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思索の海 このページをアンテナに追加 RSSフィード


2008-09-01

[][][][]言語学自然主義の誤謬

 以下のブクマコメントでちょっと言い足りないと思ったのでちょっとだけ補足…って思ってたけど結局長くなったorz

 自然主義の誤謬はとりあえずwikipediaでも貼っておきますか。少し詳しい、っていうか専門的過ぎるかな。なじみの無い方ははてなのキーワードも見てみてください。

 言葉(日本語)に関する「正しい/正しくない/乱れなんてない/...」論争は自分の狭い観測範囲の中では(さえ?)よく見かけますが、とりあえず国語学/日本語学/言語学の知見や研究成果を持ち出してきて、ある言語表現の「正しさ/美しさ」への理由付けや正当化をしようとするのは、言葉に関する自然主義の誤謬の一種なんじゃないかなあ、って前から思ってるんですよね。

 これには反論する方もちょっと注意が必要で。例えば、「ら抜き言葉の出現は合理的な変化である」という研究は確かにありますが、これは「ら抜き言葉の出現にはメカニズムや規則性なんてない」というような考え方への反論であって、「合理的」というのはまさに「理」がある、という程の意味で用いられます。ここで「合理的であるから「乱れ」ではない」なんてところまでロジックを進めてしまうと、やっぱりそこに価値判断が入り込んでしまっているような気が*1

 確かに専門家は「〜って乱れ/誤用なんじゃない?」という疑問に対して、「いや、そこにもきちんとした規則性があるんです≒合理的な表現なんです」というような答えを返すことがあります。でもそれは「「乱れ/誤用」=理由の無い単なる間違い」というところに反論してるだけなんですよね。決してその表現の「正しさ」や「美しさ」を保証しているわけではない。この辺りは研究者であれば結構当たり前のことなので話をすっ飛ばしてしまっていて、誤解を受けていることなんかがあるかもしれません。ここで「合理的」に「良い/正しい/美しい」という意味づけをしてしまうのは、進化論の話で「進化」と「進歩」をごっちゃにしてしまうようなものなんじゃないかなあ、と。

 ここで覚えておいてもらえると嬉しいのは、だからといって言葉の研究者が言語表現に対する価値判断を行わないかといったら、そんなことは無い、ということですね。例えば僕だって美しいと感じる言葉もあれば、好みの表現、聞きたくない表現だってあります*2。ただ、言葉の科学に携わっている人たちはそれがいかなる研究成果によっても一般的には正当化されないことを自覚している、ということですね*3。もちろん研究者によっては本当に全ての言語表現に対して全く価値判断を行わないと言う人もいるかもしれませんし、専門家としての発言力を考慮して、その辺りのことに言及しないというスタンスを選択している人もいるかもしれません*4

 あと、「言葉を使うプロ」と「言葉を分析するプロ」は別物、と書きましたが、もちろん両方プロフェッショナルな方もいます*5研究者だって、分析した結果を人に伝えなくてはならないわけですし。ただ、僕の浅〜い経験の中を探した限りでは、「使うプロ」の方の”自己流の”分析で専門分野の知見をおびやかすようなものは見たこと無いですねえ*6。もちろん、いわゆる在野の研究者で面白いことを言う人も見かけますが、そういう人は専門の論文や書籍にもきちんと目を通してますね。また、昨今の日本語関係のテレビ番組のおかげで変なイメージが付いてるかもしれませんが、「(言葉についての)モノ知り」ってのは研究者の副次的な性質であって、本質ではないですよ。言い表すのが難しいんですが、「モノ知りになるため(だけ)に研究している」のではなくて、「研究した結果としてモノ知りになった」というか…*7

 進化論でさえこの現代において様々な誤解を受け自然主義の誤謬に陥る人も後を絶たないことと、言語学(言語の研究)のマイナーさを合わせて考えると、言葉(への価値判断)についての認識の状況ってのは結構良い感じなのではないか、とさえ思ったりしています。

*1:ま、「乱れ」をきちんと定義するならまた話は別ですが。

*2:まあ新しい表現に出会った場合は何より好奇心が勝る、ということはあります。

*3:個人的な信念を持っている人はいるかもしれません。

*4:たまーにややこしい発言をする(自称)専門家もいるんですけどね…

*5:僕は使う方はあまり上手くないと思っています。

*6:直感、センス、のようなレベルで「すごい」と思うのはたまにあります。ただ、「分析」にするには色々技術が必要なので…

*7:ただこの辺りの話は「知識」の定義しだいかなあ。

SYntax_1987SYntax_1987 2008/09/02 12:43 はじめまして。
私は大方の人の(特に日本人に関しては)”美しい”という観念は古典美に求めている、あるいは、形式化、法典化された整ったものでないと認めないという志向があるのではないか、と考えています。
クラシックと現代音楽の差とか(和声もへったくれもないものなんて音楽じゃない!なんて。)
あと、敬語とバイト敬語の差とか。

というより、そういった美的概念にも「歴史が保証しているのだから安心」とかいう安定を求めているのではないでしょうか。

暴論を承知ならば、古語こそ日本人の使う言葉にふさわしい、とか思っていそうで。

あ、でもこういう人は今誤用の二重敬語については認めないのかな。うーん。

しかし、そもそも日本で学問というのがマイナーな気がします。

>日本語関係のテレビ番組
クイズ番組みたいな離散的知識でその人の物知りが測れるなら苦労はしませんよね。

shokou5shokou5 2008/09/02 15:23 お久しぶりです。以前から個人的な疑問だったことをこの機会に質問させてください。
個人的な言語知識としての I-language を研究する、という立場に立った場合、明らかな運用上のエラーなどを除けば、合理的な理由のある「誤用」はその使用者の I-language に含めて記述されると思うのです。言語共同体は大枠で I-language を共有する人々の集団として扱われると思うのですが、「誤用」はその集団内での統計的な揺らぎのようなものと考えてよいのでしょうか?つまり、言語共同体というものを考えることによって、I-language としては合理的な表現が社会的に「誤用」と見做される、ということなのでしょうか?

poohpooh 2008/09/02 17:51 これってぼくなんかも云うような「科学に善だの美だのの基準を求めちゃだめでしょ(かと云って科学者に倫理観や美意識に価値を置かない、って話でもないでしょ)」みたいな云い方に近いおはなしですよね。

killhiguchikillhiguchi 2008/09/02 23:05  あ、shokou5さんに先に聞かれた。お答え楽しみにしています。
 文法学会にはいけませんが、発表頑張って下さい。

dlitdlit 2008/09/03 19:44 >SYntax_1987さん

はじめまして。
本来様式美という概念自体には時間的な素性は含まれていなくてよいと思うのですが、古典的なものに様式美を見出す、あるいは認めるという傾向はあるのではないかと感じています。

ただ、こういう傾向やSYntax_1987さんが仰っている傾向がどれぐらい日本という文化で強く発現しているのかという点についてはよくわかりません。保守的であるということ自体は結構有力な戦略の一つであるとも思いますし。

日本では学問という活動というかプロセス自体があまり尊敬されていない、ということはあるんじゃないかと最近考えています。
テレビはまあエンターテイメントを第一に考えるので仕方ないかな、とも思いますが、適当な人が出て適当なことを「一流の専門家という肩書きで」言ってるのなんかを見るとやっぱりちょっと頭が痛くなりますね。
ただ、これは言語学、あるいは人文系の学問に限ったことではないと思いますが。

dlitdlit 2008/09/03 20:17 >shokou5さん

お久しぶりです。
大枠としては僕も大体そのように理解して良いのではないかと考えています。以下ではちょっと細かく考えたことをつらつら書いてみます。

一般的に考えられる「言語共同体」を考えるなら、「大枠で I-language”と語彙(項目)” を共有する人々の集団」ですかね。語彙にどれほどの文法システムにおける役割を付与するのかというのは話がややこしくなるのでおいておいて、ここではsyntaxだけを考えてみます。

一般的には同じ言語共同体に属すると考えられている人々の間で見られる文法性判断の差を実はそこに小さなparameterがあるからだ、という視点から分析する研究はそれなりに試みられているようですが、そこには「文法性判断が正しいならばそれを生み出す適切なシステム(I-language)がある」という前提があると思います。
そういう視点で考えると、「誤用」というのはある集団内における分布によって決まってくると言えそうです(少ない方が間違っている、とか)。
ただ、問題は「誤用」というのはあくまで表出された言語表現そのものに対しての評価だ、ということですね。たとえばparameter settingの段階では二つのグループに分けられるのだけれども、他の、例えば語彙に関する情報の違いによって結果的に派生される言語表現は四パターンになり、そのうち一つだけが誤用とされる、ということも論理的にはありえるかと思います。そのような場合はI-languageが全く同じ集団内に「正しい」グループと「間違っている」グループがいることになりますね。というわけで、集団内におけるI-languageの「ゆらぎ(のようなもの)」と「誤用」は直接的にはつながっていないような気がします。

また、可能性としてはI-languageからは適切に導けない(すなわち「誤用」)けれども、言語共同体では正しい表現として認められているような場合もあるのかもしれません。

抽象的なまとまってない話ばかりですいません。お返事になっているかどうかもよくわからないのですが…

dlitdlit 2008/09/03 20:21 >poohさん

構造というか、パターンとしてはほぼ(おそらく全く)同じなのではないか、と思います。というより、まさにpoohさんのところなどでの議論を読んでいて、「これって言葉にも当てはまることがあるよなあ」と考え続けてきたことなので。

ただ、言葉の研究についての理解は、(自然)科学についての理解よりさらに共有できている集団が小さいと思うので、難しいところなんですよね。科学そのものに関してはしっかりとした理解がある人でも、言葉についての話になった途端に混乱してしまう人をたまに見かけます。

dlitdlit 2008/09/03 20:24 >killhiguchiさん

上の返信は答えになっているかどうかはなはだ自信が無いのですが…

文法学会は久しぶりの全国学会なのでがんばりますよ!

shokou5shokou5 2008/09/03 22:24 dlit さん
丁寧なご回答ありがとうございます。身の回りの言語学関係の人に聞いても結構流されてしまいがちな問題だったのでしっかりとしたお答えが聞けてすごく嬉しいです。僕はあまり具体的な現象の分析のテクニックを習得していないので、こういった抽象的な議論のほうが助かります(笑)。
 
そうでした、語彙項目の問題をすっかり忘れていました!文法と語彙・・・相当ハードなトピックですよね。それで、I-language 以外にも「誤用」に繋がるファクターが想定しうるかもしれない、ということですね。その通りですね、納得いたしました。
 
>また、可能性としてはI-languageからは適切に導けない(すなわち「誤用」)けれども、言語共同体では正しい表現として認められているような場合もあるのかもしれません。
 
これは、たとえば、現代の若い日本人の多くにとっての 「食べられる」 がそれにあたるのではないでしょうか。正しい表現は I-language からはどうしても自律的に導けなさそうです(笑)。
 
話を限定すれば大枠は一致しているようで安心しました。文法性判断が研究者ごとでばらつく問題が折々ありますが、あれも個々の研究者が個々の parameter setting について探求しているのだ、という風に僕はある意味冷めた目で見てしまっているんですよね。あれもひとつの比較言語学になるんじゃないか、とか。
 
>人々の間で見られる文法性判断の差を実はそこに小さなparameterがあるからだ、という視点から分析する研究
もしよかったら何か関連する文献を教えていただけないでしょうか?とても興味があります。
 
日本語文法学会、時間がとれれば伺うかもしれません。うちの研究室には言語学のイベントの情報がなかなか入ってこないので、少し最近飢えているんです。
お忙しいところありがとうございました!
 
>killhiguchi さん
お先に失礼いたしました。何か付け加えることがありましたら、よろしくお願いいたします。

SYntax_1987SYntax_1987 2008/09/04 19:57 >dlitさん

回答ありがとうございます。dlitさんが、はてな初回答です(笑)

例えば記事の証拠などは、明文化された、変動しにくいものが妥当であるのは当然なのですが、実際、流動的な現場は、もっと柔らかい、慣習的なものが好まれるはずです。

それらを否定、矯正しようとする人は、いわば「春の祭典」の初演に立ち会ったサン=サーンスです。


私は日本語学な人間なので、言語学がどれほどニッチな(失礼!)分野かは想像できません。しかし日本で、「需要が少ない=意味がない」は成立しませんし、大学進学がメジャーなんてのは企業が大卒を欲しがるからに過ぎません。
意外と地方は高卒でとっとと就職しちゃいますし。

一流の専門家は忙しくてテレビなんて出てる暇などないと言ったら、失礼ですか(笑)

文法学会、がんばってくださいね。

dlitdlit 2008/09/04 23:49 >身の回りの言語学関係の人に聞いても結構流されてしまいがちな問題

あれ、そうなんですか。確かに難しい問題ですしね。僕はあまりその難しさを実感できていないので放言できちゃう、なんて側面もあるかもしれません。

>「食べられる」

僕みたいな分解原理主義形態論者からすると、[+potential]と対応する形態がrareかreかの違い。終わり☆で、共時的に見るとほとんど(functionalな)語彙項目に関するvariationの話になっちゃうんですよね。
まあ競合する表現に関してはある程度正誤を決めないと困る人たち(あるいは事情)もいると思うのですが、「文法システムの方が適切に吐き出したものなんです」っていう理屈は通じにくいだろうなあ…

>文法性判断が研究者ごとでばらつく問題が折々ありますが、あれも個々の研究者が個々の parameter setting について探求しているのだ

これは僕もそう思っています。文法性判断のばらつきを認めた方が大局的にはシンプルで説明力の高い理論、モデルを提示できるという可能性も十分にありますしね。この辺りはもう研究者個々の能力やセンス、または目的意識の問題かと。
例えば自然科学でも実験で何かの予期せぬデータが出た場合に、「分析に不必要なノイズ」と切り捨てるのか「モデルを改良すれば説明可能になる新規な現象」と取るのかは必ずしもアプリオリには決まらないでしょうし(ほとんど決まってしまうものもあるでしょうけれど)。

>人々の間で見られる文法性判断の差を実はそこに小さなparameterがあるからだ、という視点から分析する研究

とりあえず僕の記憶の中にあるものでは、

小川芳樹(1999)「日本語アスペクト動詞の自動性・他動性」黒田氏成幸・中村捷(編)『ことばの核と周縁 : 日本語と英語の間』くろしお出版, 201-243.
Han, Chung-hye, Jeffrey Lidz and Julien Musolino (2007) ”Verb-raising and Grammar Competition in Korean: Evidence from Negation and Quantifier Scope,” Linguistic Inquiry 38:1-47.

ってところですかね。どちらもあまりparameterという話はしてなかったような気もしますが、文法性の判断の差を異なった統語構造を構築するシステムという観点から説明しようとしています。

日本語文法学会もしいらっしゃるのであればお会いできるのを楽しみにしています。

dlitdlit 2008/09/05 00:18 >SYntax_1987さん

なんというか、場によって使用する表現やスタイルを変える、って実は結構誰でもやってることだと思うんですけどね。そういう「場にふさわしい」という考え方(「正しい」とまでは言いたくないです)は人によっては受け入れがたいものがあるのかなあ、なんて思います。

日本語学、言語学、国語学なんて話をまじめにやろうとするとかなり面倒なことになりますし、まじめにやろうとはあまり思いませんが、僕は出自は日本語学なんですよ。というか今でも所属的にはそうかも、とすら思います。
僕自身の研究テーマもちょっと隙間産業的なところがあるので、なんというか自分の立ち位置はいつも悩みどころだったりします。

>一流の専門家

研究家として一流であることと、説明が上手いことは時々成り立たなかったりしますし、難しいとこですかね…あとは断言してしまえる人かどうかとか。

文法学会はこれだけやることをブログに書いてしまったので恥ずかしい結果にならないように頑張りたいですね。ありがとうございます。

shokou5shokou5 2008/09/05 16:33 >僕みたいな分解原理主義形態論者からすると、[+potential]と対応する形態がrareかreかの違い。終わり☆で、共時的に見るとほとんど(functionalな)語彙項目に関するvariationの話になっちゃうんですよね。
 
なるほど。勉強になります。
 
>例えば自然科学でも実験で何かの予期せぬデータが出た場合に、「分析に不必要なノイズ」と切り捨てるのか「モデルを改良すれば説明可能になる新規な現象」と取るのかは必ずしもアプリオリには決まらないでしょうし(ほとんど決まってしまうものもあるでしょうけれど)。
 
実際、ノイズ (とある時代において見做されていたもの) は宝の山なんですよね。深追いしすぎるのも怖いですけれど。
 
文献のご紹介ありがとうございました。Korean は敷居が高いので、まずは「日本語アスペクト動詞の自動性・他動性」から目を通してみます。
 
文法学会、行けそうでしたら追って連絡いたします。めんどくさい質問にお付き合いいただいてありがとうございました。学会、博論と大変そうですが、どうぞお身体に気をつけ、お仕事に励んでください。

dlitdlit 2008/09/08 01:24 >shokou5さん

ありがとうございます。
Koreanの方はそのしばらく後に、対象言語を日本語まで拡大した論文を書いてるようです。ただ、そちらでもKoreanがメインで、日本語についてはそこまで詳しく書いてないのが残念でした。

shokou5さんもお忙しい身だと思いますが、お互い頑張りましょう。ではでは。