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思索の海 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

歯切れが悪いのは仕様です。


2009-11-02

[][]「言葉の正しさ」みたいな(よくわからん)ものについてもちょっとだけ

 今までもちょこちょこ似たようなことを書いてきたと思いますが。

先のエントリでa-geminiさんから下記のようなコメントをいただいて良い機会だと思いましたので少しだけ。僕の少しだけは大体長いのですが…

>個人的には「(絶対的に)正しい言葉」みたいな捉え方は気持ち悪いわけですが

以前、ライターの高橋秀実が「言語学者は言葉の乱れを面白がっているばかりでケシカラン!正しい日本語を示すのが仕事だろ!」みたいなことを雑誌に書いてました。漠然と同じように考えている人もいるじゃないでしょうか。変わった現象を見つけて学者がよろこぶのは当たり前だと思うのですが

昆虫学者が新種のチョウを見つけてよろこぶようなもので。

「よろしかったでしょうか」についてちょっとだけ(むしろ情報求む) - 思索の海コメント欄より(改行だけ調整しました)

で、コメント欄に書いた返事の繰り返しになりますが、言語学者に「正しい言葉(日本語)を示せ!」というのは生物学者に「正しいチョウを示せ!」というぐらい変な話だと思います。この辺りのことは以下のエントリでも少し論じました。

まあそれだけじゃあ味気ないので、では言語学者に一体何ができるのか、ということについてちょっと書きます。

そもそも「正しい」という用語自体が曖昧

 「正しい」という評価に関する言葉自体が、結構曖昧だと思います。しかし、「正しい」の内容をもっと正確に定義するならその例を示すことができるかもしれません。例えば、「正しい」を

  • 文法体系上ある程度合理的である
  • 通時的な変化の上で語源俗解などによるaccidentalな混乱が無かった
  • そもそも(一定の時期)ほとんど変化していない

などと定義すれば、モノによってはそれに大体相当する言語表現を示せる可能性はあります。ただ、程度問題が絡んできてやはり色々難しいでしょうけど。

「正しい”とされている”言葉」なら示すことができる

 「されている」と書きましたが、「されていた」言葉についても同様です。ある時代、ある地域、あるコミュニティ(の一定数のメンバー)において「正しいと解釈/認識されている(た)言葉」ならある程度調査することができます(過去のものについては史料上の制約が付きます)。そして、そのような性格の言葉なら確実に存在すると思いますし、そういった知識が重要だったり有用だったりすることはありそうです。

言語研究としてはデータを出す/リスク評価まで

 言語政策研究、社会言語学の知見を生かせば、「言葉がこうなっちゃうと、後々こういう問題が出てくるかも」といった、リスク評価のようなレベルまで行けるのかもしれません。ただ、自然科学の分野では散々言われていますが、データの提出/検討、リスク評価とそれを踏まえた上での行動(政策/個人レベル両方)は分けて考えるべきだと思います。kikulogの次の最近のエントリのコメント欄でも同じような話が出ていますので、参考まで*1(と言って宣伝)。

言語学者だって提言/介入することも

 ただ、これも上で挙げた昔のエントリに書きましたが、言語学者/言語研究者が「こういう言葉を使うのはよくない」とかいった提言をしたり積極的に言語の使用に介入することもあります。だって言語学者だって神様などではなく言語使用者に含まれますし、個人差がありますが言葉に対する好悪の感覚はありますから。僕は(今のところ)するつもりありませんけど。

 気をつけてほしいのは、ある言語学者が出したデータや分析の妥当性とそれに対する態度/処し方はそれぞれ独立に評価するべきだ、ということです*2。もちろん、独立に評価した上でどちらも受け入れる/どちらも受け入れないという選択はありえます。

おわりに

 「よろしかったでしょうか」のエントリの山形在住経験者さんへのコメントに書いたことの繰り返しで、言語学的自然主義の誤謬のエントリにも書いたことですが、合理性/理屈が通ることは論理的にも概念的にも必ずしも「正しさ」のようなものを保証することは無いと思います*3。なんかカオスだったり、よくわからないけどidiosyncraticだったりする部分に「正しさ」や「美しさ」を見出すってことが言語の場合にはあると思いますから。

*1:kikulogなんかではこういった話は散々既出ですけど。

*2:僕だって「提言/介入はしない」という処し方を表明しているわけです。

*3:こういう「正しい言葉遣い」の議論ではどうしてもその部分が大きな論点の一つになりますし、それ自体が問題ではないのですが

swoodsswoods 2009/11/03 20:05 正しいチョウとかそんな訳わからないこと言ってるんじゃなくって、そのチョウは害虫か益虫か教えてくれ。せめて判断材料出してくれってことじゃないのかな。
言語意識に関する社会調査とかそういう視点もすっぽり抜けてると思う。

hituzinosanpohituzinosanpo 2009/11/04 02:02 「そのチョウは害虫か益虫か」というのは、どのような立場にあるひとにとっての「害」なのかということをぬきに論じることはできないと おもいます。

キャベツ畑をしているひとに、「この虫はキャベツをたべます」と、その虫の性質を解説することはできるでしょう。けど、そういう視点をぬきに、生物学者が「この虫はとにかく害虫!」ということはないと おもいます。

生物学は「いろんな生物がいて、いろんな性質があるんだよ」というスタンスだと おもいます。

ことばにもバリエーションがある。そのちがいにたいする態度もちがう。それがどのようにちがうのかを調査すれば、トラブルのすくないコミュニケーションをするうえでの参考になる。でも、言語学はバリエーションのあれとこれを比較して、どっちが「正しい」とか「望ましい」ということを論じるための研究ではない。

でも、そーゆー言語学になんの意味があるんだ! おれの役にたってみせろよ!というのは理解できるはなしです。そっかー。じゃあ、どんな役にたとうかなーというときに、「言葉の正しさ」というキョーハクのせいで おおきな声で はなせなくなってしまっているバリエーションの話者に、「気にしなくていいんだよ!」と、そっと ささやくひとでありたい。そういう役にたちたい。というはなしではないでしょうか。

tigerchildtigerchild 2009/11/04 04:21 ご無沙汰しております。一連のお話を興味深く拝見しています。

コメントをしようとしたら長文になりすぎたのでエントリを上げてトラックバックしました。過去にTBが通らなかったことがあったので、一応URLを貼っておきます。
http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/108.html

なお、長文を書いている間にhituzinosanpoさんのコメントが掲載されておりまして、似たような趣旨でたまたま同じキャベツの比喩を使いました。hituzinosanpoさんのコメントを真似たようになってしまいまして申し訳ありません。全く偶然に同じことを書いてしまったのでお許しください。

dlitdlit 2009/11/04 10:59 >swoodsさん

まさにご指摘の点について「そもそも「正しい」という用語自体が曖昧」「「正しい”とされている”言葉」なら示すことができる」「言語研究としてはデータを出す/リスク評価まで」のそれぞれの節で書いたつもりだったのですが、非常に簡単に書きましたし、僕の書き方が悪かったのかもしれません。

上に私の記事なんかより大変わかりやすいhituzinosanpoさんのコメントがありますので、ぜひそちらだけでも参考にされてください。

言葉に関して何が「害/益」なのか、というのは結構難しいと思います。もちろん難しいから考えたくない、ということではありません。難しいから慎重に考えた方が良い、というスタンスだと受け取っていただければ。

dlitdlit 2009/11/04 11:11 >hituzinosanpoさん

大変わかりやすい解説ありがとうございます。
コメント消えてなくて良かったです。

ことさら付け加えることはないのですが、研究者としては事実を提供し、それに対してどう向き合うかというのは言語に関わるできるだけ多くの人によって考えていくことができれば理想だと思っています。あまっちょろいかもしれませんが。

>トラブルのすくないコミュニケーションをする

僕がよく用いる「言語の適切な使用」というのはそういうことを念頭に置いています。この点についてもきちんと書いておいた方がいいのかもしれません。

dlitdlit 2009/11/04 11:14 >tigerchildさん

コメント&トラックバックありがとうございます。

この話題については手を変え品を変え色んな人が色んなところで発進した方がいいのではないかと考えているので(それで性懲りもなく定期的に同じような話を書いています)、言及していただき嬉しく思います。

hituzinosanpoさんのコメントやtigerchildさんのエントリが無ければ僕も大体同じような比喩の話を書いていたような気がします(^^;

swoodsswoods 2009/11/04 13:08 dlitさんやhituzinosanpoさんのおっしゃることはよくわかるんですよ。おっしゃってることは馬鹿馬鹿しいほどに正論なんだけど、正しい言葉・言葉の規範を求めてしまう人たちの欲求にうまく応えてはいないと思う。もっといえば、これまで言語学者の記述主義はこういう言葉の規範を求める人たちに無関心すぎたと思う。
じゃあどうしたらいいかっていうのは難しいけど、言葉の正しさ美しさなんて言語学ははなから扱いませんっていう態度ではダメなんだろうと思う。
よくわからないものだけど「美しい日本語」「正しい日本語」っていうテーゼは国会とか学術会議とか言ったレベルで飛び出してきたりするものなので、こういうこと含めて社会的に理解してもらわないと言語学系のポストは減る一方じゃないですかね。
そんなわけで言語意識に関する社会調査とその分析なんてのも言語学者の大事な仕事だと思います。

dlitdlit 2009/11/04 14:39 >swoodsさん

もしかしたら僕より言語学の領域や関連学界の動向、歴史に詳しいのかもしれないので、僕の考えは見当外れ、あるいは甘いのかもしれませんが。

適切なコミュニケーション、あるいは適切な言語活動のためであれば、「規範」はあって良いし、無くては困ることも多かろうと思います(教育の場面とか)。それを「正しさ」という概念/言葉に直結させないという考え方はもっと広まってほしいと思いますし、その普及のための研究者の努力が足りないと言われれば、返す言葉もありません。義務教育で言語学を、という前回のエントリの最後に書いたことは実は以前から細々と考え続けていて、あながち単なるオチのための冗句、というわけでもないのです。

言語使用に関する意識の調査や研究というのは個々の研究者レベルでもありますよ。はてブのコメントでkuzanさんが提唱されている案もその一環になりうるかと思います↓
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/dlit/20091102/1257169916
いや、あるのは知っているけれどもっとそういう調査や研究にリソースを割くべきだ、ということかもしれませんが…swoodsさんのような認識がもっと多くの方に共有されていればそういう調査・研究を最も効果的、大規模に行える国立国語研究所が現在のような憂き目を見ることも無かったのではないか、とも思います。研究者がもっとアピールしろよ、という話もあるかもしれません(その方法や是非は別に考えるとして)。

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