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2011-08-08

[][]ニセ科学批判における優先順位問題についてちょっとだけ(書くつもりだったんだけど)

 資料を探してたら僕が特に書くことは無い気がしてきました。

 以下、ざっとリンクをはってみますがもっと詳しい説明って必要でしょうか?比較的よく出てくる話題なので端的なものだけでなく、ある程度分量のある、参照しやすい説明もあったほうがいいのかな。

 とりあえず以下、個人的に重要かなと思った部分のみ引用。

◆まとめ、入門

個々人がやれることには限りがある.それぞれの優先順位でやれることをやる以外にない.

ニセ科学批判まとめ %作成中 -「ニセ科学批判」批判 FAQ: そんなやり方じゃダメだよ…”批判の仕方”批判

人によって優先順位として合意できる部分がある場合もあれば、ない場合もある。誰であれ、個人的な取り組みとしては「自分の気づいた問題について、自分のできる方法で採り上げ、自分が語れるように語る」しかないのである。

PSJ渋谷研究所X: 私家版「ニセ科学用語の基礎知識」β090327: 優先順位問題

  • 「それよりこれが重要」的な議論は不毛
    • 優先順位は個々人が決める
  • 「あれをとりあげるなら、これを取り上げないのはおかしい」も不毛
    • 網羅することは不可能
  • 個々人の優先順位に従って、できることからやる以外にない
    • 完璧を目指していては、なにもできない

「ニセ科学」入門(菊池誠)<pdf注意>スライド48枚目

ブログ記事

 おそらく他にも記載したほうがよい記事が色々あると思います。お叱り・ご指摘などありましたら追記致します。

追記(2011/11/22)

 優先順位問題のケーススタディとして*1。後の2つは梨さんの1番目の記事に関して書かれたものなので、まずそちらから読んでみることをお勧めします。梨さんの記事では最後のほうで優先順位問題に触れられています。

*1:ここで比較されているのは熊森批判と原発批判。熊森批判に関してはやはり梨さんの一連の活動が参考になりますので他の記事もぜひ。

luckdragon2009luckdragon2009 2011/08/09 03:29 これは、「各自の優先度が違う」論点から独立でも、成立する問題なのですけど。

「問題解決は、解決できる細かい問題から開始しないと、解決可能とならない。」という命題もあるのですね。
例えば、限られた時間の中で試験問題を解く事を考えてみます。できるだけ、得点を得るためによく言われる事は、「解答が容易な問題から手をつけよ」です。

また、リソースが限定されている場合、難攻不落と見られるような「大きな問題」に安易に手を伸ばすと、結果、まったく問題が解決できない、という事態も考えられる訳で。

「原子力安全神話」について言えば、震災による事故発生がなければ、これほど注目される命題ではなかった、という意味で、後認知バイアスによる、「価値判断の変化」への考察をしていない、という点で、ちょっと筋が悪いんじゃない? と思います。(直近では「ホメオパシー」が話題でした。)

「人は誰でも無謬ではあり得ない」「神の視点、価値判断なんか存在しない」→「だから、やれるものからやる」という観点は全然否定するに当たらないし、そんなのを「起きてから俺様論理で言われても(後出しジャンケンだよ)」というのもあります。


私は、「安全神話」自体が、反原発運動の言論から生まれた、「ゼロリスク神話」の変形に見えますが。

食品安全なんかでもそうですが、今までも「ゼロリスク神話」は、狂牛病の全数検査とかで、日本は非科学的話題として顕著だった訳です。
同じ意味で、原子力発電に存在していても、私は全然違和感ないし、狂牛病に関しては、ニセ科学批判などでも、今まで取り上げられてきた問題なわけですよね。(劣化ウラン弾の話も、ニセ科学批判視点で、一回話題になってます。医療的には影響は否定されているのに、何度も「危険だ」と言われています。)


ひとまず、そんな事を考えましたので、私見として。

luckdragon2009luckdragon2009 2011/08/09 04:33 ま、ぶっちゃけて言っちゃうと、「全員が同じ価値判断で動けるわけないし、そんなの思想の押しつけじゃん。」ですけどね。

「特定の価値が絶対」主義というのには、馴染めません。

poohpooh 2011/08/09 09:16 ニセ科学、と云う括りがあって、そこに包含される事象に共通点があって、それらに対する個別の論考にある程度の汎用性、と云うか相補的に活用できる部分があって。「ニセ科学批判」と云うのがカテゴリ的に成立してきたとすればその部分でそれぞれの論者が互いに有用な部分を活用してきた経緯があるからで、もともとは個別の事象に対する、個別の関心のありどころからの議論の集合体なんですよね。「ニセ科学批判者は云々」と云う論評が意味をなさないのはそのためで。

ぼくなんかはひとの認識における「ひとのなかにあるもの」と「ひとのそとにあるもの(≒科学)」のかかわりあい、みたいなのが関心の中心だったりもしますし、そこについての考察が最優先になります。切り口がニセ科学だったりすることは多いですが、結局はその部分が見通せる材料が対象になる。大きい、小さいはあまり関係ないですし、そこについてなにを材料にするかはだれかになにか云われたりするような筋合のものでもない(じつは一時期割合と積極的に「ニセ科学批判批判」に対して発言することが多かったのも、上記の関心の角度に関係してきます)。
そう云う角度からの論考がなにかに使えるのなら使ってほしいし、逆に参考になる論考は使わせてほしい。
多くのひとはそう云うスタンスなのではないかと思いますし、だから、大きな問題に向けて一致団結して総力を挙げて、みたいなニュアンスの発言には違和感を感じるひとが多いのかな、みたいに思ったりします。

dlitdlit 2011/11/23 01:29 > luckdragon2009さん

 「ゼロリスク神話」についてはいろいろなニセ科学/疑似科学批判でもその問題が指摘されてきていますよね。
 
 特に自分が何かを批判した経験があると、「もっと多くの人に知ってほしい/関わってほしい」と思ってしまうというのは、気持ちとしてはよくわかるんですよね。
 ただ一方で「自分が知らないこと、できないことについて他人がリソースを割いてくれる」ことの有用性に眼を向けることを忘れてはならないのではないかと考えています。

dlitdlit 2011/11/23 01:36 > poohさん

> 大きな問題に向けて一致団結して総力を挙げて、みたいなニュアンスの発言には違和感を感じるひとが多いのかな、みたいに思ったりします。

これに対しては「そんなに問題だと思うならもっと団結してやれよ」みたいな批判(?)が定期的に出されているように思います。

これは前もどこかで書いたと思うのですが、たとえば今後、「「ニセ科学」という概念、名前は使うのまずい(利点より問題の方が大きい)のでこれからは使うのをやめよう」ということになったとしても、個々のニセ科学を批判してきた人たちは別に批判をやめたり取り下げたりすることは基本的に無いのではないかと考えることがあります。その辺りのことももっと周知というか共有されていくと良いのかな、とか。

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