Hatena::ブログ(Diary)

思索の海 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

歯切れが悪いのは仕様です。


2013-12-29

[]Jonathanさんのコメントへ返信(1):分散形態論(DM)におけるRootと範疇

 年末なんで(?)おそろしくマニアックな話をします(こういうのをWikipediaに書けば良いのかしら)。僕のド専門の一つはこういう話です。

 下記のコメント欄でJonathanさんから分散形態論(Distributed Morphology: DM)に関する質問をいただきました。

 ある程度調べて書こうと思っていたのですが、どんどん時間ばかり過ぎてしまっていますので、おおまかにでも返答を書いておこうと思います。質問は二つありますので二つのエントリに分けます。

質問

初めまして。DM超初心者です。DMの考え方に関してお聞きしたいことがあります。

まず、DMではlexiconにはRootとformal featureしかなく、Rootはlexical categoryに相当するという説明を見たことがありますが、√DESTROYのようにVにもNにもなるもの以外にも、例えば、boyのようにNしかならない項目はどう分析されるのでしょうか?

「激おこぷんぷん丸」の形態的分析試案 - 思索の海

返答の前に

 DMの基本設計とか概念を丁寧に説明しているときりがありませんので、このエントリでは用語の解説などはしないことにします。

 DMでのRootと範疇に関する議論はこのエントリで取り上げる各論文を読んでもらうのが良いと思うのですが、もし日本語で日本語を対象にしたものが読みたいというのであれば、僕が書いた下記のものを参考にしてみてください。

お答え:色々な可能性が(おい

 確かに、原理的にはRootという統語的対象+範疇素性(category feature)でいわゆる語彙範疇要素が形成されるなら、全ての語彙的要素に全ての語彙範疇(N, V, A)への可能性が開かれていることになります。ただし、これは下の方で述べるようにRootにどのような情報が載っているかによって変わってくると思われます。

 Rootからの派生ではなく範疇変化の話なのですが、Embickの以下の論考が結構参考になります。

  • Embick, David (2012) "Roots and features (an acategorial postscript)," Theoretical Linguistics 38(1-2): 73-89.

Embick (2012)はある範疇変化(たとえばN -> V)が存在しない場合((lexical) gap)について、DMのRoot+範疇素性のアプローチが取れる分析の可能性を二つ指摘しています。

  1. (意味的、統語的、などなどの要因があり)体系的に存在しない範疇変化である。
  2. 文法はその範疇変化を許容するが、文法以外の何らかの理由によりその結果できた語の許容度が低かったり、自然に受け入れられにくかったりする(文脈を整えればOKになったりといったことも)。

 もちろん現象の振る舞いによって分析は変わってくるわけですが、まず2の可能性を検討する必要がありそうです。「一見〜という語は存在しないように思われるが、実は…」というパターンですね。語形成への統語的アプローチはそういう意味で語形成の可能性を比較的広く取る方向とマッチしやすいように思います。

 ただし、そうであったとしてもやはりなぜ語形成には(表面的に)生産性の低さやgapが見られるかということに対しては最終的に説明が必要になるでしょうけれどね。この辺りの研究はあまり進んでいないような印象があります。語彙的緊密性に対してはphase による分析が、first sister principleに対してはHarley (2003)によるチャレンジがあったりしますが、いわゆる“語彙的な”性質を統語的アプローチでどう説明できるのかという課題についてはまだまだできることが色々ありそうです。

 1の可能性については、Embick (2012)の以下のようなアイディアを前提とするなら可能性があります。

It can be assumed further that Roots have inherent semantic properties, and that these properties interact with category-defining heads to produce different patterns of distribution for different (classes of) Roots.

(Embick (2012): 81)

Rootが何らかの意味的特徴を持つとすれば、その意味的特徴によってあるRootが(ある言語では)特定の範疇にならない、という分析は可能になりそうです。さて、それではそのようなことは可能なのでしょうか。

Rootにどのような情報があるのか

 Rootが一体どのような統語的対象なのか(どのような情報をどれぐらい持っているのか)ということについては、DMでもいくつかの考え方があります(最近はDMを明示的に使っていなくてもRootが仮定されることもありますがその辺りの話は割愛)。

  1. Rootはsyntaxにおいては一切、相互に区別が付かない(形式素性と同様に完全にlate insertioの対象になる):Harley and Noyer (1999)など
  2. Rootは意味的なクラスによりいくつかのタイプに分類できる(late insertionの対象になるが意味的クラスにより制限を受ける可能性がある):Harley (2005)など
  3. Rootは音形に関する情報のみを持ち、文法的・意味的特性は一切持たない(syntaxでそれぞれのRootは区別が付く):Embick and Noyer (2007)など
  4. Rootは意味的な情報を(音形に関する情報も?)持つ(syntaxでそれぞれのRootは区別が付く):Embick (2012)

4ではEmbickは音形の話は特にしていないのですが、彼は早い段階から一貫してRootはsyntaxの段階で区別が付くとする立場なので音形に関する情報を持っているとしても良いでしょう。Embick and Noyer (2007)からはやや主張が弱まっている印象です。Harleyは2ではかなり強い主張を出していましたが、最近はあまりそういう主張をしなくなったような気がしますね。

 何が問題かというと、Rootにあまり情報を乗せすぎると、Anti-lexicalismの精神に反してくるという事態になる危険性があるのですよね。つまり、いわゆる従来の語彙的要素、語彙範疇と呼ばれるものから色々な情報を(syntaxに)追い出して言わば「核」として想定するもの、というのがRootの元々の発想なんで、そこにまた色々情報を乗せていくとそれじゃlexicalismと(ほとんど)変わらないじゃん、ということになってしまうのです。

 これはなかなか難しい問題です。おそらく1の立場が維持できないというのは現在のDMではほぼ共通見解になってきているような感じなのですが、ではAnti-lexicalimかつ統語的アプローチの良さを活かし、かつ現象をきちんと捉えるには、Rootにどれぐらいの情報を乗せておけば良いのか。最近Rootの話題も盛り上がりを見せているのでどんどん研究が進めば良いなと思っています。僕も微力ながらいくつか考えていることはあります。

おわりに

 最後はぐだぐだになってしまいましたが、まとめとしては「たとえば"boy"が動詞にならないような現象に対して体系的な説明を与える可能性はあるが、そのためにはRootをどのように考えるのかという話を詰める必要がある」という感じでしょうか。

 なんかすでに燃え尽きた感がありますが、(たぶん)(2)に続きます。

参考文献

  • Embick, David (2012) "Roots and features (an acategorial postscript)," Theoretical Linguistics 38(1-2): 73-89.
  • Embick, David and Rolf Noyer(2007) “Distributed Morphology and the syntax/morphology interface,” The Oxford Handbook of Linguistic Interfaces. G. Ramchand and C. Reiss (eds.), Oxford University Press.
  • Harley, Heidi(2003) “Merge, conflation, and head movement: The first sister principle revisited,” NELS 34 Proceedings. pp.239-254.
  • Harley, Heidi(2005) “How do verbs get their names? Denominal verbs, manner incorporation, and the ontology of verb roots in English,” The Syntax of Aspect: Deriving Thematic and Aspectual Interpretation. Nomi Erteschik-Shir and Tova Rapoport (eds.), pp.42-64, Oxford University Press.
  • Harley, Heidi and Rolf Noyer(1999) “Distributed Morphology,” Glot International 4(4). pp.3-9.

rosechildrosechild 2013/12/30 08:28 1.Rootは〜のところ、人名にyが抜けてますよ。

dlitdlit 2013/12/30 23:18 > rosechildさん

ありがとうござます!修正します(^^;

htkhtk 2016/05/22 00:55 「二種類の範疇変化とその構造的定義:否定の接頭辞と右側主要部の規則」
の根本的誤りについて!

 突然のコメントで失礼致します。
 現在、「生成文法の御弔い」を著すべき事例を集めておりますが、貴ブログはその宝庫のため、とりあえず気付いた点をコメントさせていただきます。拙著にも引用させていただきたく宜しくお願い致します。
 本稿では「1.はじめに」は次のようになっています。

  少なくとも英語や日本語の語形成においては、基体の範疇を変化させるものは、接尾辞には豊富に存在するのに対して、接頭辞で範疇変化を引き起こすものは非常に少なく、例外的であると言われている (Williams (1981)、影山(1993) など)。その例外として日本語の例でよく挙げられるのが否定の接頭辞である2。

(1) 勉強 (N, *A)→不勉強な (A)、経済 (N, *A)→不経済な (A)

 と記されていますが、ここで範疇が変わったとされる、

「不勉強な」「不経済な」を (A)とされるのは、助動詞「だ」の連体形「な」を付加した連体詞を (A)とされているに過ぎません。

  家の馬鹿息子の不勉強には困ったものだ。
  官僚の不経済には困ったものだ。

 等は名詞で範疇は変わっておりません。内容的に状態を表す漢語が活用をもたないため「不勉強なり」→「不勉強なる」→「不勉強な」と変化し実体の属性表現に使用されるのであり、「否定の接頭辞」は範疇を変えているのではなく、単に単語の概念を否定しているにすぎません。

 (?)登校 (する)→(N)不登校 (*な/*する)

 の場合も「登校」は名詞で、この動詞的な内容をもった活用を持たない名詞に形式動詞「する」を付加し動詞句として利用しているもので、「登校」は動的な内容を実体として認識、表現した名詞(N)です。また、

 このところ、息子は不登校なのです。

という使い方もされます。

 このように、本稿は品詞の定義一つできない生成文法の根本的な欠陥に基づく誤謬の論です。その根底は、形式と意味の統一として存在する文の、形式のみを文とし、意味を切り離した生成文法の言語本質観の誤りにあります。■

htkhtk 2016/05/22 12:45 「動詞派生か Root 派生か ― 分散形態論による連用形名詞の分析 ―」の妄想

 本稿では,動詞連用形の形態をとる名詞(「泳ぎ」など)が動詞からの派生ではなく範疇未指定の要素 Root が直接名詞化したものであるとする Volpe(2005)の分析について,1)モーラ数に関する制約,2)自他交替に関わる形態,3)形容詞派生動詞,4)受動 / 使役形態素,の四つの観点から経験的な問題があることを明らかにし,Root が一度動詞化されそれがさらに名詞化された,すなわち動詞派生の連用形名詞が存在することを主張する。

と述べられ、

 (8)動詞と連用形名詞の意味の対応(Volpe (2005): 44, Table 9)
  動詞      連用形名詞
 a. 散らす     ちらし(広告・宣伝文を印刷した紙)
 b. 出す      だし(出し汁)
 c. 流す      ながし(台所にある物を洗ったりする設備)

の例が挙げられているが、各々次のような多様多様な意味があり、「範疇未指定の要素 Root が直接名詞化したもの」とか「Root が一度動詞化されそれがさらに名詞化された,すなわち動詞派生の連用形名詞が存在する」などという単語か複合語かの定義もできない分散形態論の機械的な発想が単なる迷妄であることが判る。

 ちらし【散らし】
 〔動詞「散らす」の連用形から〕
 ?広告・宣伝文を印刷した紙。びら。多く一枚刷りのものをいう。 「開店披露の−をくばる」
 ?「散らし鮨」の略。
 ?「散らし模様」の略。
 ?「散らし書き」の略。
 ?煎(せん)じたばかりの香りのよい茶。でばな。散茶。
 ?カルタで,取り札をばらばらにおいて取りあう遊び方。
 ?地歌・箏曲で,手事(間奏)の終結部。緊迫感があり,テンポが速く,手事をしめくくって次の歌へ移る。
 ?歌舞伎舞踊曲またはその形式の三味線曲で,終わりの部分。テンポが速く,盛り上がる部分。
 ?もち米にミカンの皮・サンショウなどの粉末を加え,湯にといて飲む飲み物。香煎(こうせん)。こがし。
 ?分量に制限がなく,いくらでも食べさせる飯。 〔俚言集覧〕

 だし
 ?局地風の一種で細長い谷の出口付近に吹く強風。船出に利用される出風(だしかぜ)に由来する。風が強いのは狭い谷を吹き抜ける際,気流が収束するためである。日本では山形県の最上川の谷間を庄内平野へ吹き抜ける低温低湿の清川だし,新潟県の荒川の谷を吹き出す荒川だしが有名。
 ?ミョウガ・キュウリ・ナスなどの野菜を粗めのみじん切りにし、醤油と鰹節で味付けしたもの。白飯や豆腐にかけて食べることが多い。山形県の郷土料理。

 ?いろいろな材料のもつうま味を浸出させた液。材料の種類によって含有するもののうま味は異なるが、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸、コハク酸のいずれか、または併有するものが多い。
 
 ながし【流し】
 ?流すこと。 「灯籠(とうろう)−」
 ?台所や井戸端などに設けた,物を洗ったり,洗い水を流したりする設備。
 ?浴場でからだを洗う場所。洗い場。
 ?浴場で客の背中を洗うこと。また,その人。 「 −をとる」
 ?芸人・按摩(あんま)などが客の呼び入れを求めて歩くこと。また,その人。 「 −のギター弾き」 「新内(しんない)−」
 ?タクシーが客を求めてあちこち走ること。 「 −のタクシー」
 ?行きずり。通りがかり。 「 −の犯罪」
 ?梅雨の前後に吹く湿った南風のこと。木の芽どきに吹くものを「木の芽流し」,茅(ちがや)の花の咲く頃に吹くものを「茅花(つばな)流し」などという。■

htchtc 2016/05/22 21:11 「動詞派生か Root 派生か ― 分散形態論による連用形名詞の分析 ―」の妄想
 
 もう一つ重要な点を付けくわえさせていただきます。
 4.3. 形容詞派生動詞の連用形名詞
  4.1,4.2 での議論に加え,4.3 および 4.4 では動詞化を経た連用形名詞が存在する,より直接的な証拠を示す。
第一に,形容詞派生動詞(deadjectival verb)と対応する連用形名詞の存在が挙げられる 。
 (15) 形容詞 動詞 名詞
a. nemu(-i)   nemu-r    :nemu-r-i    眠り
b. ama(-i)     ama-e    :ama-e      甘え
c. ita(-i)   ita-m      :ita-m-i     痛み
d. kowa(-i)    kowa-gar    :kowa-gar-i  怖がり
e. taka(-i)    taka-mar    :taka-mar-i  高まり

  ここで、「痛み」には「痛い」に<接尾語>「み」を連結した性質としての把握と、ここで挙げられている「痛む」の連用形で実体化した把握と、異なった内容を持つ二種類が存在します。歌謡曲の歌手の歌う「胸の痛み」と内科の患者の訴える「胸の痛み」は文法的に区別しなければなりません。同じことが「楽しみ」や「苦しみ」にもいえます。ところが、一方には、「痛い」「楽しい」「苦しい」から実体化した把握の表現として「さ」を連結した「痛さ」「楽しさ」「苦しさ」があり、実体化した把握の表現にも二種類あります。
 このように、内容的な区別をせずに単に形態素などで区別することはできません。
 認識を扱えない生成文法ではどうしょうもないのです。■

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証