誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

我が家のある慣習の終焉

はじめに

我が家に、次のような謎の慣習がある。

  • 子(9歳児)がお風呂上がりにタオルを私の首にかけ、私がそれをすぐ返す

しかし今やこの行為だけ見るとなんだかよく分からない慣習も終わりを迎えつつあるので、ここに記録として記しておくことにする。

成り立ち

発端は、子が小さい頃私がお風呂上がりに髪の毛を拭いていたことだった。つまり、当初は下記のような流れであった。

  • 子(保育園児)がお風呂上がりにタオルを私の首にかけ、それを合図に私が子の髪の毛を拭く(就寝できる状態になるまで)

これはしばらくの間、子が低温や弱風でもドライヤーを嫌がったためである。そのうちドライヤーで髪の毛を乾かすことにも慣れたため、髪の毛を拭くのはお風呂上がり直後にさっとやるだけになった。私がお風呂上がりに時間をかけて子の髪の毛を拭くことはほとんどなくなったのである。

しかし、なぜか子が私の首にタオルをかけるという行為だけはなくならなかった。

子は私の首にタオルをかけに来る。私はタオルをもらってもやることがないのですぐ子に返す。こうやって最初に書いた慣習が出来上がった。これがさいきんまで数年間ほぼ毎日繰り返されてきた。

身長が伸びて私がかがまなくても首にタオルがかけられるようになった時にすごく喜んでいたので、遊びのような要素もけっこうあったのかもしれない。

終焉の予兆

子がかたくなにこの行為を続けるので不思議に思いながらも付き合っていたが、さいきん行われない日も増えてきた。

髪の毛の水分を吸わせるために自分の肩にタオルをかけたままにしておく、ということができるようになってきたからである。

今も(おそらく無意識に)私の首にタオルをかけようと振りかぶったあと、「じゃなかった」などといって自分の肩にかけなおしたりはしているが、そのうちこれもなくなっていくだろう。

ちょっとさみしいような気持ちもないではないが、もう4, 5年くらい続いていたのでなんでこんなに続いているのだという不思議さの方が強い。

おわりに

やや大仰に書いてみたのは、日常のことがらであるにも関わらず、ある行為が持っていた意味や意義が失われ、形骸化し儀式のようになっているのが面白かったからである。

組織の運営なんかでも似たようなことは時々あって、そういう時に昔語りをしてくれる人がすごくありがたかったりする。

第5回デジタルコミュニケーション研究会でXとBlueskyに関する発表をします(7月6日、オンライン)

デジタルコミュニケーション研究会の第5回研究会で発表させていただけることになりました。下記の概要は私の研究に関する抜粋ですので、研究会全体の情報については次回の研究会のページをご覧ください。もう1つの発表、大塚生子氏「対立場面に見るデジタル・ポライトネスの実践:ママ友間の携帯メール談話を事例に」もたいへん楽しみです。

  • 日時:2025年7月6日(日)13:00-
  • 形態:オンライン(参加には7月4日までに上記ページより申し込みが必要)
  • 発表タイトル: マイクロブログを対象にした日本語研究の可能性:XからBlueskyへ
  • 概要:本発表ではまず、X (前Twitter)の2023年から2024年にかけて起きた急激な変化が日本語研究にもたらした影響とそれらの問題点を、田川拓海 (2024)「Twitter (X) 上の日本語を対象にした言語学的研究に関する覚え書き」(『筑波日本語研究』28:1-30)を元に整理する。次に、その内の1つであるAPIを用いた投稿の大規模な取得が難しくなったという問題への対策として、そのほかのSNSから日本語のテキストデータを収集する手法を検討する。具体的には、X (前Twitter)によく似た性質を持つBlueskyを取り上げる。Blueskyはユーザー数がここ1年ほどで急激に増加し、投稿に関する利用規約やAPIについても比較的制限が厳しくない形で整備が進んでおり、Web上のテキストデータを用いる研究へも活用が期待される。1) フィード、2) API、3) コーパス、の3つの観点から投稿のテキストデータを取得する方法について整理し、取得したデータを用いて語形成などの具体的な研究が行えそうかどうか検討する。

概要中にある田川 (2024) は検索で簡単に見つけることができると思いますが、筑波大学の機関リポジトリからダウンロードして読むことができます。

Twitter (X) 上の日本語を対象にした言語学的研究に関する覚え書き

開催はまだ先なので近くなったらまた告知するかもしれません。

NHKの生成AIに関する放送・記事への補足

はじめに

先日の記事

生成AIの話題で今夜ちょろっとテレビに映る予定 - 誰がログ

で予告したNHK「サタデーウオッチ9」の生成AIに関する特集は無事放送されました。

下記の記事にもあるように、NHKプラスで5月24日(土)まで配信を見ることができます。

www3.nhk.or.jp

この記事では簡単な補足などを書いておきます。

取材・視聴の感想

取材・撮影は全体として大変丁寧で、事務的な調整をはじめ、事前・当日・事後の取材・インタビューなどのやりとりもスムーズにできました。

少し意外だったのは上記のNHKの記事と放送の内容は一言一句同じというわけではなく、異なりもあるということでした。両者を合わせると、自分が思っていたよりはいろいろなことを取り上げていただいたという気がします。

先週末は英語学会の国際春季フォーラムという研究大会に参加していたのでこの記事を書く時間もなかなか取れなかったのですが(放送もリアルタイムでは視聴できませんでした)、翌日何人かの方に学会で見たよという声をかけてもらいました。あの短時間でもこうだったのでやはり多くの人が見るチャンネルなんだなと思います。

この生成AIの特集のほかの箇所については詳しくは知りませんでしたので、そのほかの紹介されている事例もいろいろ面白かったです。生成AIにあまりなじみがない人にも分かりやすい内容なのである程度触っている人にはそれほど目新しい内容はなかったかもしれませんが、SNSなどwebでの反応を見るとこうやってまとめるステップは重要なのではないでしょうか。この量でこれだけのトピックを取り扱おうとすると生成AIの仕組みの解説をこれ以上詳しくやるのは難しそうです

変なところが気になって、自分の専門ではないですし話の流れ上仕方ない表現なのかもしれませんが、「哲学など答えがないテーマ」という表現はだいぶ紋切り型な感じでどうなのかなと思ってしまいました。この文脈でも「哲学など」という表現はいらないのでは。

補足

まず、放送・記事の内容に不満があるとか不足があるというわけではありません。上にも書いたように、この時間の中ではだいぶ具体的に取り上げてもらえたなというのが実感です。

ただもう少し私のケースについて詳しく説明しておくと、レポートを読んではじめて問題に気付いたわけではなく、そもそもレポートの出題の際に、1) 生成AIは使用しても構わないこと、2) 架空の文献を挙げるなどの問題があること、3) その対策、について説明し、それでもそういう事例が出てきたという話なのです。

このことについてはこのブログですでに書きました。

大学での授業や論文指導に関する生成AI雑感(2024年度版) - 誰がログ

あと今年度の評価の方法についても、元々各回に授業内課題を設定していて評価の割合を全体の50%にしていたのを100%にしたということですし、従来の期末レポートに相当する文章を授業内で少しずつ作成してもらうというのもこれまでと同じなので、授業のやり方をがらっと変えたというわけではありません。

言語学のデータ収集に関する話も、期待してやったというよりは現段階でどれくらいのことができるか試してみたというものです。上記の記事にもその話を少し書いていますし、下記の記事で公開しているポスター資料にはどの生成AI・モデルを使ったか、そのほかの手法で集めた例などが載せてあります。

言語学フェス2025の発表ポスター公開(「言語学er」みたいな表現の研究) - 誰がログ

話の流れ上生成AIが架空の例とurlを出してきたというダメなところにフォーカスされていますが、指定した条件に沿ってcsvファイルにまとめるという指示については適切に柔軟にできていますし、語基と接辞の分離についても(この現象だと表記で簡単に判断できるとは言え)うまくできているという点はやはり生成AIの面白いところだと思います。あと、何回か試すとうまくWebから用例を持ってくることもありました。このうまくいくときとうまくいかない(そしてでっち上げる)ときのぶれが面白くもあり難しいところでもあります。

もう少し言いたかったこと

個人的には、なぜ生成AIの使用を推奨しているのかということに関する、研究の視点からの話が重要だと考えているのですが、そこには触れられなかったのでここに書いておきます。放送では学生・教育の視点からの話が紹介されていましたね。

ごくごく簡単に言うと、研究の世界は人手不足なので生成AIに(一人当たり)何人力かになってもらいたいということです。

こういう話をすると大学の運営や研究費の話がまず頭に浮かぶ人が多いでしょう。もちろんそれも関係がある重要な話なのですが、私がインタビューの中でむしろ強調したのは、研究が進展し続けているということです。もちろん研究が進展することによってある程度片が付くということもあるのですが、少なくとも私が知る研究分野では研究の進展によって新しい問題が出てきたり、新しい研究テーマ・トピック・領域ができるなんてことが良くあります。研究が進展・発展すればするほど研究に携わる人がそれまで以上に必要になるという分野は多いのではないでしょうか。研究が進めば進むほど人が足りなくな(ってい)るというのをいろいろな場面で実感しています。

これは昔からずっと個人的に気にかかっていることで、ほかの場や文脈で(システマチックレビューのような)文献レビューカテゴリーの重要性や、これまでの研究成果をコンパクトにまとめなおす機能としての教科書などの重要性を私がちょこちょこ口に出すのは、すべてこの問題意識が根源にあります。

おわりに

落ち着きがない人間だという自覚がありますので、放送されている部分ではあまり挙動不審な動きをしていなくて良かったです。

生成AIと教育・研究の関係については今年度の授業が一区切りついた後に何か書くことを考えています。