2012-05-21
羊たちの沈黙(THE SILENCE OF THE LAMBS;1991)
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久しぶりの更新ー。レビューやけど。
学校の犯罪学の授業で2週にわたって鑑賞しました。
前半記憶があいまいなところもありますが、記憶が鮮明なうちに。
まず引っかかったのは題名について。いつも映画を見るときは題名と相関があるのかどうかについて考えるんですけど、この映画もタイトルが重要な意味を表していることに気づきました。「沈黙」とはつまり、死のこと。クラリスは幼いころに警察署長だった父を強盗に殺害され、また孤児となって引き取られた先で悲鳴を上げる子羊を救い出したものの、結局殺されてしまう、という二つのつらい経験をしています。沈黙と悲鳴はつまり、このことを想起させながら、クラリスが追っていく事件の中で暗喩としてたびたび使われるキーポイントになります。映画を見ながら「伏線と情景描写の複雑な映画だな」と思っていたので常にそのことが気になってて事件の詳細まであんまり覚えてないんですがw
ちなみに、さっき調べたところ羊はいけにえの象徴だとか、クラリスの追う犯人が女性の皮膚を剥ぐ、ということも羊を示唆しているというコメントを見てなるほどと思いました。
情景描写は静と動が巧みに使い分けられているイメージを受けました。そのおかげか、終始緊迫したムードでストーリーが展開していくので、はらはらして退屈しませんでした。一番その印象が強かったのはレクターが警察官を殺害するシーンで、犯行時の「悲鳴」と犯行前後の「沈黙」が鮮明に表現されていますw最後、クラリスが真犯人を追い詰めるシーンはちょっと物足りないかなという感じを受けましたがそれでもほかの場面が補って余りあるほどの示唆に富んでいて解釈の多様性・自由度が高く何度も見る価値がありそうです。かくいう自分も謎解きのヒントと心理描写がうまく読み込めない部分がかなりあったので、またDVD借りに行こうかなーと思います。続編の「ハンニバル」も観なきゃだなー。
2012-03-27
なんとなく更新(半年ぶり)(あけましておめでとうございます)
病は気から、浪人は気から。留年も気から。どうも、23歳、大学生活ロスタイム突入です。
ここ数カ月でいろんなことがあったのでまとめてみる。
終わらせました。箸にも棒にもかからないような駄文ですがなんとか2万字まで膨らませ恩赦(6単位)をげっとしました。テーマは地域商店街がどうのこうのです。卒論を書いて留年なのでいちいち説明するのがめんどくさい。
- 引っ越した
都から都に引っ越しました。分かる人だけ分かればいいと思います。旧居より学校から40キロほど遠ざかりましたがいろいろ鑑みて今の情況に至りました。大変快適な新居生活が始まって1カ月が経っています(報告が遅すぎる)
- 4年間にわたるバイトを退職
引っ越しに伴って先週日曜日を持って4年間勤めたバイト先から離れることに。辞めたいと思ったこと数えきれないほどあったけど、4年間続けた自分を褒めてあげたいです()いろんな面でタフになった気もするししないかも。さすがに4年間も続けただけあって、最終日はちょっと感慨深かった。いろいろプレゼントもらった。多謝。
- 新しいバイト
上記のバイトラスト1カ月は新しいバイトと掛け持ちしてました。今度はスーツを着ての仕事です。いろいろ思うようにいかないことが多くて早くも心折れそうです。
2012年度の目標はもっと自信を持つこと。高3の時もうだめかもって思ったら浪人したし、大学3回の履修ミスで大量に単位落とした時も留年するかもって思って結果、留年した*1。結局、前途多難な人生は自分で作り上げてきた駄作の小説みたいで、なんか笑ってしまうほど能天気な俺ですが、もっと自信を持って物事を少しでもプラスな方向に転換させたいです。目的意識を持って自己管理、最低限のことにちゃんとけじめをつけてちゃんと卒業できるようにします。願望から意志へ。いつになくやる気。寝る。
*1:いろいろ事情はあるけどまぁそれも大きな要因の一つ
2011-09-09
うれしい
・はっと思い立ってぱっと誘ってさっくり飲める友達が素敵すぎる。そういう人が多いのは本当に幸せだ。
・しかもなぜかめちゃくちゃ会ってるのに、話が尽きない。なんでだろう。話してることはそんな繰り返しじゃないはずなのに、取るに足らないことでも、共通の話題でも、悩みでも、なんでも延々と話していられる。
・アルバイトの時給が700円でも800円でも、俺はその1時間に1万円以上払う価値があると思ってる。
・こういう瞬間は時間が経つほど熟成されて思い返すほど愛おしい時間なんだから。
なんとなく、辛いことも、かなしいことも、悩んでることも、口に出すだけみじめで、意味が無いことだと思いこんでる節がある。まあ頻繁に口に出してしまう自分は自ら幸運を遠ざけてる感じがしてるわけなんだが。「悩みがあったら聞くよ」とか安請け合いして訊くだけ聞いて、あとは知らん、結局自分にはなにもできん、っていうのが嫌いだからあんまり聞こうとも思わない。でもなんとなく相手の境遇を感じ取って大変じゃないかなーと心配することはある。上に書いた人たちは一緒にいると安心できるんだけど、やっぱりそういう面で何も言わなくとも理解してもらえてると言う自分の傲慢さ・甘えなのかもしれない。なんとなく、気兼ねなく飲める人と、気を使ってしまう人といるけど、気を使ってる相手と言うのは結局のところ自分が相手を信頼してないんだろうな。人脈を広げるというのはそういうとこから改善しなきゃならんというのは辛いところだ。
2011-07-15
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この大学に来てよかったこと。はっきり言っておくけどこの学校自体は嫌いだ。
無責任な言葉を投げてくる友達と出会わなかった。なんだろう、高校時代よりもずっと希薄なはずなのに、けれど信頼して言葉を投げ合える人と友達になれたこと。安心して頼れる。無責任な頑張れって言葉もない。そこによりかかりすぎな気もするけど、give and take な関係、嫌いじゃない。むしろ理想。類は友を呼ぶってこういうことなのかな。
人が発するオーラって結構大きい。それだけで自分と他の差異とか境界を感じる。けど、やっぱりうちとけ合わないと見えない部分も多い。弱さを見せる時、その人の本質が分かる。その時に助けたい、支えたい、応援したいと思えるかどうか。それは結構な確率で波長が合う合わないの判断基準な気がする。
