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思索の海 このページをアンテナに追加 RSSフィード


2011-09-04

[]MPとかmergeとか派生とか

 上のエントリより(たぶん)さらにマニアックな話。

 以下のシンポに参加した覚書。ちなみに一日目しか出られなかったorz

追記(2011/09/06)

 大津ブログシンポジウムの報告が出ていました。

mergeと派生

 北原氏の話で英語と日本語の語順の違いをmergeの組み合わせ方や順番の違い(+excorporationの有無、言語個別のPF的制約)から導きだす、という分析を提示していて面白かった。僕はexcorporationには慎重派だったのだけれど、lexiconから述語複合体が取り出されるって方法と違って、Saito & Hoshiがやってたようなsyntaxでまず述語をmergeするってやり方は分散形態論ともぶつからないわけで、考えてみると面白いかもしれない。

 面白かったのだけれど、英語で日本語のようなmergeができるかどうか、逆に日本語で英語のようなmergeができるのかどうか言及がなかったので質問紙で聞いてみた…が、質問者三人ぐらいまとめての回答だったので直接の答えは聞けなかった(今考えたら直接聞けばよかったな)。でも、mergeはある程度自由に適用される(と考えたい)、というようなことはその回答の際に言っていた。こういう分析ではその他のmergeの組み合わせ可能性およびそこからの派生がconvergeするかcrashするかどうかを丁寧に検証する作業が必要になるのではないか。

 これもtwitterで何回か話題にしたことがある話題。GBとMPの対比で、GBは派生自体は自由で制約によってダメな構造をチェックするのに対し、MPでは派生(の適用)そのものに条件があるみたいなことが言われるけど、MPでも制約的なものが完全に無くなったわけではないし*1、numerationに(あまり)制限が無いと考えると、結局可能なnumerationおよびそこからmergeの可能性全てについてconverge / crashの可能性を検討するのが(メタ)理論的にも研究方法論的にも重要なのではと。特にconvergeする派生ばかり/のみを提示する分析を見かけるとそう思う(もちろんそうではない研究もある)。

何が言語能力か

 ところでまたkillhiguchiさんのエントリに関わってくるんだけど、

 僕の過去に書いた関連エントリは以下

 言語能力の核としてはやはりmergeを考える、という見解は一致していた。ただ、GBの頃に言語能力の一部だとされたものについてもきちんと位置付ける/考えるべきではないかという提案もいくつかあった(特に藤田氏ははっきり言及していた)。僕も上のエントリで似たようなことを少し書いたけど、たとえばいろんなモノをinterface (condition)に落とし込んでいくのなら、今度はinterfaceの理論/モデルの整備が必要になるよね。実際そういう研究や具体的な提言も出てきてるんじゃないかな。僕はsyntax屋というよりはPF屋なので、そういう仕事がやりたい。

おまけ

 藤田氏のスライドにanti-lexicalismとか、word as phaseというキーワードが見えたので期待していたのだけれど、そういう部分は時間の都合で全て割愛。個人的には非常に残念だった。

*1:これは今回の北原分析でも出てきていた。形態の表れ方に関する言語個別の制約で、おそらくinterface conditionの一種になるんじゃないだろうか。

killhiguchikillhiguchi 2011/09/04 22:24  郷路の言語獲得や藤田の進化の話も詳しく聞きたいところです。

 併合を統語論(言語)の中核と考えるときに、いつも疑問に思うことがあります。
 まず、併合は、多分多くの人が思っているしどこかで書いていると思いますが、言語に特有のものとは思えないこと。音楽は恐らく、口話手話を問わず喃語の獲得にも関わっていると思われますが、明らかに併合・再帰性を持っていると思われます。発達・進化の上で音楽が先か言語が先かとか、音楽の時の脳の使われ方と言語の時の脳の使われ方は同じかとか、そういう問題はきっとどこかで書かれていると思います。アフォーダンス理論に限らず主張される、運動ー知覚の埋め込み構造も、あるいはそうかもしれません。(数学とかもそうだというのはチョムスキーも認めていますが、これは言語能力の応用と見るのが正しくて、デュアンヌとかスペルケとかの、数覚発達研究からも、言語能力に支えられて数学能力は発達するのでしょう。)
 次に、併合のときには、併合以外の能力がないと併合自体が成り立たないこと。例えば、併合によってできた構造が内心構造を持つかどうかという表示、主要部の表示がなければ、次の併合に障ると思います。あるいは、併合によってできた構造に更に別の併合によってできた構造を併合する際には、記憶能力が必要なので、外的併合は無料という訳にはいかないでしょう。[[the] [boy]] [saw [[a] [girl]]]では、[[the] [boy]]のような中間構造をどこかにとどめる必要があると思います。
 まあ素人が考えてざっとでこんなとこです。

 インターフェイスの理論はもっと考えられるべきですよね、というか、それを考えずに統語論を考えるのって、極小主義の精神に反しているように思います。できるだけ併合でやっていって、インターフェイスに押し付けて済むものがあると分かったら、それをもとにして次々とインターフェイスの理論が、統語論の理論と同時に、考察されなければ、理論的な妥当性が測れませんよね。

dlitdlit 2011/09/28 18:38 > killhiguchiさん

 僕もmergeの理論的な研究についてはそこまで追いかけられているわけではないのですが、アナロジー以上の研究をするのであれば、再帰性/自己相似性/(+フラクタル?)辺りの概念について厳密に考える必要があるのではないか、と感じることがあります。でもおそらくその辺りも研究が進んでいるのでしょうね。
 現状の生成文法の研究では、mergeと同型の構造が他の領域で見られた際にそれが言語能力の反映なのか、それとも逆なのか、あるいは独立しているのかといったことについて答えを出せるような方法論はまだ持っていないように思います。これも僕が不勉強なだけなのかな。あまり情報提供できずすみません。

> インターフェイスについて

 ご指摘の通りです。実際の研究はかなり増えてきていると思うのですが、統語部門の方の研究以上に色々な枠組みがあるので、整理していくのは(かえって研究が増えてきたせいで)大変なのかもしれません。僕がずっと分散形態論をしつこく使っているのも、インターフェイス(といっても音の方に偏っていますが)の方のモデル構築がかなり進んでいる枠組みだと感じているからです。それでもまだ固めていかなければいけない所が色々あるのですけれど。

killhiguchikillhiguchi 2011/12/03 15:45 お答ありがとうございます。発表お疲れさまでした。
 併合は、再帰性と同様、生成理論内では多分精緻化されているのだと思います。ただ、移動(内的併合)がどうなっているのかがかなり複雑そうで全くついていけてません。内的併合があるとすれば、それは人間の他の活動には見られないものですから、言語独自のものあるいは普遍文法の一部ということになり、逆に内的併合がないとすれば、今まで変形だの移動だので導いてきたものはどこに押しやることになるのか、インターフェイスの方にやるのか、概念系か音韻系のどちらかあるいは両方にのみ移動というものがあるのか、ということは、どちらかの前駆体をもつ生物では移動の萌芽が見られるのか、というめんどくさい問題になると思います。
 生物言語学の辺りでどのように扱っているのか気になるところです。
 ところで、分散形態論では、言語習得や失語症や言語の進化について何か仮説のようなものは設けるのでしょうか?またお暇なときで結構ですので。

dlitdlit 2011/12/12 18:15 > killhiguchiさん

 移動/内的併合をはじめ、何らかのちょっと複雑な併合の存在が人間言語の特徴なんだ、という考え方が最近ではいくつか出てきているようです(藤田氏の話もその種のものでした)。mergeの話ばかりでなく、藤田氏のようにインターフェイス辺りも忘れないでときちんと言ってくれる人が多くなってくれると良いのですが…

 分散形態論関連で失語症、進化関連で研究、というのは不勉強で知らないのですが、言語習得については不規則変化についての関連研究が挙げられると思います。
 大変荒いまとめになりますが、分散形態論では不規則変化も規則変化と全く同じ統語構造を作るという予測をしますので、不規則変化する要素は接辞も含めてレキシコンに語彙化されているという考え方と対立します。
 ただ実際にやられている研究自体は言語習得ではなく言語心理学/神経科学に属するものであったかもしれません(対象は大人)。

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