箱の家

人間てモノは常に感情的に存在していなければいけなような気がした。
そうでなければいけない。と言うと、そこには義務感みたいなものが生じるかもしれないけれど、私の中では「義務」というものとは違う。
なにが言いたいのかきちんと整理出来ずにいるので、困っているのだけれど、なんだかそんな事はどうでもいい事に思えてきた。
きちんと整理できていない説明でも伝わる人には伝わるのだ。と思う。
私の言うことを理解できずにいる人がいて、その人にわかりやすく説明したところで、私が本当に伝えたい事は伝わらないと思うのだ。
私のつたない説明で、少しでも共感・感銘してくれる人がいたら、その人が同じような経験をしたり、同じような気持ちになった事があるから不足すぎる説明でも伝わるのだと勝手に解釈している。
もしも、そういう人がいてくれたら、なんだか安心するし(それは無意味で無駄な安心だって事はわかっているのだけれど)、気持ちの面で安定する事も可能かもしれない。


ここで書いてみようと思ったキッカケは、私のホームページを作ってくれた人がいて、彼も最近ここで書き始めたからだった。
彼は自分のHPを持っているのだけれど、こっちでは自分の好きなように書くつもりらしい。正規のHPでは、キャラクターが決まってしまっていて書くことに「詰まり」を感じているらしく辛いらしい。それを真似て自分もここで好き勝手に書きたいと思った。先のHPで、今みたいな暗い文章を書いてしまえばいいかな。とも思ったけれど、なんとなく嫌だった。
私はどこまで人の真似をするんだろう。と自分に嫌気がさす。
自分から何かを絞り出してそれを型にする事ができない。
こんな真似事を繰り返していて、善い死を迎えられるのだろうか。
死といっても、それは夜、眠りに就く時と同じな様な気がしてならない。
必ず、夜眠る人がいるわけではないだろうけど、そこに生じる違いは、朝の来る眠りとそれが来ない眠り。
もしかしたら、死後の朝ってモノがあってそれをそっちの世界で迎えているのかもしれないけれど。それは自分がそうなってみないとわからない事。
それを知りたいって気持ちはある。だけど、マネッ子で小心者の私には、死後の朝ってモノがあるとして、自分がそれを迎える事を恐れている部分もある。


こうやって日々アホみたいな事を考えて過ごしているわけなんだけども、それを吐ける場所がなくて困ってたつーか、多少のストレスを感じてて、自分を追い込んでたつもりはないんだけど、結果的にそうなってた。みたいな。
そんな時に彼がはてなの存在を話してくれて真似してみたっていう。
こうやって、ひっそりと二面性をさらけ出していても、リンを知らない人は最期まで読む気になんてならないと思うけど、私のアホ部分を知っている人もそうでない人もこれを見たら、きっと引くんだろうなぁ。あー、ひっそりと過ごしてぇ。だったら、百円ショップでなけなしの105円を払って、味気ない大学ノートでも買ってきてそこにでも吐き出せよ。ってハナシなんだけど、寂しいから見て欲しいって気持ちもここにあるんだよなぁ。知って欲しいっつー。そんなワケでひっそりとは過ごせないっていう。求められてもいないのに。