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歯切れが悪いのは仕様です。


2008-02-18

[][]理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ

 ニセ科学問題について論じる場で結構話題になることが多い「理系/文系」、僕も少し書いたことがあるのですけれど↓

今回は自分がこの話題について考えたり、何か発言しようとする時に感じるもどかしさについて書いてみます。「整理」という段階までも行けるかどうか…

※案の定、非常に長い上にまとまってないです。現時点で書き出せるのはこの辺りまでかなあ…あまり期待せず読んでください(^^;

立場の確認

 とりあえず自分の属性について考えてみると、専門は言語学なので、まあ人文科学に分類される領域に所属していることになると思います*1。大学の学科も「日本語・日本文化」なんていう名前を冠していたので、これも多分典型的な「文系」ですよね。

 僕が感じるもどかしさというのは、それでも「文系の者として一言物申す」とはなんだか言い出しにくいというものなのです。それがなぜかということをずっと考えているのですが、ここで少し途中経過を吐き出してみます。

「文系」って言ってもホントに色々ですよね

 まあこれはよく言及されることだと思うのですけれど、「文系」っていっても色々な分野がありますよね*2。それに加えて、言語学という分野(の研究内容)がそんなに一般的に認知されていないこともあって*3、「文系ってさあ…」って話を振られた時になんとなく「文系の者」として名乗り出るのに二の足を踏むのですよね。それで結局は「実は言語学っていう領域がありまして…」なんていう紹介から入ることになります。

 例えば、こういう引用の仕方をするのはちょっと気が引けるのですが(Judgementさんの問題提起については改めてしっかり応えたいと思っています)、

 私が考えるに、(大学に来てまで「知識の暗記」に終始する方は除き)文系の学問領域でキチンと研究を修めようとした場合こそ、論理のセンスが必須になると思います。

 と言うのは、理系の学問と比べ「実証」で示せない部分が多く、その場合、自分の主張の正しさを示すのは「論理」しかないからなんですね。

 いわば、理系学問が「論より証拠」とすれば、文系学問は「論だけ」なわけですから、論への重み付けが非常に高いわけです。

「理系=科学的」か?:王様は裸だ!Annex:So-netブログコメント欄

 っていうような文系の捉え方、イメージはあると思いますけど、言語学、少なくとも僕の専門の文法研究ってかなり「証拠」の世界なんですよね*4。分析には言語現象による証拠付けが無いと大抵相手にしてもらえませんし、仮説や分析を証拠や実験によって反証することもできます。

 Judgementさんのこの捉え方で僕がしっくりくるのはやっぱり哲学かなあ*5。以前にも書きましたけど、哲学という領域における議論や論理に対する厳密さというか徹底振りは感動すら覚えるものなので。

 まあ文脈により色々なんですけど、こういう風に話し手が「文系」によって何を指示しようとしているかという点もよく気になります。本当に「いわゆる自然科学以外の分野」ぐらいを意味していれば、こちらも例示として自分の領域の話ができるのですけれど、「文系」という表現を使いながらも、例えば「文学」とか「社会学」などの具体的な特定の領域について語っているようなところが感じ取れる場合にはさらに反応するのを躊躇しちゃいます。遠慮しすぎなのかもしれませんけどね。

 ここで僕自身が他の「文系」の研究領域の事情について詳しければ話が広がるんでしょうけど、学問としての文学には疎いですし、社会学や心理学についても一部についてしか知識がありませんし、哲学はまあ専門の論文も読むことがありますけど、やっぱり領域は限られてるからなあ*6

 ネット上では「文系」を「研究職じゃなくて事務職」ぐらいの意味で用いることすらあるので、本当にややこしいです。「文系」って言われてるけどなんか内容を読むと自分のことじゃないっぽいしどうしよう…って感じたことがある「自分を(まあ)文系だと思っている人」って結構いたりして、と思うんですけれどどうでしょう。

自分語り:「理系」の話も好きなんですよね…

 もう一つのもどかしさ感がどこから来るかというと、これは非常に個人的な話になってしまうんですけれど、「理系」、あるいはいわゆる自然科学関係の話に全然抵抗感とか無いということなんですよね。むしろ小説とかより自然科学のジャーナルとかそこまで専門的ではない研究書なんかを読むことの方が多いですし*7

 「文系」を「科学的手法、あるいは思考法についてのきちんとしたトレーニングを受けていない者」という意味で用いることがあると思いますけれど、「文系」の学問について真面目に取り組むことによって、あるいは独学で科学的思考法に辿り着く人もそこそこいるんじゃないですかねえ。

 他にも、僕が出会う「文系」像に自分を重ねられないことが結構あるというか、他にも気になる点を列挙してみると、

  1. 数学は好き?:高校までの教育としての数学も好きでしたし、研究領域としての数学も好きです。
  2. 数学は苦手?:高校までは得意でした。理数科文転組ですし(ちなみに文転の理由は理数系が嫌い/苦手だからではありませんでした)。ただ、大学レベルで習得する数学をきちんと使いこなす力量は無いので、数学に対する強いコンプレックスはあります。
  3. 理科はどう?:物理と生物はずっと英語や国語より点数が良かったような。今でも好きだなあ、物理(学)&生物(学)。大学でも物理系、医学系の授業にちょろっと出たりしてました。
  4. 研究で数学は出てくる?:統計、形式論理学、集合論には結構触れる機会が多いです。というかこれらがわかってないと相当量の論文が読めなくなります。
  5. 「理論」と「論理」の区別は付く?:自分では付いてると思います*8。付いてなかったら研究者として厳しいだろうな…一応専門に「理論言語学」って書くこともありますしねえ。

 どうなんでしょう。結構こういう「文系の人」っていたりしないかなあ。

まとめ?

 つまるところ、まともな議論がしたい場合には、「文系/理系」を

  • 高校での所属科、入試に必要な科目、大学での学部/学科などの被教育歴
  • 大学やその後携わっている専門分野の性質
  • 職種

などで区別するのか、それとも

  • 文章の書き方や論の進め方における特徴、あるいは得意な技術
  • 「理屈っぽい」とか「感情的になりやすい」とかいう漠然とした性質

に対する手近で適当なレッテルとして用いるのかぐらいは意識しないと、大分すれ違いが起こりそうだよなあ、という気がします。もちろん、それらの特徴間の関連性や共通の原因について考えることはあると思いますけれど。

 まあ、「重要な用語は定義をはっきり」というのは科学の、というか学問の基本なんですけどね。どんな意味での「理系/文系」に限らず、その辺りのことを適当にして不毛な議論や時には誹謗中傷などを繰り返す人はとりあえず自分自身が科学的思考法を身に付けていないことを全力で示しちゃってるようなあ、と思うのです*9

*1:生成文法の立場を採っていることをどう考えるかということについてはここでは踏み込みません。

*2:「理系」の方も、話題によっては「理学と工学を一緒にするな」とか「物理学と生物学では色々違いもあって…」とか、「理論系と実験系ではやってることが結構違うんだよねー」とか色々言いたいことがあると思いますけど

*3:少なくとも僕はそう感じています。「言葉についてのトリビアを色々知っている」というイメージはあるかもしれませんが、それは研究の副産物というかおまけみたいなもんです。

*4:「証拠」「実証」で何を指すかって話もあるでしょうけど

*5:哲学も色々なんで、こんな乱暴にくくれないですけど。

*6:現象学とか苦手です(-_-;

*7:ある程度のレベルからは全くダメですけど(>_<

*8:昔何かの洋画で"logically"に「理論的」って字幕を振っちゃって会話の意味がよく通らなくなってるのがあったなあ。

*9:手軽で効果的な煽り、挑発の手法ということもあるでしょうけどね。

大’大’ 2008/02/19 00:08 はじめまして。しばらく前から愛読してました。
トラックバックという仕組みがないのでコメントで紹介しますが、下記で「文系と理系は対等でない」理論を提案しました(大げさ)。
http://dog.w3m.jp/bbs/spool/until200802.html#20080219000323@keijiwan

JudgementJudgement 2008/02/19 00:11  わぁ、ヤバイヤバイ。
 もたもたしていると、私が言えるレベルの事は全て言われてしまいそうな勢いだぁ〜。

 まぁ、それは置いておいて
 正直私は言語学はよく知らないです。例えばnegen氏の言語学の論文なんか一応読んでみた事もありますが、良く分からない。でも良く分らないけど非常に面白そう、と言うイメージを持っています。
 で、そこからなんですが、いわゆる「文系」の世界から見ると、「文系」とひとくくりにできない多様さを知る事ができます。

 これは、個人的な感覚でしかないのですが、「文系」の人は、文系の世界をそういう眼差しで見るのと同じように、「理系の世界」もひとくくりにできない多様さを想定しているのではないでしょうか。
 例えば、私は試しに「文系ってさぁ○○○」とか「理系ってさぁ○○○」というセリフを考えようとしましたが、思い付きませんでした。おそらくdlitさんもそうではないかと。

 その一方で、「理系」の人にとっての「文系」は、アナザー、つまり「理系ならざるもの」という視点で把握されているのではないのかな、と感じています。
(「理系にあらずば人にあらず」の境地にまでは行っていない事を祈ります)
 ※モチロン、そう感じるのは自らの「理系」属性を前面に押し出すタイプの方だけですが。

「理系も文系とひとくくりにして扱えるものではない」が示せれば、実は私の狙いの半分は達成できるのですが、今のところはあえてそこに着陸せず、両者を分離する事にこだわってみたいと思います。

hietarohietaro 2008/02/19 00:20 はじめまして。m(_ _)m

「文系」という言葉は「理系」という言葉より曖昧に使われている気がします。
「文系」を指すことと、「非理系」を指すことと。
私は「文系」だと自負していますが、「文系」を自称する人(^^)に対して、「お前は理系でも文系でもないよ。自然科学が苦手だというだけの理由でこっちの仲間みたいな顔するな!」と思うことは多くあったりして。(^^;

実は「理系でも文系でもない人」というのが世の中にはたくさんいるんだと思います。

yufuyufu 2008/02/19 01:16 私は理系受験組ですが(事実面からすれば日本の大学受験生のなかでもトップクラスの成績だったはずの…)、大学に入って(しかもそこが文理共通学部だったりして)、自分より論理的な構造「だけ」でものを見ている人がたくさんいるのを知って、理系ではやっていけない、と思いました。要するに、ある一定の理系の人間というのは、ある事象について分析しようとするとき、構造にはまらない情報を捨象している分、ものすごくはやい。事象そのものの、ほかの部分が気になってしまう自分ではスピードがついていかない。まあそういうわけで、意味論をはじめました。

自然科学の方法論を用いて、論理的な構造に落とし込む。それはまあいっちゃえば「誰にでもできる」部分ですね。それが理系の持ち味なのかな。
これができない人も世の中にたくさんいることを目の当たりにしてきました。
文系というのは、多様性を許容するというところが面白いところですが、研究者として何かを研究して、発表して誰かにわからせる段階では、やっぱり構造化が必要なわけで、それに前で挙げた「理系」的な部分は不可欠です。いや、それ以上に説得力のある方法があるならそれでもいいのですが…(学会にいくと、なぜか“わからない”やわらかい発表も多い)

文系の学問が本当は、理系の構造化を超えたところにあると私は考えています。だからこそ、文系の学問をやっている人は「個人」で名が売れるのではないでしょうか。分野ではなくて、思想家ごとに。


「理系の人って、すぐに論理的に筋が通ってるかどうかを気にするけど、文系の人って、それが直観的に正しいかどうかについて気にする」
倫理についての哲学が成立する経緯なんてそんなとこにあるんじゃないでしょうか?

dlitdlit 2008/02/19 13:59 >大’さん
はじめまして。
いつも読んでいただいているということでありがとうございます。

文系が「非〜」という定義のされ方をすることがあるというのはしばしば感じていたのですが、その全体集合が学問という領域を相当大きく越えていることがあるというところまでは考えが到っていませんでした。リンク先の主張を読んでなんか色々腑に落ちましたよ。なるほど。
やっぱり理系文系に加えて「その他」カテゴリが欲しいところですけど、なかなか定着しなそうですよねえ…

dlitdlit 2008/02/19 14:27 >Judgementさん
いや、僕のこの記事なんかは徹底的に僕個人の視点から書いていてあまり一般的なところに目を向けていないので、文系理系論についてきちんと論じるのであれば、Jedgementさんの記事のように一つ一つのトピックについて少しずつ論じていった方が良いんだと思います。

言語学の証拠、実証といったものがどういうものかという点については書こうかとも思ったのですが、記事自体が長くなったので削りました。僕とnegenさんは「学」でくくれば同じ領域ですが、テーマというか言語学内での専門分野が違うので、その論を追う時は結構丁寧にやらないときちんと理解できなかったりします。一つの「〜学」の中だけでも本当は相当色々あるんですよね。

「文系/理系ってさぁ○○○」については、2chの煽り合いレベルのものなら結構思いつくのですけれど(笑)一つ一つ取り上げてコメントするのもなあ、ってのがほとんどですね。
ちなみに実は「理論と論理の区別が付かない」というのはネット上で時々見る「文系の特徴」なのでちょっと言及してみました。

他の方のコメントにも出てきているのですが、「文系」が「非〜」という意味で用いられていることは結構多いと思います。典型的なのものの一つが「非理系」ですね。

僕は今のところ「基準と定義さえはっきりしていればきっぱりと「理系/文系」を分けても良いよ。ただ、それはあなたのイメージや「〜系はこうであってほしい」像とは違ってきちゃうだろうけどね」という感じのスタンスです。
「文系は感情的」などの言説はほとんど血液型性格判断みたいんだもんだよなあ、なんて思いますし。

dlitdlit 2008/02/19 14:41 >hietaroさん
はじめまして。

上で大’さんが紹介してくれた掲示板にわかりやすく書いてありますが、確かに「文系」は指示対象が広すぎですよね。

僕は自分のことを文系だと言い切るのにはためらいがあるのですが、「明らかにそれは理系文系の話とは関係無いし」と言いたくなる「自称文系の人」はたまに見ますね。

「文系なので」とか言わずに「物理がわからないので」とか言えば良いのに、などと思うのですが、まあその辺りのことを直視せずにすむための便利な言葉なのかな、とも思ったりします。

dlitdlit 2008/02/19 15:28 >yufuさん
はじめまして。

yufuさんの文章に登場する「文系」「理系」という用語(他にも「論理的な構造」とか「多様性」なども)それぞれが何を指しているのか、どう定義されているのか僕にははっきり掴むことができませんので、ひとまず僕の推測で思いついたことを触れられる箇所についてだけ書いてみます。
僕のyufuさんの文章に対する解釈や推測が間違っていたらすいません。

とりあえず学問の言説としては論理(logic)がしっかりしていることは大前提だと思います。それをどう他人に伝えるかという点については色々な方法がありますし、何を好むかは人それぞれ、あるいは向き不向きがあるということだと思います。
例えば、論理の流れだけを明快に簡潔に示すのか、それともアナロジーなどを使いながら、ある程度イメージにも訴えるのか。それは個人の性質だけではなく、場や文脈によっても変わると思います。実際僕もある程度の使い分けはしますしね。

>文系の学問が本当は、理系の構造化を超えたところにあると私は考えています。だからこそ、文系の学問をやっている人は「個人」で名が売れるのではないでしょうか。分野ではなくて、思想家ごとに。

これも「何をもって本当と考えるのか」とか「理系の構造化」の意味が明確にされていないので何とも言い難いのですが、「文系の学問をやっている人は「個人」で名が売れる」というのはyufuさんの印象でしょうか。僕個人としては今までそういったことを考えたことが無かったので興味深いです(そういう印象を持ったことも無いです)。「名が売れる」のが一般的な世界での話しなのか学術的な世界での話しなのかでも大分変わってくると思いますし。
ちなみに、「学問」と「思想」は個人的には分けて考えた方が良いと思います。もちろん学問の積み重ねや帰結を踏まえて導き出される思想もありますけど、そうでない思想もあると思いますので。

>「理系の人って、すぐに論理的に筋が通ってるかどうかを気にするけど、文系の人って、それが直観的に正しいかどうかについて気にする」
倫理についての哲学が成立する経緯なんてそんなとこにあるんじゃないでしょうか?

これは個人の性格についての一般化でしょうか。だとすれば僕はそれは歪められたステレオタイプか何らかのovergeneralizationだと思います。もし傾向として成立するとしてもかなり弱い蛍光か、あるいは限られた集団にしか当てはまらないものだと考えています。
ちなみに哲学について少し述べておくと、哲学では「「それが直感的に正しい」と人が考えるのはなぜか」ということなら研究の対象にすると思います。あるいは「「それが直感的に正しいかどうか」を人が気にするのはなぜか」なども面白いテーマでしょうね。これは哲学だけではなくて、心理学、社会学、文化人類学などのテーマにも成り得ると思いますけど。
「それが直観的に正しいかどうかについて気にする」と「倫理についての哲学が成立する経緯」がどのようにつながっているのかも僕には分からないのですけれど、倫理「学」について書かれてある本をお読みになったことはありますか?抽象的な議論や概念分析などももちろんありますけど、人間が遭遇する様々な具体的な事例と人間側が持つ「倫理観」や道徳的なルールをどのように折り合わせるのか(あるいは実際にどのような折り合わせが行われているのか)という点について細かく考察する、言わば実証的な側面も持ち合わせていますよ。

何か問いかけばかりになってしまってすいません。
yufuさんはご自分の思いを書き記しだけでここまで反応していいものか迷ったのですが、思考のきっかえにでもしてもらえれば幸いです。

yufuyufu 2008/02/19 17:54 なんだか個人的な“意見”をペロッと書いたのにていねいな反応どうもありがとうございます。
あまり議論をつめるのは本意ではないので、思索の切っ掛けになったなら幸いです。(と返してみる)

diltさんがいつも科学論なんかに対して情熱的に取り組んではるのには、目を見張るものがあって、ちょっとしたファンです。(私にはこれだけネット上で主張する勇気(元気)はないです)

人文学者についてはいろいろいいたいところがあるんですが、日本の言語学者である以上私たちは人文学の恩恵にあずかって生きるしかないわけですし、政治的問題であまりつっこむのはやめておきましょう。お互い言語学者ですから、いずれどこかでお会いしたときにでもお話しましょう(笑

大’大’ 2008/02/20 00:31 いわゆる「理系」「文系」がある程度定着していること、特に『この用法で良いのか?』という疑問を持たなそうな人たち (^^;; に定着していることを考えると、これに加えて「その他」カテゴリを定着させるよりは、その評価軸の外で『自然科学/人文科学/社会科学』と呼ぶのが健全な気もします。そもそも『理系/文系』という言い方で何かを呼び分けた気になってしまうというのが間違いだと思うんだよなぁ…。(除:受験関係者)

以下は横槍。
人文学の恩恵にあずかって生きる人が人文学(者)につっこまなかったら、一体誰が突っ込むんでしょう。関係ないのに親切に突っ込んでくれる人はまずいないのでは。
もちろん人文学に限らず自然科学でもネットワーク(私の職業)でも良いんですが、そう思いました。

yufuyufu 2008/02/20 03:44 dlitさん失礼します。「横槍」に対して多少ぶしつけにはなりますが、お答えさせていただきます。

>大’さん
一介の大学院生が、ラディカルなことをワーワー言ったところで、なにもかわりません。あるいは、自分のやるべきことを通して、主張するならともかく。あなたの職場では、そうではないですか? 改善点について、ただ影で文句を言う人よりも、その改善について案を提出し、最終的に実行できる人間が重宝されるのではないでしょうか。それがアルバイトだったら、提案すらできないでしょうね。ましてそれの上司に当たるのが、国レベルの話なら。

本気で改革を思うからこそ、したたかに、自分が効力を持てるときまでは、言わないものなのだと思います。

学問が、社会をはじめすべての枠組みを離れて、一から基礎づけし、分析したいという欲望を持っている活動である一方で、学者の営みは現在の社会の一部をなしているものだという観点も、持ち合わせていたいです。科学にも、文学にも、なんにでも流行り廃りがあるのは、顕微鏡の解像度の向上のような技術論だけでなく、社会との密接なかかわりにおいてです。

親切につっこむ、という点に関してですが、そこには微妙な交通があって、人文学者は自然科学者に警鐘を鳴らせるくらいでなくてはいけない、ということも付け加えなくてはなりませんね。とりわけ倫理観について。

dlitdlit 2008/02/20 15:42 >yufuさん
おっと、そういうことでしたか。
僕はあまりその辺りの配慮に融通が利く性格では無いので冷静に受け取ってもらえて助かりました(^^; まあこういう性格だからこそある程度熱いことを書いちゃえるんでしょうけど(そして後悔したり(笑))

言語学自体は自然科学/人文科学/社会科学という視点にスライドしても、結構立ち位置とか分野の性格付けとかややこしかったりしますよね。僕はその辺りの、ある意味ごちゃごちゃ感も好きだったりするんですけど。というかその辺りが真骨頂の一つのような気もしますし。

例えば「linguisticsとhumanitiesとhuman science」みたいなテーマでのエントリなんかも書いてみたいとは思っているのですけれど、こちらは整理にも程遠い状況です。まだまだ勉強が足りません。

学会などでお会いできるのを楽しみにしています。

dlitdlit 2008/02/20 15:57 >大’さん
僕は「理系/文系」という言葉と、それによって何かを「分け」たり「分類」したりすることを止めさせたり、何かの意識改革をもたらしたりするのは(世間一般のレベルでは)相当困難だろうと思います。ご指摘の通り、定着しすぎですよね。

個人的には理系文系論で性格なんかを語るのは血液型性格判断の話とほぼ同レベルだよなあ、と思うのですが、教育制度や教育論のレベルでは理系/文系の区別が意味を持ってくることもあるので、ある意味血液型の話より厄介かもしれないですね。

ニセ科学問題についての色々な議論なんかを見てると、何かを分類したり、レッテルを貼ることによってなんとなく判った気になる、あるいはそうやって判った気になりたいという(欲求の)傾向みたいなものもあるのかもしれないなあ、と思ったりもします。

黒猫亭黒猫亭 2008/02/20 16:08 >>個人的には理系文系論で性格なんかを語るのは血液型性格判断の話とほぼ同レベルだよなあ

すいません、さっき某所でオレも同じことを書いちゃいました(笑)。

dlitdlit 2008/02/20 16:24 >大’さん、yufuさん(+ROMの方々)
まあ他のところも大体そうだと思いますが、ここのコメント欄はどのような議論についてもオープンにしていますので、やりとりはご自由にどうぞ。

例えば、ここでそのまま理系文系論から遠く離れて「言語学の院生をきちんと育てるためのカリキュラム論」なんかが始まったとしてもかまいませんし。

ただ、僕に議論の交通整理をする能力や状況を収集する能力はあまり無いです、ということだけ書き添えておきます。

少しだけお二人のやりとりに触れておくと、
yufuさんがおっしゃっているのは個人がどういう戦略を選択するか、というお話だと解釈しましたので、それはもう最終的にはそれぞれの判断になるのかなあ、と思います。

個人的には大’さんがおっしゃっている、「批判は関係者から」という考え方に共感するので、「僕自身の」ブログはこういう内容になっているというだけです。まあチキンなのでそんなに過激なことは書けてないですけどね(^^; 気分屋なのでトピックの移り変わりも激しいですし。

ただ、僕も未だに一介の大学院生なので、時々こうやってブログに愚痴を書き連ねていること自体に虚無感を覚えることもあります。それでも、僕より先輩の言語学の研究に携わっている方々に読まれていることも知っていますし、ac.jpドメインからのアクセスも結構あるので、それなりの覚悟、というか生半な気持ちでは書けないという自覚はあるつもりです(もちろんトピックによりますけどね)。自分の本名や研究内容も明かしているので、自分自身の実生活上での評価にも影響すると思いますし。それでも、yufuさんがおっしゃっているように、いつかは行動も伴わせられるようにしたいとも考えています。
あ、これもほとんど自分語りなのであまり重く受け止めないでくださると助かります。

dlitdlit 2008/02/20 16:36 >黒猫亭さん

>理系文系性格判断≒血液型性格判断

あ、そうだったんですか。それはまだ未見ですけど、同じ考えをもっている方がいるというのはなんだか心強いです。
まあ僕の方はまだ印象論レベルの話なんですけどね。

…ってコメント書いてるうちにそれがどこなのか発見しました(^^; これからゆっくり読ませていただきます。

大’大’ 2008/02/21 01:13 ははぁ、なるほど。「言語学者である以上」という表現だったので、一般的に(言語学者を含む)人文学者は他の人文学者に対してつっこむべきでない、…という意味だと捉えてました。でも「効力を持てるときまでは、言わない」というスタンスであれば納得できる範囲です。
ただし私自身はその戦略をとりません。本気で改革を思うときには、むしろ積極的につっこむ(文句を言う)ことによって、決定権を持つ組織(や委員会や会議など)のメンバーに選ばれよう/参加しようとします。
yufu さんや dlit さんが使った単語を借りると、「つっこみ」(=言論)はそれ自体が「効力(情報提供、啓蒙、存在の主張など)」を伴う「行動」だと思っている、…という感じでしょうか。

なお(「ただ影で文句を言う人」は論外として)うちの職場では「表で文句を言う人」は歓迎されます。「他人事のはずなのに表で文句を言う人」は、さらに歓迎されます。文句というのは、見方を変えれば改善提案ですから、無関心より5万倍ありがたいです(とは言え、外から言われる前に内部で気づきたい (^^;;)。その改善提案を採用するかどうかは、言った人が一介の大学院生かバイトかセンセーかに関わらず内容次第です。提案元の人が実行するかどうか、できるかどうかは気にしません。実行については、文句を言われた我々が頑張る部分なので。

人文学者は自然科学者に警鐘を、というのには大賛成です。それこそ正に親切なつっこみ! 逆に、自然科学者も人文学者に警鐘を鳴らせるくらいでなくてはいけないですね。例えば自然科学的概念の誤用などについて。アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモンの『「知」の欺瞞』みたいなのが例になるかな。

dlitdlit 2008/02/21 19:58 >大’さん
ああ、言論自体にどこまでの効力を見込むか、という点での考え方の相違はありそうですね。まあ問題や文脈にもよるでしょうけど。

僕自身は指導教官から「話し合いの場では必ず何か発言すること」「院生たるもの先生にも食って掛かれるぐらいでなくては」というような教育を受けてきましたし、実際に研究以外の場でも自由で生意気な発言も結構許されてきたので、なんかもう自然にいろんなことに口を出さずにはいられないようになりましたが、それもあってのこのブログの放言集なのかもしれないな、とふと思いました。

大’大’ 2008/02/23 03:28 私が生物学教室で受けた教育も「人の話を聞いといて質問しないのは、くだらない話には興味ないって言ってるのと同じ」なんて感じで、似たようなノリでした。ただ院生/先生という区別を意識することがほとんどなかった(教授も一部を除いてさん付けで呼ばれてたし、随分年上の先輩って感じ)ので、「食って掛かれるくらいじゃないと」というよりそれが普通って感じでした。その結果けいじわんが放言集に…(と、人のせいにしておく)。

dlitdlit 2008/02/23 18:12 >大’ さん

>「人の話を聞いといて質問しないのは、くだらない話には興味ないって言ってるのと同じ」

ああ、良いですねその言葉。今度使わせてもらいます。

>院生/先生

僕の周りでもゼミによってはそういう雰囲気のところもありますね。人によっては「「先生」なんて付けないで」って言いますし。うちは先生はフランクなんですけど、学生が過剰に恐縮してる感じかなあ…
けいじわんのあの自由な感じは良いですよね。結構ストレス発散になってる研究者の方々もいるんじゃないかな、と感じました(笑)

shibachoshibacho 2008/02/24 13:51 興味深く読ませて頂きました。
私も「文系/理系」といった紋きり型の議論は嫌いな方です。なぜならば、議論が乱暴になりやすいからです。
私自身のブログのタイトルが「理系の〜」ではなく「技術系の〜」であることはある種の必然があります。自分自身「エンジニア」であるという自覚はありますが、「理系だ」とは思ったことはありません。

そういう意味では、就職活動した時に、日本のSE会社は「文系理系を問わない」って言っていた企業が圧倒的に多いことに困惑していたこともありましたが。。。日本のSEなんていうのは「技術に明るい営業」以上の物は求められていないのでしょう。

話を元に戻すと、自分自身の専門研究領域は音声認識と音声認識インタフェースですが、これは文系、理系がタッグを組んで取り組む問題だと思っています。ここで「理系だから」「文系だから」といったように領域を分けてしまうと、そこから出る研究成果は非常につまらないものになるのではないかと思っています。

学問領域が細分化されすぎている、というのも一つあると思いますが、ある種のState of The Artな研究を行おうと思った時に、文系としてのアイデンティティを求めること自体がジレンマなのではないかと愚考します。

長文失礼しました。

dlitdlit 2008/02/24 19:17 >shibachoさん
「文系/理系」という用語は本当に曖昧模糊としていて使いにくいですよね。なんでこの分類にあんなにこだわる人が多いのか未だに理解できません。

僕は以前から言語学はこの「文系/理系」の区別のおかげで色々割を食っている分野だと思っているのですが(元々学際的な性格が強いですし)、(テキストの)自然言語処理とかshibachoさんのご専門の音声認識などの領域ではおそらく最も直接的な形で両方面のスペシャリストが求められますよね(もちろん一人で両方面に明るい人材も)。
例えば言語学に関する研究でも、文法研究は人文科学系で、心理言語学/言語障害研究は心理学系で、自然言語処理研究は工学系で研究されていて、そこまで交流が無いような状況があったりすると、本当にもったいないな、と思います。

個人的には、学問は意識的に横に広げるだけでなく、深く掘って行った場合も自然に考えなければならないこと、知らなければならないことが増えていく(=広くなっていく)ものだと考えています。そういう過程で「文系」のような枠をうまく飛び越えられないと辛かったりするのかもしれませんね。

色々考えさせられました。コメントありがとうございます。

大’大’ 2008/02/24 19:35 言語学の研究室にいた時はそんな感じでした。>学生が過剰に恐縮
教官は学生が大人しくて困ってるんだけど、学生は「いやいや、質問だなんてそんな申し訳ないこと、わたくしゴトキには…」みたいな人もいたりして。最初のうちは、結構カルチャーショックだったなぁ。

あぁ、「SE」ってのも、てきと〜に使われてる言葉ですよね。システムでもエンジニアでもない人も「SE」と呼ばれたりするし。もはや「コンピュータ関係の仕事」くらいの意味しかなさそう。

で、せっかく褒めて頂きましたが、けいじわんは自由というより適当なだけです。
確かにストレスは溜まらないだろうけど。(^^;;

深く掘ると広くなるってのを砂場の穴堀りに例えて、けいじわんに書いたことがあります。ピンポイントで深く掘れれば効率が良いんだけど、なかなかそううまくはいかない。
http://dog.w3m.jp/bbs/spool/until200709.html#20070919015312@keijiwan

dlitdlit 2008/02/24 20:59 >大’さん

>学生が過剰に恐縮
そうそう、そんな感じです。なので大’さんが上で書かれたように「何か言わないことの方が失礼」ぐらい強烈なことを言わないといけないんじゃないか、という気がしています、最近特に。

>けいじわん
いやー良いですよーあの話題が変わる時の脈絡の無さとか(笑)

>深く掘ると
僕のイメージでは掘り進めると突然巨大な空間が!みたいなイメージでしたが、大’さんの書き込みを読んで確かに入り口の方に戻って基礎の部分を広げておいて全体を掘りやすくするってこともやるよなーと思い至りました。いや、なんか比喩の話を広げ過ぎなきもしますが(^^;

大’大’ 2008/02/24 23:40 けいじわんの話題は脈絡無く入れ替わるのではなく、複数の話題が独立に現れたり消えたりコメントされたり放置されたりしてるのです。多分。

ShaxShax 2008/02/25 05:12 はじめまして。やることがあって徹夜なので、夜中にコメントします。deepbluedragonさんのところからたどってきました。deepbluedragonさんもそうですが、私は心理学出身です。言語学と同じで、たいてい文学部か、教育学部などにあることが多いですね。ご存じかと思いますが、心理学は、決して深層心理をみるだけの学問ではなくて、人間や動物の個体の行動の統制(対照)をとる学問の総称です(たいていは認知過程を想定しつつ)。そういった統制については、医学系よりも厳しいです。ひょっとしたら理学系より厳しいかもしれません。どこで聞いたか忘れましたが、医学系の研究は行動統制がいい加減と軽視している発言もあったかもしれません。臨床例が豊かなためアイデアは多くあるが方法論を欠く医学者が、心理学者や、心理学の方法論を習得している神経科学者と共同研究することもあるようです(これがどれほど一般的なことなのかはわかりませんが)。それはともかく、方法論からいうと、完全に自然科学といってもよいのだろうと思います。

個体以下のよりミクロなレベルの研究は理系、個体でも野生の動物を追いかけるなら理系、個体を超えて生態学レベルでとりくむときも理系、でも個体の行動を実験室でみるなら文系もアリ。文系って何でしょうかね。

上にあった基準:
1 数学は好き? - 好きです。文学部は哲学科があるので、論理学の講義が開講されており、テューリング機械の停止問題など、楽しかったです。
2 数学は苦手? - 苦手です。得意になりたいな。
3 理科はどう? - 動物の心理学をやっているので、ある程度は付きあわざるをえません。さすがにCellは見ませんが。
4 研究で数学は出てくる? - 統計の出てこない論文はほとんどありません。
5 「理論」と「論理」の区別は付く? - theoryとlogicですよね。これは翻訳が悪い。

あとあるとしたら、どんな基準があるでしょうか。「理系のものと思われているが一部の文系にも当てはまりそうな基準」ということですよね。

6 PubMedを使う? - 〇 使います。
7 査読雑誌を重視する? - 〇 もちろん。
8 雑誌のインパクトファクタは重視する? - △ いちおうチェックしたりもしますが、私の分野の雑誌って、軒並み低いので、気にしても仕方がないという。Nature, Science, PNASなどと分野のトップ雑誌との差が激しすぎる。

なかなか思いつかないですね。

dlitdlit 2008/02/25 18:41 >大’さん
あ、なるほど。そこまで自由なんですね。
これからもちょくちょく覗かせていただきます。

dlitdlit 2008/02/25 19:13 >Shaxさん
はじめまして。

心理学は一部のトピックが一般的な興味を惹きつけ易いせいもあってか、世間では変なイメージを持たれたり誤解を受けていることも多い気がします。ある程度勉強するときちんとした方法論を持った科学の一分野であることがわかると思うのですけれどね。医学の方とのそういう関係については初耳でした。面白いですね。

最近感じるのは、「文系/人文系の研究」というのを内包的に定義するのはかなりムリがありそうだな、ということですね。もし内包的に定義するなら「人に関する研究」とでもして生物学の一部や医学も含めてしまうとか、現在一般的なイメージとしてあるなんとなくの分類を大幅に変更するしかないかな、なんて考えています。
方法論から分類する可能性もありますが、そうすると現在「(人)文系」だとされているいくつかの分野が自然科学と
同カテゴリーになるでしょうし。

>基準
僕がいた学部では論理学が開講されてなかったのでわざわざ隣の学部に受けに行ってましたよ…個人的には論理学は大学では必修にするべきだと思うんですけれどね。
論文に関する環境の違いというのは以前から自然科学系の研究者の方と話していると面白いな、と感じています。僕の専門でいくと、6PubMedは趣味で覗くことはありますけど基本的に使いませんし、8に関してはShaxさんがお書きになったのと同じ理由でチェックしませんね。7についてはまあどの分野も大体同じかなあ、と思うのですが。

他にも思いついたら、というか議論を見かけたら紹介することにします。

大’大’ 2008/02/27 00:09 > 内包的に定義
人文系は「行為主体としての人に関する研究」って感じかなぁ。
自然科学としての「人に関する研究」は、ヒトを(ゾウリムシやイリオモテヤマネコと同様に)客観的な存在として捉えるので。

dlitdlit 2008/02/27 08:53 >大’さん
研究対象の性質という観点から見れば現在の状況ではその辺りに落ち着きますかね。ああ、でも対象をどう捉えているかという観点も入っているので方法論的なところにも影響があるかな…

ShaxShax 2008/02/28 20:30 > 行為主体としての人に関する研究
心理学では、ヒトだけでなくヒト以外の動物を扱います。また、行為主体としてその認知過程を重視した研究もあれば、ゾウリムシの研究にもそのまま適用できるような古典的な研究もあります。では、ヒト以外の動物の研究が、ヒトの研究にとって副次的なものかというと、そうでもなさそうです。心理学の一部では、ヒト以外の動物の研究は、ヒトの心理学的なもろもろのことを相対化するものと位置づけられるのだと思います(学習心理学と比較心理学とではこの相対化のニュアンスもちがってくるのでしょうけれど)。なので、上の定義では、動物を対象とする心理学が人文系から外されてしまうので、非常に寂しいです……(笑)

dlitdlit 2008/02/29 08:52 >Shaxさん
うーむ、僕としては心理学を分割せずに全てまとめてどちらかに分類する基準は思い浮かべられそうにないです(^^;

というより特に認知科学系の分野についてはもう人文科学/自然科学の分類ですら歯が立たない、あるいはこれからどんどん歯が立たなくなってくるのではないでしょうか。
もともと伝統的には(心の)哲学に関する話題も多いわけですし。まあそもそも哲学をどっちかに分類すること自体制度上以外の意味があるとは思えませんけれども(制度上も問題かも…)。

>非常に寂しい…
この辺りは人によって感想が違ってきそうですね(笑)

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