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2008-12-26

大崎近辺にお住まいの方へ

 

晋遊舎ブラック新書『ワーキングプア死亡宣告』を、

文星堂ThinkPark店さんに大量入荷していただきました。

POPも作りました。

20冊くらいあるので、売れ残ると申し訳ないです。

みなさん、ぜひ買ってください。

 

場所はエスカレーター側にある新刊の後ろあたりです。

恥ずかしながら、『流星の絆』と同じ棚です。

周囲には『就活のバカヤロー』とかも置いてありました。

勝間和代コーナーの裏側です。

新書コーナーじゃなくて店頭なので、お気をつけください。

 

■文星堂ThinkPark店

http://o-saki.jugem.jp/?pid=9

 

--------------------

  

大崎まで来ていただければ、サインとかもしますよ。

mixiのメッセージとかでご連絡ください。

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=480534

 

あとは、30日のロフトプラスワンのイベントとか。

http://www.allneetnippon.jp/

 

 

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

2008-11-17

草稿について

 

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

11月22日に発売する『ワーキングプア死亡宣告』という新書は、昨年末から書き始めて今年の初頭にはすでに他の出版社から発売されるはずでした。ほぼ原稿は書き上げられた段階で発売が延期になり、結局は企画そのものがボツになってしまいました。今回、しばらくそのままだったものを晋遊舎が救ってくれました。

 

ますます時代の流れは速くなり、出版はその速度に追いつくのが困難になっています。今回の『ワーキングプア死亡宣告』もまた、そんな時代の速度に翻弄されています。たった数ヶ月遅れただけで、時代はガラリと変化して、すべての内容が風化してしまいました。出版社が変わったことで、本全体のテーマも変更されました。前回は「ワーキングプア問題の入門書」という要望でしたが、今回は「ワーキングプア問題に対する世代的・個人的な眼差し」といった感じです。

 

そこで今回、自分の書いたパートについては改めて書き直しました。もともとの草稿はワーキングプアという局地的な問題だけではなく、政治や経済全体がどうワーキングプア問題に関わっているのか、なるべくわかりやすく解説したものでしたが、書き直した際は編集者さんの要望もあり、ロスジェネ世代のフリーター視点から見た個人的な感情の揺れ動きを優先させました。ややエモーショナルに偏見的に、論理の破綻や間違いを恐れずに書いた部分があるので、おそらくインテリ諸氏の批判に耐えるような内容ではありません。でもまあ、それなりに読みやすく楽しめる内容になっているので、むしろ低学歴・低収入の方々にケータイ小説的な消費の仕方をしてもらえればと思います。

 

今回発売される新書の内容とはまったく違った、今年の初頭に発売するはずだった原稿の草稿を、参考までにアップします。『ワーキングプア死亡宣告』のサブテキストというほど大げさなものではなく、現在の日本の状況からしたら時代遅れの内容ばかりだし、金融に関する知識や解釈も、今の自分から見たらお粗末なところがあります。自分の意見として180度変わってしまった部分もあります。それでも、結論部分はそれほど変わっていません。

僕は基本的に資本主義が大好きです。でも、知性とモラルを欠いた資本主義は単なる拝金主義になってしまいます。知性とモラルは政治家や官僚や企業家、資本家には当然求められるべきだけれど、庶民もまたそれを失っているのではないでしょうか? あるいは最初から持ち合わせていないのではないか……

これを書いた時点ではこんな急激に世の中が変化を遂げるとは思っても見ませんでした。間違いなく衰退していくだろうとは予測していましたが、中流や上流にまで被害が出て右往左往するようになるにはまだ2,3年の猶予はあるんじゃないかと思っていたのです。だから、今は無関係だと思ってる正社員や金持ち連中だって油断はできませんよ程度の、遠慮がちな物言いになっています。

 

たかだかほんの1年前に書かれた文章です。でも世の中はそこから大きく変わりました。当時の庶民には政治や経済がどんな風に見えていたか、ちょっとしたタイムスリップ気分が味わえるのではないでしょうか。ここ最近の金融危機で、あらゆる業界が冷静さを失い、過去の主張とはまったく逆方向のベクトルに向かっていたりします。

 

経済は群衆の心理で動くと言います。

だからといって経済アナリストたちが口先だけで好景気だとバブル再来だと煽ってみても、人の気持ちは動きませんでした。無責任な楽観と、ポジティブシンキングはまったく別物だからです。インテリさんたちは人の心を操作しようとして、結局感情を動かすだけのエモーショナルなものを提示できなかったわけです。本当は安心を与えなければならなかったのに、やっていたことはアメリカと同じ。借金をして消費することを美徳としていた。その結果が今の現状です。

 

『ワーキングプア死亡宣告』という本は3人の共著なので、三者三様、てんでバラバラな意見が書かれていて内容に一貫性はありません。しかし、あえて結論をひとことで言うなら「自分の人生を他人任せにするな!」ってことでしょうか。「これが正しい生き方だ!」などと提示するのは不可能な世の中なので、クソの役にも立たない精神論を述べるしかないというのが現状です。だから結局、本人が自分の過ちに気づく以外、他人が手を差し伸べる方法なんてないよねという身も蓋もない話になってしまいます。だって政治も経済もあてにはならないんだから。

僕は今必要なのは「自立」ではなく「自律」だと思っています。

たしかに個人の自立は必要だけど、急を要するのはいかに自分を律するかなのではないかと。もはや国家・会社・親にすべてを委ねてはもはや生きていけない時代だからこそ、自立する前段階としての自律が求められるのです。結局、社会や他人を変えるより、自分が変わる方が楽なわけだから、これからも「生きたい」と願うなら自分の認識を変えるしかありませんよと。

あるいは、自分の愚かさや意地汚さを見つめ直すことからはじめるべきなんじゃないかと思うわけです。それが唯一の誰にでも必要とされるリスクヘッジであり、金融工学の失敗もまた、そんな単純な認識の喪失にあったんじゃないかと今なら思えるわけです。

 

 

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 1/7

 

■サブタイトル

あなたが貧困におちいる、これだけの理由

 

■貧困という名のオバケ

「ワーキングプアなんて、本当にいるの?」

 こんな言葉をネットの書き込みで見かけたり、日常会話で耳にすることが時々あります。

 貧困に対する無関心は、あらゆるところに潜んでいます。

 ワーキングプアという言葉が注目され、みんながテレビや雑誌を見ながら大騒ぎするようになりました。しかし、それでも多くの人たちにとって、所詮は他人事なのです。

 働いている人間が貧乏なはずがないと思うのは、当然です。

「怠けているだけじゃないのか?」

「死ぬ気で働けば、何とかなるだろう」

 誰もが、そう思います。

 しかし、そんな風にみんなが当たり前だと思いこんでいる平凡な日常から取り残されて、絶望の淵に立ちつくしている人たちがいます。彼らは、多くの人の目から姿をくらまし、息を潜めて貧しさや寂しさに、じっと耐えているのです。

 

 フルタイムで働いているのに、最低限の生活を維持することすら難しく、病気やケガや失業など、誰にでもあり得るささいな事がきっかけで生活が破綻してしまうことがあります。明日食べる食料にも困り、住む場所すら無い人たちがいます。

 働いても働いてもお金が貯まらない日雇い派遣。

 ネットカフェに寝泊まりするネットカフェ難民。

 安アパートや路上で、そっと息を引き取る老人。

 返しきれない借金を理由に自殺する人たち。

 普通に暮らしていると、彼らの姿は見えてきません。テレビで報道されても物珍しさばかり注目されて、まるで現実味がありません。そのエピソードが悲惨であればあるほど、自分とは無関係な遠い世界の話か、フィクションのように感じられてしまいます。

 一瞬、CMが挿入されただけで意識から遠ざかり、チャンネルを換えた瞬間にアタマから消えてしまうのです。

 

 複数のNPO法人が参加する「反貧困キャンペーン」のシンボルマークはオバケです。確かに貧しさに苦しむ彼らの存在は、まるで目に見えないオバケのようです。間違いなく存在するのに、まったく見えてこない不思議な存在。

 しかし、彼らの姿は本当に見えないのでしょうか?

 彼らの声は本当に届かないのでしょうか?

 それはもしかしたら、我々が現実から目をそむけるために、耳をふさいでいるだけなのかも知れません。

 

■いくら貧乏でも、死ぬわけじゃない?

 日本はまだまだ豊かで平和だと言います。

これまで、「いくら貧乏でも、死ぬわけじゃない」などと笑い話や美談にされてきました。中高年は「ボロは着てても心の錦」などと言って清貧の美学を語ります。

 しかし、バブルの崩壊した90年代以降、それまで横ばい状態だった自己破産の件数は毎年増加しています。

 年間4万件程度だったものが、今では20万件と言われています。

 さらに時期を同じくして、日本の自殺件数は毎年3万人を越えるようになりました。日本の自殺率は先進国でもトップクラスです。

 しかも、そのうちの1割は消費者金融に生命保険をかけられ自殺しています。

 借金や生活苦、病気を持った家族の介護疲れなどを理由とした一家心中のニュースも、最近ではよく目にするようになりました。これではまるで、家族を持つことが重荷以外の何ものでもありません。結婚して子供を作ろうという意欲もなくなります。

 餓死者は毎年100人近く、この11年間で867人が死んでいます。

 その遺体は我々の目には届かないところで葬り去られているのです。

 

■ワーキングプアの定義

 今、ワーキングプアという言葉がますます注目を浴びています。

 2007年には『流行語大賞』の候補にもノミネートされ、NHKスペシャルで放映された「ワーキングプア 〜働いても働いても豊かになれない」は12・7パーセントという異例の高視聴率を記録して話題になりました。しかし、その実態を正確に把握している人はどれだけいるのでしょうか? 

 

 一般的にワーキングプアというのは、「フルタイムで働いても生活保護の水準以下の収入しか得られない人」とされています。ちなみに東京23区の生活保護水準が年間194万6040円なので、年収200万円未満という解釈が一般的です。

 2003年に森永卓郎の『年収300万円時代を生き抜く経済学』という本がベストセラーになりましたが、それよりも低い。つまり、働いても働いても暮らしが楽にならない貧困層が、ここ数年で確実に増え続けているのです。

 しかしワーキングプアには実際の定義があるわけではありません。

 国会では福田総理が「いわゆるワーキングプアについては、その範囲、定義に関してさまざまな議論があり、現在のところ、我が国では確立した概念はないものと承知しております」などと発言しました。

 さらに、中高年にはワーキングプアとフリーターの区別もついていないような人たちもいます。もっと酷い場合にはニートや引きこもりと混同して、「甘えている」「怠けている」などの言葉であっさりと切り捨てられることも少なくありません。

 ワーキングプアがテレビや書籍などのメディアで取り上げられることが増え、着実に世間での認知度は高まっている一方で、なぜこうも理解されにくいのでしょうか? なぜ社会問題であるにも関わらず、個人の問題として見捨てられてしまうのでしょうか? それは、皮肉にもメディアでの取り上げられ方にあるのかも知れません。

 

■メディアによる偏向報道の功罪

 もともとNHKスペシャル『ワーキングプア』シリーズでは、スポット派遣やネットカフェ難民といった限定された人々ではなく、さまざまな人々を描き出していました。

 

 例を挙げれば、

 派遣先をたらいまわしにされたあげくホームレスになった若者。

 リストラされて家族を養えなくなってしまったサラリーマン。

 イチゴ栽培が赤字で、本業だけでは暮らせない農家。

 かつては繁盛していたものの、今では大企業との競争に敗れ、細々とやっていくしかなくなった自営業。

 年金はすべて病気の妻の医療費に消え、空き缶拾いで生計を立てる老夫婦など。

 

 まさに、貧困が誰の身に降りかかってもおかしくないという、将来への不安がテーマになっていました。

 しかし、いつの間にかスポット派遣やネットカフェ難民ばかりがワーキングプア問題としてテレビや週刊誌に持てはやされるようになってしまいました。

 理由はよくわかります。新しい雇用形態である派遣労働や、ネットカフェという今風の舞台が目新しくもあり、面白おかしく演出しやすかったからです。

 タイムリーな話題やブームとして取り上げようとする風潮は、視聴者側からすれば一種のエンターテイメントや娯楽と同じで、ヘタをすれば一般視聴者に妙な優越感を与え、「わたしはこの人たちとは違う」という安心感を与えます。

 そんな現実と報道のズレが「ワーキングプアなんて甘えているだけ、怠けているだけ」という誤解を生み出す要因になっているのです。

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

 

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 2/7

 

■小泉構造改革の正体

 最近になってようやく「小泉構造改革」のもたらしたものが何だったのか、明らかになってきました。日本にアメリカゆずりの市場原理を導入し、規制緩和を繰り返すことで国民の生活は破壊されてしまったのです。

 そもそも構造改革は、赤字財政を生み出すような歪んだ社会構造を破壊するために提案されたものでした。そして小泉純一郎は当初から「改革には痛みをともなう」と明言していました。しかし多くの国民はこの<痛み>が自分たちに向けられた言葉ではないと思っていました。そしてお祭り騒ぎのような雰囲気に流されて、小泉内閣を支持したのです。

 みんな、構造改革によって破壊されるのは庶民の生活ではなく、金持ち連中の既得権益だとばかり思っていました。ところが実際には、財政赤字を増やしながら発展してゆくという、無理のある社会構造の恩恵を受けていたのは、ごく一部の政治家や企業家などのエリートばかりではなく、実は我われ国民ひとりひとりだったのです。

 しかし「一億層中流」というそれまでの暮らしを信じて疑うことのなかった国民にとって、構造改革が突きつけてきた<痛み>は耐え難いものでした。結果、暮らしが不自由になり、財政赤字も減らないという今のような中途半端な状況になってしまったのです。 

 

■景気が良くなっても生活は悪化する

 いくら働いても賃金は上がらず、生活が苦しくなっていくのは、景気が悪いからなのでしょうか?

 街頭で道ゆく人の声に耳を傾けてみても、景気の悪い話ばかりが聞こえてきます。実際に「年々、仕事は忙しくなっているのに、給料は下がり続けている」という世帯は、増加しています。

 しかし一方で「いざなぎ景気以来の景気回復」とも言われていて、これは高度経済成長期や80年代から90年代にかけて起きたバブル経済と並ぶほど、長期的に景気が上昇し続けているということなのです。

 ならばなおさら、なぜみんな景気の回復を実感できないのでしょう?

 それはつまり、どんなに景気が上昇しても、もはや国民の生活には反映されなくなっているという事を意味しているのです。今までは「景気さえ良くなれば、暮らしも良くなる」と誰もが思ってきました。しかし、これからは違います。実は国民の生活は、景気が良くなろうと悪くなろうと、無関係に悪化してゆくのです。

 

■グローバリゼーションが、あなたの時給を安くする

 景気がどんなに回復しようと、国民の生活が改善されない要因のひとつは、グローバリゼーションにあります。

 グローバルというのは、日本語訳すれば「地球」です。グロバール化、グローバリゼーション、グローバリズムグローバル・スタンダードなど、さまざまな類似語がありますが、大雑把に言えば地球をひとつの共同体と見なして、みんなが国境を超えてひとつにまとまるという意味です。

 こう説明すると、なんだか博愛主義のような素晴らしい思想に聞こえますが、実際には平和や人類愛とは大違いで、経済用語としては<人・金・物>が自由に国境を超えて流れることを意味します。

 つまり、企業にとっては地球全体が巨大なマーケットであり、日本国内だけでなく、海外の企業とも競争しなければ生き残っていけない時代なのです。逆に言えば世界を股に掛ける大企業にとって、これは大きなチャンスです。自社製品を世界中の人に売ることが出来るうえに、日本よりも安い賃金で発展途上国の人々を雇うことができるのです。

 しかし、そうなると今度はこれまで日本国内に工場を持っていた企業が海外に工場を移転してしまいます。日本国内での仕事が減り、海外の安い労働力にそれを奪われてしまうわけです。

 例えば中国の人件費は日本の30分の1とも言われています。かつて海外の工場に回されるような労働は単純なものばかりでした。しかし日本の優れた技術力によって開発された機械を海外に持っていくことにより、誰にでも高品質の製品をを作ることができるようになりました。

 しかも最近ではコンピューターのプログラム開発など、ホワイトカラーの仕事も中国やインドの優秀な人材に奪われてしまい、英語のあまり得意でない日本人はますます不利な状況になってきています。

 そうなると、海外の安い賃金で働く人々をライバルに競争しなければならないので、日本人の賃金は低くなり、失業率も高まる一方というわけです。

 

■グローバリゼーションは人間を幸福にしない

 当初、「グローバリゼーションは世界中から貧困をなくす」と言われていました。

 たしかに中国や発展途上国で貧困に苦しんできた人々は、海外から引き受ける仕事によって賃金が上がり生活も豊かになりつつあります。

 考えようによっては、アメリカや日本などの先進諸国は今まで、他の発展途上国よりも恵まれすぎていたのです。

 かつて戦後の日本が奇跡的な経済成長を遂げたのは「優秀な人材を低コストで雇える」という背景があったからでした。ちょうど今の中国は、かつての日本のように経済成長を遂げている時期なのです。逆に「一億総中流」と言われた日本は、自分たちよりも安く働く発展途上国の人々に仕事を奪われ、収入が減りつつあります。

 しかし、これは貧困化ではなく、平等化なのだという見方もできます。これまで日本に生まれるということが、それだけで幸運でした。世界的に見ればバブルの頃まで、日本人であるというだけで特権階級だったのです。

 これからは日本やアメリカなど、恵まれていた国々の富が発展途上国の貧しかった人々に流れ、同じような労働ならば賃金は世界中でほぼ同額になります。それによって世界中の人々が平等に暮らせるようになるのならば、それは本当の意味で平和な世界の訪れかも知れません。

 しかし、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツは「グローバリゼーションは人間を幸福にしない」と言っています。

 たとえば現在、中国はどんどん経済的に発展し、平均賃金が上がってきています。しかし、中国人の賃金が上がってくると、今度はもっと賃金の安い国に仕事が奪われてしまいます。企業は利益をあげることを第一の目的としているので、従業員の生活保障など関係ありません。

 中国でも日本の派遣労働に近いような低賃金の働かせ方が問題となり、2008年から「新労働契約法」という労働者を保護する法律が実施されました。最低賃金を引き上げ、契約期間も延ばし、3年以上同じ職場で働き続けたら正社員として採用しなければならないという義務を企業に課したのです。

 しかしこの法律は労働者を保護するどころか、逆に苦しめました。法律の改正によって労働者の賃金が上がってしまうことを恐れた企業は、法律が施行される直前に大量のリストラを行ったのです。また、中国に工場を持っていた日本の企業も、ベトナムなどもっと人件費の安い国へと工場を移転してしまいました。

 世界中に広まった市場原理による競争とグローバリゼーションの波は、企業に極限まで生産コストの削減を要求します。そしてそのしわ寄せは労働者に負わされるという最悪の事態を生みました。

 労働者は常に最低賃金でこき使われ、不要となれば捨てられるのです。

 利益は決して労働者に還元されません。儲かるのは世界を股に掛ける大企業の経営陣と、それらの企業に巨額の投資をする資本家だけだったのです。

  

■新自由主義による人間狩りがはじまる

 今、グローバリゼーションと共に世界を巻き込もうとしている新自由主義というのは、みんなが市場原理に基づいて自由に競争してゆけば、経済はどんどん発達して、みんなが平等に幸せになれるという考え方です。

 しかし現実には、この弱肉強食を助長する競争が、我々の生活を脅かしています。

 競争というのはトップ以外はすべて敗者という世界です。敗者は自信を喪失し、競争から取り残されて無気力になってしまいます。

 実際、富裕層と貧困層の格差は広がりつつあります。どんなに努力をしようとも埋めることのできない差ができてしまえば、人はその瞬間に立ち止まってしまうでしょう。

 かつて小泉純一郎は内閣総理大臣時代に「格差が悪いとは思わない」と発言しました。

 たしかに格差そのものが悪いわけではありません。頑張った人と怠けた人と、どちらも報酬が同じでは、むしろ頑張った人にとって不平等になります。どうせやってもやらなくても結果が同じなら、すべての人たちが怠けてしまうでしょう。

 しかし、現在問題になっている格差というのは、どれだけ努力したかによる差ではありません。生まれた家庭の資産によって格差どころか階級が決まってしまうのです。 つまり、金持ちの家に生まれたら金持ちに。貧乏人の家に生まれたら貧乏人になるしかない、格差の固定された社会になりつつあることが問題なのです。

 正しい格差というものがあるのなら、それは誰もが平等なスタートラインに立ち、努力した結果として裕福になることのできる状況をいうはずです。しかし実際には小泉純一郎のような世襲3世の政治家が、自分たちの恵まれた境遇を正当化するためだけに、「格差は正しい」と言い訳するのです。

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

 

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 3/7

 

■市場原理が「良い品を安く」する

 市場経済において、モノの価格は「需要と供給」で決まります。

 つまり、それを欲しがっている人と、それを売りたがっている人のバランスです。

 例えば市場原理によって野菜に値段をつけるとします。この場合、農家がどれだけ苦労して栽培したかというのは、ほとんど関係がありません。どんなにおいしいニンジンでも、買いたいという人がいなければ安くなってしまいます。逆に、どんなにマズくても買いたいという人がたくさんいて品切れ状態になれば高くなります。

 努力やかかった費用とは関係なく、お客さんが買ってくれる値段が適正価格になるのです。その商品を作るのに100円のコストが掛かったとしても、お客さんが「90円でなければ買わない」と言ったら、たとえ赤字でも90円で売るしかありません。それが市場原理です。

 しかし市場原理による競争が100%悪いわけではりません。我々はすでに、充分その恩恵を受けています。

 例えば、競争原理が働くと安くないと売れないので、商品の値段が下がります。かといって品質を落とすわけにもいかないので、消費者としては「良い品を安く」買うことができるようになるのです。

 また、商品の値段を下げるためには、グローバリゼーションによる海外の安い労働力が一躍買っています。安くておいしい冷凍食品が食べられるのも、クオリティの高いフィギュアや食玩を安い値段で手に入れられるのも、実は人件費の安い海外の工場で大量生産されているからなのです。

 実は、「良い品を安く」手に入れられるという事と、我々の労働賃金が下がって生活が不安定になってゆく事は、無関係ではなく密接につながっているのです。

 しかもこの市場原理という考え方は、正社員の年俸制などが採用されつつある昨今の「成果主義」ともつながっています。どんなに努力をしても、売り上げや生産性などの結果を出さなければ意味がないという考え方は、市場原理と似ています。

 仕事の量が増えても収入が減るばかりだと嘆く人々の不満の裏側には、このような社会全体の価値観の変化があります。

 

■大企業にばかり有利な規制緩和

バブル崩壊から、ずっと不況だと言われ続けてきた日本では景気回復の名のもとに、企業によるリストラ解除や「派遣労働法」の改正をはじめとする様々な規制緩和が進められてきました。

 市場原理では自由競争が最も重要だとされています。

 国の定めた法律や規制は競争の邪魔になるという理由から、大手企業は法律の改正を要求してきました。これまでの規制をゆるめて自由な競争が出来るようにすれば、経済はもっと活性化するというのです。

 特に有力企業のトップが多く加盟している日本経団連の影響力は強く、自民党をはじめ各党に対する政治献金によって政治を裏で操っています。

 事実、多くの政治家が経団連の要求を無視することができません。これまで不況によって経営の悪化した企業に救いの手をさしのべるという名目で、経団連の要求通りに法律の改正を繰り返してきました。小泉内閣が推し進めてきた郵政民営化や派遣労働を許可する労働派遣法などがその例です。

 確かに世界中の企業を相手に競争を繰り広げなければならなくなった今、誰もが国際競争力の必要性は感じています。しかし実際に行われてきた法律や制度の改正を見ると、発言力の大きい一部の大企業が自分たちの利益ばかりを優先して、都合のいいように法律をねじ曲げているようにしか見えません。

 

■もともと禁止されていた派遣労働

 ワーキングプア増加の要因になっていると言われている派遣労働法の規制緩和も、完全に企業の都合によって生まれたものです。

 派遣労働というスタイルは、もともと法律によって厳しく禁じられていました。なぜなら、企業に人材を提供することで賃金をピンハネする業者が現れることは、最初から予想できる事だったからです。

 しかし、ソフト開発など専門性の高い職種が増えるにつれ、企業側がスキルの高い人材を急に必要とする場面が増えてきました。そんな時、募集をかけてもなかなか人員が集まらず、ゼロから育てるのも難しいという状況で、専門性の高い職種に関しては人材派遣を認めるという「労働派遣法」が1985年に制定されたのです。

 この時点では、派遣できる職種は非常に限られていました。しかしその後、企業側の要望でどんどん規制緩和が進み、現在では危険業務として禁止されている建設や港湾労働を除くほとんどの職種で派遣が認められるようになりました。工場での単純作業や、ファミリーレストランのウェイターなど、本来ならばアルバイトを雇うべきサービス業にまで派遣労働が利用されています。

 

 派遣の規制緩和が進んだ背景には、バブル崩壊後の不況が強く影響しています。政府は経営の苦しくなった企業を救うため、緊急避難的に派遣を認めたのです。

 だから法律では、派遣労働はあくまでも「臨時的・一時的なものであり、常用雇用の代替えにしてはならない」と定められています。つまり、正社員を雇うよりも安いからといって、人件費削減のためだけに派遣労働を利用することを禁じているのです。

 しかし、実際には全く守られていません。

 典型的な例としては、現在も過去最高の利益をあげ続けているキヤノンでしょう。キヤノンの生産工場は3分の2が派遣社員であり、景気が回復して業績が上昇し続けているにも関わらず、今後も派遣社員を増やしてゆくという方針を固めています。つまり不況や経営難を打開するためというよりも、ただ単純に自社の利益を増やすためだけに安い労働力として派遣社員を利用しているのです。

 ちなみにキヤノンの会長である御手洗冨士夫氏は、同時に経団連の会長でもあり、政治的にも強い影響力を持っていることは有名です。そしてさらなる労働派遣法の改正を提案し、今以上に企業がもっと労働者を使い捨てにできるような規制緩和を要求しています。キヤノンのやっていることは明らかに違法ですが、経済的・政治的な圧力を加えることによって法律を変え、自分たちのやっていることを合法化しようとしているのです。

 キヤノンに限らず、実際には儲かっているのにわざと赤字を計上し、「不況だから」と言い訳をして節税やリストラに成功する企業も少なくありませんでした。むしろ正社員の非正規雇用への切り替えは、景気が回復したと宣言された2002年以降も増え続けているのです。これはただ単に企業が利益を増大するためだけに、人権を無視したコストの削減を繰り返していることを意味します。

 

 また、株主優先の経営がリストラを助長しているという声もあります。リストラを発表すると、利益の増大を見越して、その企業の株価が一時的に上がるのです。これによって株主と、自社株を所有している一部の経営陣にだけ大きな利益があるのです。

 しかし長期的に見ればリストラが決して企業のためにならないことは立証されています。希望退職者への退職金などを計算すると、会社の利益は思ったほど増えません。また、会社に残った人間の負担も大きくなるので意欲が失われ、生産性が落ちるのです。さらに失業者が増えれば消費に影響が出て、まわりまわって市場全体の売り上げが落ちます。つまり得をするのは一部の人間だけで、リストラは企業としても社会全体としてもマイナスなのです。

 

■大企業と金持ちばかりが得をする

 このように、発言力のある大企業ばかりが優遇される法律の改正が数多く存在します。

 たとえば長引く不況を乗り切るため、法人税(企業が国に納める税金)は低く抑えられてきました。しかし景気が回復して、企業の売り上げも順調に伸びつつある現在も法人税は低いままです。さらに経団連は法人税の今以上の引き下げと、それに代わる政府の収入源として消費税の税率アップを提言しています。

 ここでも「企業の国際競争力を高めるため」という言い訳が登場します。政府としてはあまり規制や圧力をかけてしまうと、有力企業が国外に逃げ出してしまうのではないかという不安もあります。グローバル社会では、資産を海外に移して税金を逃れるという方法が、金持ちや企業にとっては当たり前の戦略となっているからです。実際、シンガポールやドバイなど、法人税や所得税をゼロにして企業や高所得者を優遇することによって発展している国があり、日本企業のそういった国々への進出が活発になっています。

 しかも経団連ばかりでなく、財政赤字を削減したい政府としても、税収を増やすための消費税アップには乗り気です。名目上は社会福祉や保障を充実させるための消費税アップということになっていますが、むしろその負担は国民にのしかかってきます。消費税は貧富の差に関係なく、みんな一定の税率が掛けられます。例えば現在の消費税率は5%ですが、年収が1億円の金持ちにとっての500万円と、年収100万円の人にとっての5万円は、同じ5%でも負担がまったく違ってきます。

 消費税が必ずしも悪いということはありません。たしかにスウェーデンやフィンランドなど、北欧の福祉国家では医療費が無料になる代わりに消費税率は20%を越えます。社会保障やセーフティネットを充実させるためには、増税もやむを得ないのです。しかし今のまま、行政のムダ遣いを減らさずに増税することはドブに大金を捨てるのとまったく同じで、国民にメリットはありません。

 本来、小泉構造改革は、こうした社会の歪みを正すためのものだったはずですが、実際には<痛み>をわかちあうことのできなかった行政・企業・国民というそれぞれの利害に反したため、失敗に終わりました。そして結局は力の強い者だけが得をするような、さらに歪んだ社会構造を生み出してしまったのです。

 

■大企業による独占が、中小企業を皆殺しにする

 さらに大企業を優遇し、中小企業をおびやかす法律の改正もあります。

 それが「独占禁止法の第九条」です。

 これは純粋持ち株会社の設立を禁止した法律で、つまり親会社が子会社の株式をすべて買い占めて実権をにぎることを禁じた法律です。しかしそれが、一連の規制緩和の流れに便乗して解禁されてしまったのです。

 どういうことかと言うと、巨大な企業グループがある業界でトップに立とうと狙いを定めた時、大企業がバックについていれば、子会社は赤字覚悟の低価格で商品を販売することができます。そんなことをされれば、利益を出さなければ経営が成り立たないライバル企業に勝ち目はありません。そうやってライバル企業を業界から撤退させれば、大企業による独占常態が生まれてしまいます。

 これでは中小企業などはじめから太刀打ちできず、市場に入り込む隙すらなくなってしまいます。一企業の独占を許せば、経営難から倒産する企業も現れるでしょう。そうなれば結果として雇用が奪われ、多くの人たちが路頭に迷います。

 こんな状態では、真面目に商売しようとしても上手くいくはずがありません。

 もともと独占禁止法というのは独占を禁じる法律なのに、むしろ大企業に独占を許してしまうという正当性を与えてしまったのです。

 大企業を優遇した規制緩和が、労働者ばかりでなく中小企業の経営者までも苦しめています。つまり政府は企業の競争力を高めると言いながら、政治への発言権が強い大企業ばかり優遇するような法改正を繰り返し、その他の企業を見殺しにしているのです。

 

■巨大ショッピングモールが地元商店街が壊滅させる

 スーパーマーケットなどの大型店が相次いで登場した昭和40年代、「大規模小売店舗立地法」が制定されました。これは駅前などの中心市街には、あまりに大きなスーパーなどの出店を規制して、地域の暮らしと密着した商店街や個人経営のお店を守る法律です。

 しかしこの法律に対してアメリカは、外資系の巨大ショッピングモールの日本進出を妨害するものだとして批判しました。つまり、市場原理による自由競争を阻害しているというのです。

 スーパーやジャスコなどの巨大ショッピングモールが便利なのは事実です。この競争社会で、経営努力の足りない商店街や個人商店が潰れていくのは自己責任であり、むしろ小規模の店舗を優遇する方が不公平であるという声すらあがっています。しかし本来この法律は独占禁止法と同じく、ひとつの大型店が周辺地域でのシェアを独占することによって、人々の生活が破壊されてしまう危険性を予測して定められたという背景があります。

 現在では規制緩和が進み、駅前や郊外に次々と大型ショッピングモールが出店し、昔ながらの商店街や個人商店からは人影が途絶えつつあります。しかし一方で、大型ショッピングモールが過疎化した地域に活力をもたらし、新しい雇用も生み出すということで歓迎する自治体も少なくありません。

 結果、郊外のロードサイドにはショッピングモールを中心にファミリーレストランやファーストフード、パチンコ店、消費者金融などが立ち並ぶ独特の風景があらわれたのです。

 たしかに大手ショッピングモールは戦略的にその地域で最も高い時給を支払ってアルバイトを集めるので、仕事の少ない地方に暮らす人々にとっては非常に喜ばしい存在でした。そうなれば当然、仕事も生活も依存することになります。

 安く便利でクオリティの高いサービスを提供するチェーン店が個人経営の商店に勝つのは競争原理として当然です。消費者が便利さを選ぶのも仕方がありません。しかし、こうした営利目的のチェーン店は、利益が出ないと判断すれば撤退してゆきます。チェーン店の寿命は7〜8年といわれており、ひとつの地域に根を下ろして営業を続ける店舗はほとんどありません。

 次々と新しい店舗に入れ替わればまだましで、過疎化の進んだ地域はチェーン店にすら見捨てられてゆきます。地方をドライブしていると、廃墟と化したファミレスや商業施設が実に多いことに気づくでしょう。

 もしも地域の人々にとって生活の中心となっていた大型ショッピングモールが閉店してしまえば、その後の経済的な打撃は計り知れません。地元商店街が潰れた後では、以前の生活に戻ることすら難しくなります。さらにショッピングモールで働いていた人々は同時に職を失うことにもなるのです。

 

■アメリカの喰いモノにされる日本

 もともと規制緩和の波は、アメリカからやってきました。

毎年、日本とアメリカの間で交わされる「年次改革要望書」というものがあります。実はこの中に郵政民営化をはじめ、あらゆる規制緩和の要望が含まれていたのです。それらはすべて、アメリカ企業が日本に進出しやすくするためのものでした。

 これまでに登場した独占禁止法改正、大規模小売店舗法廃止、労働者派遣法の改正なども、この文書の指示にしたがったものだったのです。他にも健康保険の本人3割負担など、我々の生活に影響するような重要な内容も含まれています。

 日本政府はこれまで、数々の法案を自分たちが定めてきたかのように振る舞ってきました。しかし、それらはアメリカ側の要求を強く意識したもので、国益よりもアメリカ企業の利益を優先したものが余りに多かったことが最近になって明らかになってきました。

 小泉内閣が進めてきた郵政民営化や健康保険の負担率の上昇は、アメリカの保険会社が日本へ進出しやすくするためのものでした。例えば病気になった時、患者の自己負担率が増えれば公的な保険だけではカバーできなくなり、民間の保険に頼らざるをえなくなるのです。

 すでにアメリカでは民間保険会社への依存度が高くなり、民間の保険に加入できない貧困層は費用を心配するあまりよっぽどの重症でなければ病院に行くことができません。そのため、医療費を払えずに自己破産する例が、クレジットカード破産に次いで多いと言います。

 つまり、貧乏人は体を壊せばそのまま身の破滅につながるのです。

日本もこのまま、アメリカの後追いで法改正を繰り返してゆけば、遅かれ早かれ同じ道を歩むことになるでしょう。

 

 もともとアメリカでは企業が強大な力を持ち、政治を動かして自分たちに都合の良い法律を作り上げてきました。日本の経団連が政治献金によって強い影響力を持ってきたのも、こうしたアメリカ企業のやり方と全く同じなのです。

 しかもアメリカではこうした企業優位の政治がいかに社会を歪ませているか、すでに日本以上に激しい格差や、ワーキングプア問題などで実証されています。

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

 

『ワーキングプア死亡宣告』草稿4/7

 

■人間扱いされないスポット派遣

 ワーキングプア問題の中でも注目を集めやすいのが派遣労働です。特にスポット派遣は、その過酷な労働条件が国会で議論されるほどの社会問題になりました。

 スポット派遣とは、仕事のある時にだけ、電話やメールで集合時間や場所の連絡が入る一日単位の労働スタイルで、日雇い派遣とも呼ばれています。

 仕事内容は主に単純作業が多く、派遣先も毎回違うため、どんな仕事がまわってくるかは行ってみなければわかりません。工場や荷物運び、イベントスタッフなど様々ですが、はじめての現場で不慣れな作業を行うことになるため、労働災害につながる事故も数多く発生しています。荷さばきの作業中に1トンもの荷崩れに巻き込まれて大けがをしたり、半日ほど冷凍倉庫に閉じこめられて両手が凍傷になってしまったという例もあります。アスベストの舞う中、コンビニで買ったマスクだけで解体作業をさせられたという酷い話もあります。

 しかし派遣先の企業にとってスポット派遣というのは都合の良い「使い捨て」なのです。どうせ翌日には別の人間が派遣されてきます。ケガをしようが病気になろうが関係ありません。現場ではまともに口もきいてもらえず、名前ではなく「派遣さん」や登録番号で呼ばれ、まるで人間扱いされません。

 派遣先でネームタグを貰い「はい、今日からあなたは田中さんね」と言われた例もあります。名前を奪われ、人間の方がネームタグに合わせるという本末転倒な状況です。

 そこまで酷い労働環境にもかかわらず、日給はおよそ6000〜7000円程度。交通費は出ません。軍手などの必要な装備品はすべて自腹。遅刻すればペナルティとして大幅に減給されます。しかも毎日仕事があるとは限らないので、平均すると月に働けるのは平均18日程度。月収は13〜15万円という不安定な暮らしをしています。

 仕事がまわって来なかったり、ケガや病気にかかればすぐに生活は破綻してしまいます。しかも派遣会社との関係も重要で、一度でも仕事をキャンセルすれば声が掛かりにくくなるという恐怖感があるため、ちょっと具合が悪いくらいで休むこともできず、その結果、風邪をこじらせてしまうこともあります。しかも休めば一日分の給料が入りません。保険に加入していなければ、医療費の負担は大きくなります。このような雇用の不安定さが、ネットカフェ難民やホームレスを増加させる要因になっています。

 さらに問題となったのは、グッドウィルやフルキャストといった大手派遣会社が「データ装備費」として安い日給の中からさらに使途不明の金額がピンハネしていたことでした。その他にも、派遣会社が他の派遣会社に労働者を紹介して中間マージンを取る二重派遣や、禁止されている建設現場や港湾労働などの危険業務にスタッフを派遣するなど、多くの問題が明らかとなり、グッドウィルとフルキャストは立て続けに厚生労働省から事業停止命令を受けました。

 

■見捨てられた就職氷河期世代

  景気が回復したとはいえ正社員の採用は減り、就職活動をしても正社員になることが非常に難しくなっています。「人手不足」だの「売り手市場」だのと言われても、それは大学を卒業したばかりの新卒に限定された話です。

 バブルが崩壊した直後の1992年から景気が回復したと言われる2002年までの間に学校を卒業して社会へ出た若者たちは就職氷河期世代と呼ばれ、過酷な就職難に見舞われました。就職活動で100社受けても、全て落とされるなんてことが当たり前の時代でした。

 一方で最近、大学生の新卒採用が増えているのは、そんな就職氷河期の反動です。

 バブル崩壊後、多くの企業は景気の悪化とともに経営難に陥ります。昔ながらの「年功序列」や「終身雇用」という雇用体制が崩れ、リストラという言葉が世間に知れ渡ったのも、この頃でしょう。

 テレビでは、妻子のあるお父さんたちが窓際の席に追いやられ、仕事もあたえられずあからさまなイジメに遭い、自主退職に追いやられるというような再現ドラマがよく放映されていました。

 しかし、実際には中高年の雇用を守るために「目に見えないリストラ」が進行していたのです。定年やその他の理由で退職していった人のあとに、新しい人材を雇わないというやり方です。抜けた人材を補わないことにより、自然と社員の数を減らしたわけです。

 リストラによって退職を余儀なくされたり、病気などのやむを得ない理由、結婚や妊娠で一度退職した女性たちが再就職しようにも、募集人員そのものが少なく、就職氷河期にちょうど卒業を迎えた世代は最初から就職できませんでした。結果的にフリーターや無職のニートが大量生産されました。派遣という働き方も、そのひとつです。

 政府はこのような状況を「労働の多様化」と呼んでいます。むしろ「様々な働き方ができるようになって良かったじゃないか」というわけです。そして「お金よりも自由な時間を求めている若者が増えている」などと、あたかも非正規労働の人々が自ら進んでその道を選んだかのように語ります。

 そんなイメージ戦略が「フリーターは怠けている」「最近の若者は根性がない」「ワーキングプアに陥る人間にはそもそも意欲が足りない」という偏見を助長しました。

 しかし統計によると非正規労働者の7割以上が「正社員になりたい」と願っており、正社員の採用枠が少ないために仕方なくアルバイトや派遣といった不安定な仕事に就かざるを得ないという実情があります。しかも非正規雇用の多くがサービス業や単純労働なため、技術が蓄積されることもなく、日々の暮らしに精一杯で手に職もつかず歳をとってゆきます。

 

■若者を使い捨てにする35歳定年説

 そんな中、2007年には労働者人口の中でもかなりの割合を占める「団塊の世代」がちょうど定年退職の時期を迎えました。今後、次々と大量の人材が職場から去り、深刻な人手不足に悩まされることになるでしょう。

 高給取りが減ったことで企業の中での人件費は大幅に削減できる反面、第一線で重要な仕事をこなしていた中高年がいなくなってしまいます。そのため、仕事の上で必要な技術をうまく引き継ぐことができないなど、労働の空洞化が問題になっています。

 そこで新卒の売り手市場となったわけです。どうせはじめからスキルが無いのなら、年寄りやフリーターよりも、若い新卒が選ばれるのは当然です。たまたま社会に出る時期が就職氷河期にあたってしまったため、企業から見捨てられた世代は、ここでも切り捨てられようとしています。

 しかも、今回の「売り手市場」はバブルの頃のように若ければ持てはやされるというようなものではありません。企業の要求するレベルは高くなり、意欲的で人間関係のコミュニケーション能力にも優れ、入社前からある水準以上の能力を身につけていることが条件となっています。

 もはや終身雇用の時代のように、企業が若者をゼロから育て上げるというような余裕は微塵もありません。だから企業に求められるような人材には多くの企業から内定が集まり、逆に一社からも内定が貰えないという新卒もいて、同世代の間でも個人差が激しくなりました。

 結局、ごく一部のエリートのみが求められ時代となり、その他大勢は競争のスタートラインにすら立てないのです。しかも、常に「若さ」という絶対条件が必要なため、就職した後も年をとってからどうなるかわからないという不透明な時代に突入しつつあります。

 このような若者を使い捨てにする傾向は、次第に高まっています。最近では派遣社員の間で「35歳定年説」というものが囁かれています。35歳を越えると、派遣登録していても、仕事を紹介してもらえなくなるというのです。

 終身雇用が崩れ、誰もが職を転々とする時代になれば、このような事態になることは当たり前です。世の中、年を取っても必要とされる技術など、なかなかありません。機械によるオートメーション化が進めば、人間のスキルはそれほど必要とされなくなります。よほど特殊で高度な技術を持っていない限り、年寄りと若者を比べれば若者を採用したくなるのが普通です。これは派遣社員に限った話ではありません。

 

■教育格差が階級を固定する

 少子化とゆとり教育によって、フリーパスで入れる大学なども登場し「大学全入時代」などと言われる一方、成果主義の導入で、ますます学歴が重視されるようになっています。一流の大学を出なければ就職は困難な状況で、就職できなければフリーターか派遣労働など不利な労働条件で働くしかありません。

 実際には年収300万円程度の家庭にとって、子供の大学卒業までにかかる費用を負担するのは困難です。

 大学卒業までの養育費と学費を合わせた金額は、すべて公立で済ませても平均3000万円と言われています。これが幼稚園から大学まで私立に通わせれば4000万円。医学部を目指せば6000万円となります。しかも一流大学ほど塾や家庭教師など、学校外での教育費もかかります。

 東大は国立なので、努力さえすれば貧乏人でも入学できると信じられていますが、実のところ合格者の親の大半は年収1000万円以上で、子供たちは幼い頃から徹底的な英才教育を受けています。

 つまり、親の年収がそのまま学力に反映されるのです。

 これが「教育格差」であり、子供の将来を決定づける最大の要因となっています。

 中卒ならば500万円、高卒ならば750万円程度の養育費で済むため、親の収入が少ないほど学歴は低くなり、就職は困難になります。

 学歴が必要ならば、奨学金制度を利用すればいいという意見もあるでしょう。しかし現在、奨学金制度は「民間の業務やサービスに代替えできるものは、財政赤字削減のために廃止する」という構造改革の流れを受けて、廃止の方向で検討されています。しかも、その奨学金に代わる民間サービスというのは銀行や消費者金融の教育ローンであり、中には教育ローンとは名ばかりの単なる高利貸しも紛れているため、貧乏な学生は社会に出る前に借金漬けにされてしまう危険すらあるのです。

 今の学歴社会は一見すると、貧富の差や社会的な階級ではなく、能力の高い者だけが出世する実力主義に見えます。しかし実際には、本人の能力以上に親の年収によってその後の人生が決まってしまうという、目には見えにくい隠れた階級社会なのです。ここにも富裕層が自分自身の恵まれた境遇を正当化するための言い訳が潜んでいます。

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

 

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 5/7

 

■社畜サラリーマンの絶望的な未来

 フリーターや派遣労働を続ける限り、将来への見通しはつきにくい時代になっています。しかし、だからといってすでに正社員として働いている人たちは安心なのかといえば、決してそんなことはありません。

 企業が利益を増大するために正社員を減らしたり、バイトや派遣労働などに切り替えているため、会社に残った人たちの負担も増えています。

 リストラなどで人数が減っても仕事は減らず、むしろ増えてゆきます。当然のようにサービス残業を強いられることもあります。

 過酷な労働の中で体を壊したり、過労死や自殺に追い込まれることもあります。仕事のせいで鬱病になり、退職をよぎなくされても何の保障もなく、身勝手な自主退職のように扱われてしまう例も少なくありません。

 こんな状況の中で、さらに事態を悪化させかねない提案が経団連から出されました。それが<ホワイトカラー・エグゼンプション>です。

 これは、仕事の内容を時間給では判断しにくい管理職などに対して、労働時間ではなく能力や成果によって給料を決めようという制度です。

 このホワイトカラー・エグゼンプションを説明する時、厚生労働大臣の舛添要一は「自分のペースで仕事ができるので、残業を減らせる」と言い、「家庭だんらん法」という別の呼び方を提案しました。

 しかし実際には成果を出さなければ収入が減ってしまうので、今以上に残業が増えることになります。そこで「残業代ゼロ法案」や「過労死促進法案」なのではないかというマスコミや労働者の声が高まり、今のところホワイトカラー・エグゼンプションの導入は見送られています。しかし導入されれば、対象となるサラリーマンの年収が100万円以上カットされることが予想されています。つまり企業が合法的に残業代を支払わずに済むようにするというのが、この制度の本当の目的なのです。

 正社員と非正規社員の不平等をなくすため、「同一労働、同一賃金」にすべきだという声もありますが、実際にこれが実現したとしても非正規社員の給料が上がるとはとうてい思えません。結局は正社員の給料がカットされ、労働者全体の収入が減る一方でしょう。

  

■社会保険料を出し渋る悪質企業

 さらにフリーターや派遣社員など、非正規雇用の生活を不安定にしている要因として社会保険や厚生年金に加入しにくいという理由があります。

 そもそも企業には、一週間のうちに30時間以上働かせる場合には正規・非正規の区別なく、従業員を社会保険や厚生年金に加入させる義務があります。しかし実際には守られておらず、労働者の側もそれを知らずに自分で国民健康保険や国民年金に加入していたり、最悪な場合には保険や年金に支払うお金を節約するため加入していない場合もあります。

 保険に入っていなければ、医療費が全額負担になってしまうので、ちょっと風邪でもひけば貯金がすべて吹き飛ぶほど高くつきます。お金がなければ病院にもかかれません。月に十数万円しか収入のない人が、月に数万円の保険料や年金を負担するのは非常に大変です。勤め先で加入すれば、企業と個人が半分ずつ負担することになるので、だいぶ楽になります。

 しかし悪質な企業になると保険料や年金を負担するのをいやがって、一週間の労働時間を30時間以下に抑えたり、あるいは入社2ヶ月以内の短期労働者には加入の義務がないので、2ヶ月おきの更新にして加入させないという手段を使います。

 また、従業員を30時間以上働かせながら、平気で加入させていなかったり、加入を希望したら給料から全額天引きされたなどという例もあります。これらの例は、あきらかに法律違反です。

 しかもこの流れは、非正規雇用ばかりではなく正社員にまで広がっています。はじめから何も言わずに加入させなかったり、経営難を理由に途中から社会保険から国民健康保険に切り替えてくれと頼まれる例もあります。

 フリーターを保護するため、社会保険の加入条件を引き下げる法案が出された時、雇用のほとんどをフリーターに依存している外食産業は猛反対して法案を潰してしまいました。

 今や企業は利益を優先させるあまり、従業員に対して責任を持つことを完全に放棄してしまっているのです。そして本来ならば従業員に与えられるべき保障すら奪っておきながら、それを「効率化」と呼んで美化しています。

 

■政府が誘導する、「起業」という名の神風特攻

 これだけ企業に雇われて働くことが大変な時代になってくると、いっそ自分で会社を作って独立した方がいいのではないかという気にもなってきます。たとえどんなに苦労が多くても、努力した分だけ収入として報われるのならばやり甲斐もあり、頑張れるというものです。

 そんな気持ちを助長するかのように、安倍内閣時代に提案された「再チャレンジ支援策」でも、創業・起業の促進が重要視されていました。しかし、その正体は「会社を興したり、お店をはじめたい人には、お金を貸しますよ」という程度のものでした。

 さらに資本金1円からでも会社が興せるという「一円起業」という制度も採用されました。これによって誰でも気軽に会社が興せるというわけです。

 しかし独立する事で、本当に生活は豊かになるのでしょうか?

 日本では今、小さな町工場や、商店街などにあるような家族経営の小さなお店が次々に潰れ、自営業が減少しています。世界的に見ても、日本の倒産率・廃業率は高いのです。

 近頃は起業よりも廃業の方が多いくらいで、身近な例でいえば商店街の収入は全盛期の3分の1以下にまで落ち込み、新たに開店した飲食店のほとんどは1、2年以内に潰れてしまいます。

 これだけ競争が激化しているのに、個人経営の会社やお店をゼロからスタートしても、大規模展開しているチェーン店に勝てるわけがありません。しかも、これまでも見てきたように法律は大企業に対して有利なように作り替えられています。

 たとえ1円で会社が興せたとしても、その創業や開店のための準備や、運転資金などすべてが借金ということになります。つまり失敗すれば借金だけが残ります。

 これではまるで、リスクの高いギャンブルに誘っているだけです。

 現在、お店を経営して順調に利益をあげているのは、ほとんど親の代から受け次いだ老舗ばかりで、ここにも親の資産が子供に引き継がれることで階級を決定するという格差があらわれているのです。

 そんな時代に「一円起業であなたも社長に!」というのは、とてもロマンのある話にも聞こえますが、実のところバカな庶民を騙して、有り金すべて吐き出させて借金漬けにしてしまおうという陰謀なのではないかと邪推したくもなります。

 勝てる見込みのない大企業に玉砕覚悟でぶつかってゆき、借金とともに墜落してゆく。これではまるで、経済を活性化させるための神風特攻隊です。

 一時期、個人経営のお店は大企業に真似できない「スキマ産業」的な戦略で生き残りを計ることができるとメディアでさかんに報道されました。しかし、スキマはあくまでもスキマです。テレビなどで見かける成功例よりも、失敗例の方がはるかに多いのです。

 一般の人々のすべてが天才的な発想や経営能力を持ち合わせているわけではありません。一攫千金のギャンブルよりも、手堅く普通に家族で暮らせる程度の収入が欲しいだけという中流志向の人の方が多いことでしょう。

 しかし今の時代、そんな普通の暮らしすら許されず、雇われても地獄、独立しても地獄というような、負けることを前提とした過酷な競争に誰もが巻き込まれているのです。

 

中流意識の崩壊

 日本は戦後、高度経済成長を遂げました。経済は右肩上がりに成長を続け、それによって国民はまんべんなく豊かになり、誰もが中流以上の暮らしができる「一億総中流化」とまで呼ばれる世の中になりました。少なくとも、そう信じることができるほど、好景気の恩恵を受けることのできる人の数は多かったのです。

 それに比べて、今はどうでしょう?

 かつて好景気の恩恵を一番受けたのが中流階級であったように、現在の不安定な社会の影響を最も受けているのも中流階級なのです。

 かつて「いい学校に行って、いい会社に就職して、結婚をして、平凡な毎日を送る」という生活にうんざりするという風潮がありました。しかし、現在ではその「平凡な幸せ」すら危ういのです。

 いい学校に行ったからといって、就職できるわけでもなく、かつて高給取りといわれたような職業が、次々とその年収を激減させています。例えばバブルの頃には働けば働くほど稼げると言われたタクシー業界も規制緩和によって台数が増えてしまったため、ドライバーの平均年収はワーキングプア並みにまで落ち込んでいます。エリートというイメージが強い歯科医も、開業医の場合はかかる経費に比べて収入が減少しているため、やはり年収300万円以下という例が少なくありません。

 学歴や技能があるからといって、それが収入に結びつかなくなっているのです。職場で必要とされる資格を取ったのに、時給が10円しか上がらなかったなどという話は多くあります。

 競争社会は意欲的な人間にとっては非常にスリリングで面白味のある世界かも知れません。しかし、大多数の人たちにとって必要なのは、確実に生活できるだけの収入を得る方法なのです。

 実は今、最も苦しいのはこれまで中流意識を持って生きてきた人たちかも知れません。これまで競争を強いられるのは受験戦争くらいで、一度就職したり商売をはじめて軌道に乗れば、そのレールに乗ったまま一生過ごせると思っていたはずです。それが、何の準備もなく競争の波に飲み込まれてしまったのです。

 競争社会への急速な転換は、戦う準備のない丸腰の人間が、銃や剣を持った兵士たちのウジャウジャいる戦場に放り込まれるようなものだったのです。

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

 

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 6/7

 

■正直者はバカを見て、犯罪者が得をする

 今の時代、「真面目さ」や「勤勉」という昔ならば美徳とされた性格はむしろ損をします。むしろ求められているのは「競争力」であり、人に優しかったり、モラルを忠実に守ったり、組織に従順な人たちは、悪い人間に利用されて喰い殺されかねない時代なのです。

 

 資本主義社会で、自由な競争が人々を幸福にすると信じられてきたのは、誰もがルールを守って平等に競争することを前提としていたからです。しかし現実にはウソをついたり、ルールを破る者があらわれます。

 その典型例が、食品偽装やマンションの耐震偽装問題でしょう。

 食品の原材料を偽ったり消費期限などの表示を誤魔化す食品偽装と、建築士がウソの設計書を作って鉄骨などの材料を少なく見積り、建築コストを減らして利益をあげていた問題は、ルールを破ることで儲けを増やしていたという点で同じです。

 みんながルールを守っている中、自分だけルールを破ればライバルを出し抜くことができます。

 消費者は基本的に同じモノが並んでいれば安い方を選ぶので、経費を下げて商品の値段を安くすれば、確実に売れます。これは正社員を非正規社員にすり替えたり、海外の安い労働力を使って商品コストの削減に励むのも一緒です。

 法律にのっとった競争ならば企業努力として認められますが、ウソや偽装がバレて犯罪性が明らかになれば、もちろん逮捕されます。

 しかし、捕まるとわかっているのに、なぜ多くの企業が犯罪に手を染めるのでしょうか?

 実は、罪に対する罰の重さが、日本ではあまりに軽すぎるのです。

 2007年のベストセラーに『食い逃げされてもバイトは雇うな』というが本がありました。この本では、数人の客に食い逃げされるよりも、毎日バイトを雇って時給を払う方が高くつくので、会計的に損だという内容が解説されています。

 このたとえで、店主を犯罪者に入れ替えても同じです。10回に1回逮捕されたとしても、金銭的な利益の方が高ければ犯罪は生業として成立するのです。

 ライブドア事件で逮捕されたホリエモンはいまだに億万長者ですし、年間に数千万円の利益が出る密漁は捕まっても「3年以下の懲役または200万円以下の罰金」で済んでしまいます。悪徳リフォーム業者も同じようなもので、詐欺が立証されても10年以下の懲役程度で、被害者への損害賠償はほとんどありません。普通に働いて稼ぐよりも他人を騙してボロ儲けした方が効率的なのです。

 悪徳業者が何度逮捕されても反省せずに犯罪を繰り返すのは、つまりこういうワケです。

 一流企業のサラリーマンですら生涯賃金は約3億万円と言われています。犯罪によって、それ以上の額を一瞬にして稼ぎ出すことが可能だとしたら、真面目にコツコツ働くことなどバカらしくなってきます。

 これでは真面目に働く意欲は失われ、生活のため違法行為に手を染めるというような、短絡的な犯罪者が増える可能性があります。

 最近ではネットオークションなどで個人による売買が手軽に行えるようになったため、普通の人たちが著作権違反の商品や盗品を売って利益をあげたり、架空請求ネットワークビジネスなど詐欺まがいの副業に手をだしはじめています。

 貧乏人にとって再チャレンジの難しいこの国では、皮肉なことに犯罪者にとっての再チャレンジは簡単なのです。

 

■搾取よりひどい略奪ビジネス

 さらに他人の不幸を喰い物にするような、悪質な企業や商売が世の中には多く存在します。例えばチワワやグラビア・アイドルのCMでお馴染みの消費者金融などは、そのフレンドリーなイメージとは正反対の恐ろしい手口でボロ儲けしています。

 まず、消費者金融の利息は「利息制限法」に定められた利率を超えています。しかし現在、「利息制限法」と「出資法」という二つの別々の法律があって、利息の上限が違うのです。これがグレーゾーン金利です。

 例えば10万円以上100万円未満の利息は年利18%が上限で、それ以上の請求をされても借り手に支払い義務がありません。ただ、借り手が任意で18%以上の利息を支払っても年利29・2%までなら刑事罰に問われないというだけなのです。

 このような高金利で借金をしてしまうと、半永久的に利息だけを払い続けることになり、借金はまったく減らないという状況に陥ります。そして借りたが最後、深夜に自宅を訪問して怒鳴り散らしたり、職場に嫌がらせ電話をかけるなど、脅迫まがいの取り立てが待ち受けています。これらの取り立ては違法ですが、テレビでCMを流しているような大手の消費者金融でも実際に行われている手口です。

 さらに返済が不可能になってしまった多重債務者に対して「債務の一本化」や「おまとめローン」を持ちかけてきます。これは一見すると借り手に対する救済措置のように見えますが、最初から持ち家や土地などの不動産を担保として登録させ、返済不可能なことを見越したうえで奪い取ろうという悪質な手段なのです。しかも多重債務者の多くはすでに自分が住んでいる家などを担保に入れざるをえないので、あっという間に自宅を奪われ、ホームレス状態になってしまいます。

 最近では大手銀行の名前を前面に押し出したり、初回は金利ゼロなどを売りにして、気軽にお金が借りられるような広告をよく見かけますが、一度でも借りてしまうと向こうから電話がかかってきて、ほとんど押しつけるようにお金を貸し付けられるという例も少なくありません。

 こうした犯罪まがいの手口を消費者金融で働く社員たちは日常的に行っており、中には罪悪感に悩まされる社員もいます。しかし就職難の今、他に仕事を選ぶ余地の無い彼らは、こうした消費者を騙してお金や財産を巻き上げるような仕事でも続けざるをえないのが現状です。辞めたら他に仕事があるかどうかわからないという不安から、悪質な企業だとわかっていても辞めることができません。

 就職したら組織的にオレオレ詐欺を行うような会社だったり、悪徳リフォーム業者だったり、2000円くらいの価値しかない絵画の複製を200万円以上の値段で売りつけるような会社だった、などという話はいくらでもあります。

 さらに2006年には、消費者金融10社が債権回収のため借り手全員に生命保険を掛けていたという衝撃的な事実が発覚します。しかもそのうち大手5社が受け取った保険金の件数は1年間で約4万件。そのうち自殺によるものが3649件あったのです。

 日本の自殺者は年間3万人以上と言われているので、少なくとも自殺者の約1割が消費者金融の取り立てによって命を落としているということです。

 財産どころか命まで奪ってゆくような会社のCMが、大手をふってテレビで流れています。さらに町中には無人の自動契約機があり、コンビニや携帯電話でも気軽にお金が借りられるような世の中です。スイカなどの電子マネー、レンタルビデオやマンガ喫茶、家電量販店のポイントカードにまでクレジット機能が付き、国家ぐるみで庶民を借金地獄へ突き落とそうと企んでいるのではないかと被害妄想を抱きたくなる有りさまです。さまざまな罠が、まるでアリ地獄のように日常生活に潜んでいるということに、もっと多くの人が気づく必要があります。

 

■銀行だけがボロ儲けするゼロ金利政策

 日本人は昔から貯金好きだと言われています。

 経済学者は、消費が落ち込んで景気がなかなか良くならないのは、庶民があまりお金を使わないからだと指摘します。しかし将来の見通しもつかず、先行きも不安定な今の世の中で無駄遣いする気にはとてもなれません。

 今、日本の経済は景気が良かった頃の貯蓄を切り崩して耐えしのいでいるような状態です。これだけ若年失業者が増え、ニートやフリーターばかりの世の中で、どうにか社会が秩序を保っていられるのは若い世代にパラサイトできる団塊世代の親がいるからだと言います。

 しかし一般家庭の貯蓄率は年々減少し、貯蓄ゼロの世帯は全体の約25%。4世帯に1世帯は貯蓄が無いという計算になります。こんな状況で家族に病気などの急な出費があれば、一家揃って路頭に迷うことにもなりかねません。

 そんなわずかな預貯金にすら、銀行を保護するためのゼロ金利政策で利子はつきません。お金を預けても利子がつかないのに、そのお金を引き出せば手数料が掛かります。

 たしかに銀行が潰れれば、国民の預貯金に影響が出ます。しかしゼロ金利政策と景気回復で、銀行の業績は順調に上がり、過去最高の経常利益をあげていると言います。

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

 

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文字数制限で文章が途中で途切れてしまいました。

続きはこちらから…

http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20081116/p8

2008-11-16

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 7/7

 

■「自己責任」という名の弱者切り捨て

 ワーキングプアは自己責任だという意見があります。貧困に陥るのは世間が悪いというよりも、本人に責任があるのではないかというのです。

 もちろん努力もせずに結果だけを求めるのは間違っています。働くのは嫌だ、でも金は欲しいというのは誰もが思うことでしょう。税金は払いたくないけど、社会保障を充実して欲しいというのはワガママでしかありません。

 しかし、これまでも見てきたように企業の無責任は許されて個人の責任は徹底的に追及されるというのもおかしな話です。企業だろうと個人だろうと、間違っているものは間違っていると、断言しにくい世の中になっています。

 弱肉強食で、弱い者は喰い殺されて当然の世の中だとしたら、なぜ人間は社会制度なんてものを作ったのでしょうか? 助け合う必要もなく互いの肉を喰らいあって自由気ままに生きるのが正しいのだとしたら、法律やモラルなど、そんな面倒なことは無視して野生動物のまま野蛮に暮らしていれば良かったはずです。

 しかし、人間は本来どんな動物よりも弱かったからこそ仲間同士の助け合いが必要だったのです。

 社会保障とは何なのか?

 根本的な考え方に立ち返ってみれば今の世の中が異常なことに気がつきます。

例えば保険制度が生まれた背景を思い出してみましょう。人間は誰でも病気になるし、ケガもします。そして当然、100%死亡します。そのリスクはみんな同じです。

 そんな誰にでも訪れる「不幸な出来事」を、みんなで支え合うのが保険というものです。

 わかりやすいのは健康保険でしょう。

 常日頃、健康なときからみんなでお金を出し合って、もしも病気にかかった人がいたら、みんなで出し合ったお金の中から治療費を出して病院にかかれるようにする。お金が無いせいで病院にかかれないというリスクをなくすために健康保険は存在します。

 しかし、統計学が発達してくると、次第に病気やケガに関するリスクがみんな平等ではないことがわかってきます。病気にかかりやすい人、ケガをしやすい人がいるのです。

 そうなれば病気にかかりにくい人や、ケガをしにくい人まで同じ保険料を払うのは不平等なのではないかという意見も出てきます。自分たちは病院にかかることは少ないのに、他人の分まで医療費を負担していると感じるからです。

 あるいは自動車保険を例に挙げればもっとわかりやすいかも知れません。毎日クルマに乗る人と、休日しか乗らない人では、事故に遭う確率がまったく違います。当然、保険料が違ってきます。

 しかし、これを社会保障の観点で見るとどうでしょう?

 リスクの低い集団はより金銭的負担も少なく最大の利益を得て、リスクの高い集団は金銭的負担ばかり大きく見返りが少なくなってしまいます。

 結果、このような効率化を進めてゆけば、リスクの低い集団はどんどんリスクの高い人々を切り捨てて、最大限の利益を得ることが出来るようになります。そしてこの考え方を突き詰めていくと、本来ならば守られるはずだった弱者ほど排除され、生きることすら困難になってゆくのです。

 今、国が政策として進めている「小さな政府」というのは、もしかするとこうしたリスクの切り捨てなのかも知れません。

 国民は国家に「利益の再分配」を要求しますが、実は「利益」だけではなく、「リスク」や「コスト」も同時に再分配されるべきなのです。

 

 厚生労働省の発表した平成19年度の都道府県別の平均月収を見ると、トップは東京都の37万4200円、最下位は沖縄の22万7400円です。この地域格差は年々、広がっています。

 しかし、この東京の一人勝ちには理由があります。

 大企業のほとんどが本社を東京に持ち、地方のチェーン店などで稼いだ収益が東京に集まってきます。地方で稼いだお金が税金として地方にまわることなく、東京に一極集中してしまうのです。

 これまで国家単位で収支の辻褄を合わせていたものを、都道府県ごとに区切ることで貧富の差が浮き彫りにされ、このままでは貧しい地方自治体はこれまでのような支援を受けられなくなります。

 実は年度末に予算を使い切るため無駄な道路工事ばかりしていると評判の悪い道路財源や、地方自治体の無意味とも思える公共事業の数々は、カタチを変えた利益の再分配方法だったのです。雇用の少ない地方では、そうした道路工事や公共施設の建設が、福祉による支援よりもよっぽど人々の生活を支えています。もちろん本来ならば、このような不透明なカタチではなくきちんとスジの通った再分配が必要でしょう。政治家・企業・公務員といった一部の人たちがワガママ放題に既得権益を独り占めする土壌が、この国を歪ませているのは事実です。

 どんなに増税し、公共事業などの無駄を効率化しても、これらの人々が利益を独占している限り、財政赤字が減るとは到底思えません。

 そのしわ寄せが、結果的に国民にまわってきて貧困問題が悪化してゆくのです。

 格差問題の本質も、ここにあります。金持ちや権力者といった強者が、弱者を切り捨てることによって利益を自分たちだけで分け合おうとしているのです。

 

■将来の夢は公務員

 宇多田ヒカルのヒット曲『Keep Tryin'』に「将来の夢が公務員だなんて夢がない」というような歌詞があって物議をかもした事がありました。公務員をバカにしているというのです。

 しかし、実際には公務員の給与は民間企業の平均よりも200万円以上高く、子を持つ親が「将来、子供に就かせたい職業ランキング」で男の子のトップは公務員で、日本が不況に突入した1992年から連続でトップの座を守り続けています。しかも中学生以上になると子供の「なりたい職業ランキング」にまで公務員が登場しはじめ、年齢が上がるほど上位になってゆきます。

 みんな、公務員がいかにおいしい職業なのかを知っているのです。

 事実、公務員はいまだに年功序列で昇進試験もないので、長く努めるほど給料はあがってゆきます。ゴミの収集作業や学校の給食係など専門性の低い職業でも、場合によっては1000万円以上の年収があります。これは一般企業でいえば部長クラスです。

 もちろん、これにはトリックがあります。

 昔は公務員の収入は民間に比べて低く、国立大学の教授などは家が金持ちでなければ食べていけないほどに給料が安かったと言います。それが高度経済成長期、民間企業並みの給料を保障しようということになり、民間企業の平均賃金を参考にして公務員の給料が決められるようになったのです。しかし、そこでサンプルに選ばれた企業は、意図的に業績のいい一流企業ばかりでした。

 日本が不況に突入してからは、次々と民間企業が経営難に陥り倒産してゆきました。そんな中でも生き残った業績の優秀な企業ばかりがサンプルとして選ばれ、公務員の給料は上がり続けたのです。さらに、内部で独自のルールを作り、残業を増やして本来の年収の倍以上の額を受け取っている公務員も少なくありません。そして、どんなに国や地方自治体が財政赤字を抱えていても、自分たちの給料は下げようとしないのです。

 みんながみんな、このようなほとんど詐欺としか言いようのない手口を知った上で「我が子を公務員にしたい」とか、「公務員になりたい」と言っているわけではないでしょう。しかし、なんとなく公務員ばかりがいい思いをしてる、という事に気づいています。

 実は、あわよくば自分も加害者の側にまわりたいと、誰もが思っているのです。

 既得権益という言葉は、何も権力を握っているごく一部の偉い人々だけのものではありません。日本に暮らす我々が今の暮らしを捨てて、財産や生活環境を発展途上国で飢餓に苦しむ人々に分け与えろといわれても、なかなか出来ることではありません。日本にワークシェアリングという、一人一人の収入を減らして仕事を分け合うという雇用の守り方が根付かなかったのも、すでに仕事を持っていた人たちが自分たちの収入を削ってまで他人の暮らしを守ろうとは思わなかったからです。

 誰だって、自分の所有物をタダで手放そうとはしません。

 結局、ほとんどの人にとって、自分さえ良ければそれでいいのです。

 どんなに文明が発達しようと、そうした「心の貧しさ」は変わりません。このような人間の醜い部分というのは、どんなに偉い政治家も企業家も、そして我々庶民も変わらないのです。

「政治が悪い、企業が悪い」と被害者意識だけをつのらせて、他人にばかり責任を押しつけるというのは、やはり意地汚い政治家や企業家とまったく同じ無責任な考え方なのかも知れません。

 

我々は、未来を切り崩して生きている

 政治が悪い、企業が悪い、アメリカが悪い……

 これまで日本が貧困化してゆく要因を、色々と書き連ねてきました。まるでタチの悪い陰謀論じゃないかと思われた読者もいるかも知れません。しかし冷静に考えてみれば、これは陰謀などではありません。

 我々自身が、目先の利益ばかりを追い求め、短絡的な行動を繰り返してきた結果なのです。金持ちも貧乏人も関係なく、みんなが「自分さえ良ければいい」「今さえ良ければいい」という考え方で生きてきた結果であり、そのツケが今になって自分たちの身に降りかかってきたというだけなのです。

 このまま行政や企業が提供する便利さや豊かさにすがっている限り、今のような貧困を生み出す社会の状況を変えることは出来ないでしょう。

 かと言って、グローバリゼーションや市場原理によって価格の引き下げられた商品や食料品の利用を今すぐ止めろというのも不可能です。そんな強制力を誰も持っていないし、そんな命令の言いなりになる人もいるはずがありません。

 だいたい、今の貪欲で享楽的な生活をすべて捨てれば日本は豊かになるのかと言えば、そんなことはまったくありません。

 食糧自給率の低い日本では、グローバリゼーションの波に乗り遅れて世界中から孤立すれば、やはり破滅の道しか残されていないのです。

 しかも貧しい人ほど、100円ショップやショッピングモールで買い物し、安いネットカフェに寝泊まりするような暮らしをしています。劣悪で低賃金の労働や、低価格の商品に支えられて生きているわけです。もはや我々は文句を言いながらも、そうした自分自身の生活を脅かす存在そのものに頼らずには生きていくことはできません。それを断ち切られたら、たちまち死んでしまうような矛盾した状況に置かれているのです。

 

 これまで日本は、問題を先送りにして最悪の事態に対して見て見ぬふりをしてきました。

 現時点で1000兆円以上とも言われる財政赤字は、その結果です。

 あるいは環境問題やエネルギー問題などもそうです。

 誰もその責任をとらず、うやむやにして平和な日々を過ごしてきました。

 けれどそんな見せかけの平和は、いつか破綻します。

 我々は未来を切り崩して生きてきたのです。

 そのツケは必ず将来に支払うことになります。

 しかも借金と同じで、後回しになればなるほど、確実にその苦しみは倍増します。

 今はまだその苦しみが一方的に弱者だけに押しつけられているように見えますが、実はこの貧困化への流れは、日本という国全体が背負っているのです。それどころか、世界レベルで問題は深刻化しています。

 すでにアメリカの低所得者向け住宅ローンのサブプライム問題が世界各国の金融市場に影響を及ぼし、日本の損害も少なくないことが発表されています。さらに、今は好景気に沸く中国経済も北京オリンピック終了とともにバブルが弾けて様々なボロが出てくるのではないかと噂されはじめました。自給率が低く、輸出や輸入に頼りっぱなしの日本は、こうした海外の影響を受けやすいので、どこかひとつの国が傾けば共倒れになる可能性が高いのです。

 様々な世界情勢から見て、これまで弱者を踏みつけることでなんとか安定を保ってきた富裕層すら、いつ転落するかわからない状況です。日本という国そのものが破綻してしまえば、社会保障やセーフティネットなんてまったく意味がなくなります。個人どころか、国家レベルでどうにもならない絶望的な未来が待ち受けています。

 

 今の時点では、何をどうすればいいのか、わからない事ばかりかも知れません。

 しかし、まずは現状を知り、目をそむけないことです。

 他人の苦しみから目を背けるのではなく、それがいずれ自分自身にも降りかかってくる問題として認識することが、明るい未来を取り戻す第一歩になるかも知れません。

 もしも今、あなたにとってワーキングプアという言葉が現実味を帯びたものではなかったとしても、その言葉が投げかける多くの問題は、必ずあなた自身につながっているのです。

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