、事実と意味、理論と実践、因果的説明と実存的理解のギャップ(ジレンマ)が生まれた。

・近代以後の科学は「生きる意味」を与えない。一方、疑似科学は、科学っぽい因果の語り口に「生きる意味」を密輸入して人々を煽動する(水伝もその一例かと)。人間は、どうしても「生きる意味」を求めてしまう。だから、科学的作法(実証)に慣れていない「生きる意味」を求める一部の人々は、(無味乾燥な)科学よりも疑似科学に魅力を感じてしまう傾向がある。これは近代が生み出した「ニヒリズム」へのひとつの対処方法です。

科学=事実
疑似科学=偽の事実+生きる意味

・疑似科学信仰者を批判するとき、二つの水準が混在していると考えます。

1.事実のみに関わる純科学的な批判
2.政治的な批判(科学者や先人の人生の否定を含めて)

・両者を分離すれば風通しが良くなるのではないか、という提案が私の文章の主旨です。

・つまり、疑似科学信仰者にとっては、疑似科学と生きる意味が渾然一体となっているのだから、科学者による疑似科学への批判が、同時に彼らの生きる意味への批判でもあると勘違いされやすい。であるならば、疑似科学批判者側が一肌脱いで、「2.政治的な批判」をぐっと堪えてみてはどうか、という提案です。

・もちろんこれは科学者にとっては不条理な話ですが、ディスコミュニケーションの根底には「生きる意味」に関するニヒリズムの問題が潜んでいることを指摘したかったのでした。

・その他書きたいこともあるのですが、論旨を明確にしたいので、やめておきます。

・疑似科学批判者や疑似科学信仰者は一枚岩の存在ではなく、様々な人間がいることは承知しています。ニヒリズムの指摘が主旨であったため、抽象論になってしまい、申し訳ありませんでした。また、科学者側の心労に対する配慮が足りなかった点についても、同時にお詫びさせてください。

dlitdlit 2008/01/30 18:45 >Genさん
そこまで親切に書き込んではないエントリであったにも関わらず、丁寧な対応とコメント、ありがとうございます。
きちんとお答えしたいと思いますので、少しまとめる時間をください。

ふまふま 2008/01/30 20:18 > 事情を良く知らない外部の人たちに対してウソを広めようとしたり、時には具体的に営業妨害になるようなケースまで出てくるから、仕方無く批判「しなければならない」という事情があったりします。

例えば水伝が嘘(お話、フィクション)だというのはいいのですが、言語学に対する誤解を広めている訳ではないと思うのですが…
もし「水伝が言語学に対する誤解を広めている」というのが本当であれば、その事実を納得できれば、自然に批判についても納得すると思います。
要するに、「批判の動機が批判側の事実誤認に基づいているのではないか?」という疑いがあるのだ、と思います。

> 現在科学に携わっている人々の人生が否定されてしまうこともある

それはあまりない、と思います。dlitさんの周りの研究者の方は否定されていると感じている人が多いのでしょうか?
dlitさんが否定されているように感じるというのは人それぞれの感じ方ですので、いいのですが。
私自身は「科学はニセ科学で否定されてしまうようなものではない」と思います。端的に別の世界の話、無関係という意味で。

ふまふま 2008/01/30 20:22 補足です。例えば、水伝と科学は無関係である、と私は思います。そんなものに科学が否定される訳がないと思うのです。

kamezokamezo 2008/01/31 08:11 diltさん、こんにちは。こちらでははじめまして。TAKESANさんちやpoohさんちでお名前はお見かけしており、また言語学の立場からの水伝批判を拝見して以来、ときどきブログもROMっておりましたが、直接お話をするのは初めてですね。改めて、宜しくお願いいたします。
今回は、言及並びにトラックバックをありがとうございます。
折悪しく、昨日今日と珍しく多忙なため(日頃、ブログに逃避しているせいもありますが・汗)、まだこのエントリもちゃんとお読みしておらず、すぐにはちゃんとした反応ができませんが、引き続き考えていきます。
また改めてお邪魔いたします。まずはご挨拶まで。

kamezokamezo 2008/01/31 08:13 あ、kamezo=亀@渋研X、です。「はてな」にログインしていると、自動的に名前が入っちゃうので、こちらのハンドルで紛らわしくてすいません。ハンドルを統一せんと、誰かみたいになっちゃいますね(汗

finalventfinalvent 2008/01/31 10:01 ご参考までに http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/12/l_f98d.html http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/12/l_3c8d.html

dlitdlit 2008/02/01 09:42 >Genさん
詳しい解説ありがとうございます。以下、一つ一つのご主張に詳しく対応していてはとんでもない長さになるので、ある程度まとめてお答えします。

>疑似科学批判を批判する記事だと捉えられてしまったことは不本意です。私の問題意識は、疑似科学批判側と疑似科学信仰者のあいだに芽生えている相互不信というかディスコミュニケーションをいかにすれば改善できるか?という点に絞られていました。

もしかしたら「批判」の解釈にずれがあるかもしれませんね。
例えば、ニセ科学批判者同士のやりとりでも、「あなたのやり方はまずい」とか「その解釈は間違っている」などのやりとりは普通にあり、そういうものも全て僕は「批判」だと考えています。
Genさんのエントリの論点が上で示してくださった「ディスコミュニケーションの解消に向けて」であることは僕も理解しているつもりですし、その分析については特に異論はありません(というより、以前から時折問題にされてきていることではあるのですけれど)。
ただ、Genさんは該当エントリにおいて、その問題を解決するためには「(一部の)疑似科学批判者にはまずい行動や態度を採っているものがいるけれども、それはやめた方が良い」というところまで主張なされているのではありませんか?それは僕の定義からすると、例えば「行為に対する批判」なのです。むしろ、適切な批判というのは、批判者と被批判者をともに次のステップへ進めてくれるようなものだと考えているのですが。この辺りはもしかしたら一般的な語法とはずれがあるのかもしれません。
そこまでを踏まえて、僕のエントリの主張というのは、Genさんの主張が具体例を挙げていないために対象がぼやけてしまい、適切な批判としての効力が薄まってしまっているところを指摘したつもりです。
具体的な例を挙げない批判やメタなレベルに留まったままの議論に、どういう問題がつきまとうか、という点については、以前にも記事を書いたことがありますので、ご参照いただければ幸いです↓
http://d.hatena.ne.jp/dlit/20071218/1197947031


以下、詳細に説明してくださった点も、僕自身は理解しているつもりです。なぜかというと、「ニセ科学批判」の議論では、「何を批判(否定)し、何を批判(否定)していないか、あるいはしてはいけないか」というのは難しい、そして気をつけるべき問題として色々議論されてきたからです。まあもしかしたら僕が知っているそのような場こそがマイナーなのかもしれないので、そういう議論もあるということをもっときちんと広めることが必要である、という点では考えされられる指摘だと思います。
ただ、おそらくそういう問題について気を使っている人々はやはりGenさんのエントリを読むともやもやっとさせられたと思いますよ。

ちなみに、僕がこういう一種無粋なエントリを書いたのは、これも非常に失礼な言い方かもしれませんが、Genさん自身ではなくて、Genさんのエントリを読む不特定多数の人々(への影響)を心配してのことなのです。
例えば、Genさんの言説に信頼をおいていて、疑似科学/ニセ科学の議論に不慣れな人があのエントリを(字面だけ)読むと、「なんか知らないけど疑似科学批判をするやつらって偉そうで攻撃的なやつが多いんだな。あまり信用できなさそう」と思い込んでしまうかもしれません。なんといっても我々は忙しいですから。まあ記事を書く本人がそういう影響まで全て考慮するのは大変だと思いますし、心配してる人が何か書けばいいかな、と考えているので自分のところでエントリとして上げたわけです。

最後に、少し気になったのですが、「疑似科学的事実と生きる意味が渾然一体」になっているような人々にとっては、それらが「分離しうる」と主張する段階ですでに「生きる意味」が揺さぶられることになってしまいませんか?
「生きる意味」をかけて「科学的事実という土俵」で戦いを挑んでくる相手に対して、その「生きる意味」を傷つけずに科学的事実における批判だけを行い対抗する上手い方法について、もしアイディアがあるのであれば、ぜひ今後のエントリで広く発信していただければと思います。

dlitdlit 2008/02/01 09:51 >ふまさん

僕にとっては、「否定されているように思う」というのは批判するという「行為の動機」であって、批判内容の根拠に用いるつもりはありません。
具体的に言うと、僕は水伝批判の記事で、「水伝の主張は、言語学におけるある知見と矛盾する」という述べ方の主張しかしていないはずです。

dlitdlit 2008/02/01 09:57 >kamezoさん
あ、そういえばはじめまして、ですね。
こちらこそよろしくお願いします。

はてなはIDにアルファベットしか使えないですからね…まあ日記にリンクがはられるのでidentifyするのはそんなに面倒ではないのですけれど。

僕の立場や主張はおそらくkamezoさんのものとは色々な点で違うだろうな、と考えたので(もちろん共通理解も色々あるとは思います)、相補的な形のものが書ければ、と思い久しぶりにニセ科学問題に口を出してみました。

もし何か気になった点などご教示いただければ幸いです。

dlitdlit 2008/02/01 10:14 >finalventさん
このような辺境までご足労いただきありがとうございます。
ご紹介のエントリは以前に読ませていただいたのですが…ということは、そのエントリでの指摘と「浅薄である」という感想はつながっていると解釈してよろしいのですよね。

個人的には、finalventさんのそのエントリでの指摘は、なんというかマクロなレベルでの批判なんだと理解しています。
個々の活動に少し関わっている者からしますと、「自分のできることをやる」としか言えません、今のところ。僕はたまたま水伝が言語学に関わる話題だったので、批判を置くことにしました。
finalventさんが指摘された、もっと取り上げられるべき偽科学に関しては、なぜその道の専門家がもっと多くの声をあげないのか、という問題はあるかもしれませんが(実際にきちんと活動されている方もいらっしゃいますけど)、メディア的な問題も絡んできそうですよえね…この辺りになってくるともう僕程度の論者一人にはお手上げです。

lets_skepticlets_skeptic 2008/02/01 15:23 Genさんとdlitさんの間で相互理解が得られればいいなと思いながらも、すれ違う可能性も多いなと思ったので、第三者からのアプローチ。

まず、Genさんの懸念しているディスコミュニケーション問題は、「非合理批判を実際にしている人」にとっては例示するまでもなく、ありふれた光景です。単に人をバカにしたいだけなんじゃないか?と思うような「非合理批判者」は、よく見ますから。

というわけで、当初、Genさんに対しdlitさんが「批判対象をはっきりさせろよ」という指摘をすることは、過剰な証拠主義のように見えました。

例えば、Genさんが「立小便をする奴が多い」と言ったら、dlitさんが、「本当にいるのならば、その人を明示して批判しろ」というようなぐらいに。

だから、Genさんは具体例を出す必要性を感じなかったのだと思います。

しかし、dlitさんが気にしている「Genさんのブログを読むかもしれない読者」は、なにも「非合理批判を実際にしている人(又はきちんと現場を知っている人)」だけではないわけです。
実体なんか何も見えてないのに、メタぶった議論をしている、「ニセ科学批判」批判者も含まれるわけですね。インターネット一般で言えば、むしろ「ニセ科学批判」批判者又は、それ以下の知識しかない人の方が圧倒的に多いわけです。

ここで、dlitさんの指摘が意味を持ってきます。

Genさんやdlitさんにとっても当たり前の知識である、「不適切な非合理批判者の存在」というのは、多くの人にとって未知のものだと言うこともできるわけです。

ここら辺から、Genさんの提言を読んだ、にわか論者が「ニセ科学批判者がみんな不適切な批判ばっかりしている」という誤読をする可能性は、確かにあると思います。

と私は読んだんですが、これでいいでしょうかね??>dlitさん。

私はこの記事の初見での印象がGenさんよりだと思ったので、仲介役ができないかと思い、投稿してみました。

ふまふま 2008/02/01 19:40 水伝によって科学が否定されているか、どうかは疑わしい訳です。

dlitさんの動機に相応しいニセ科学は別にあるのではないでしょうか?水伝よりも、dlitさんの批判動機に相応しいニセ科学の批判を優先的に取り扱う方が動機に適うように思いますが。

ふまふま 2008/02/01 19:46 要するに、水伝批判はネタであって、dlitさんの主戦場は別の所にあるということではないでしょうか?

「ネタの部分が、主戦場であるかのように見えてしまっている」ということで誤解が産まれているように思います。

finalventfinalvent 2008/02/02 08:37 dlitさん、こんにちは。問題は「偽科学批判」をすることではなく、その社会的な意味を先行させ、社会のルールの問題としようという点です。社会のルールの点でから問題の重要性が判断されるべきで、その合意形成に向かうことが個々の問題より先決されるべきでしょう、ということなのです。私たちが社会に関わるインタフェースでどのようにそれらの諸問題が関わるかの全体的な配置です。この点について、dlitさんのご考察は含まれていないように思いました、誤解かもしれませんが。

TAKESANTAKESAN 2008/02/02 15:53 今日は。

横レスです。

すみません、finalventさんの文章を数度読み返してみたのですが、何を仰っているか、まるで意味が掴めませんでした。
まず、「疑似科学批判」あるいは「偽科学批判」という語で何を表しておられるのかが、全然解りません。

あまりにも文意が判然としないために、一般論にすらなっていないように見受けられます。

何故私達が具体論を求めているか。
具体的に批判して貰わないと、反論のしようが無いからです。
何を指して批判されているか、が解らないと、何に対して反論すべきかが認識出来ないからです。

社会的な意味を先行させるとはどういう意味か、社会のルールの問題としようという点、とは何か。どのような論者のどの主張を想定しているのか。

そもそもfinalventさんは、「疑似科学」と「ニセ科学」が異なった概念で用いられる事がある、というのはご存知でしょうか? また、「ニセ科学」としてどのような対象が批判されているかを、ある程度でも把握なさっているのでしょうか。ニセ科学批判者としてどのような論者がおられるか、ご存知なのでしょうか。
それとも、それらの論理を解った上で、お書きになっているのでしょうか。

簡単に言うと。
見下ろすだけでは無くて、降りて下さいませんか、という事です。

finalventfinalvent 2008/02/02 18:16 TAKESANさん、こんにちは。TAKESANによる「あまりにも文意が判然としないために」を私が前提として受容しないといけない応答のように思われました。その受容にためらうので、TAKESANとの対話はここまでとさせてください。皮肉の意味はありません。その点はご理解ください。

TAKEASANTAKEASAN 2008/02/02 19:53 前半で仰る意味がよく解りませんが(なんとなくは解りますが)、対話はここまで、という部分は、了解しました>finalventさん

ただ、私が上で書いたコメントの後半については、「受容」とは独立して考えられる問題なのでは、とは思いました。ご存知かどうかを伺っている部分ですので。

finalventfinalvent 2008/02/02 20:38 TAKEASANさん、こんにちは。ご了解ありがとうございます。それと、今見直すと敬称が抜けていた部分がありました。申し訳ありません。

須野 語須野 語 2008/02/02 23:59 はじめまして。須野語と申します。
http://sunokataru.blog85.fc2.com/blog-entry-27.html
のエントリーを書いたものです。
トラックバックをお送りくださったので、今さらですがコメントさせていただきます。

dlitさん自身が最初に述べておられますが「過剰防衛」ですね。いや、正確にいえば「誤想防衛」だと思います。私は批判してませんから。

まず、一般的・抽象的に言えば、私は「エセ科学」を否定します。その点でdlitさんの立場となんら異なることはないと考えます。
「え?」と思われるかもしれませんが、私のエントリをよくお読みください。【追伸】として「学級委員」たちに言っているのです。学級委員の定義まではしていませんが、本文の中で推測できそうなことは述べています。
diltさんのブログは、失礼ながら今回トラックバックをいただいてはじめて知りました。エセ科学批判を一般化して行う人たちは私のエントリでの学級委員に入りませんので、当然といえば当然なのですが。
つまり、対象に入っていないのに私のエントリを一般化してご自分で入ってこられたわけです。みごとに「誤想防衛」ですね。
(私も社会「科学」たる法学を勉強したもので。)

今回のことについて言えば、考えの平面・水準が異なるのだと思いますよ。Genさんのような捉え方をなさった方が、事態がよく把握できると考えます。

deepbluedragondeepbluedragon 2008/02/03 05:06 どうも
私はもともとユング好きで、認知科学を支持する今でも(科学ではない前提で)嫌いにはなっていませんが、須野語さんのユングへの言及には???

須野語さんの記事を読んでいると、この人はリベラル系であれエセ科学非難であれ、「頭がいい(皮肉も入ってます)」な人にウンザリしているようです。その気持ちは分かりますが、「せいぜいお利口さんたちで立派な社会を築いてください」みたいな(自分はお前らと違って賢いと言いたげな)皮肉を平気で言う人に言われても説得力が全くない。

そういえば、ここでリンクされてるGenさんの(最初の)記事では、前半での科学のモノサシ論はおおまかに賛同できるのに、後半になると途端に論調が変わる。そう、これはまさしく相手への人格批判(「気持ち悪さ」)へのすり替えであり、彼が批判している疑似科学批判者の態度(「トンデモさん」呼ばわり)と変わらない。彼の問題意識は真摯なのだが、その語り方自体が罠にはまっている。

私の印象ではネット上の論争はこんなのばっかりで不毛さしか感じない。お願いだから、(人格でなく)内容で批判して!

dlitdlit 2008/02/03 16:04 >皆様
返信が滞ってしまい申し訳ありません。
お待たせした割にはおそらく大した返答もできないですし、僕が皆さんのやりとりにどれだけ付け加えられることがあるか疑問ですが、一応応答してみます。

dlitdlit 2008/02/03 16:42 >lets_skepticさん
まとめていただいてありがとうございます。
僕の記事はそういう捉えられ方をしても仕方なかったかもしれませんが(もう一度自分でも読み返してみました)、僕の視点から補足しておきます。
僕が一番に主張したかったことは、「批判対象を明確にしてほしい」ということだったのですよね。なので、例えばGenさんが実在の例を挙げていなくても、「〜という条件/文脈で〜という言説に対して〜という批判をするのはいただけない」というような語り方をしてもらえていれば、特に引っかからなかったと思います。
ただ、おそらくそれを一番簡単に示せるのは具体例を出すことだと思ったので、このエントリのような書き方になっていまいました。「証拠/根拠」、「引用」という単語は一切使わずに、「例示」という語の使用に止めたのもそれを意識してのことでした。

これはやりとりがある程度進んだ今だから言えることなのですが、Genさんが「疑似科学批判者へ」ではなくて、「疑似科学批判にかこつけて人格攻撃や誹謗中傷をする人たちへ」という語り方をしてくれていれば、もっと話はわかりやすかったと思うのですけれど。

後半の「見えない読者」に関しては、まさにまとめていただいたとおりです。
Genさんの記事は重要な指摘も含んでいると考えていますので、それが疑似/ニセ科学提唱者側の巧妙なネガティブキャンペーンに使われるのも怖いですし、普段なんとなく「なんか科学とか言ってる人たちって偉そうでむかつく」などと思っている人々の溜飲を下げたというだけで終わるのはもったいないな、という思いもありました。

今後こういう問題を巡って議論/思考しようとする方々への何らかの題材提供になると良いのですけれどね。
黒影さんもまたなんか書くかもとおっしゃっていたのでそれにも期待してます。

dlitdlit 2008/02/03 16:45 >ふまさん
ふまさんは僕より僕のことがよくわかっているようですね。
僕は自分に何がふさわしいかとかまだよくわからないので羨ましいです。

dlitdlit 2008/02/03 16:59 >finalventさん
僕にはfinalventさんがお書きになっていることの主旨がどれほど掴めているのか全く自信が無いのですが、「疑似/ニセ科学批判と社会のルールの関係」とか、「合意形成」という点に関して、僕のエントリには考察が無い、というのはその通りです。
僕がこのエントリで述べたのはせいぜい「疑似科学が批判されるべき理由(の提言)」までで、「では実際に行為として疑似科学批判をするかどうか」や、「批判するとすればどのような対象/方法を選択するか」という点に関しては踏み込んでいないつもりです。
まあ個人的にいくつか思うところがあるのですが、それを論じるにはこれまで色々なところで積み重ねられてきた議論を参照しなければなりませんし、自分の中でも整理が付いていない点が多いので、これから断片的にでも議論のきっかけを提供していければ、とは思うのですけれど。

dlitdlit 2008/02/03 17:20 >須野 語さん
コメントありがとうございます。
僕は須野 語さんが「エセ科学」に否定的なことも理解しているつもりですし、本エントリの中でも須野 語さんを「エセ科学」肯定派として紹介したつもりはなかったのですが…というかもともとその【追伸】での言及を取り上げているのですけれど。
しかしGenさんにも不本意だなどと言われてしまいましたし、結構「敵の敵は味方」式の読み方をされてしまうことはあるのかもしれませんね。今後「批判」という用語の解釈、用い方についても考えながら、検討させていただきます。

須野 語さんの該当エントリは、一部の「エセ科学」批判者(を装っている者)の態度や批判方法に対する窘めを含んでいるのかと思い取り上げたのですが、違っていたということですよね。これも今後の参考にさせていただきます。

dlitdlit 2008/02/03 17:34 >deepbluedragonさん
どうも、お久しぶりです。

補足ありがとうございます。
僕には須野 語さんのおっしゃりたいことが、自分で読んだだけではいまいちつかめなかったので、理解の助けになりました。

今回の各所でのやりとりでは、「偉そうなやつらへのルサンチマン」がいかに根深く、厄介なものであるのかを実感できたという点でも収穫がありました。それをどう考慮するのか(あるいはそんなに考慮しないのか)についてはまた別に考えなければ、ですが。

批判と人格攻撃や誹謗中傷の区別が付かない(あるいは区別の仕方が違う)方々、あるいはすぐに「敵味方」的な視点で議論を捉えてしまう方々に言及することの難しさを再再再…認識させられたのが収穫と言えるかどうかは微妙なところですが、自分が普段からいかに周りの論客に恵まれているのか、という点について改めて感謝するきっかけにはなりましたね。
僕が普段出入りするところでは人格攻撃や罵り合いなどの不毛なやりとりもほとんど出ず(出てももう一方が応戦しない)、かといって手加減も無い議論が結構普通に交わされるので、本当にありがたいです。

ふまふま 2008/02/03 20:53 > ふまさんは僕より僕のことがよくわかっているようですね。

では、こう言いましょう

dlitさんが「述べられた」批判の動機に相応しい

もちろん、dlitさんが述べた批判の動機もネタであり、真に受けるべきものではないのかもしれませんけれど

須野 語須野 語 2008/02/03 22:08 たびたびすみません。須野です。

> 僕は須野 語さんが「エセ科学」に否定的なことも理解しているつもりです

この点については、私のほうが過剰反応(防衛ではないです)だったようです。失礼しました。また、<エセ科学>といわれる問題にdlitさんらがなぜそこまで反応するのか、短い時間ですがネットを巡って、何となくですが理解できました。
正直、私はこれに関しては素人ですし、特定のトピック(水伝ですか?)についても細かくフォローしているわけではありません。ですから、例示としては浅はかなものだったようです。重ね重ね失礼いたしました。

ただ、「偉そうなやつらへのルサンチマン」という単純なものではない、ということはご理解願いたいです。また、「すぐに「敵味方」的な視点で議論を捉えてしまう方々」に私などは含まれるのでしょうが、出発点がどこにあるのか、なぜそうなるのか、という点に思いを致してくだされば幸いです。政治的な文脈で出てきた発言というのは、科学的真理の探究という切り出しをするだけでは把握できず、そもそも敵味方的発想にならざるを得ないものだと考えています。

いずれにしても、deepbluedragonさんを含め、<エセ科学>に関する問題について真剣に考えている方を不愉快にさせてしまった点については反省いたします。もうこの問題には触れないつもりです(そのつもりでエントリも更新しました)。私のレベルでは無駄な消耗戦になってしまいますので。

dlitdlit 2008/02/05 09:34 >ふまさん
ねたではないです。僕は真剣です。
なのでいつまでもじらしていないで「僕の動機にふさわしいトピック」について教えてくれませんか。
むしろ僕はニセ科学については自分が論じるべきではないと考えて自重しているテーマがほとんどだと自分では考えていたのですけれど。

dlitdlit 2008/02/05 10:12 >須野 語さん
冷静に応答していただきありがとうございます。

>「すぐに「敵味方」的な視点で議論を捉えてしまう方々」
須野 語さんに関して言えば、僕のエントリ本文で取り上げた表現に関しては、特にそういった思いは抱きませんでしたし、須野 語さんがそういう傾向のある方だとも思いませんでした。
ただ、こちらへの最初のコメントでは、僕が須野 語さんを「疑似科学サイドの人」として取り上げているかのような誤解をされていたように思いますので、あのコメントに関しては「敵か味方かどちらか」で二分する傾向のある方なのかな、と僕は判断しました(まあ僕の筆力の問題もあるのかもしれませんが)。
ですが、このコメントを読むとそれをご自分の意思としてコントロールされているようなので、その認識に関しては修正しました。「すぐに「敵味方」的な視点で議論を捉えてしまう方々」という表現には僕がここでやりとりをしている以外のことも含めてのことなので、須野 語さんへの皮肉のようなものではないことは了解いただけると嬉しいです。

政治的な文脈で出てきた発言に敵味方的発想が付きまとう、というのは理解できます。この須野 語さんのコメントを読んで、元のエントリが大体どういう方々を対象に発せられたものなのか確定できました。
僕も、一般的に「疑似科学批判にかこつけた過度の攻撃」があることはなんら否定しません。というか、むしろきちんと批判したい側からしても頭の痛い問題というか。
その問題についてもこれからも考えていきたいとは思いますが、須野 語さんのような異なる問題意識に対する理解がある方と出会えると、ほっとします。

MNKfinMNKfin 2008/02/05 13:10 はじめまして。人の騒ぎに便乗するのは嫌なんですが
ニセ科学批判をしてる人の態度には少し問題を感じてたので
この騒ぎも当然おきたことに思えます。
もちろん私もニセ科学批判はしてたのでその反省もありますが。
批判ニセ科学批判してる人は謙虚に受けとめるべきと思うのですがまだ飲み込めなてないのかもしれませんね。

dlitdlit 2008/02/05 16:24 >MNKfinさん
はじめまして。
どなたに向かって語りかけられているのかちょっと判断が付かないのですが、一応エントリを書いたものとして反応してみます。

で、そこを決断してもなおMNKfinさんのお書きになっていることが漠然としすぎていて(少なくとも僕にとっては)どう反応して良いのか悩ましいのですが、僕のエントリ本文ももちろんお読みのことだと思いますので、「批判というものはどうしてもきついものになりがちなので、謙虚な姿勢は大事ですよね」という一般論、あるいは感想であると受け止めて、「そうですね、謙虚な気持ちは常に忘れないでいたいですね」とお答えしておきます。

ふまふま 2008/02/05 19:05 >いつまでもじらしていないで「僕の動機にふさわしいトピック」について教えてくれませんか。

それは、私よりもdlitさん自身が分かっていることだと思います。私が指摘したのは、「dlitさんは他者の誤解を放置しているのではないか」ということです。水伝が相応しくないのは明らかでしょう

ふまふま 2008/02/05 19:09 水伝は【その動機には相応しくない】のですが、しかし「だからと言って水伝を批判するな」という訳でありませんので誤解なきよう

dlitdlit 2008/02/05 19:33 >ふまさん
そうですか、「教えてください」というのは甘えすぎだったようですね。
では、これからも自分とじっくり相談しながら自分にできることをやっていこうと思います。ご忠告感謝します。

MNKfinMNKfin 2008/02/06 12:45 どうも。dlitさんはニセ科学批判してる人をみて
その態度に問題のあると感じたこと(人)はありませんか?いませんか?

dlitdlit 2008/02/06 21:43 >MNKfinさん
どこまでを「批判」、何を「問題」とするかによりますけど、「個別の事態としてはあります」よ。

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