Hatena::ブログ(Diary)

雑読にき

2013-04-22

司馬遼太郎「項羽と劉邦」

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)

久しぶりに司馬遼太郎を読んでみた。

トロントの公共図書館にも何冊かあるようなのだが、古い本のせいか閲覧のみで貸し出しできない本が多い。

唯一借りられたのがこの「項羽と劉邦」で、実家に文庫本があったことを思い出しつつ懐かしく読んだ。

龍馬がゆく」「燃えよ剣」「坂の上の雲」、それに「峠」あたりが好きだったなぁ…また読みたし。


司馬さんの小説時代小説というより「司馬小説」という1つのジャンルだなと改めて思う。

司馬遷の影響をうけた「列伝」形式を取り、数多くの登場人物達を広く浅く網羅することによって物語を紡ぐ。

史実の合間にゴシップ的な小話がちょこちょこ挿話され、たまーに登場人物の内面つぶやきの形で表現されるものの、登場人物が勝手に動き出す感はない。

人物描写が浅いと断じる向きもあるだろう。

「余談だが…」と挿入される随筆めいたエピソード物語の流れを断ち切っていると批判する人もいるだろう。

けれど、その客観的でドライな語り口は、良質のドキュメンタリーフィルムを思わせる魅力を備えている。

Discovery channelでも見てる感じで読んだらいいんじゃないかな。


さて、「項羽と劉邦」である。

紀元前3世紀の中国で派遣を争った2人の英雄

劉邦項羽を破り漢の高祖となるまでを描く。


楚の貴族出身項羽は身の丈八尺(184cm)の美丈夫で、名馬にまたがり戦場を駆け抜ける鬼神の申し子のような武将

直情径行で自信家で、部下や庇護すべき者にはありあまる愛情を注ぐ一方、気に入らないヤツはすぐ大釜で煮殺すか穴埋めにしてしまう。

降伏した秦兵20万人を生き埋めにし、「阬」という字がそのまま「生き埋めにする」という動詞になっちゃったというんだから凄まじい。

愛憎ともに人より何倍も強く、単純で、粗暴で、強い。

三国無双で使ったら呂布ばりのステータスを誇るだろう。


一方の劉邦はうだつのあがらない農家の末っ子。

項羽よりも15歳ほど年上で、中年になるまで故郷でぶらぶらしていたところ乱世に乗じて前代未聞の出世をとげた。

戦には弱く女にはだらしなく、誇るべき武もなく、故郷ではろくでなし扱いされてきた。

唯一の取り柄は自分というものがないこと。

自分意見がないからどんな人間意見でも素直に聞くことが出来る。

自分をいつでもほうり出して実態はぼんやりしているいう感じで、いわば大きな袋のようであった。

置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合賢者よりはるかにまさっているのではあるまいか。

賢者自分の優れた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中にほうりこんで用いることができる。


茫洋として実のない劉邦からこそ、人を生かすことが出来る。諸将が項羽を見限る一方、劉邦の元にはキラ星のような人材が集まってきた。

空虚さが上に立つものの資質だとは逆説的で面白い

司馬さんは確か「龍馬がゆく」で西郷隆盛に似たような評を与えていたように思う。


さらに司馬さんによれば、当時の権力のあり方も劉邦に味方したという。

古代中国において「英雄」とは、より多くの人間を喰わせられる人物をさした。

飢饉や旱魃で貧窮した農民が村ぐるみ流民化し、喰わせてくれる親分の傘下に入る。

能力のある親分のもとには五万、十万、五十万と流民(兵士)があつまり、百万人の食を保証する者が最大の権力を握るわけだ。

劉邦はこの機微を熟知していた。


楚漢戦争の末期、項羽との最終決戦に臨んだ劉邦は城を捨てて穀倉にしがみつき、籠城戦を試みた。

武を重んじ食を軽んじていた項羽は長期戦に耐えず、結果飢える兵士を抱えて四面楚歌に陥る。

かの有名な七言絶句「虞や虞や汝を如何せん」を詠う項羽の脳裏に「食」の意識はなかった。

飢えを知り、食うことの意味を知っていた凡人・劉邦英雄項羽を下したのは歴史必然だったかもしれない。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/doggyjelly/20130422/1366693040
Connection: close